我儘お嬢のお気に入りは近所の長子女 | ナノ
食べたいほどにあなたを欲する

※この話にはケーキバースの内容が含まれます。
※直接的描写はありませんが、カニバリズムの話題に触れるところがありますので、苦手な方はご注意ください。


人生は残酷だ、無慈悲だ。たらればを上げ出したらキリがないほどに、こうであったらいいのに、がごまんと転がっている。

自分がもう少し早く産まれていたら、

自分の脚がもし故障しなければ、


自分がもう少し、この時、あの時、と思うことばかり。

豹馬は才能があると言われて育った。その才能はサッカーでの才能。脚が早く、赤豹という異名をつけられたほど。豹馬自身もその才能を認め、自分はいつか世界一のストライカーになると夢を抱く。それは豹馬自身の生きる上での道標である目標だった。


あの日までは。


高校一年生の頃、豹馬は試合中にゴムが切れるような鈍い音と共に気付けば膝があり得ない方向へと曲がっていた。激痛が全身を巡り、連れて行かれた病院で医師より言われたのは右膝前十字靭帯断裂。一度はサッカーができなくなり、リハビリを経て再びフィールドに戻るも以前のように走れなくなっていた。

豹馬は悩み、そしてもがき、苦しみ、サッカーで世界一のストライカーになる夢を諦めるためにブルーロックの強化合宿へと参加する。

しかし人生はそう簡単にうまくは行かない。強化合宿に参加した豹馬はそこでさまざまなエゴイストたちに出会い、刺激、触発され、諦めていたはずの夢を再び抱くこととなった。




これは紆余曲折し葛藤を繰り返してきた千切豹馬の物語。




千切豹馬が今着ているのはユニフォームでも練習着でもない。私服を身に纏い、髪も練習時のようなサイドの編み込みではなく、ポニーテール仕様。そして彼がいるのはブルーロックではなく、落ち着いた内装の店内。都内にあるこじんまりとしたカフェに来ていた。


「豹馬良かったね」
「うん」


そして豹馬の目の前にいる女性は月城澪。柔らかく微笑む彼女は豹馬より六つ上であり、豹馬の幼い頃から知っている近所に住んでいたお姉さんである。昔はよく一緒に遊び豹馬を可愛がっていた澪だが、年を重ね社会人になる時に一人上京。当時、豹馬も高校入学や脚の故障をしたりという目紛しい時期だったため、ほぼほぼすれ違いのまま会わず終い。何とも言えない空気感で年単位に渡る会えない状況となってしまっていたのだが、ブルーロックで選抜に選ばれたこと、そこから豹馬は脚の故障からの復帰と共に縁あって再び二人は会うことになった。

ただ全てが以前のように、とはいかない。

以前の二人と言えば、澪はこれでもかという程に豹馬を言葉と行動で可愛がり、豹馬もまた澪のその優しさと好意に甘やかされ育ったため同級生には見せない表情と口数を発揮していた。しかし、豹馬自身が年齢を重ね、反抗期から思春期を経てからの故障もまた重なって物事を深く考えるようになってしまって、二人の間には多少のぎこちなさがある。


「リハビリ、すっごい頑張ってるの知ってるから、また豹馬らしいプレー見られるの本当に嬉しい」
「澪…」
「一番辛かったのも豹馬自身だし、あたしは上手いこと何も言えなくて」


澪はテーブルの上に乗せていた手をこまねいている様子をジッと見つめる。豹馬に目線が合わせにくそうに見える。その証拠に澪はそっと呟く「ずっと気になってたくせに、目を逸らしてたなって思えて…」と。


「目を逸らしてたって、そんなの仕方ねぇじゃん。俺、すっげぇ荒んでたし、澪は社会人としてのタイミングだったしさ」
「そうだけど、もうちょっと何か力になれてたんじゃないのかなって後々思えて仕方なかったんだよ」
「なら、その気持ちが知れただけで充分だって」


