短編 | ナノ


あの日以降、イザナと会った名前は何故来なかったのかと聞いたら「急用だ」と言われてしまった。急用ってなに、真一郎には仕事って言ってたじゃん。と思うがあえて口にはしなかった。
名前はイザナが拠点とするNPO法人TENJIKUの事務所でイザナをジト目で見つめるだけ。


「イザナをそんなに睨んでどうしたんだ」
「べつに…」
「なら、これ。名前に頼みたいんだが」


名前の普段と違う様子に疑問を抱きつつも普通に接する鶴蝶。手にしていた書類を名前に手渡して仕事を依頼した。
名前はここの社員ではない。海外留学をし、海外を拠点として多国語を話せることを武器として通訳を含めた国と国を繋ぐための仕事をしていた。その時、出会ったのがボランティア活動をしていたイザナたち。母国が同じ日本であることもあり、距離を縮めるのは容易く名前の仕事内容もあってイザナは何かあれば名前に依頼をすることが主となった。それがイザナと名前の関係性である。


名前は長い間、海外で活動をしてきた。それは決して楽なことではなかったが、振り返ってみれば自分なりに充実していたと思える。そしてイザナたちと出会い、自分にできることを更に増やしてきた。そんな名前は遠くを見つめ、自分自身の成長のために第二の故郷と呼べる母の母国に渡ったことをきっかけに国境に縛られない生活をずっとしていたわけだが、今回名前は母国である日本に戻ってきた、母国でも自分でできることを探すために。
それなのにまさか、こうなるなんていつ誰が予想しただろうか。ずっと先日のことが頭から離れない。久々に再会した同級生、佐野真一郎にまたこうやって心を掻き乱される時が来るなんて、誰が予想できたのだろうか。


「すっかりもぬけの殻だな」
「誰のせいよ…」
「偶然、運命、それとも不可抗力って言うべきか?」


覇気をなくした名前を見てイザナは笑う。覇気はなくてもイザナに反論する気力はあったようだ。名前の言葉にイザナもまた言葉を羅列して吐き出すがその表情は他人事のように楽しそうである。


「まさかシンイチローの同級生だったなんてな。名前ってそんな上だったか」
「おい、イザナ」
「仕事に年齢なんて関係ないから知らなくて結構なんだけど。あぁもう、イザナから兄弟の話はあんなに聞いてたのに、なんで気づかなかったかなぁ…」
「逆に俺のあの話でシンイチローって気づいた方がスゲェだろ」
「それはそうなんだけど」


イザナと名前は似ていた。父方は日本人、母方は外国人。日本語をしゃべれようとも、根本的に考えてしまえば純血の日本人にはなりきれず、日本人にはわからない、彼らだからこそ体験する境遇を経験してきた。決して日本人の人生が辛いとは思っていないが、彼らの辛さは彼らが混血だからこそわかるものであり、誰しもが理解し得るものではないというのが論点である。だからこそ、二人は意気投合したし、そこには性別も年齢の壁もない。ただ二人が互いに話していく上で知り得た身の上の共通点に互いが心惹かれた、ただそれだけのこと。


「ほーんと、お人好しなんだよね、真一郎は」


名前は天を見上げてポツリと呟いた言葉は誰にも拾われず宙に消えていった。




時間は進み、本日のノルマを仕上げ仕事を終えた名前は帰る身支度を始めた。今夜は何を食べようか、正直気力がないから適当でいい気がする。なんなら、何もなくてもいいかもしれない。はぁ、と一つため息を吐いて外に出ると、名前は腕を引っ張られてワケがわからないまま景色が揺らぐ。突然のことに声も出ず、ヒュッとする心臓。名前が次に状況を把握した時には、名前は黒いフードを頭までかぶった黒尽くめの男に捉えられていて息を呑む。この男は誰なのか、海外でもっと治安の悪いところも見てきたけれど、日本だからって油断していた。平和ボケしていたのかもしれない。ここはまだ事務所のすぐそば、声を出せばきっと事務所内の誰かに声が届いて誰かが来てくれるはずなのに名前は声が出ない。どうしようどうしようと脳内で慌てふためいていたら、「名前」と名前を呼ばれて心臓が飛び跳ねた。


