短編 | ナノ


普通の家庭に生まれて、何不自由なく親からの愛を注がれて生きてきたあたしはどこにでもいる高校生となった。市立の小中学校を卒業、高校は受験して決めたところ。本当に何一つ飛び抜けたことは何もない。同級生だって恵まれてるというか、本当に当たり障りなく平々凡々な感じで過ごせる環境下。


「あ、黒名おはよ〜」
「名前おはようおはよう」


学校について、カバンの中から筆箱やノートやらを移していると、隣の席の黒名がやってきた。大きなエナメルのバックをドカンと机の上に置く彼は、まだ朝だと言うのに制服が着崩れしていて、慌ててきたというのが丸わかり。


「朝からお疲れ様」
「疲れた疲れた」
「ほら、ボタン。シャツがはだけてるよ」


あたしは自分のシャツの上の方をトントンと指で指して、「ここ、ここ」と黒名に教えてあげると、「本当だ」といそいそと留め忘れているボタンを留め直す。


「朝練後のミーティングが長引いて慌ててた」
「そんな感じするもんね」
「助かった、ありがとありがと」
「どーいたしまして」


黒名は高校に入ってできた友達。最初は無口でちょっと取っ付きにくい怖い男子かと思ってたけど、ひょんなことから話すようになったら全然そんなことなくって今では話しやすい異性である。


「あち〜」
「ほら〜」
「涼しい涼しい」


先生が来るまでの間、黒名は練習によって空いてしまった小腹を満たすためにカバンの中からおにぎりを取り出して食べ始める。これもまたいつものことだけれど、今慌ててきたばっかりの黒名は体の火照りがまだ収まっていないため、せっかく留めたシャツをガバガバと空気を送りながら背もたれに身を投げていた。さすがに見てるだけも可哀想なので、あたしは自分の下敷きで風を仰いであげると黒名の表情が少しだけ幸せそうに緩んでく。その表情が気の抜けたあどけなさがあって、可愛いなって思うポイントだったりする。


「名前はいつも優しいな」
「そうかな、普通だよ」
「そんなことない、感謝感謝」


普通だと思う、何事も本当に当たり前のこと。
同じ学校に通って同じクラスの生徒で隣の席で毎日顔合わせて挨拶して話す仲。
理由をつけるなら全てはこれも何かの縁だから、ってことかな。


「名前の気遣いは嬉しい」
「ありがと」


あと言うならば、


「ヤバいヤバい」
「おはよ〜って黒名、さっさと食っちまえーHR始めるぞ〜」
「黒名急げ急げっ」


前扉から入ってきた担任は真っ先に視線に入ったのが黒名だったらしい。
おにぎりを半分ぐらい食べた黒名はヤバいを連呼したのちに、慌てておにぎりの残りを口に押し込んでいる。その様子を担任は急かす言葉を吐くけれど、全然気持ちはこもっていない。それでも担任が来たことに変わりないため黒名は頑張って残りを頬張る。喉に詰まらせそうになりながら、持っていたお茶で流し込んでいくのをあたしは横から応援の声を送った。



あたしは一見とっつきにくそうで、でも話してみたら怖くなくて、笑った顔があどけなく可愛いなって思ってしまう黒名に恋に落ちていたと言うことだろう。



告白するつもりは今のところない。
と、言うのも黒名とのこの距離感が好きだったから、壊したくなかったし壊れるかもしれない可能性が少しでもあるならば動く勇気がなかったと言える。


「黒名、また髪の毛いじってる」
「クセだからな、授業つまんないし」
「ノートちゃんと取らなきゃ」
「取ってる取ってる」


次の授業までの休み時間に話す些細な時間。黒名は気付くとサイドの髪を解いては弄っていた。それはよく見かけることだけど今回は髪を解いたまま授業が終了したのだろう、休み時間に入ってもモソモソと髪をいじる黒名は教科書もノートを開きっぱなしだ。