豹馬はふっと笑みを浮かべた。隠しているだろうけれど、澪がガラにもなく少しだけ身を乗り出しそうな動きに気持ちの必死さが表れているから。


「豹馬…」
「なんだよ」
「あーもう大きくなっちゃったね〜」
「んだよ、その言い方。親戚のおばちゃんみたいな」
「近所のお姉さんです〜」


澪の言葉と豹馬の返しにより二人の表情と空気感が少しずつ和らぐ。

だから、二人の空気が完全に解れるのもすぐだった。気付けば昔のように、しかし年相応な反応で会話が進む。メニューから選んだ注文品がテーブルに運ばれてきて、会話は一瞬中断。澪は運んできてくれた店員に会釈すると、豹馬の頼んだものと自分の頼んだものを比べてみて数の少なさに驚く。


「豹馬、何も食べなくて良いの?」
「あーうん」
「そう?甘いもの好きだよね」
「俺はこれだけで良いって」


澪は飲み物とデザートのセットに対して、豹馬はコーヒーのみ。昔なら、間違いなく同じように何か食べ物も頼むであろうに、と澪は思って聞いてみるが、豹馬は自分の手元にあるコーヒーを見つめて顔色変えずに返されてしまった。澪は豹馬がそういうなら、とそれ以上追求することをやめて一人デザートを口に含んだ。



二人はいろんな話をした。会えなかった期間を埋めるように、澪は自分が離れてから豹馬がどんな風に過ごしていたのか、ブルーロックでの出来事も含めていろんな話を豹馬からの言葉を聞き入れる。会話の中で出てくる潔や蜂楽、玲王と凪などは澪も以前見た映像での人たちだな、と記憶の中で照らし合わせる。楽しそうに語る豹馬はきっと彼らのおかげで今があると思ったら感謝しかない。自分にはきっと成し得なかったから、豹馬にとって心を開ける同志ができたことは本当に良かったと思える。
時間はあっという間に進み、気付けば時計の針がぐるりと回転していた。お互いのカップに入っていた飲み物は空になり、皿の上のものもとっくに澪の胃袋の中。


「そろそろ移動する?」
「いいよ、どこか行きたいところあれば付き合うけど」
「うーん、そうだなあ」


身支度を整えながら、澪は上の空のような声で考える。せっかくだ、まだまだ一緒にいたい気持ちもあるし、宛てもなくブラブラしても良いけれど、豹馬がそれだと嫌かなと案を練り出しては消してを繰り返す。


「あ、豹馬!伝票貸して」
「いいよ、ここは俺が出すから」
「ダメだって、奢りが嫌なら割り勘!」


そんなこんなで考え事をしていたら、豹馬がテーブルの脇にあった伝票をヒョイっと手にしてレジに向かおうとする。それに気づいた澪が慌てて声をかけるも豹馬はサッと澪の手の届かない位置に手を伸ばす。澪が手を伸ばすことを予想していたらしい。案の定、澪の手が豹馬の前で宙を掻いた。


「豹馬!」


ツーンと聞こえないフリを貫き通すらしい。結局お店でドタバタするわけにもいかず、澪はここは折れることになる。まだ未成年なのに、一応あたしは社会人なのに、と思っても仕方ないのかもしれないけれど、思わずにはいられないのだ、歳上として。行き場を無くした財布を結局カバンの中に戻して店を出る。



「澪さ、なんか付けてる?」
「え、一応…はつけてるけど」
「なんか、甘いやつ」
「甘い…?」


お店を出て早々、突然豹馬が澪に顔を近づけて鼻をスンスンとするためあからさまに驚きを隠せない。澪は豹馬の言う通り、香水はつけているけれど、匂いはそんなにキツいものではないはず、と自問自答を繰り返す。そしたら、甘いと言われて澪は思わず聞き返ししてしまった。澪がつけていたのは、さっぱり系の軽いもののため甘いとは?と思い、自分の匂いを確認してみるけれどわからない。


「もしかして」
「え?」
「…なんでもない」


豹馬は何かを思ったみたいだったけど、その言葉を飲み込んでしまった。中途半端に気になる感じで終わってしまって澪の中にはモヤモヤが残る。結局、そのことに深くツッコミを入れることなく有耶無耶にしたまま、二人は適当に街へと繰り出した。割と行き当たりばったりだった、豹馬がここに行こうと言って、目についたお店に立ち寄ったり、澪にこれ似合いそうと言って服を見繕ったり。さすが千切家の血筋、姉がオシャレなら弟も意識が高い。澪は内心感心しつつ、ちょっとだけ困惑しつつついて行く。あれ行こう、これ寄ろう、という流れで一見豹馬の行きたいところ優先にも思われそうだが、実際には澪にも楽しめるような場所ばかり。結局、豹馬によるさり気ないリードによって時間はあっという間に過ぎていった。