「っ、え」
「俺だよ、俺」
「し、んいちろ…?」


フードを被っていて顔が見えなかった男の正体は真一郎だった。恐怖まで覚えて動けなくなってしまった名前は真一郎の顔を確認するなり、安堵の気持ちが一気に溢れ出て体の力がふわっと抜け落ちる。腰が抜けそうになって、足からガクッと落ちそうになった名前を真一郎は見逃さなかった。咄嗟に腰に手を回して支えてくれたおかげで、地べたに尻餅をつくことは阻止された。


「ふ、しんしゃかと思ったじゃん…」
「わりっ、驚かせるつもりはなかったんだけど」
「声でないしっ、もぉ…」


真一郎に支えられ、名前は泣きそうな声を絞り出しながらしがみつく形でなんとか持ち堪えている。最初こそ、恐怖から驚き、混乱という感情が渦巻いていたが段々と冷静さを取り戻した頭は今の現状に次はパニックを起こす。真一郎にしがみついて、真一郎もまた自分を支えてくれている状況下。終止符を打ったとは言え、一度は惚れた男の腕の中にいて支えられ、平常心でいられるわけがない。名前はあくまでも見た目は平常心を繕って、ぎこちないながらも「ありがと、」と言葉を絞り出して真一郎から距離を置いた。


「どうしたの、こんな時間に。イザナならまだ中にいるけど」


ここに来る理由はそれしかないだろう。


「いや、名前に用があって来た」


そう思った名前だったが、真一郎は名前に用があるというではないか。名前は自分に何の用があるというのか、名前は思った、心当たりがなさすぎると。街灯はあるとは言え、夜の時間帯。全てがはっきりと見えるわけではない真一郎に名前は視線を向ける。最後に会った日の、呑みの席の時でも見なかった、最後に別れたときに見た表情でもない、珍しい真剣な表情の真一郎に名前は口を紡ぐ。


「名前のこと、ずっと仲の良い同級生だと思ってた。小学生の頃から一緒に遊んでさ、中学でも同じ学校行って、まあクラスは一回しか被らなかったけど」


シンと静まり返る街中の事務所を出てすぐの建物の影で真一郎は話し出す。


「俺、名前に感謝してるんだよ」
「感謝」
「名前はさ、忘れてるかもしんねぇけど、昔言ってたんだよ」



その話は小学生の頃の話だった。名前がハーフであることは同級生の中で知っている人は知りうる事実。名前もまたそれを隠してはいなかった。ある日交わした真一郎との会話で名前は言った。母は日本人がどうとか言うけれど、それが何なんだろうかと。その人自身を見ていれば、そんなこと関係ないのにね、と。当時、真一郎はまだイザナのことも知らなければ、後に佐野家にやってくるエマのことも知らない時で、フーンと聞き流していた言葉だった。だけど、名前が上級生からのいじめを知り、後に国境を越えて国外に行きたいという意志を知った真一郎は、共に過ごす日々の中で名前への印象と己の中での物事の考え方が変化していく。


「きっと、名前がいなきゃ物事をこんな風に捉えなかったなってことばっかだし、何よりイザナに寄り添うことができてなかったかもしんねぇ」
「真一郎の性格だったら、イザナに寄り添えてたと思うけどな」
「そんなことねぇよ、」


真一郎ははっきりと言った。自分の身近な存在に名前がいたから、日本人では分かり得ない考え方や捉え方を考えるようになれたと。それがイザナとの関係にも繋がったという。初めて、そして改めて言われる言葉に名前は気恥ずかしそうに「そう、なら良かった」と呟く。自分にとってそんなつもりで言った言葉ではなかったけれど、それが誰かの変化とその後に繋がったのなら純粋に嬉しかったからだ。


