短編 | ナノ


若狭くんが我が家にのらりくらりと居座るようになったのがすっかり当たり前になってしまった。最初こそ気になることは色々あったはずなのに慣れというものは怖い。当たり前のように生活へと浸透して、違和感が働かなくなる。気にすることをやめ、心を許してしまったら最後。何をやっても受け入れてしまった自分がいけない。全ては大人の責任になる、付け込まれて終わりなのだ。

仕事を終え、ご飯も食べてお風呂も入ってリラックスモード。部屋着に着替えてヘアバンドで髪を上げてペラペラと雑誌を読むまったりした時間を楽しむ。


「何読んでんの」
「雑誌」
「見ればわかるんだけど」


お風呂に入っていた若狭くんが上がったらしくソファーで膝を立て、そこに雑誌を置いて読んでいたあたしの片側にある肘置きとのほとんどないスペースに無理やり入ってきた。若狭くんは構って欲しいのか、狭いところが好きなのか、こうやってくることは珍しくない。男の子なのに小柄な若狭くんでも、人が座れないスペースのところに入ってくるのは窮屈なことに変わりがない。例えあたしが少しでも表情を歪ませようとも若狭くんがそれを気にするとこはなく、何食わぬ顔で当たり前のようにそこに居座るのだ。


「何って言われるほどじゃないけど、いろいろ」
「ふーん」


好きなモデルさんのコーナーが載ってるからが理由で雑誌を買うのはもはや習慣である。ただせっかく買ったのだから、それだけではなく他のページだってちゃんと見る。今まさに読んでるのはそんな感じであり、特別何がって言うものがあるわけではない。


「名前はどうすんの?」


若狭くんはいつだって唐突だ。主語がなかったり、突然話題を切り替えてくるし、何をするかも突拍子。今のどうすんの、だって何のこと?って思うし、最近の若い子ってこんな感じなのかなって内心思い返してしまうけれど、若狭くんのお友達はそんなことない子もいるしなぁ…。


「ねえ、聞いてるんだけど」


こうやっていろいろ考えが広がると気づけば別のことを考えてしまうのは年齢のせいか。うーん、そう考えると悲しくなるから、あんまり考えたくないんだけどな、と思いつつ、若狭くんに視線をズラせば、返事をしなさすぎたのか痺れを切らした若狭くんが割と至近距離でジト目で睨み効かせるかのように見つめてくるではないか。


「どうすんのって、なにが…?」


圧に押されながらも、何が言いたいのかわからない若狭くんに質問返しをしてみれば、わかってはいたけれどわかってたけれど、はぁ〜とため息を一つ吐かれてしまった。


「そのページ、書いてあるでしょ」
「ページ…?」


呆れ顔の若狭くんの顔も何度見てきただろうか。これを気にしていては仕方ないので、あえて気に留めないようにしてるあたしは若狭くんの言う、あたしが開いていたページに視線を落とした。
そこに書かれていたのは、大々的な文字で書かれたバレンタイン特集。いわゆる百貨店の有名な菓子店の色鮮やかなチョコがページいっぱいに載っている。


「あぁ、バレンタイン?そうなんだよね、世間はもうこんな時期なんだよなぁ」


すっかり忘れていた、という言葉が一番ぴったりだ。あまり縁のなかったイベント行事。それ故に、意識から完全に外れていたため考えていなかったというのが本音なのだけれど、若狭くんに言われて考えを改めなければならない。何故なら今のあたしは今までとは違う、そう若狭くんがいるからだ。無反応、ではなさそう…、きっとあたしからの次の言葉を待っている若狭くんはダンマリを決め込んだまま、あたしを見つめてくる。


「あはは…、若狭くんはどんなのがいい?」


…それはもう無言の圧力をかけながら、だったのであたしは笑って誤魔化しながら若狭くんの意思を確認。正直、若狭くんのことはまだわからないことが多い。けど、若狭くんのお願いならそんな無茶は言わないだろうと思い、「なんでもいいよ、買ってあげるから」と雑誌に視線を移して呟いた時だった。「は?」と予想外の声が耳に届く。
聞き慣れた抑揚のあまりない落ち着いたトーンの声でもなければ、初対面の時のような警戒心がこもった声でもなく、滅多に聞くことがないドスの効いた声で思わず「え?」って言いかけたけど、なんとかその言葉を飲み込んだ。


「買うって何」
「え、バレンタインのチョコ…だけ、ど」
「買うって?」
「う、ん、」


飲み込んだけれど、若狭くんは質問系であたしに言葉を投げかけてくるせいで、あたしは順々に答えていくしか道はない。圧のかかった雰囲気に押されながらだし、きっと何を言っても若狭くんの癪に触るのはわかっていた。けれど、無言もスルーもできないあたしは言葉が詰まりながらも声にしていくと、若狭くんは長くて重たーいため息を一つ吐き出した。


「作って」
「なにを?」
「チョコ」
「チョコ?」
「ここまで言わせて聞き返すの名前ぐらいなんだけど?」


うん、そうだろうね。さすがのあたしもそれはわかってるけど、脳の回転がついて来ないせいで、復唱しかできない。そんな人の気持ちに気づかない、悟れない若狭くんは眉間に皺を寄せてさらに面白くなさそうな顔になっちゃった。


