短編 | ナノ


懐かしい夢を見た。

「よっちゃん」
「名前ちゃん」

幼い自分、目の前には自分と同じぐらいの歳の女の子。スモックを着ている自分たちは幼稚園ぐらいの年齢だ。

「またさっかー?」
「うん」

彼女はサッカーボールを持っている自分を見て面白くなさそうな表情を浮かべている。そこで夢の記憶は終了、この後自分達はどんな会話をしたんだっけ。



日本フットボール連合から強化指定選手に選ばれたのはもう前のこと。青い監獄と呼ばれる施設で世界一のストライカーを作ると突然現れた男、絵心甚八は言った。最初はなにを言ってるんだ?と戸惑いと混乱しかなかったのに、間違っていると思っていたのに、誰も教えてくれなかったというのに、俺は俺のサッカー人生を変えるために、その考え方に俺は賛同することを決めた。

絵心甚八のいう才能の原石と呼ばれる奴等がいっぱいいた。総勢300人。携帯や財布など全てを没収されチームZに割り振られた俺はそこでランキングを与えられ理不尽の中、自分の中のエゴイストを育てることになる。それが勝負の世界、これが青い監獄の常識だ、と言われながら。


「はい、これが潔くんの私物です」
「どもです」


U−20日本代表との試合を終えた俺たちは、没収されていたスマホなどを返されて2週間の休暇をもらい、青い監獄の外に出る許可を得た。久々の外、久々の自宅、久々の自室は懐かしいと思えるほど帰っていなかった場所。でも、母さんがきっと掃除とかしてくれてたみたいで、何にも変わっていない。ベッドにダイブして目を閉じる。懐かしいし落ち着く、という気持ちが一番しっくりくる。共同生活を強いられて、無我夢中で練習、トレーニング、試合の日々。当たり前になってしまっていた日常は過酷だというのに、いざこうやって離れてみると少しだけ寂しさのような何かがポッカリ空いたような気持ちにさせられるほど、自分の中の一部になっていたらしい。


「そうだ」


青い監獄を出る時は、蜂楽や千切たちと会う約束のために連絡先の交換と何をするかという話題で大盛り上がり。だったから、きちんと自分のスマホをチェックしていない。没収されてろくに充電もしていなかったこともあり、充電の残量が少なかったというのもあるけれど。充電器のコードを差しっぱなしのスマホを手に取って、ロック画面を解除した。メッセージアプリには受信されているメッセージの数字分だけのバッチがついていて、数十件の文字に俺は少しだけ苦笑い。あんだけスマホを手放していた期間があるんだからそれもそうか、全然見られなかったからな。来ていたメッセージの送り主は俺が強化選手に選ばれて合宿に参加することになったことを知ってるはずのサッカー部の奴らとか。あぁ、母さんたちも送っててくれてたんだ、とここで初めて気付く。名前の横にメッセージ文の出だしが表示れていて、一番右には送って来た数だけの件数が表示されている。スクロールをしながら、バーっと送り主を見ていたら、俺はとある場所で指を止めた。

名前「よっちゃん、おめでとう」6件

名前は俺の幼馴染。家はすぐ近所で幼稚園からの付き合いだ。兄弟がいない俺は同い年の名前と家が近いこともあってよく遊んでいた。と、言っても途中からサッカーにのめり込んでいった俺は名前よりもサッカー優先になっていったし、名前も女友達とよく遊ぶように距離は段々と離れていった。それでも、昔からの付き合いは消えることなく、周りから目立たないように目をつけられない程度に当たり触りないように話す関係。

名前からのメッセージををタップするれば、最新の内容で「よっちゃんおめでとう」「テレビ見たよ、すごかった!」「おばさんから聞いたよ、試合出るんだね。がんばってね」「よっちゃん、無理しないでね」「もう合宿に参加してる頃かな、返信は返せる時で大丈夫だからね」「おばさんに聞いたの、強化選手に選ばれたって!おめでとう。がんばって、応援してるよ」それが名前からのメッセージの全てだ。最新のおめでとうとテレビについてはこの間のU−20日本代表との試合結果についてだろう。試合出るんだね、はU−20日本代表との試合が決まった時、それとその前のメッセージにはだいぶ期間が空いていて、俺が合宿に行ってしばらくしてからの「よっちゃん、無理しないでね」という内容。多分、返信がなかった俺を心配してだと思う。更にその前、俺が強化選手に選ばれて家を出て行った日の翌日からのメッセージに書かれていた「返信は返せる時で大丈夫だよ」と書いてあったから、俺がなかなか返信をしなかったことに少しの不安を覚えたんだと思う。
全く返信を返せなかった俺に対して多すぎず、でも感情が垣間見えるこのメッセージは噛み締めるほど嬉しいものだった。ずっと既読にならなかった俺とのトーク画面。名前はどんな気持ちで見ていたのだろうか、と考えたら申し訳なくなった気持ち半分、それだけ俺を気にして考えてくれてたら嬉しいなの気持ち半分。
一人でいることを良いことに、緩む頬を隠すことなく俺は久々に名前へのメッセージを打ち込んだ。