「黒名、器用だよね」
「ん?」
「三つ編み。自分でやっちゃうの」
「慣れてるからな、簡単簡単」
「おーい、黒名」
「どうしたどうした」


クラスの男子が黒名の名を呼ぶ。黒名は返事をしながら、三つ編みを仕上げてゴムで結んでピンと弾いて意識も全てそっちの方へと移してしまったため、ほぼ必然的に黒名との会話は終了となる。
だけどそれでいい、二人の時だけできる会話があたしにとってのささやかな楽しみ。あたしの方もちゃんと女友達はいるわけで、黒名も他の男子がいる時にあたしとも喋ろうとしないし、なんとなくそれがお互いの暗黙の了解な気がした。


そんな日々が続いてほしい。席替えなんてしなくていい。そう思うほど学校に行くのが楽しくて、黒名に会えるこの座席が大好きだった、はずだった。


「強化指定…?」
「そう、選ばれた」


ある日黒名が持ってきた一枚の手紙をあたしは見せてもらった。そこに書かれていたのは日本フットボール連合より届いた強化指定選手に選出されたという内容のもの。


「え、すごいっ!黒名のサッカーが認められたってこと?!」
「そうだ」
「すごいよ、黒名」


語彙力なんてない。すごいという言葉の他が浮かばなくて申し訳ないけれど、気持ちは高揚するばかり。黒名から手渡された手紙を持つ手先に力が籠る。
褒められて嬉しくない人なんかいない。頑張っていたもので選ばれて嬉しくない人はない。
黒名だってそうだ、あたしがすごいと連呼したからではない、本人が喜びを噛み締めるように嬉しそうに表情を綻ばせている。


「名前もそう思ってくれるのは嬉しい嬉しい」
「黒名頑張ってたもんね、強化選手って何するのかな」
「合宿だろうな」
「が、っしゅく」
「あぁ、育成プロジェクトって書いてある」


黒名の指差すところには確かに育成プロジェクト集会と書かれていた。
育成プロジェクトとはどんなことをするのだろつな、きっと黒名もわからないだろう。ただ合宿という言葉が本当ならば、黒名は学校を休んで参加することになる。
つまり、黒名と会えない日々があるということは、何も知らないあたしでもすぐにわかることだった。


「黒名、」
「どうした、?」
「…がんばってね、応援してるから」


行ってしまうのは寂しい。
でもそれはあたしの我儘。黒名には黒名の目指すものがある。
あたしはそれを応援したいから、必死に笑顔を繕って黒名に向けるのが今のあたしにできること。


「ありがとう、名前の応援は心強いな」


黒名ははにかんだ。男子といる時には見せない柔らかくて少し照れた表情。この表情も今まで二人で話してきた時に見せてくれた表情も全部、異性ではあたしだけが見れるものだと勝手に思い、言い聞かせながらあたしは胸に焼き付けた。


そんな出来事も、どのくらい前のことだろうか。


来る日も来る日も黒名が戻ってくる気配はなかった。
ポカリと空いてしまった隣の空席。登校しても、朝練中のサッカー部を覗いたってそこには黒名の姿はありっこしない。
担任が来るまでのギリギリの時間まで扉をボーッと見ていたって、慌てて入ってくる黒名もいない。
連絡先は知らない、隣の席に座って話すだけの関係だったことを悔やんだことはこの時ほどなかった。
もうちょっとあたしに勇気があれば、もう少し何かが進展してたのかもしれない。

ある日、メディアで大注目となる話題が取り上げられる。

ブルーロックプロジェクト、そしてU-20日本代表との試合。

その日からこのサッカーについての話題は人々の中でほぼ知らないものはいない。
BLTV、月額500円という学生にも出しやすい金額で始まったサブスクに、黒名がいることをあたしは知る。

クラスのみんなも学年のみんなも同じ学校に通う黒名がいることを知って、何人もの人がこのサブスクに登録をした。
そして、仲が良かった男子はもちろんのこと、今まで気にも留めてなかった女子たちでさえ黒名を特別視するようになった。


