天城家の日常
可愛い可愛い小さな背中。体からはみ出て見えるのはお気に入りのウサギのぬいぐるみの耳で、あまりにも不思議な動きをしているもんだから、気付いたらその様子を見つめていた。
何をしているのだろう、と思って見ていれば、どうやらウサギのぬいぐるみを持ったまま立ち上がろうとしてるのだろう。
まだ手をつかなきゃ立てない蓮は、ウサギのぬいぐるみを抱えたまま床に手をついて、お尻をふりふりさせながら、おぼつかない足取りで「んぅ、んぅっしよ」と足を立てる。
上手く下半身が立てた時、床で支えている手(と一緒に抱えられてるウサギのぬいぐるみ)を押すような形で離して立とうとすれば、その時の勢いがありすぎるのか、ウサギのぬいぐるみが普段と違って邪魔になってしまってるのか、上半身が起き上がった瞬間、バランスを崩してそのまま尻餅をついてしまう。
「…んぅ?」
気づけばまた座り込んでしまった蓮は、いま立ったはずなのに何故?とでも思っているのか不思議そうな声を漏らして、また懲りずに同じ方法で立とうとする。
あたしは今この瞬間に気づいて、一通りの流れを見てしまったのだけれど、一つの疑問を抱く。もしかしてこの子はもう何度か繰り返してるのではないか、と。
もしそうなのなら、さすが子供と言うべきか、はたまたこれを懲りずにやるだけの忍耐力があると思うべきか、もしくはどんだけお馬鹿さんなんだろうかと思うべきか…といろんな視点からの考え方が頭の中を駆け巡る。
まあ、蓮の年齢的に見ても可愛らしいではないかという答えに行き着くのだけれど。
「蓮」
「んぅ、んっしょっ」
また同じ方法で立とうとしている蓮が視界に入る位置に移動して声をかけるが蓮は見向きもせず立つことに専念している。まだ足がちゃんと立ち切れていない今、やっぱりウサギのぬいぐるみを抱えた不安定な状態で床に手をついている。
「蓮、ウサギさん持ってたらたっちできないから、ママがウサギさん持っててあげるよ」
「んぅ、やぁっ」
うん、ウサギさん持つ許可が降りなかった。受け取るために手を伸ばして見たけれど、首振り一刀両断。イヤとされては、無理にとるわけにもいかず。仕方ない、と息を吐くだけ。仕方ないので、そのまま好きにさせることに。それからまたしばらく同じように動くがやっぱり同じように尻餅をついてしまう蓮は「…ぶぅ」と不満のような声を漏らす。
「まっま」
「ん〜、なぁに?」
「まっま、うちゃ」
そばで片付けをしていたあたしは蓮に声をかけられて、視線を向けてみれば蓮が抱きしめていたウサギのぬいぐるみをあたしに差し出す。だから言ったのになぁ…と思いつつ、まぁ自分でやらないとわからないか、なーんて思いながら蓮からウサギのぬいぐるみを受け取った。すると、蓮は自分の両手が空いたことにより自由の幅が増えたため、両手を床に手をついてスムーズに立ち上がる。さっきまで時間がかかっていたのが嘘のように、だ。
「うちゃ」
「はいはい」
「んぅ」
立って終えばママのお役は終了。あたしに持たせていたウサギのぬいぐるみを蓮は再び手に取ると、思いっきり抱きしめてウリウリし出す。こうなったらもうあたしは眼中にはないのだ。たまに、だから言ったのになぁ…とか、今呼ぶか〜と思うことだって正直あるけれど、仕方ないな〜の気持ちで動いてしまうのだ。
「ぱっぱ」
「ン?うさチャンくれんの?」
「うちゃ、んっ」
夜、洗い物を終えて、ふと二人を見てみれば、床に座り込んだままの蓮と側のソファーに座っている燐。蓮は、燐を呼ぶと持っていたウサギのぬいぐるみを差し出していた。
またやってるなぁ…なんて思いながら、あたしはつい笑ってしまう。しかし、これが“また”ってことを知らない燐は何一つ疑わずに蓮に差し出されたぬいぐるみを受け取ってしまう。
「ぱっぱ、うちゃ」
ここで燐も気付いたようだ。蓮はパパにウサギのぬいぐるみを持たせて、自分が立ち上がったら、またウサギのぬいぐるみを返してと手を出す。
「うちゃ、んぅう〜」
パパからウサギのぬいぐるみを受け取れば、少しだけしか手放していないというのに、久々の再会とでも言うように、ぎゅーっと抱きしめていた。
「蓮、最近あたしにもそんな感じだよ」
「…優希、」
ひと段落したあたしは、燐の横に腰掛けながら声をかければ、燐はなんとも言えない表情を浮かべている。
「なかなか要領よくなって来たな…」
「そうなの、成長を感じるよね」
あたしと燐の視線の先で、ウサギのぬいぐるみを抱っこしながら、話しかけて遊んでいた。どんな世界線でどんな話をしてるのかは全くわからないけれど、可愛らしくて見ているだけでも全然飽きない。
「ハァ〜〜〜、俺っちも…」
「もう…」
体が重い。気づけば横から伸びた腕にがっちりと抱きしめられていたせいである。と、言うのも蓮の行動を見て、燐が真似するかのように抱きついてきたからだ。あたしはウサギのぬいぐるみなのかな…と思いつつ、されるがままで。燐が体重をかけて抱きしめてくる。しかも、腰に手を回して胸に顔を埋めている状態だ。完全に逃げられないあたしはただの抱き枕。
「蓮のこういうところは、パパ似なのかな」
「親子だからなァ」
と、口では言うけれど、実際問題、蓮の行動は小さい頃の自分に似てる気もするから、どっちもどっちなんだろうな。柔らかく色鮮やかな燐の髪を撫でていれば、何やら視線を感じて見ればウサギのぬいぐるみを抱きしめたまま突っ立っている蓮と目が合う。
「蓮、どうかした?」
ジーッと見るだけで動かない蓮。あたしの言葉を聞いて、燐も上体を起こして離れて蓮を見つめる。
すると突然蓮は動き出して、ドタドタと駆け寄ってきたかと思えば、密着したままのあたしと燐の間にグリグリと自分の体を押し入れ始める。
「んぅんっ」
何事かと思いつつも、少しだけスペースを作ってあげればそこにすっぽりと収まった蓮。
「んぅ」
蓮は満足そうな表情を浮かべて、またウサギのぬいぐるみを抱きしめる。その様子がおかしくて、頭を撫でてあげれば「まっま」と呟く。
「一緒が良かったのかな」
「蓮もママとパパと一緒だなァ」
燐も蓮の行動にほっこりした表情を一瞬だけ浮かべたら、またさっきみたいに雪崩れるように次は蓮を巻き込んで抱きついてきた。蓮はキャッキャしながら、ぎゅうぎゅうにされて楽しそうだった。
そんな天城家の日常。
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