短編 | ナノ


涼しい冷房のかかる室内から、ボーッと外を眺める男が一人。

「真一郎くん」

ここ、S・S MOTORのオーナーである佐野真一郎だ。彼はカウンターに肘をついて、気の抜けた表情でずっと外を眺めたまま動かない。


「真一郎くん」


全く動く気配のない真一郎に、再度声をかけるのは金髪の青年・乾青宗、このお店のスタッフだ。全く反応を示さない真一郎に対して青宗もまた無表情のままその場を動かないでいる。何度目だろう、「真一郎くん」と声をかけた時、やっと真一郎は青宗に視線を向けるが、やっぱり気の抜けた雰囲気は相変わらず。


「どうした」
「どうしたはこっちのセリフ。ずっとボーッとしてるけど」


絶対あり得ないと思いつつも、青宗は「熱中症?」と聞いてみるが「すげェ元気」と返されてしまい、じゃあどうしたんだと首を傾げることしかできない。


「名前がさ」
「うん」
「忙しそうなんだよな」


真一郎は再び窓の外に視線を戻すとポツポツと語り出した。


一人で住んでいた家、そんなに広くなくていいと思っていたけれど、最近はそれもどうしようかと考え始めてしまう。と、言うのも今自分の視線の先にあるキッチンに立つ女性の後ろ姿を見て日々思うのだ。女性はキッチンで何か作っているのは明確で、そちらから漂う香りは空腹の体と鼻を刺激するには十分。


「もうできるから、お箸出しといて」
「わかった」


料理はからっきし。例えば自分と同じように遅くまで働いてからの夕食を作ってくれている彼女の手伝いをしたくとも自分は何もできない。だからこうやって後ろから見つめて待機するのみ、やっと動ける時と言えば料理が出来上がる頃に箸の準備などをすることぐらいだった。それぐらい、実家ではじいちゃんと小さな妹が作ってくれていた時にもやってたことであり、作ってくれていることに感謝しかないので喜んで動くのが真一郎だ。空腹で動きたくないはずなのに、そそられる香りに刺激され早く食べたくてソワソワしていた体をフル稼働。


「はい、お待たせ」
「さんきゅ」


箸を出し、お茶碗を持っていけばクスリと笑うのは真一郎の彼女である名前。何がおかしかったのかと、名前の顔を見ていれば、「なんか、犬みたい」と声を漏らす。


「犬見たいって、どういうことだよ!」
「そのままの意味、ほらご飯食べよ」


結局名前にはぐらかされて夕食の時間が始まったのは20時はとっくに過ぎている時間だった。


「来月、TENJIKUでパーティーするんだって」
「パーティー?」
「そう、黒川理事の誕生日パーティー」


名前の言葉に少しの違和感を覚える。それもそのはず、name2#は黒川理事とは呼ばないからだ。TENJIKUの黒川理事といえば、NPO法人のTENJIKUであり、その理事である黒川イザナのことを指す。世界各地を飛び回り、孤児へのボランティアに励んでいるのだが、そんな団体がわざわざパーティーをするなんて何事かと思えば、黒川イザナの誕生日パーティーと言い出した。


「イザナの…ほら、蘭と竜胆が主催らしい」
「へぇ」


名前は元々多国語を喋るのを特技とした通訳の仕事をしており、色々と縁あって今ではTENJIKUのほぼ専属のような通訳関係の仕事を行っている。そのため、TENJIKUのスタッフたちと顔見知りなのは当たり前なのだが、普段聞くことない名前に真一郎はちょっとした違和感を覚えつつ、記憶の引き出しをいくつも漁り回った。蘭と竜胆と言えば、イザナと昔馴染みである灰谷兄弟。真一郎もそのことは知っているが、名前はきっとイザナ経由で知り合ったのだろう。目の前に並ぶおかずを箸でつまみ、口に運んで咀嚼しては話が続く。


「せっかく日本にいるしちょうど八月、イザナの誕生日あるからって盛大にお祝いしたいんだって。その準備にあたしもってなっちゃって」
「そっか」
「うん、だから帰り遅くなる日が増えるかも…ごめん」