「サッカー興味なかったけど、見たら楽しい」
「黒名ってこんなにかっこよかったっけ」
「取っ付きにくいイメージあったけど、クールなだけかも」
「黒名って彼女いたっけ?」


黒名黒名黒名黒名…周りの話題は黒名で持ちきり。
本人のいないところで黒名の名前があちこちで飛び交う。
やだ、やだそんなの、そう思ってもあたしは何も言えない、だって黒名にとってあたしは同じクラスのたまたま隣の席になった他よりちょっとだけ話す女子の立ち位置だから。


そう考えたら、あたしの中でムカムカするものが込み上げてきて、この日初めてあたしは嗚咽感に襲われて一輪の花を吐き出すこととなる。

それは薄い桃色の花だった。

まるで黒名を彷彿とさせるようなこの花はあたしの中の体液が結晶化されて出てきたものだと医師は診断する。

病名は嘔吐中枢花被性疾患。

それは昔より潜伏と感染を繰り返し密かに広がりを見せていた奇病であることをあたしは初めて知ることになる。



根本的な治療法は見つかっておらず、精神的な病気らしい。
罹患した患者の共通点は一方通行の思いが拗れて具現化したものだという、つまりは片思いを拗らせた人がなってしまっている。が、不思議なことにこの病気が世界的大賑わいレベルの話題性を用いていないのは、世界パニックを引き起こさないための策略かもしれないと罹患した側の人間のくせに何処か冷静な頭の中でそんなことを思った。


「名前、BLTV見た?」
「あ、うん、昨日のバスタード・ミュンヘンとP・X・Gの試合だよね」
「そうそう、前回のユーヴァースとも凄かったけどさ〜」


大丈夫、友達と話す上では何も問題ない。投げかけられた質問に、いつも通り平常心で答えられていると自己暗示をかけていく。友達には言っていない、自分の病気のことも拗れた感情も何一つ打ち明けるつもりはない。
だってここには黒名がいないから。打ち明けたところで何の解決もしないのは分かりきっている、ならば言わなくて良いことは言わないが一番だ。
言わなければ、極力自分から黒名を思い出さなければ、拗れた感情を思い出さなければ、花を吐くことがないと言うことに気付いたため、あたしはこの手段を選ぶ。だからと言って友達の話で投げかけられたら話さないわけにはいかないから、あたしは返事をするのだけれどなるべく気をそらしたいところ。


「あたしはマンシャイン・シティばっかり見ちゃうな」


あたしは意図も簡単に嘘を吐く。
だって本当に見てしまうのはバスタード・ミュンヘンだ。
いつだって、応援しているのは黒名のことなのに、隣の席にいた時から抱えていた気持ちを黙秘するつもりのツケがまさかの形で現れるなんて、あたしは思う。
もし、あの時自分に少しでも自信があったら、こんな風には拗れることはなかったのかなって。
例えば、注目されたとしても人と違う立場で優越感に浸れるポジションで物事が見れた世界もあったのかなって。




ブルーロックに行ったばかりの時には早く、まだかなと待ち望んでいたはずの黒名が再び戻ってきた。
戻ってきた黒名は男子の中心にいた。それはそうだろう、強化選手に選ばれた黒名は一躍有名人。あのU-20日本代表との試合でブルーロックが注目されるようになったあとに始まったBLTV。
ブルーロックプロジェクト自体がU-20日本代表との試合をすれば注目度も上がり、有名になったスポーツ観戦は見てしまえばどハマりする人の方が多いだろう。
世界規模で盛り上がれば尚更だ、しかも選手は自分たちと世代が一緒だし、その中に自分の知っている人がいたら余計だ。


「黒名〜!待ってたぞ!!!」
「一躍有名人じゃん!!!」
「やめろやめろ」
「くーろなー!」


男子たちは黒名を囲み、ワイワイと騒ぎ立てる。
有名人がここにいるということに浮かれ足が立つ男子たち、黒名の髪をわしゃわしゃといじったり、無駄に絡んだりとお祭りのよう。