「よっちゃん、お出かけ?」
「うん、ちょっと友達と遊びいく」


帰ってきたばかりの俺に与えられた2週間の休みは貴重な時間。戻ってきて早々に家を出る準備をしていたら母さんが声をかけてきた。そう、俺は蜂楽、千切、凪と渋谷に集合する約束をしている。出てきたばかりだけれど、一緒にいるのは青い監獄と一緒のコイツらで、なんだかんだ一緒にいるのが当たり前であり、とても気兼ねない友達だ。

待ち合わせ場所に行けば、長い髪を一つに結いている千切とめちゃくちゃ甘そうなココアラテを飲んでいる蜂楽がいて、外でもブレないのが相変わらずだな、昨日の今日で外に出てきただけだから早々変わるわけないか。たまたまだった意識高ぇ組と鉢合わせしてゲーセンに行き、カラオケに行ったらU−20日本代表の選手たちもいて、気が付けば大所帯でボーリング対決。凪のズッコケ投球で同点なのは笑ったな。ボーリング延長戦を提案されたけれど、俺は約束があったから、ここで離脱させてもらった。



電車に乗って、戻ってきた地元の駅。改札を出て俺はキョロキョロと辺りを見渡せば、見慣れたはずなのに久々に見る制服姿の女子が目につく。


「名前!」
「よっちゃん」


俺が名前を呼んだことにより、スマホをずっと見ていた目線が上がってバチッと絡み合った瞬間、ふんわりと浮かべられた笑みに俺は安堵を覚えた。俺が言っていた他の友達とは名前のこと。そう、ずっと返信を返せなかったメッセージを返してすぐに名前から新しいメッセージが返ってきたのだ。「よっちゃん!?」「元気だった?」「大変?」と質問攻めに俺は笑うしかない。それもそうだろう、ずっと返信がなかった俺からの突然の連絡だ。もし俺が逆の立場だったらすごく驚いていたと思うし、気になっていたならば尚更だろう。俺は「元気だよ」「ごめん、スマホ取られててずっと見られなかた」と青い監獄での出来事を文章にして名前に伝えた。さすが幼馴染、しばらく会えてなくても付き合いの期間が長いおかげもあって、話のリズムはトントンと進み、当たり前のように会う約束まで行き着いた。最初は「せっかくの貴重な休みなのに」と渋る名前だったけど、「せっかくの休みだからだよ、学校のこととか知りたいし、どうせなら会おう」と俺の方から言ったから折れたのかもしれない。
青い監獄にいて会えなかった名前は、少しだけ雰囲気が変わったように感じる。大人びたというか、女らしくなったというか。昔を知っているからこそ、どうしても比較してしまうけど、これを名前に言ったら「もう、いつの話をしてるの」って言われそうだから、あえて言いはしない。


「学校の奴らはどう?」
「みんな元気だよ。学校でもよっちゃん、一躍有名人」
「マジ?」


とりあえず会うことを目的にしていた俺らは行く宛を詳しく決めてはいなくて、なんとなく歩き始めていた。名前は俺のいない間の学校のことを教えてくれた。あの日の試合をみんなが見ていたということ、家族はもちろん、サッカー部の奴らもそうだし学校の奴らも、そして名前の友達も。普段サッカーに興味がないであろう女子たちまで見ていたことには驚きもありつつ、ちょっと嬉しさもありつつ、でも露骨に顔に出さないように俺はその悦びを噛み締める。


「よっちゃん、お休みのこと言ってないの?」
「あーうん、2週間の休みだしね」
「そっか」
「知ってるのは、家族と名前とかぐらいかな。連絡くれてた奴には返してはいるけど、休みまでは言ってないから」


