娘への来客



蓮を連れてきても良かったけど、燐に任せてきたので、オフなのに一人で出歩くのはとても久しぶりだった。


人々が行き交う駅の中。

なるべくわかりやすいように、と場所も決めてみたけれど、正直内心ヒヤヒヤだ。


だから姿を見つけた時、本当に心の底からホッとした気持ちと共に息を吐く。まだあたしに気づかないで、少しだけ不安そうに手に持った紙を眺めているけど、実際に見かけて少しだけ目頭が熱くなったのは気のせいではないだろう。


はやる気持ちを少しでも表に出さないように堪えて、可能な限り落ち着きを装いながらもその足を早めて動かした。
















いつもと変わらない玄関にいつものように鍵を差し込んで回せば施錠の外れる音がする。


慣れたけどそれでも少しだけ重く感じる扉を開けて「ただいま〜」と呟けば、奥から「まっま!!!」と蓮の声が聞こえる。パタパタとリビングにいたであろう蓮がやって来る足音が廊下から玄関にまで響く。


廊下を抜けて玄関までパタパタとやってきた蓮は、玄関にいるあたしの近くまでやってきた頃には勢いのあった足取りも失速して立ち止まってしまった。不思議そうな表情と少しだけ不安なのか何とも言えない雰囲気を目に宿して手を口元に持っていって、んぅ?としている。



「蓮、こんにちは」
「…」


あたしの後ろにいた人物に声をかけられたのに反応を示さない蓮は、どうしようとでも言わんばかりの雰囲気であたしに視線をズラす。


「蓮、こんにちはーって」
「んぅ…」


いつもなら元気にできるのに、何故だろう。
突然の人見知り発揮をしたようで、ぽてぽてとあたしの足元にやってきてそのままギュッとくっついてしまった。



「蓮、ばーばだよ?いっつもお話ししてるでしょう」



そう問いかけても蓮の表情は晴れないで、あたしの横にいた人物、ばーばと呼んだその人、あたしの母さまをじっと見つめた。





「水城ここまで大変だったろ、お疲れ様」
「そんな、燐音様お気遣いなど…!」
「ここではそういうの良いから」
「…はい、いろいろと慣れないものばかりで…、」



リビングに移動して、ぎこちなく緊張気味にソファーに腰を下ろす母さま。燐に声をかけられて、畏まる様子の母さまに燐は苦笑い。燐への言葉にぎこちなさもありながら、ポツポツと本心を口にする。


その言葉をあたしはキッチンから耳だけ傾けて母さまの言葉を聞き入れる。母さまがそばにいる事が不思議でくすぐったくもあり、ポカポカする心の中。コップにお茶を入れてお盆に乗せながら、足元に視線をずらす。



「蓮、そんなにくっついてたら歩けないよ」
「んぅ」
「ほら、パパたちのところ行こう」
「んやぁ…」



母さまが来てからずっと足にくっつき虫状態の蓮。キッチンにいる蓮からはリビングにいる母さまの姿は見えないはずなのに、なかなか離れてくれない蓮が足にしがみついているせいで歩きにくい。手に持って運ぼうとしているお茶だって溢しかねないというのに…、と思いつつ無理矢理にでも移動すれば、イヤイヤ言いつつもくっついたまま蓮も仕方なくリビングへ。




「蓮はどうしたンだよ」
「ばーばといっつも楽しそうにお話してるのに」



リビングにいる二人にお茶を出して、あたしもソファーの空いているところに腰掛ければ蓮が尽かさず、んぅしょと太ももによじ登ってきた。相当離れたくないらしい…、ここまで意固地にする蓮も珍しくって燐もあたしも首を傾げることしかできない。


「あたし、何かしちゃったかな」
「この前の通話だって普段通り…だったはずだけど」




振り返ってみるのは先日のビデオ通話。燐が故郷の人たちとリモートでやってるのをきっかけに、母さまともビデオ通話をするようになった。特に蓮が生まれて最初の頃は故郷にいたから必要はなかったけど、こっちに戻ってきてからは距離も離れていることを理由に蓮の成長過程も見ていて欲しくて時間の許す限りの頻度で行っていたりする。