後は普通にバイバイして終わりかな、そう思っていたのは澪だけだったらしい。澪は突然のことに声は出ない、いや出せない現状に目を見開いて体を動かせないでいた。陽は沈み、すれ違う人は帰宅する者だったり、これから呑みに繰り出すのかと思われる者だったりがすれ違っていく。豹馬が送っていくと言い出したのは少し前、最初こそ遠慮した澪だったが、頑なに意思を変えない豹馬に折れたのは澪の方だった。ここまでさせていいものか、と思いつつも久々だし一緒にいられるなら良いか、とポジティブに捉えて甘えることにする。ここだよ、と伝えたのは今自分が住んでいるマンションの下。ここまで送ってもらったし、上げるべきかなと思って澪が豹馬を見上げた瞬間、視界いっぱいに映るのは肌の色。そして口に触れる柔らかい温もりに澪は最初何が起きたのかわからなかったぐらい。それが豹馬の唇であり、自分がキスされていると自覚した時にはキスがより深くなった時だった。


「っ、」


澪にとって長く感じられた時間だが、実際どうだったんだろうか。豹馬が身が退いて離れる瞬間、繋がっていた証拠のようにツーッと繋がっている唾液がプツンと切れるのが視界の端に映る。


「甘…」
「っ、え、な、んで」


突然のことに澪は言葉を詰まらせながら豹馬を見入る。澪は知らない、今さっきまで繋がっていた口元を指で拭う男性的な豹馬の表情も、その気持ちも。熱を帯びた瞳と目線があって、強張る体。だけど豹馬はそれに気づいているのかいないのか、どちらにせよ自分のペースで澪の顎に手を添えて、先ほどまで自分の口元を触れていた指が澪の唇になぞらえるように滑る。


「ケーキとフォーク」
「え、っ、な」
「知らねぇ?ケーキとフォークの話」


豹馬が話し出したのはケーキとフォーク。世間一般的にこの二つを言われて思い出すのは甘い甘い味のする種類差はさまざまだが色鮮やかなものからシンプルなものまでバリエーションがいっぱいのケーキとそれを食べるための食器の一つであるフォークだろう。しかしこの会話でのケーキとフォークは違う。誰しもが耳にしたことがある話だった。この世界の人々は基本的にその他の分類。所謂、一般人である。そしてフォークは一見一般人だが、通常の味覚がない人間。完全に味覚がないわけではない、フォークはケーキという存在の人間だけの味がわかるという。ケーキはフォークにとってとびっきりな極上の味わいがすると言われているのだが、それは本人しか知り得ない。


「そ、れは作り話じゃ」
「本当に?」


澪の言葉を豹馬が被せるように言うものだから、澪は言葉を飲み込むしかなかった。なぜ、作り話だと言われつつ、誰もが耳にしたことがある話なのか。それは、ニュースで話題になっていたからだ。今よりも昔、幼い頃に見たニュースでやっていた、とある男が女を食べた事件。本人は自分をフォークだと主張し、食事の味がわからない、女が美味しそうな匂いを醸し出していて、衝動に駆られて食べてしまったというもの。しかもその猟奇的な事件は一件ではない、複数件あったと記憶している。


「味覚がないことも、甘い香りも味も、作り話なんて言い切れるのかよ」
「ひょーま…」
「食べたい、なんて言わない。そう、別に食べたいわけじゃない、だけどその味が」


豹馬の顔が再び澪に至近距離まで迫り来る。吐息がかかるぐらい、もう触れ合いそうなほどのところにあるお互いの顔。近すぎてどこを見つめれば良いかわからず澪の瞳が揺れている。


「キスでいいからさ、澪をちょうだい」


まるで嗜好品のような扱いだった。人がタバコの味を美味しいと思って吸うように、自分自身の存在の味、香りを楽しむイメージだと思った。
半信半疑は拭えないのに、澪はその日から豹馬との関係を許してしまう。味がわからない、ということは食事が楽しくないということ。ただ生きるためだけに摂取する行動をしていることになる。そんな豹馬が楽しめるのは自分とのキスだけ、それが豹馬の気持ちを満たすなら、とほっとけない澪は流されて許してしまったのだ。


