娘と一彩4
じーっ。
「蓮」
じーっ。
「蓮!」
じーっ。
先ほどから、ひーくんに名前を呼ばれても、じーっと見つめるだけの蓮。うんともすんとも言わず、あたしの膝の上に乗ってウサギのぬいぐるみを持ったまま、ひーくんを穴が開くほど見つめていた。
「蓮、ほら。一彩おにいちゃんだよ」
「ほんっと、動かねェな」
あの日、ひーくんを克服したのは嘘のように、数日経ってまた遊びにきたひーくんをじーっと動かず見ているだけの蓮に燐はケラケラと笑う。今までのように嫌がらないだけマシなのか、逃げないだけ進歩だと思う部分もあるけれど、あたしとしてはまた振り出しに戻ってしまうのではないかと不安が過ぎる。
「蓮…?」
とんとんと蓮が乗ったまま足を上げて揺らしてみるが動かない。
「まーた一彩のこと苦手になったんじゃねェの」
「ちょっと、そんなこと言わないの!ほーら、蓮」
「ニキたちのことは喜んで呼ぶのに、どうしたもんかねェ」
そう、蓮はまだひーくんのことを一度も呼んだことがないのだ。ひーくんは、ニコニコと笑顔を浮かべて蓮の名前を呼んでいるので、気にしていないのかもしれないけれど、あたしとしてはちょっとした悩みでもある。
頭を撫でても反応のない蓮。
うーん、どうしたものか。
「そういやァ、一彩」
「なんだい、兄さん」
蓮があまりにも反応しないからなのか、たまたまなのか、燐がひーくんに別の話題をふっかける。それにより、ひーくんも素直に話題に乗っかって話し始めたので、どうしようかなぁと考えを巡らしてみる。
「ひーろ」
考えを色々巡らせてみてもすぐに結果が出る訳でもなく、二人の会話をただ何となく聞き流していた時だった。突然、ひーくんの名前が耳に入る。
「…へ」
燐もひーくんも目をパチクリさせながら、こちらを見ていた。あたしも突然何事かと思って二人を見るが、よく見れば二人の視線はあたしの方ではなくその少し下、蓮に注がれている。
「…蓮?」
「んぅ?」
「蓮、今一彩つった?」
「んぅうう?」
聞き間違いではないか、と燐が蓮に尋ねるが、その本意が伝わらず蓮はウサギのぬいぐるみを抱き抱えて惚けるだけ。
「蓮、一彩おにいちゃんだよ」
「うちゃっ」
「ウム!ウサギさんだね!」
「うちゃよ〜」
あぁ、ダメだこりゃ…。
結局またウサギのぬいぐるみを抱き抱えて一人遊びを始める。
「うちゃ!」
「ウム!」
「ひーろ!」
「ウム!」
ウサギのぬいぐるみをひーくんに差し出したかと思えば、サラリとひーくんの名前を呼んだ蓮。次は聞き間違いではないため、びっくりして蓮を見るが、蓮は気づいていない。
「兄さん!姉さん!蓮が呼んでくれたよっ!」
「呼んでくれたなァ、しっかし兄ちゃんじゃねェのか」
蓮は基本あたしや燐の言葉をよく聞いていて、マネているなという印象はあったが、まさかここで燐と同じ呼び方をするとは思っても見なかった。それは燐も同じだったようで、少しだけ困ったように笑っているが、呼ばれたひーくんは嬉しそうに笑っている。
だけど、
「蓮」
「んぅ?」
「ひーろ、おにいちゃんだよ」
「ひーろ?」
「おにいちゃん、だよ」
うーん、困った。
蓮は、ひいろと呼ぶだけ。ひーくんも気にしてないし、それならそれで良いんだけど。
「…にちゃ」
「蓮…!」
「そうそう、蓮!ひーろおにいちゃんだよ〜」
「ひちゃ」
「んんんん〜おしい〜」
まあ、子供だもんね。
そう簡単に上手くいきません…!
そんなことを思ってた、数分後。
「ひーちゃ、うちゃよ」
「蓮、ウサギさんだね!」
「ねーっ」
気づけばどんなスイッチが入ってなのか、機転が起きたのか。それはわからないけれど、蓮はひーくんとまた遊び始める。ひーくんも何も気にせず楽しそうに遊んでるし、努力賞ってことにしておきましょう。
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