「黒名くん…!BLTV観てるよっ」
「あ、私も…!」


男子の騒ぎに便乗して行動力ある女子たちもそこに一人一人、また一人と駆け寄っていく。
黒名は「そうか」「ありがとうありがとう」と返す。声を聞く限り、そう言われることはきっとプラスの感情として受け止めているだろう。そりゃそうだ、自分が頑張ってきたことを認められて嬉しくないわけがない。だけど、そんな光景があたしは見てられなくて、そっと教室を後にした。

トイレに駆け込んだあたしは、教室にいる時から押し寄せる嗚咽感を我慢することなくトイレの流し場に曝け出す。食道から異物感が逆流し、あたしは一輪の花を吐き出した。
吐き出したところで楽になるわけではないのに、あたしはボンヤリとその花を眺めた後、流水下で洗ってからハンカチに包み、その場を離れた。


黒名がいない期間は長かった。だから座席だって席替えを何度か行われていて、あたしの座席はもう黒名の隣ではない。つまり、黒名と気軽に話せる間柄ではなくなってしまった。
黒名は合宿で自分を磨いてきた。じゃあ、自分は何をしてきたのだろうか?と考えた時に何も浮かばない。ただ一人、モヤモヤと気持ちをもやらせ、挙げ句の果てには奇病に罹っているなんてマイナスしかない。
そんなあたしが自ら黒名に話しかける勇気もなければ、黒名との歴然の差に居た堪れなくなったし、黒名のいない間に座席が離れて良かったとさえ思った。


「名前名前」


なのに、黒名はあたしの座席にやってきた。
黒名とあたしの座席は正反対に位置している。黒名は廊下寄り、あたしは窓側、わざわざこっちに入ってくる理由もないはずなのに黒名は今日の授業全てを受講後、ホームルームも終わって帰り支度をしているあたしの前に現れた。
カバンの中にノートや筆箱をしまっているタイミングだったから正直周りを気にしてなかった。
不意打ちの黒名。露骨なほどびっくりした表情で顔を上げてしまって声は出ないし目を逸らすこともできずに黒名をマジマジとこれでもかと言うほど見つめてしまう。数ヶ月ぶりの黒名は見た目こそ変わっていないように見えて、実は体格も雰囲気も変わっているのが近くだからこそより一層実感することができた。


「名前、久しぶりだな」
「あ、うん…、どうしたの」
「どうしたじゃない、久々だったから名前と話したくて来たんだ」


やめてほしい、そんな風に期待を持たせるような言葉をかけないで。
わざわざ話すことなんて何があると言うのだと卑屈なことを思ってしまう、我ながら可愛くない。


「そっか、ありがと。何かあったのかな」
「何もない、何もないけど、名前どうした?」
「なにが?」
「なんかおかしい」
「おかしくないよ、黒名気のせいだって」
「く〜ろ〜な〜!」
「なんだなんだ」
「じゃあ、黒名バイバイ」


黒名は真っ直ぐあたしを見てきた。見透かされそうなほど真っ直ぐな黒名の瞳。
あたしは上手く誤魔化せただろうか。上手く笑えていただろうか。
真実はわからないけれど、タイミングよくやってきたクラスの男子に今回ばかりは感謝しよう。黒名に声をかけたタイミングを見計らって、あたしは手早く残りのものを鞄につめてその場から退散。後ろで男子が何かワイワイやっているからその後の黒名の様子はわからないけど、バイバイと挨拶しただけで良しとしてほしい。


次の日の朝、起きるのは気が重かった。でも、学校を休むほどではないため、気だるいながらも体に鞭打ってあたしは家を出る。
ちなみに今日の登校はいつもより遅めの時間。
教室は既に賑わっていて、ほとんどの人たちが登校していた。