あの日以来、豹馬は毎日澪の家を訪れる。日中は仕事があるため、来るのは基本的夜。だけどお泊まりはなし。家に来て味がしないであろう澪の手料理を食べて、その後はデザートという名のメインディッシュとして澪とくっついてひたすらキスをする。たまに首筋を舐められたりもするけれど、それ以上は何もない。健全なのか不健全なのかよくわからない関係。澪はそれが正解なのか、本当に良いのかを常に悩みながら豹馬を受け入れた。

これは幼い頃から見ていたから生まれる情なのか、と思いながら。



豹馬との関係が開始されて数日のことだ、澪は豹馬の姉と通話をしていた。二人は幼馴染であり上京した組として、たまに連絡を取り合ったり一緒に出かけたりする仲。


「もう、聞いてよ〜!」
「あはは…、どうしたの?」


電話口から聞こえる勢いある口調に澪は苦笑い。元々豹馬と比較すると感情表現がより豊かな彼女、この一言で何かがあったのはすぐに察する他ない。友人関係、または男関係か、日常生活の中で何かがあったのだろうと予想立てて耳を傾けていれば、彼女の口から出た「ひょーまがさ」という言葉に澪はヒュッとする。
彼女の弟なのだから、名前がいつ出てきてもおかしくないのに、彼女が身内だからこそ澪の心拍数が急上していくのがわかる。


「豹馬のヤツ、小言ばっかり言うんだけど!」
「小言…?」
「私が作った料理!文句ばっかり言うの!」


澪は彼女の口から出た言葉に耳を疑う。


「たまたま醤油切らしてた時に買ったやつがしょっぱいとか、甘くないとか。そんなの私もわかってるのに」
「え、豹馬がしょっぱい?」
「そう。ほら、鹿児島って甘口醤油でしょ?こっちのってしょっぱいじゃん」
「あ、うん」
「だから、基本お母さんに行って送ってもらってたんだけど、タイミング悪くなくって。豹馬のヤツ、姉の料理食べてこっちのご飯はしょっぱいの多すぎだとか、味噌汁も麦味噌が良いとか言っちゃって!実家の味が恋しいのはわかるけどさ」


時が止まった気がした。


澪にとって、正直その後の会話の内容はしっかり覚えていない。うん、うん、と相槌を打つだけ打って彼女は話し終えてスッキリしたのか通話は終了。澪はグルグルとした気持ちを抱えたまま静寂な部屋の中で一人。こんな日に限って豹馬は現れなかった。





翌日、いつものように家を訪れた豹馬は何食わぬ顔で当たり前のように澪の家に上がり込む。澪はご飯を準備して豹馬と自分の分をテーブルに並べて、いただきますと呟く。なるべく平常心を繕って、今日は何してたの?とかテレビで見かけた話題に触れたり仕事でのことを話したり。豹馬がいつも通り味には触れずにご飯を口に運んで咀嚼する姿を見て、澪は喉に何かがつっかえる感覚を必死に誤魔化していることを豹馬は知らない。

食事を終えて洗い物を終えた澪を豹馬は軽く手を広げて誘い込む。澪は拒否せずにそれに応えて豹馬の腕の中に囚われ、豹馬からのキスを受け入れる。一回、また一回と受け入れたあと、何回目かのキスをしてから離れた時、澪は口を開いた。


「本当に甘い…?」


澪は豹馬の顔を見なかった。だから、今豹馬自身がどんな表情でいるかはわからない。ただ、澪が言葉を発したことにより豹馬の動きがピタリと止まる。


「ひょーま、聞いたよ…。味、わかってるんでしょ。文句言ってたって愚痴ってたよ」


誰とは言わなくてもわかるだろう。二人の共通点と言えば豹馬の姉しかいないから。



「ねえ、豹馬、どうして」


どうしてこんなことをするのか、

どうして嘘をついたのか、

何をしたいの、

からかっているの?