貴重な2週間の休み。言ってもよかった、けど、言ってもなって気持ちもあった。だけど、名前には会いたかったから教えた、ただそれだけのこと。


「おーい潔!」
「多田ちゃん!」


なんとなく、どちらからもなく沈黙が流れた瞬間だった。何を話そうかな、と思考回路を巡らせていたら突然他の奴に名前を呼ばれて、見たらチームメイトだった多田ちゃんだ。相変わらず元気そうで何より。名前がいるけど、多田ちゃんは久々の再会に浮かれていて名前に気にすることなく話を進めてくる。試合を見た、サインをくれよ!と煽てられて気分のいい話。だけど、途中で言われた「ごっつぁんシュート」あたりから、ただの運だと言われたこと、俺がどれだけの想いで青い監獄で戦ってきたのか、と想いが込み上げてくる。多田ちゃんは変わってない、そういうボーッとした反応、と言ってたけれど、俺は変わったよ。自分が思っているよりも青い監獄に染まってしまったと実感した瞬間だった。


「…よっちゃん、変わったね」
「え、?」


多田ちゃんは嵐のように言いたいことを言うだけ言って去っていったあと、シンと静まり返った空気の中、名前が言った言葉に俺は目を見開く。


「よっちゃん、合宿行って変わっちゃった」
「変わった、って?」
「うん」


名前は遠くを見つめている。落ちる夕日を眺めながら、名前の表情が儚く見えるのは気のせいだろうか。


「一躍有名人だもんね」
「名前」
「すっごく遠い人になっちゃったなって思う」


名前は笑っていたけれど、俺の知っている名前の笑顔ではなかった。名前ってどんな風に笑ってたっけ、もっと気持ちがこもってたと思うのに、今の名前はどうだ?距離を感じるのは気のせいだろうか。その証拠に名前のその言葉が何処か意味ありげにずっと耳に残っていた。




家に帰り着いて、テレビから流れる俺のインタビュー場面。父さんは見るたびに録画をしてくれる。母さんの作った大好きなカツカレーを食べながら、自然と話題は青い監獄のこと。生きたいように生きなさいと言ってくれる父さんと母さんの言葉が嬉しくてカレーと一緒に噛み締めた。


「あ、そうそう。このニュース」
「最近、よく聞くんだよな」
「え、どれ?」


母さんが食いついたのはテレビから流れるニュースの内容。それは父さんも知ってるようで、二人してニュースに意識が持っていかれるもんだから、つい俺もテレビへと視線を移してしまった。


「花、吐き病?」
「そうなのよ、人が花を吐き出すなんてどんな病気なのかしら」
「原因がまだ分かってないって話だから感染なのかもわからないせいで、予防のしようがないって話なんだよ」


俺が青い監獄にいる間に世間はいろいろと起きていたらしい。正直、現実味のない病名と症状に俺は「へぇ」ぐらいしか反応のしようがなかった。

部屋に戻ってまったりと過ごす時間。やっぱり俺は青い監獄での過ごし方が板についていたらしい。勝つ昂りもゴールという快感も俺の力で世界を変える悦びも知ってしまったからこそ、早く青い監獄に戻りたいと思っている自分がいる。
タイミングが良かった、まるでこっちの心を見透かしてるようにも思えた。スマホに通知が1件、BLUE LOCK PROJECT再始動の文字に数日ぶりにあの血が沸るのを感じた。


青い監獄に戻る日程が確定した俺はそのままメッセージアプリを立ち上げて、上の方にある名前との履歴をタップ。キーボードで「俺、次の強化プロジェクトの日程決まったんだ」と入力して送信。そのまま父さんと母さんに次の日程の報告のために部屋を出た俺はスマホを部屋に置いたまま。別に急ぎって訳でもなかったし、俺は興奮したテンションのまま勢いで送っただけのこと。だから、名前が見たタイミングでの返信が来れば良いかぐらいの軽い気持ちだったけどこの日は名前からの連絡は一向にないまま時間だけが過ぎていった。