申し訳なさそうな表情、段々と小さくなる語尾に名前からの気持ちが痛いほど表現されていて、真一郎は「気にすんな」と精一杯の笑みを浮かべて返した。



のが、昨日の出来事である。



「で、名前さん、イザナの誕生日パーティーに忙しいって」
「そ」
「でもさ、真一郎くん」


真一郎からの話にずっと聞いていた青宗が口を開く。


「真一郎くんも誕生日あるよね」


その一言に真一郎は、何も言葉にせずそっと目を伏せた。


「言わなかったの、誕生日のこと」
「忙しいって聞いちゃったら、わざわざ自分から切り出すのもな」
「真一郎くんはそれで良かったの」


耳にこびりついている青宗の真っ直ぐな質問。真一郎は困ったように笑うことしかできなかった。



名前は自身の言った言葉の通り、会う頻度がガクンと減ってしまった。元々、仕事柄の生活リズムが合わないこともある中、お互いに折り合いをつけて会う時間を増やして一緒に過ごす時間を故意的に作ってきた二人。会わない時間はある意味、以前の生活に戻っただけとも言えるが、二人で過ごす時間が当たり前になっていた手前、一人の時間はこんなにも寂しいものかと実感させられる。
真一郎は一人、メンテ依頼の受けたバイクを黙々とこなすも、心の中はやっぱり落ち着かず何処か身に入らない。夕飯を一人で食べることとなってからの真一郎はカップ麺、コンビニ弁当、レトルトをローテーションする。作られた味に美味しいと感じたのも最初だけだった。
名前は元々同級生だ。小学校から近所に住んでいた同じ学区の同級生でクラスは違うもののみんなで一緒に遊ぶ間柄。男女の隔てがなかったのもいつまでだっただろうか。歳を重ねていけば、意識せずとも距離が知らない間にできていて、気づけば相手を見る目も変わってしまった。名前はこの時から将来について遠くを見つめていたことを知っていた真一郎は中学卒業の日、名前からの告白と同意に彼女が自分への思いをずっと抱えていたことを知るも一度は振ってしまった。それから完全に疎遠になっていたというのに、運命というものは本当にあるんだと思わせるように再会し、繋がった縁によって二人は離れていた時間を乗り越えて青春時代にあったかもしれない交際時間を今過ごしている。
のだが、大人になったからと言って上手く付き合えているのかと言ってしまえば別問題である。
互いに昔の自分を知っていて、片や振った側、片や振られた側の恋人同士。お互いにそれぞれの思いがあったとはいえ、やはり昔にあった出来事は忘れられず、慎重になってしまうことも。加えて、無駄に重ねた年齢が相まって、色々と考えてしまうようになってしまった。学生時代の自分だったら、自分も誕生日あるんだけどなと軽く言えていたかもしれない。


「歳って重ねたくねぇなぁ」


誕生日、ワクワクしていたあの頃はもういつぞや。
三十も越えれば年齢だって曖昧になるし、十代のようなヤンチャだってできなければ、何事も楽しく過ごせていたのも二十代の時のノリだって気づけばできなくなっている。付き合いが長いようで欠落した時間の方が長い今、昔と今と変わらないものもあれば、変わってしまったことだって多いからこそ、距離の詰め方も接し方も考え方も昔以上に複雑に考えてしまうもの。真一郎は物思いに老けながら、ガシガシと頭を掻きむしり、目の前のことに集中するように心掛けた。


仕事が終わって今日も一人の家に帰る。家に戻る前に、携帯を取り出してみれば、着信履歴が数件。留守電の登録もあり、真一郎は着信履歴を眺めたのちに留守電の録音再生をクリックする。


「真ニィお疲れ様!前に話してたお誕生日会のこと忘れないでよね!みんな揃ってお祝いするんだから絶対だよ!」


電話機越しに聞こえてくるのはエマの声。これでもかというぐらいに念を押してくるエマにどんだけ信用ないのかと思わずにはいられない。全員が成人したこと、各々での生活が確立されたこともあり、家族全員で過ごす日が一気に減ってしまった。けれど、こうやって誕生日や行事を理由に集まることを欠かさない佐野の兄弟たちは今年の八月も例外なく、誕生日がまとまっていることもあって合同の誕生日会を行う予定になっている。全員が自立してからの毎年変わらず、八月はエマがご飯を作ってみんなで一緒に食べるという昔の日常のような過ごし方をするのだが、普段から連絡をこまめにするわけでもないこともあり、信用ならないのか今回の連絡をしてきたんだろうなと思う真一郎。
着信履歴にはエマと昔の仲間である若狭から。携帯の上のところにメールのマークがついており、どうやら連絡が来ていたのは電話だけじゃなかったらしい。メールボックスを開いてみれば、予想外にも血の繋がりはないものおる自分にとっては可愛い弟の一人であるイザナから。


「名前から聞いてると思うけどパーティーやるから。真一郎にも招待状出すから空けといて」


簡潔的なメールの内容に自然と緩む頬。一時はどうなるかと思ったけれど、今やこうやって良好な関係を続けられているのは嬉しいこと。数日沈んでいた気持ちが嘘のように可愛い弟と妹によって少しだけ持ち直した真一郎は帰路に着く。久々に足元が軽くなって、直帰してから気づいた。そういえば夕飯をどうしよう、と。コンビニに寄る選択はもうないから、家にあるもので済ませるしかない。カップ麺かインスタントの何かがあったっけ、と考えてみるもののここ数日あまりにも虚無で過ごしていたために記憶が呼び起こせない。帰ってから家を出るのもめんどくさいけれど、ここまで帰ってきて今更外に出るのも気が重いからこそ、家の中を見て本当に何もなければ諦めて外に出よう。真一郎は施錠していた玄関の鍵を開けるとふんわりと香る甘ったるい匂いに違和感を覚えた。