「まーたツイストパン食ってんの?黒名」
「美味い美味い」


黒名も既に登校していて、今日はツイストパンをモグモグと食べている。
黒名、好物って言ってたな。でも、パンはすぐに消化しちゃうから、朝はおにぎりが良いって朝練の日はおにぎりをよく食べていたけれど、パンってことは朝練なかったのかな。合宿行ってたから部活ももう行ってないのかもしれないけど、あたしが知る術は何もないし気にしていても仕方ないこと。
昨日の帰り際は後々思ってもちょっと感じ方が悪かったかもしれない、と思うぐらいには教室に入る瞬間、黒名との視線は合わなかった。あたし自身も見ないようにしているのもあるけれど、黒名がこっちに来ることはなかった。
安心、のはずなのに自分で行った行動だけど虚しくなるのはあたしの心には未練しかないからだろうな。


本当にこの日一日は何もなく過ぎて行った。
お昼時、友達と机をくっつけて食べるお弁当の時間。友達がふと口を開らく。

「みーんな黒名黒名だね」
「うん、そうだね」
「名前、黒名と仲良くなかったっけ」
「えー普通だよ」
「よく喋ってたイメージあったんだけどな」
「あぁ、あの時は隣の席だったから」


友達はうーん、とぼやくその様子にあたしは苦笑い。「隣の席だったから喋ってた、ただそれだけだよ」と言えば、そっか、とすぐ納得してくれた。


「名前の推しはマンシャイン組だもんね」
「あー、そうだね」

クラス内が騒がしくて良かった。黒名たちのところも割と大きな声で笑って話していたし、きっと耳には届いていないはず。知られたところで何も困らないはずなのに、むしろ好都合のはずなのに、あたしは心のどこかで聴こえませんように、と矛盾した願いを心の中でこっそりと祈りを捧げた。


隣の席でなければこうやって接点は皆無。自分か相手が動かなければそれまで。
昨日の件があったから、ホームルームの最中にコソコソと帰る身支度をし、終わった瞬間にそそくさあたしは教室を出た。自意識過剰かもしれないけれど、このまま真っ直ぐ下駄箱に行ってしまっては後から追ってくるかもしれないて思ってあたしは図書室に向かう。ここは校庭も見えるし、こっそりと外を眺めてみる。サッカー部があるかどうかを見てから帰ろう。
適当に本棚を眺めて、何となく目についた本を取り出す。何でも良かった、普段からすごい本を読むわけではないけれど、読めないわけではない。所詮時間潰し、厚すぎない本を適当にそんな気持ちでペラりとページをめくった。

気付けば思ったよりも自分は本に没頭してしまったらしい。

時間の入りはグルリとだいぶ動いていた。外を見てみると本日はサッカー部の練習はなかったらしい。あったとしても黒名がいるかどうか確認すべきだったし、なければないで良い。全ては慎重に動いて、これ以上関わらないための防衛策。考えないで済むなら、距離を置いてで済むなら、花を突然吐く心配もない。大丈夫、今のあたしはまだ平常心でいられると言い聞かせる。ちょっとムカムカしそうだけど、まだ大丈夫。あたしは平気だ。


平気だと言い聞かせている。

息をすることを忘れそうになりながら。


完全に死角だった。

図書館を出て、下駄箱に行き、自分のところからローファーを取り出して、上履きと交換し履き替える。
校舎を出て校門に向かっていた時、突然腕を掴まれて一気に緊張が体を駆け巡る。振り向くのが怖くて動けない。
そんなあたしの気持ちを他所に、掴んできたであろう人物は「名前捕まえたぞ」と呟いた。


「く、ろな」
「名前、今日こそ話話」


幻聴ではない、幻覚でもない、教室で最後に見た黒名が確かにあたしの腕を少しだけ力を込めて掴んで立っていた。
黒名に捕まり、二度目はなかったあたしは黒名と共に移動する。ここで話すのは他の目が怖くて移動を申し出たことを黒名は了承してくれた。
放課後、帰宅ラッシュの時間は過ぎたと思うけれど、まだ完全に生徒が帰ったわけではない。放課後に男女二人でいることも、しかも相手が黒名という有名人ってことも考えるとあたしはかなりリスキー過ぎる。
適当に歩いてやってきたのは学校から少し離れたところにある人気のない神社だった。放課後、周りに何もない神社へわざわざくるような学生はいないだろうという読みだ。あたしたちは神社の中にあるベンチに「ここでいいか」と腰掛けたけれど、沈黙が辛いし正直居た堪れない。