「うーん」
「よっちゃん、スマホいじりながら食べないの」
「うん」
「どうかしたの?」


翌朝起きても名前からの返信はなし。試しに履歴をタップしてみたけれど、既読の文字はなくメッセージ自体を見てないらしい。名前は俺と違ってスマホを没収されるような環境下ではないし、夜返事がなくても次の日の朝にはだいたい返事が返ってくるはず。元々マメに連絡していたわけでもないけど、だからといってこんなにも音沙汰ないイメージも持ち合わせていなかったから、俺の中で引っ掛かりを覚えるには充分。俺がスマホを眺めながらウンウン唸ってたから、母さんも何かあったのかと尋ねてきたから、俺はスマホを軽く振りながら母さんに聞いてみることにした。


「名前から返信がないんだよ」
「あら、名前ちゃん?よっちゃん、連絡してたの?」
「うん、なんなら昨日も会ったし」
「あらそうなの」


母さんは名前の名前を出すなり、表情が一段と明るくなった気がする。そういえば昨日会ったことを言ってなかったならと思いながらトーストに齧り付いていたら、「ふふっ、よっちゃん昔から名前ちゃんのこと大好きだものね」と言い出すもんだから、喉に詰まりそうになって咽せ返る。慌てて牛乳で流し込んでなんとかなったけど!


「母さん…っ!」
「だって、そうじゃない。いつまでも仲良しなのは良いことよ」
「仲良しって…、」


母さんのいう大好きってどういう意味合いなんだろうか。純粋に仲良しって言えるような関係なのだろうか。だって俺は男で名前は女。昔は異性としての意識がないからいっぱい遊んでた。それも幼稚園から小学校低学年ぐらいまでの話で、高学年から中学に上がるにつれて俺たちの距離感は段々と変わっていくのを自分達が一番肌で感じていたはず。周りを気にして、話すことが減り、周りが互いを呼び捨てにするようになったから俺たちも人前では呼び捨てで呼んだり、それこそ極力名前を出して話さなかったり。いつからか人目を気にすることが当たり前、スマホのメッセージアプリが便利なおかげで完全に距離を置くこともなく、文字だけなら書いて送れば話せることを良いことに有効活用していたはずなんだけど。


「名前、どうしたんだろ」


やっぱり既読にならないトーク画面を見つめながら、俺はボンヤリするしかなかった。

青い監獄に戻るまであと少し。
できるならば、戻る前にもう一度名前には会っておきたい。
俺はやっぱり既読にならないスマホの画面をスリープさせて、残りの朝食を胃袋の中へと入れ込んだ。


「って、意気込んだは良いものの…」


俺は悩んでいた。とりあえず朝飯を食べて、身支度を整えて家を出たのは良いけれど、完全にノープランだ。名前が家にいるかもわからないし、行ったところでさてどうしよう。昨日の今日会うって学校に通ってた時は当たり前だったけど今は違う。なんなら昨日のだって久々の再会であり、多少のぎこちなさもあったかもしれない。完全に勢い任せの行動、昔の俺だったらこんなことしてなかったよなと思いつつ、来てしまったからには仕方ない。行動あるのみで俺は名前の家を目指すことにした。

名前の家も一軒家。駅前とか渋谷とかしばらく行かないだけで変わったなってなることが多かったけど、ここら辺はそんなことがなくてホッとする。
あと少しで名前の家、という距離で扉の開く音が聞こえてきた。無意識的に向けた視線は名前の家で、見るとちょうど私服を着た名前が家から出てきたところ。道路に背を向けて多分玄関に鍵をかけてるんだと思う。


「名前!」
「っ、え、よっちゃん…?」


背後から突然呼ばれて思いっきり肩をビクつかせた名前に多少の申し訳なさを覚えつつ、名前の姿を見られて良かったと安堵する気持ちが重なり合う。手には鍵とスマホ、肩からカバンをかけていて明らかにこれから出かけますの様子。


「名前、どっか行く用事?」
「あ、えーっと、うん、ちょっと…ブラブラしようかな、って」
「そっか、一人で?」
「うん、することなかったから」
「俺も一緒にいい?」
「え?」
「ダメだった…?」
「ダメじゃない、けど」
「なら行こう」


俺が引かずに言うもんだから、名前が折れるしかない。名前は「やっぱり、よっちゃんなんか変わったね」と呟いたけど、名前の言う変わった俺ってどういう意味なのかなって思うだけでその意識はそのまま消えていった。