「どうせなら、美味しい方が良いでしょ?」
「名前の作ったのが欲しいんだけど」
「チョコ、そんなに好きだっけ」
「ふつう」
「じゃあ」
「俺は」


自分の置かれた状況をあらためてしまった。ソファーに座っていたあたしとその肘置きのほとんどないスペースに無理やり入ってきた若狭くん。おかげで、あたしの体が少しだけ押されて横にズレたけど、微々たるものだった。おかげで若狭くんとの距離は至近距離。雑誌を読んでいたのに話しかけられて中断させられた上に近距離から圧をかけられていた。自分よりも遥かに若くてかっこよくて大人びてる若狭くん。きっと同い年とかの同世代だったら、コロッと流されてこんな風に話を引っ張ったりしなかったんだろうな、って思ってしまったから、案外あたしの頭の中は冷静なのかもしれない。


「名前の作ったチョコが欲しいの」


若狭くんにガッチリと腕を掴まれて、まるで逃げるなと、俺を見ろと言わんばかりの圧をさらにかけられているけれど、こんな至近距離で見つめられたら目を離せるわけがない。それなのに、言葉は出てこないあたしに何を思ったんだろう。

結局その後、若狭くんは「帰る」と一言残してあたしの家を出ていってしまった。

若狭くんはいつだってふらりとやってきて、自由気ままにここに居座る子。元々あたしたちは連絡を取って何かをするわけでもない、あたしには仕事がある社会人。自由に動ける時間が違うから、いつだって若狭くんに任せっきりでいたけれど、こんな風に彼を帰らせたのは多分こんな関係になってからあったっけ、と思い返した。
真っ直ぐあたしを見つめる目が強制的すぎる圧があるのに、どこか切なげに感じてしまったのは、あたしの思いすぎなのだろうか。考えれば考えるほど答えは出ない、ただモヤモヤだけがあたしの心に残った。

翌日になっても若狭くんは来ない。昼間の仕事をしている時も昨日のモヤモヤをずっと引き摺ってしまう。珍しくないのに一人でご飯を食べてる時もどこか落ち着かなくて、ご飯の味は正直あんまりわからなかった。



夜更けの時間帯、正直あんまりこんな時間に外を歩くのは気持ちが乗らないけれど仕方ない。夜は冷えるせいでコートとマフラーをしてポツポツと街灯が並ぶ夜道を歩く。人気のなさが心細いというか恐怖心を駆り立てられるけれど、怖がってるわけにもいかないあたしは夜道も相まって見慣れない道を進む。たまに通り過ぎる電柱の番地を確認しては歩くことを何度しただろうか。正解なのか間違いなのか、進めば進むほど不安になる。帰りたい、とまでは思わないけれど心細さは募る一方だった。
薄暗い道の先、微かに聞こえてくるバイクのエンジン音。一台とかじゃなくて、複数台だしそこそこ賑やかに思える。その音を頼りに足を更に動かせばエンジン音でわからなかったけれど、話し声も聞こえてくるではないか。



「…ちゃん、話って何」
「実は…」


バイクのエンジン音ではっきり聞こえないけれど、微かに聞こえてくるのは間違いない。あたしはこっそりと気配を消しながら、覗き見た先には大きなバイクに白いフワフワした髪の彼がいる。数日ぶり、このぐらいの日数見かけないことは珍しくないのに、燻った気持ちが爆発したようにあたしは柄にもなく地面を蹴っていた。


「若狭くんっ!」
「…は、名前…?」


数日ぶりの若狭くん。こんな驚いた顔を見たのは初めてかもしれない。バイクのライトで辺りを照らしているおかげで若狭くんの顔もはっきり見えるから、見間違いじゃない。いっつも落ち着いて感情を曝け出さないで…って言ったら嘘になるけど、出してくれる感情は目だけ、雰囲気だけって基本的に表情に出さないのだ、若狭くんは。そんな若狭くんの目を見開いて口を少しだけポカンと開けてるのがおかしくて、思わず表情が緩んでしまう。


「なんで名前がここにいるんだよ」


あたしの気持ちとは裏腹に若狭くんは見る見る表情が曇っていく。それはもうあの日の時と同じか、それ以上に面白くない、ムスッとした表情を浮かべていて声もいつもより低音だ。


「それは」
「俺が呼んだんだよ」
「…真ちゃん」


若狭くんと一緒にいた男の子、黒髪に特攻服を着た真ちゃん、改めて真一郎くんがあたしの言葉を遮る。若狭くんはあたしからの言葉を待っていただろうから、真一郎くんから言葉が出てきて意識は全部そっち。相手が真一郎くんだから何とか腹の中のモヤモヤを頑張って抑えようとしているのは見てとれる。


「真一郎くん、なんかごめんね」
「いや、良いって!気にしないでくださよ」
「ううん、これ…。大したものじゃないけど、良かったら弟くんたちと食べて欲しいな」
「ありがとうございますっ!」