グルグルと腹の中で渦巻く感情を「どうして」という言葉に詰め込んだ。豹馬からの言葉を怖いと思う反面、真実を聞かないわけにはいかない澪はひたすらに彼からの言葉を待つ。それなのになかなか豹馬から言葉はなくって、気付いた時には豹馬が澪の肩に頭を乗せて身を預けている。


「…ひょーま」


澪は思う。記憶の奥にあるのは小さかった頃の豹馬、辿々しくてムチムチの頬と手のひらで精一杯の笑顔をくれたのが最初の記憶。それから気づけば彼は幼稚園に上がり、小学生になって、中学生になっていった。その途中ではサッカーと出会い、みるみるうちに才能を開花させて一躍の人となる。成長するに連れて、幼少期のようなところ構わず抱きついて可愛がったりはできなくなったけれど、それでも友好的な関係は続いていたはずだった。
高校の頃、豹馬の右脚を負傷した。当時、豹馬は十六歳であり、澪は二十二歳。既に上京した後のこと。実家に帰った時に顔を合わせること自体はしたが、上手いことが何も言えないと澪は気にし、豹馬自身は故障による余裕のなさから関係は少しずつ形を変えてしまった。再び会えるようになって嬉しかったはずなのに、澪には理解できない。大きくなってしまった豹馬の思考が。幼い頃の記憶で止まってしまった印象からかけ離れていて、澪には何が正解なのかわからないからこそ、彼からの言葉を待つしかない。


「澪が純粋に欲しかった」


小さく息を吐いた後、聞こえてくる豹馬の声はいつになく弱いものだった。


「俺にとって澪は心の支えであり、励みであり、糧であって、ずっと小さい頃からそばに居てくれた必要不可欠なんだよ。それなのに澪の中の俺は弟みたいなものでしかねぇだろうし、その上やっと大きくなれたと思ったら澪は居なくなるし、俺は故障するし」


豹馬はガラにもないことを思いつく。趣味で読んでいた小説の内容に書かれていたケーキバース。そしてたまたま耳にした猟奇的なニュースの内容。豹馬自身がまだ物心つくかどうかぐらいの頃に起きた事件であり、そんなことがあったんだ、とむしろ驚いたぐらいだ。馬鹿らしいと思いつつも、ギクシャクした関係を打破したくて、藁をも縋る思いで決行したあの日。正直、澪が信じるとは思っていなかったからこそ、澪が受け入れてくれた時は本当に驚いた。そして嬉しかった、からその気持ちに付け入った。


「自分のエゴをぶつけて手に入れてぇって思ったのに、歳の差が、知らなかった期間が俺の気持ちを惑わすんだ」


澪の両腕を豹馬の掌が捉えると、肩に乗せていた額がスッと離れて澪の肩が軽くなる。


「サッカーだったら、こんな風にならねぇのに、澪相手だと慣れてないからこそ、俺ってこんな風になるんだなって実感したわ。だけど、これで終わりだな」


澪が視界に入れた豹馬とは目が合わない。下を向いて、薄らと笑みを浮かべている。


「なあ、わかって」


自分より遥かに伸びたはず豹馬が澪を見上げた。真っ直ぐ見上げるように見つめる視線は揺るがない何かがこもっている。「澪が好き」と豹馬は確かに澪を見つめて呟いたその声が耳に届いた。

澪は知っていた、あのニュースの真相を。

男は狂っていた、現実での自分の悪事を正当化するためにそのような思想を持ち合わせていると言い張ったこと。その行動を少しでも仕方ないと思わせるようにしようとしていたこと。実際にはそんなことはない、味覚障害もない普通の人間であったこと。ただ単に、男は思考が狂っていただけだった。人を殺し、食べたいという欲を、己の欲のために悪の行動までに手を染めて生きていただけの人間。


「豹馬はいいの…?」


だからこそ、豹馬の言葉も戯言だと理解していたはずなのに、


「豹馬はこれからサッカーも、他にもたくさんのいろんなことに触れ合えるんだよ」


澪はどこかでその言葉を信じようと言い聞かせていたのは、豹馬が可愛がっていた近所の男の子だったからだろうか。


「あたしたちは日本の南の端っこでたまたま同じ地域に生まれて一緒の時間を過ごしてただけ」


否、


「豹馬が一度でも選んでくれたなら、いざ離れるってなった時あたしは離せる自信がない…」


確かに最初は小さな近所の男の子だった。しかし可愛いと愛を注ぐ日々の中で、豹馬の成長を身近なところで見守っていた澪は豹馬の成長と共に己の中の感情も成長させていく。いつしか可愛かった彼はかっこよさを兼ね備え、純粋無垢だった心は目標を持ち、その才能に酔いしれることなく努力という名の磨きをかけてきたことを見守ってきた。自分が同世代だったら好きになってたな、とたらればの考えで自分を誤魔化し蓋をしてきた感情。