家を出る前には絶対なかった嗅いだ記憶のない甘い匂い、玄関先でポカンと口を開けたまま動くことを一瞬忘れてしまい、ハッとして足元を見ると数日ぶりに見た女性物の靴が一足。真一郎は慌てて靴を無造作に脱ぎ散らかして家の中をダッシュ。


「真一郎、おかえり」
「…名前」


リビングに行けば、数日ぶりの名前がいつものようにそこにいて真一郎を出迎えてくれた。しばらく音沙汰なかったことが嘘のよう。当たり前のようにそこにいて真一郎は名前を呟くことしかできない。そんな真一郎をおかしく思った名前は「どうしたの、そんな顔して」と尋ねる。


「忙しいんじゃなかったのかよ」
「ああ、イザナの誕生日パーティーでしょ。うん、立て込んではいたけど、今日だけは絶対無理だからねって言ってったから」
「…今日?」


名前に言われて、何か約束でもしていたっけと記憶を遡るものの何も心当たりがなさすぎてわからない。


「今日で七月終わるでしょ。そしたら明日、真一郎の誕生日じゃない」
「は?」
「誕生日、だったよね」


互いにキョトンとした表情で見つめ合う二人。真一郎は拍子抜け、名前は違ったっけ、と言わんばかりの表情だ。真一郎があまりにもはっきりしない反応に名前も不安になったのだろうか、「八月一日だよね」と念を押す。


「俺、言ったっけ」
「言ってないね」
「…イザナ?」
「何が?」
「言ったの」
「違うけど」

真一郎は思う、ダメだますますわからない、と。


「小学生の頃から知ってたから」
「しょうがくせ…」
「昔、みんなで誕生日会やったの、覚えてない?」
「あーったような…」


そうだった、 名前との付き合いは小学生まで遡る。あの頃は、小学生らしくワチャワチャとみんなで遊んでいたし、そういえば誕生日にはみんなで集まってケーキを食べたような気もする。もうはっきりと覚えていないけれど、多分あったと真一郎は霞んだ記憶をうっすらと呼び起こすことに成功した。青宗と名前がわざわざ会うってことはないだろう、などと的外れなことを思っていたがため、なるほどと納得いく結果に落ち着き、自分の誕生日を把握してくれたことへの喜びが一気に胸の中に溢れ返っていく。


「名前、」
「大したこと…準備できてないから、いつもみたいにご飯作って、あとは一応デザートもあるけど」
「やっべ」
「って言っても!ケーキとか大それたのじゃないから…!」


それでも真一郎の気持ちを充すには十分だった。把握されていないと思っていた己の誕生日をしっかりと把握してくれていた名前。しかもきちんと準備をしてくれていたということに喜ばないわけがない。小学生の頃から知っててくれたのか、と噛み締める真一郎。緩みっぱなしの頬をそのまま、締まることなく満たされた気持ちに浸っている中で気づく。


「名前、小学生の頃から誕生日覚えてくれてたのか…?」


名前は確かに言っていた、小学生の頃の誕生日パーティーと。いうことは、その頃からずっと覚えていてくれたことになる。中学生になってからも自分が振った卒業の後も異国の地で離れて過ごしていた時も。そう考えたら、名前の記憶力に感心せざる得ない真一郎は純粋にすごいなと思って口にした質問だったけれど、名前の表情は何とも言えないものへと切り替わる。


「…一応…」
「なのになんで今日」
「今日だったら、日付変わったら最初にお祝いできるし…何も言ってなかったけど当日は友達にお祝いされるんじゃないかな、って思って…」
「ヤッベェ嬉しい」


真一郎は喜びを次は言葉にして吐き出す。名前が何故あえての七月三十一日にしたのか、不思議だったけれどそういう意味だったのかと知ったら嬉しい他ない。しばらく一緒に過ごせなかった上に知られていないと思っていた誕生日。完全に期待していなかったけれど、これは完全にサブライズだ。


「…さすがに嫌じゃなかった?小学生の頃から覚えてるとか」
「んなワケねーよ。むしろ、よく覚えてたなって感心するし、スッゲー嬉しい。名前、知らないと思ってたからさ」
「誕生日知らないまま付き合ってると思ってたの?」
「誕生日についてすこっしも話してねぇじゃん」
「あたしは知ってたからね」
「それがやられた」
「じゃあ、サプライズは成功ってことかな」


名前は子供っぽく笑みを浮かべる。まるで昔に戻ったみたいに。


「久々にご飯一緒に食べよ、大したもの食べれてなかったみたいだし、今日は色々作ってみました」
「それは」
「カップ麺とコンビニ弁当のゴミばっかり、見ればわかるよ」
「頭上がんねぇわ…」


誕生日を喜ぶのは昔だけ。年を重ねていけばそれもだんだん心から喜ぶことが減っていた。
誕生日を口実に集まるのは好きだったから、全てが全て嫌ではなかったけれど、歳を重ねることだけはどうしても嬉しく思えずにいたけれど、今年は家族でもなく友人でもなく、大切な人からのお祝いがある真一郎は久々に思った。

誕生日、歳を重ねてもいい事があるんだな、と。




2023.08.01 happybirthday!

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