なので、生まれたばかりの時の記憶はないしにしても、最近での母さまとの記憶はあるはずなんだけど…。



「蓮、ばーばだよ?」


もう一度、蓮に問いかけて見て、あたしはびっくりした。

蓮が首を横に振ったからだ。



「蓮、?」



これには母さま本人も燐もびっくり。


そんなあたしたちの気持ちを知ってか知らずか、蓮は「んぅ…」と浮かない表情を浮かべたまま。蓮はおずおずと動き出す。



「ばーば、あちよ…」



蓮があっち、と言いながら指差した先にあるのは一台のパソコン。


「まっま、ばーば、あち…」


蓮はもう一度呟いた。




そっか、とここでやっと理解した。
蓮にとって、ばーばはビデオ通話でしか会った事がないから、パソコンの中の人だと思っているらしい。
なので、今目の前にいる人が同一人物と理解しきれておらず、困惑しているのだろう。



「俺たちがテレビに映ってる時はすぐに理解すンのに、逆だと理解できねェのか」
「あたしたちじゃないからこそ、そう思っちゃってるのかも」



燐も蓮の考えに気づいたらしく、ホッとしたようで笑っていた。蓮にとって、ばーばはパソコンの中の人って認識だったのかもしれない。状況について来れない母さまだけは、不安そうにあたしや燐の表情を見つめて来るもんだから、大丈夫だよと声をかけて事情を説明してあげた。そしたら母さまも安心したようで、自然と笑みが溢れる。



「蓮ちゃん」



あたしにギュッと抱きついたままの蓮の前にやってきて、目線の高さを合わせてしゃがむ母さま。



「蓮ちゃん、こんにちは。蓮ちゃんの“まま”の“まま”です、“ばーば”だよ」



蓮と触れる中で母さまはこっちの生活でのことを少しだけだけど覚えた。

“ママ”という単語だってそうだ。

あたしたちは母上や母さまと呼ぶけれど、こちらでそのように呼ぶ人たちはいないから、蓮には“パパ”と“ママ”という言葉を覚えさせた。いつかは戻るかもしれないけれど、今の生活の中でそこに合った方法で蓮には育って欲しいから。



蓮は、母さまの言葉を聞いて目をぱちくりとさせながら、何か理解できたのかもしれない。

母さまからあたしに視線をずらして、見上げてきたので、あたしからも蓮に伝える。



「ばーばはね、ママのママなんだよ。いっつもお話ししてるばーばがね、蓮に会いたくて来てくれたんだよ」















「ぶぅ!じゃぷっ!」
「蓮、すごいね」
「ばーば!みーてよ〜っ」



あれから蓮の中の不安のようなものは消失し、すっかりいつもの通りだ。

母さまをばーばと呼び、今ではテレビで流れている教育テレビのダンスに合わせて踊る蓮。見て見てと主張をしては、母さまにすごいと言われてご満悦の様子だった。



「ばーば!」
「はいはい、」
「蓮ちゃんね〜、」

 
母さまもびっくりするぐらい、蓮が喋る動くで母さまの方が大丈夫かな、って思ってしまう。



「水城、嬉しそうだな」
「うん…、こうやって見てると、やっぱり故郷帰るべきなのかなって思っちゃうよね…」
「優希…」



一人で故郷にいる母さまのことを考えると込み上げてくるものがある。蓮も母さまと一緒に楽しそうに遊んでいる姿を見ると、それは余計に感じるもので、自分で決めたはずなのに心の何処かで揺らいでしまうんだ。




「ばーば!うちゃ!うちゃもあしょぶ!」
「みんなで遊びましょうね」
「んぅ!」



どっちの笑顔も大切だから。

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