「名前のこと素直に尊敬してたんだわ。ガキの頃とか一見、気が強っぽくてはっきりしてる性格でさ」
「え、そんな風に思ってたの…?」
「ガキの頃!小学生の頃とかの話だって…、だけど実際は物事を色々考えてる芯がしっかりしてるやつ。俺、知ってたんだよ、名前が中学卒業したら留学すること」


名前は心臓が飛び跳ねた。名前は自分の口から真一郎には言っていなかったからである。真一郎に海外で仕事をしていることは知られていたけれど、それはきっとイザナの仕事を知っているからだと思い、深くは気にしていなかった。ご飯に行った時だって、その話にはならなかったから、知らないものだと思っていたのに。


「だから、名前の気持ち、受け取れなかった」


何年振り、十数年振りの新事実だった。真一郎が自分を振った理由をまさかこんな形で知り得るなんて、誰が思っていたのだろうか?誰も思わないだろう。名前は突然のことに頭を真っ白にさせながらも、「あは、は…、そう、だったんだ」と乾いた笑いを吐き出した。


「いいよ、確かにあの時受け取ってもらえても、連絡手段とかどうせずっと会えなかっただろうし、自然消滅してたっておかしくないもの」


あの日のことは正直思い出すと辛い。けど、名前にとってずっと抱えてきた好きという気持ちに嘘はなくて、ほろ苦く大切な思い出の一部に間違いはない。


「俺は…!名前とまた会えたこと、繋がってたって信じたい。あの時、名前の気持ちに応えられなかったけど、もし名前が留学しないで日本にずっといるなら、俺から告白したいって思ってた…。いろんなヤツと出会ったし、いいなって思う女も確かにいたけど、ふとした瞬間に名前を思い出すし、名前にまた会ってやっぱ思った」


ふと二人の横を車が通り過ぎる。エンジン音が建物に反響して響き、車のライトが二人を照らした瞬間、「名前が忘れらんねぇぐらい好き、だから俺と付き合ってください」と真一郎がはっきりと口にする。名前の目に映る真一郎の真剣な眼差しに目を離せなくなり言葉を発するためにも口の中の生唾を飲み込んだ。


「学生の頃の思い出ってさ、なんでキラキラしてるんだろうね」


名前が口にしたのは、告白の返事ではなかった。


「真一郎に告白するつもりなかったんだよ、留学するつもりでさ。想いを伝えても繋がれてもきっとその先は大変だろうからって。するつもりなかった、でもどうせ会えなくなるならって思ったらしなきゃいけないって思ったの」


一呼吸を置いてから、真一郎の視線から目線を落とし真っ暗な地面を見つめながら名前は話を続ける。


「真一郎に告白して玉砕して渡航して。いろんなことに悩まされた。日本との違いとか言葉の壁とか。正直、国の違いで馴染めないこともあったけど、それ以上にいろんな人に支えられて助けてもらってさ。つくづく自分って人との縁が強いんだなぁって思った。そこで出会ったイザナもそう。イザナと打ち解けるのは割とすぐだったな」


ふふっと笑う名前はきっと言葉の通り、イザナとの出会いからを思い出しているのだろう。真一郎の知らない名前の記憶、そしてイザナとの時間。それは先日、一緒に呑みに行った時の時間での会話へと繋がる。


「イザナから聞いたって話したでしょ。イザナさ、本当に嬉しそうに話してて、この人もいい人たちに恵まれてるんだなぁって思ったの。真一郎だって知る前はね」
「、それって」
「すっごくいい人に巡り会えたんだなって思ってた、けど真一郎だったんだって今思えば、感じ方も変わるかな」