「名前は何で昨日帰ったんだ?」
「なんでって、黒名…他の子と話してたじゃん」
「俺が話してたのは名前だった」


昨日のことをこんな形で聞かれるなんて思わなかった。
他の子と話しいていたからあたしは帰ったという事実を黒名はそう思わなかったらしい。まあ、そうだろう、実際にはあたしに話しかけてき黒名。そんな黒名に男子が更に話しかけたのを好機と捉えて逃げたのだから。


「黒名はあたしとそんなに何を話ししたかったの?」


この話題でいるのは墓穴を掘りそうで、あたしの方から話題を切り替える。
黒名は昨日からあたしに執着しすぎだ、元々隣の席だったクラスメイトの一人だろうに。


「名前はBLTV見てくれてたのか?」
「うん、見てたよ。黒名活躍してたね」
「そうか、それは嬉しい嬉しい」
「黒名の活躍はみんなも見てたからね」
「みんな?」


最初こそうんうんご満悦そうに頷く黒名。
あたしは黒名が喜ぶならと思って言った言葉だったけど、黒名は首を傾げてあたしを見る。


「そう、クラスのみんなもそうだし、学校全体…その他もかなぁ。黒名はすっかり有名人だよ」
「俺は名前が見てくれてたかが知りたかっただけだ」


黒名は戻ってきてからちゃんと話をしていたわけではないけれど、側から見ていて思ったのはいつもと変わらないということだった。黒名は一躍有名人になったからと言っても合宿に行く前と何も変わらない、どんなに周りが騒ぎ立てようともブレずに調子に乗ることなくいつもの黒名だった。
それなのに黒名から名指しでそんなふうに言われるのは変に期待してしまうからやめてほしい。


「あはは、なんで…」
「名前が応援してくれるって言ってたからな」
「くろな、」
「名前、聞いたぞ」


黒名の視線が怖い。


「名前は他の奴が好きって聞いたけど、それは本当か?」


突然のドスの効いた声にあたしの心臓がヒュッてなるのを感じた。
まるで肉食動物に睨まれた草食動物の気分。


「え、な、んで」
「名前名前、」
「くろ、なには…、関係ないじゃん」


だって、黒名は有名人になってしまって、みんなから注目の的。
女子からも人気が出て、黒名を好きって人も絶対増えていて、黒名だって…あ、やばい、やばいやばい。
危険信号がカンカンカンカンと脳内に鳴り響く。まずい、突然やってきた嗚咽感。胸よりも下から何かが込み上げてくる。
黒名からの質問をどう切り抜けようかと考えたのがいけなかった。思考回路は連想ゲームのように次から次へとつなげて考えてしまったことにより、しばらく落ち着いていたはずの症状を再度引き起こしてしまった。胸を抑えても意味はない、口を手で覆い隠しても止められない。


「名前?」


黒名の混乱した声がする。あたしは慌ててカバンの中からハンカチをとり出そうとするけど無理だった。
むせ返るようにあたしは黒名の前で吐き出してしまった、一輪の花を。


「名前、名前」


言い訳ができない、見せてしまった。黒名に奇病罹患者であることを。


「名前、誰だ」
「っ、へ」
「名前の好きな奴、誰だ」


それなのに黒名の視線が鋭い。
嘔吐したばかりのあたしは無理矢理花を吐き出したことによってズキズキする食道の痛みを引きずっているせいで頭がうまく働かない。だけど、黒名が今まであたしに見せたことないぐらい怖い雰囲気を醸し出しているのはわかる。


「花を吐き出すほど、名前が好きな奴は誰だ誰だ」


黒名は躊躇いもせず吐き出した花に手を伸ばし、その花を手に取る。
そして黒名はあろうことか、その花に噛み付いた。


「名前は、俺のこと好きだったんじゃないのか」
「な、く、ろな、なに言って」


情報量が多すぎて何から処理すべきなのかわからない。

黒名に好きな人を聞かれた。
黒名の前で花を吐いてしまった。
黒名がその花に噛み付いた。
黒名は知っていた、あたしの気持ち。


「って、黒名その花に触っちゃ…っ」
「知ってる知ってる。触れたら感染すること」


目を見開いてしまった。
黒名は知っている?