「名前は何を見たいとか決まってた?」
「ううん」
「じゃあ、駅前とか変わってたから俺に教えてよ」


名前といるために俺は都合よく理由をこじつける。名前の返事は「うん、いいよ」一択。名前になるべく歩幅を合わせて俺たちは駅への道のりを歩くことにした。


「次で俺らも3年じゃん、学校はどんな感じ?」
「うーん、人それぞれかな」


学校のことはほとんど知らない。昨日多田ちゃんに聞いた程度の知識ぐらい。メッセージ送ってきてくれた奴らもそういう話題を書いたりはしてないから、こっちから聞かなきゃ何も知り得ない。名前はいろいろだよ、と教えてくれた。既に進路を決めてる人、まだ悩んでる人、名前も進学を決めてはいるけれど細かいことはまだ全然悩んでいるらしい。


「そういえばニュースで見たんだけど、最近変な病気流行ってるらしいじゃん」
「へ、んな…びょ、うき」
「そうそう、花吐くやつ、だっけ」



学校の話題が終わりかけて、俺は次の話題で昨日ニュースで見た内容を思い出す。俺としては変な病気が流行ってるから、名前たちも気をつけてってこと、メッセージにも送ったけど俺はまた青い監獄に行くことが決まったから、と話すつもりだったけど、名前があからさまに言葉を詰まらせて様子もおかしくなって「どうしたんだよ?」って名前の方に視線をズラしたら、名前は顔面蒼白で立ちすくんでいた。


「名前…?」
「あ、えっと、なんでもない!」
「顔色悪いじゃん、具合悪いのかよ」
「ちが、っゴホッ」
「っ名前!?」


ギュッと持っていたカバンの紐を握りしめて大丈夫じゃねぇくせに、なんでもないと言い張って。動揺してますっていうのが露骨に出てるのに何言ってるんだよって思ってしまった気持ちがつい強く出てまったし、そのせいで名前はより否定し出した上に背中を思いっきり丸めて咽せ返る。

まるで喘息持ちだったかのように背中を丸めて咳をし続ける名前の背中を撫でることしかできない俺は何とも歯痒い気持ちにさせられた。


「よ、っちゃ、だいじょ、ぶだから…かえって、」
「大丈夫なワケあるか!ほっとけないだろ!」


一瞬だけ、落ち着いたであろうタイミングで名前が顔を少しだけ上げて掠れた声で呟く言葉。涙目で咳が止まらなくて、今も顔色がめちゃくちゃ悪い奴を平気と見なす奴がどこにいるって言うんだ。しかも名前のことなら尚更。


「だ、っ、てッ、ゴホッゴホッ」
「名前っくそッ救急車?!」


右見ても左見ても人の姿はない。完全にタイミングが悪いんだとしか言いようがない。こういう時どうするのが最善なのか、俺は回らない頭でやっと出てきた救急車の存在を思い出して、スマホを漁り出す。その間に名前の咳はどんどん悪化して咳の音も大きくなる。このままじゃ上手く息が吸えなくて名前が窒息するんじゃないかと思った瞬間、俺は自分の目を疑うことが目の前で起きていた。


「…名前」
「ッ、は…ぁッ」


背中を丸めて蹲る名前の目の前には一輪の花。花なのに、本当に花なのかと疑いたくなるそれはきっと色のせいだろう。だって俺が見ているのはピンクでもなければ黄色くもない。赤やオレンジでも白くもない緑色の花だった。ただの緑というより蛍光がかった感じで、もちろん蛍光だろうとそうじゃなかろうと、葉っぱじゃなくて花でこんな色をしたものを見たことがない俺は言葉も出なければ、思考回路も完全にショートしていた。


「名前…、それ」
「ッ…は、」
「花、吐き病…」


まだ呼吸が乱れたままの名前は息苦しさからかポロポロと涙が流れた跡が頬にある。肩で息を吸い込んだまま自分の喉の辺りをグッと爪を立てるように手で抑えている。


「っ名前!」


直感で首を掻き切りそうに思ってしまった。人の爪ぐらいでは引っ掻き傷ぐらいだろうけれど、それでも名前が自虐的に己を傷付けるのを黙って見てられない俺は名前の手首を掴んだ時あまりにもの細さに驚かされる。


「よ、ちゃ、はなしてッ」
「やだっ」
「ッよっちゃ」
「名前、いつからだよ」


名前は必死に俺の腕を振り払うとしたけれど、俺がそれを拒んだ。名前の腕の細さに驚きつつも離しちゃいけないと自分に言い聞かせて、折れないようにでも離さないように力加減をなるべく気をつけて、それでも俺の感情は沸々と何かが沸き上がるのを感じて気付けば力がこもってしまう。