「そのまま気付かないフリしていたかったけど、あたしにはできなかったからっ」


澪震えた声はそこで途絶える。豹馬によって勢いよく口で口を塞がれたから。


そして二人はそのまま倒れ込み…。





あれから更に二日後のことだ、澪はカフェにいた。目の前には赤い髪の毛を下ろしている人物が一人、運ばれてきたアイスコーヒーにガムシロップとミルクを注ぎ入れてストローでくるくるとかき混ぜている。


「ひょーま、長かったわね」
「え?」
「ずーっと澪ちゃんのこと拗らせてたもの」


澪の目の前にいる赤い髪の人物は千切豹馬ではなく、その姉だった。彼女はストローをかき回す度にカラカラと音を立ててぶつかる氷を見つめながらも楽しそうに笑っている。


「最初はただ懐いてるだけ、そのうちお気に入りのお姉ちゃん、いつからだろうね。澪ちゃんのこと恋愛的に好きになってたの」
「…どうだろう」
「何その反応」


澪は彼女の言葉に苦笑いを浮かべることしかできなかった。だってそうなのだ、彼女は自分のことを恋愛的に好きと表現したが、果たしてそうなのか。彼女は知る由もないだろう、豹馬が思う感情は恋愛的な好きではない、と澪は思うものの言葉にはしなかったから。
それからしばらくして彼女と別れ、帰路に着く。見慣れた道を一人ぼんやりと歩く澪は気付けば自分の住まうマンションの一室にたどり着いていた。
鍵を開けて靴を脱いで上がり込む。シンと静まり返った部屋の中、電気をつけて手を洗い、米を研いで炊飯器にセットする。冷蔵庫の中身からいくつかの食材を取り出してキッチンのところに並べたあと、スマホを見たり。しばらくしてからだ、スマホを置いて出していた食材に手をかけた頃、下処理をしている段階で自分とは違う物音が玄関の方から微かにする。


「おかえり」


澪は準備の手を止めなかった。後ろから伸びてきた手は澪を捉えて閉じ込めたと言うのに驚くことなく、当たり前のように呟いている。


「今日会ったんだけど、言ってたよ。豹馬はいつから恋愛的に好きになってたのかなって」


首筋を這う感触に少しだけ身を捩らせながら、話すのは日中にあった出来事だ。


「なんだよそれ。なんて言ったの」
「どうだろうって言っただけだよ、だってそうでしょ?」


後ろから抱きついていた帰ってきたばかりの豹馬を見つめて澪はクスリと笑う。


「知り合ったのがとうの昔過ぎだし、ずっと知ってるからこそ尚更。そこからの変化を一言で言い表しちゃダメだなって思うの」
「うん」
「豹馬も言ってたでしょ、」


恋愛的になんてシンプルな感情ではない、お互いに。あの日、豹馬が言ってくれた言葉がまだ澪の胸にしっかりと刻まれている。互いがそばにいることが当たり前、互いの存在は自分自身の活力であり、癒しであり、たとえ離れて生活していたとしてもこの先の未来で、別々の人生を歩んでいくこと、一緒にいないことを考えたときに息苦しくなるぐらいには受け入れ難い。そう思えるほど互いの心の中にあり続けた存在なのだと、今回のことで知ることができた。だから、今思えば豹馬のらしくない突飛な行動も澪にとっては感謝でしかない。


「豹馬」
「ん、」
「大好き」
「知ってる」


昔からたくさん伝えてきた愛の言葉。その言葉は今も互いを繋げる言葉となる。澪の言葉に豹馬も嬉しそうにはにかんで、言葉のお返しのように澪にキスをした。大好きに込められた気持ちもキスに込めた気持ちも全て色褪せず、今日も互いの心を響かせるのだ。

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