なんとも言えない空気感。だけど、ここでそのまま居座るのもよくないと判断したあたしは若狭くんを横目に、真一郎くんに手にしていた紙袋を手渡した。真一郎くんは快く受け取ってくれて中を覗くなり年相応に嬉しそうに喜んでくれて嬉しくなった。若狭くんは悶々としたオーラーを隠すことなく曝け出しながらもダンマリを決め込んでいるもんだから、手持ち無沙汰になった手で若狭くんの手を引く。


「帰ろう、若狭くん」


若狭くんはダンマリのまま。動く気配のない若狭くんを見かねたのか、真一郎くんは「名前さんを送ってやりな」という一言もあってやっと一緒に動いてくれた。戻るのはあたしの家。あたしたちも帰ろうはいつだってここなのだ。
玄関の鍵を開けて家に先に入ったあたしは正直若狭くんがここまで来てくれるか不安だったけど、何も言わないながら家までちゃんと上がってくれてホッとする。黒い特攻服は出会った頃と正反対の色だけれど、見慣れてしまった。それだけ見てきた彼の特攻服姿。ふわふわとした白い髪を引き立ててくれるからこれも似合うなぁと何度だって思ってしまう。
ローテーブルのそば、床にどかっと座り込んでいるけれど、相変わらずムスッとしたままの若狭くんにあたしは目につかないところに隠していたそれを目の前に置いた。


「お金で解決しようとしてごめんね」
「…」
「美味しい方が良いかなって思ってたの。あたし自炊はしてもこういうの作らないから、作るって概念がなくって」


若狭くんはそれを黙って見つめているだけ。だからあたしは沈黙気にせず喋り続ける。


「若狭くんはそんなの気にしてなかったんだよね。これはささやかな気持ちですが食べてくれますか?」
「…当たり前じゃん」
「良かった」


言葉の通り、あたしは作る概念がなかった。正直、普段からお菓子を作るわけでもないからこそ、慣れないお菓子作りは少し腰が重かったし、仕事に追われて作るのがめんどくさいと思ってしまったのも本音である。でもそれじゃいけなかったと気付かされ、あたしは自分の言葉を改めた。だからこのままダンマリだったらどうしようかと思ったけど、やっと口を開いてくれた若狭くんの声は優しかった。やっと目も合わせてくれて、心臓の辺りがふっと力が抜けてホッとする。心のどこかで緊張していたらしくって、心臓にちゃんと酸素がやっと回ってる感覚まであった。


「名前が俺のために作ってくれたんでいい?」
「もちろん」
「じゃあ、食べさせて」


若狭くんのどこか嬉しそうな顔は本当に久しぶり。ホッと一安心も一瞬のことで、次に言われた言葉にあたしはウッ…て言葉に詰まるけれど、ここで否定はもうできない。若狭くんはこういう風に甘えてくる子なんだから、と自分に言い聞かせてあたしはそれを口元に。そうしたら腕を掴まれてパクリ。指先に若狭くんの口が軽く触れて熱が伝わってくる。


「美味い、ねぇもう一個」
「もう自分で食べてよ」
「やだ」


うーん、年齢的なものなのか、性格的なものなのかわからないけれど、若狭くんのこんなお願いを断れないあたしも大概かな。結局言われるがまま流されてしまう。


「そういえば、真ちゃんに何あげたの」
「チョコのシフォンケーキだけど」
「作ったの?」
「え、うん」
「それを俺より先にあげたの?」
「今回ばっかりは真一郎くんに心配と迷惑かけたんだから、先にあげないと」


何をどう思い出したのか、若狭くんはモグモグしながら掘り起こしてきた記憶を口にする。投げかけられた質問に答えてから、若狭くんの表情変化を見てあたしはちょっと!と言いたい気持ちをなんとか抑えて、落ち着いた声のトーンを意識して弁解する。口の中がなくなった頃を見計らって、再び若狭くんの口元に近づければ当たり前のようにパクッと口に入れてくれるから、若狭くんはしゃべるために口を開かない。いや、開けない。


「あれは一応、迷惑かけちゃった真一郎くんと弟くんたちの分だから。あたしが準備したいって思ったのは若狭くんだけだから、ね」


じーっと若狭くんに見つめられ、あたしもその気持ちには嘘がないことを伝えたくて真剣に言葉にした。若狭くんは納得してくれたかな、ここまで言ったなら伝わってるだろう。
そう自己解決しかけた時、突然腕が引っ張られて口に触れる温もりと甘ったるいチョコの味。


「名前のその言葉、信じるワ」
「…だからってその行動必要?」
「必須事項」
「もう…」


若狭くんはクスリと笑って再び一口。やっといつものように笑ってくれたから良いけれど、今の行動はなんなんだろう。きっといつまで考えても答えはよくわからないと思う。だってあたしと若狭くんは生まれた年代も年齢も全く違うんだから。十代の若狭くんと二十代のあたしはきっとこれからも理解できないことを二人でぶつかって悩んで話して理解しながら歩み寄って過ごしていくんだろうな。

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