「病気、いつから」
「あ、ッあ」
「いつから、誰のこと思ってた」


その瞬間、ピタリと名前の動きが止まる。


「名前、言え」
「な、に言って、」
「花吐き病の原因を知ってるのか」


名前の生唾を飲み込む行為が肯定だと物語っている。

青い監獄で過ごしていた俺は外のことを何も知らなかった。学校のことも世間のことも本当に何も知らないまま、サッカーサッカーサッカー。全ては最強のストライカーになるために。チームではない、俺自身の活躍で勝ち取るために、エゴイストとして成長することを決めていた。そんな俺らがU−20日本代表との試合を終えて2週間の休暇を与えられた時のことだ。


「才能の原石たちに忠告だ」


外に出る俺たちに忠告という名の情報を与えた。世間では流行病が流行っており、名を花吐き病という。ここの奴らはサッカーでエゴイストを目指す才能の原石たちであるから、無縁の病気だろうが気をつけろ、と。自分たちが原因でなることはないだろうが、周りから移される可能性がゼロではない。花吐き病はまだ世間的には原因究明中とのことだが、実際には原因まで発覚しているといい、精神的なものだという。


「お前らは最強を目指すためにここにやってきた、そこに他人は関係ない。しかし、そうは思わない他人もいる」


絵心はなんともめんどくさいと言っていたし、そこでは何もわからなかったけれど後にマネージャーからの補足で俺たちは知る。


「花吐き病は片思いを拗らせた人が花を吐くらしいです。吐かれた花に接触すると感染すると言われてます。みなさん、というよりは今回のU−20日本代表との試合に勝った功績により、きっといろんな人たちからの興味関心を得ることになると思います。その時、全員が全員純粋な目で見てくるわけではないこと、中には」


中には厄介な人間や感情により理屈が通じない人も出てくるだろう。そんな人間のせいでこれから先の未来を棒に振るわないためにも自衛し気をつけろ、とのことだった。最初聞いた俺たちは何を言っているんだ?と思ったし、そんな病気あるわけがないとさえ思っていたはずなのに、いざ外に出てきてニュースで報道されてるのを見た時は正直驚きしかなかった。嘘ではなかった、現実だった。全ては与えられた情報の通り。特効薬がないから原因不明で感染に気をつけろと言われていて、実際には片思いを拗らせた結果故に両思いになれれば良いけれど、そうなれない人間は?どうなるか、という話になってくる。なので自衛をしろ、あまりにも明確であり為す術がない故のざっくりとした対策案件だ。

だから本来であれば俺はここにいたらマズイ、感染しないために離れなければならない。名前を置いて、花吐き病に感染していることを分かった上で名前を放置しなければならない。

けど、


「名前、どこまで知ってるんだ」
「ぁ、の」
「言えって」


名前を放置する選択肢を俺にはない。だったら、俺は名前に聞き出すまでだ。名前はいつから感染していた?いつからこの病を抱えていた?名前はいつから、そいつを想っていたんだ?


「っ、いた、」
「名前」
「よっちゃッ」


沸々と沸き上がるのが負の感情なのは明確。痛いと表情を歪ませる名前だけど、そんなのは今関係ない。名前の今後がかかってるんだ、名前は何をそんなに隠したがる。ずっとそばにいたのに、ずっと俺たちは、


「よっ、ちゃ…ッ、だ、て」


名前はポロポロと涙を流す。


「ずっと、ッそばにいたのに、どんどん変わっていってっ、みんなカッコいいって言っててッ、あたしだけ置いてかれてて、っ」


その涙が誰かを思って流す涙だと想ったら、


「戻ってきたら余計に距離を感じさせられてっ、」


気が狂いそうだったはずなのに、


「あたしッ何も変わってないのにッ」


名前から紡がれる嗚咽混じりの言葉は段々と俺の心に冷静さを取り戻す。


「っぐすッ」
「名前、」
「[う〜ッ」
「名前のエゴ、もっと聞かせて」


ポロポロと止まらない涙をそのまま、俺はギュッと握っていた手をそっと離し、そのまま名前の両頬を包む。さっきみたいな力任せじゃない、なるべく力を入れないで添えるように、名前が安心できるように。