花吐き病のこと。


「名前が好きだ、あの時の俺は名前と話せるだけで良かった」
「くろ、」
「名前は応援応援って、離れてても応援してくれてるって思ったから俺はサッカーに専念できた」


黒名の手が左頬に触れる。


「名前はBLTVを見て誰に心変わりした」


蛇に睨まれたうさぎ、捕食される前の動物のように、あたしは生唾を飲み込んだ。
断定した黒名の言葉。黒名はあたしがBLTVを見て誰かを好きになったと思っている。


「マンシャイン…の誰かか?」
「へ、なん、で」
「昼、言ってた」
「きいてたの」


黒名に昼間の会話も聞かれていた。
黒名はさっきなんて言ったっけ、
黒名、そういえばさっき花に噛み付いてたけど、あれ、あたしが吐き出したやつで、


「くろな、」
「どうしたどうした」
「くろな、あたしのこと、すきなの…」
「そうだ、名前が好き、好き」


左頬には黒名の手が添えられたまま、右頬も黒名の左手が伸びてきてあたしの両サイドは黒名に包まれる。

ねえ、黒名、教えてほしい。
いつから、あたしの気持ちを知ってたのか、
いつから、あたしのことを思っていたのか、
ねえ、黒名、大きくなってしまったあなたのことを好きでいても良いのですか、
この感情を隠さなくても良いんですか、


「ヤキモチ可愛い可愛い」
「〜ッもう良いからっ!」


あれから黒名には色々と問いただされてしまったし、あたしも逆に話を聞いてろんなことがわかった。
黒名は些細なことながら、あたしの普段のやりとりから好きになってくれたという。あたしにとって普通のことを、その普通をするあたしの性格に惹かれたとのことだった。
マンシャインを推してると言ったのは完全にデマカセで、なぜそのチームにしたのかというのは、BLTVにて初めて黒名を見れた試合だったから。
さっきまで怖い顔をして今にもサメのように噛みちぎってきそうな雰囲気だったのに、今では周りにお花が飛んでいるように見えるほど空気が柔らかい。
嬉しそうにあたしに絡んでくるがそれが逆に恥ずかし過ぎる。


「名前、わかりやすい」
「うッ、そう言われると辛い」


頬が熱い、顔を隠すように頬を手に添える。
そんなにわかりやすいつもりなかったんだけど、黒名に実際バレてるってことはそういうことなのかと納得するしかない。


「名前の気持ちも優しさも気遣いも俺にとっての励みだったから嬉しい嬉しい」
「うーん」
「だから名前が花吐いた時はおかしくなりそうだった」
「黒名」
「名前も俺の気持ち気付いてると思ってたからな」


隣に座る黒名がそっとあたしの方に体重をかけながら「ショックショック」と呟く。


「その割にはさっき怖かったけど…」
「あぁ、だから名前の花を思わず噛んだ、ごめんごめん」
「まあでも…、おかげで黒名に気持ちを伝えられたし、良かったかな」


臆病だったあたしは自分都合のことばかり考えて本当に何も見えていなかった。
黒名が今まで見せてくれた表情は全部あたしだから知り得たこと、だと思ったら自然と頬が緩んでいく。
確かに黒名って男子と一緒にいても表情があまり変わらないもんね、と冷静になればなるほど合点が一致することが増えていくけど、だからこそ黒名わかりにくいんだよ〜とも思ったり。

ちなみに花吐き病については合宿先で戻る際に聞かされていたという。
すごく辛かった病気だけど、あたしはこの病気に今は感謝しよう。

そう思いながら手元にある白銀の花をそっと撫でた。

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