「俺が変わったとても、俺の中には変わんないものもあるからさ」
「っ」
「ずっと名前が一番だから」
「よっちゃ…」
「俺は名前が好き、だから名前のエゴが知りたい」


あぁ、そうだった。思い出した。

「よっちゃん」
「名前ちゃん」

あの時見た夢。幼い自分、目の前には自分と女の子は名前だった。互いにスモックを着ていて幼稚園の時の記憶。

「またさっかー?」
「うん」

名前はサッカーボールを持っている自分を見て面白くなさそうな表情を浮かべている。サッカーばかりの俺を面白くないと表情が物語っていた。


「よっちゃん、さっかーするといっしょにあそべない」
「でもさっかーしたい」
「やだ!」


名前は俺と一緒に遊びたいらしくってやだと駄々こねる。でも俺もこれは譲れない。


「さっかーで名前にかっこいいところみせたい」


前にサッカーをした時、見てくれていた名前が言ってくれた「かっこいい」「すごい」という言葉がとても快感だった、嬉しかった、だから俺はまた名前に見てほしくってと伝えたら、名前は口をポカン。そして、仕方ないなぁという表情で「じゃあみてる」と呟く。「あたしはよっちゃんのふぁんいちごうだもん」と小さく呟いた言葉もしっかりと俺の耳には届いていた。


ノエル・ノアに憧れて、いつか日本代表のエースストライカーになってW杯で優勝するって夢を名前に見てて欲しい、見てくれているのが当たり前だと思ってたから、俺は信じてくれる人がいたからここまで来られたんだ。


ワンフォーオール、オールフォーワンを信じていたあの頃から。



「よっちゃんが人気になって他の人たちにかっこいいって言われるのやだッ、よっちゃんが遠くにいっちゃうのもやだぁッ」


名前はまるで子どものように泣き出した。自分のエゴを曝け出すその姿は俺の気持ちを満たしてくれる。


「よいちが好きなのもあたしだもんッ」
「ははっ、そうだな」


ボロボロに泣いてるくせに、花を吐いて拗らせるぐらい俺のことが好きだったはずなのに、名前があまりにもハッキリと言い切るから逆に清々しさまである。と、いうよりは自分に言い聞かせてたのかもしれない。幼馴染という明確で不安定な関係にあぐらをかけずにずっと一人で悩んでいたのだろう。

「わかってんなら、そんな病気になる必要になかったのにな」
「っ、だっ、て」
「不安にさせてごめんな」


本当にごめん。俺たちはずっとそばにいすぎたせいで、言葉にすることをいつからか忘れてしまっていた。歳を重ねて異性を意識し、周りを意識して勝手に世間の当たり前のように自分たちを繕って近かったはずの距離を隠すようになってしまったし、それに重ねて俺は青い監獄に行くことを決めてしまったことが追い討ちをかける形になったんだろう。擦り付いて泣く名前の背中をあやす俺はきっと名前が面白くないと思えるほどに緩み切った表情をしてるだろう。


「好きだよ、名前」


改めて名前が安心するように、と俺は本心を言葉で届けると名前は勢いよく咳をこ込んでキラキラと輝いて見える白銀の百合の花を吐き出した。花吐き病の完治は両思いであること、その気持ちが叶った時には白銀の百合の花が咲いているというのを俺は知っている。




「潔、なんかソワソワしてない?」
「“青い監獄”計画第二段階始まるんだから、滾るだろ」
「んにゃ、そういうのとは別って感じ!」


2週間の休暇を終えて再び集合した俺たち。蜂楽がニッコニコの笑顔で俺の顔を覗き込んで投げかけてきた言葉に千切が返すがどうやら意味合いが違ったらしい。


「あぁ、良い休暇だったなって思ってさ」
「ゆっくりできたってこと?」
「まあな、休暇も良い変化があったってこと」
「なんだよそれ!」


俺の背中に飛び乗って「教えろ〜!」と聞き出そうとする蜂楽。聞かれても2週間の間に起きたことを話すには時間がかかるんだよな。そんなことは知らない二人は容赦なく首に手を回したりして揺さぶり聞き出そうとしてくる。俺は笑いながらどうしようかな、と思っている中、手にしていたスマホが新着のメッセージを受信していたらしい。


「離れてても応援してるから。気をつけて行ってきてね。大好きだよ、よっちゃん」


そのメッセージを二人に見つかるまで、あともう少し。



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