どういう意味なのかわからないまま、何を言われるのか何を思われたのかと真一郎は手汗を掻くほどに緊張しながら話は進んでいく。


「イザナから詳細を言われてないけど、真一郎の妹のこと中学の時には知ってたからさ。それに加えてイザナのこともって思い返してみたら真一郎も大変だったんだなって思ったの。お父さんも早く亡くしてて」
「あぁ」
「真一郎は昔からそんなに人のことを考えてたんだって思ったら、すごいなーって思った。あたしが尊敬されるような器じゃない、よっぽど真一郎の方がすごいと思う」
「…」
「青春の思い出はずっとキラキラしたまま綺麗な部分だけ切り取られて残っていくんだなって思ってた!そしてお互いに知らない人と出会って結婚していくのか。まぁ、あたしの場合には仕事一直線でそのまま結婚しないって道もあるなぁって」
「だったら、」
「思ってたけどさ、」


真一郎の言葉を遮るように名前の声の音量が少しだけ大きくなる。


「思ってたけど、真一郎にそんな風に言われちゃったらさ…、昔のこと思い出しちゃうじゃん」
「名前」
「やっぱ真一郎のこと、好きだなって」


名前は涙していた。涙をポロリと溢して、でも微笑んでいた。名前はずっと抱えてきた感情を真一郎の言葉によって、自分の中で言葉にしながら気持ちを整理していたのだ。ずっと燻っていたものをここでやっと吐き出して自分の気持ちに向き合った。


「名前、ごめんな」
「っ謝んないでよぉッ、」
「ごめんって」


自分の気持ちに向き合った瞬間、まるで決壊したダムのようにボロボロと溢れる涙の粒。真一郎は名前を腕の中に閉じ込めて、何度も謝りの言葉を口にする。

あの時、好きだと言えなくてごめん。
あの時、気持ちに答えられなくてごめん。
そして泣かせてごめん、と。

謝るなと言われた言葉に対して、それ以外の言葉が浮かばなくてこれしか言えなくてごめんという意味を込めて。


あれから泣き止まない名前をどうすればいいのかと内心困っていた真一郎の元に、事務所での仕事を終えたイザナや鶴蝶たちと鉢合わせをして、プチ騒ぎからのいじられたのは言うまでもなく。だけど、イザナも嬉しそうに笑っていた。この数日、二人のことを一番気にかけていたのはイザナ自身だからだ。S・S MOTORSでこの二人が再会してからのぎこちなさと言い、気づかないわけがない。名前は後に知ることになるが、真一郎に「二人は付き合ってるのか」と尋ねられた時は「ハァ?」と本気で変な声が出たという。その質問もあり、二人がお互いを意識している関係だと確信を持ったイザナは誘われた呑みの時も仕事と偽り、二人っきりにさせたのだけれど、まあ後に鉢合わせしてしまった初代黒龍の面々によって、めんどくさいことになろうとは思いもよらなかったけれど。



「名前、今日は」
「えっと、ココくんのところ行って」
「…」
「仕事だから仕方ないでしょ」


名前はエプロンをつけて台所に立っていた。鍋の中で沸々としている味噌汁をお椀に盛りながら、投げかけられた質問に対して脳内スケジュールを思い返しながら返事をする。自分で聞いてきたくせに真一郎がちょっとだけムッとした雰囲気を出すものだから、名前はピシャリと正論をぶつけた。


「なんで後輩たちと、んなに顔見知りなんだよ…」
「仕方ないじゃない、イザナと繋がってるんだもの」
「こんな近くにまで繋がりがあったのに、マジでずっと知らなかったのがアホらしすぎる」
「それもまた人生」
「名前ってそういうところ切り替え早いよな」
「それ以上にいろんな経験してるんだから仕方ないでしょ」


ムッとしたり項垂れたり朝から忙しい真一郎をよそにテーブルの上に持ってきていたご飯と味噌汁を並べてあった卵焼きなどのそばに置く。


「お弁当持っていってね」
「いっつもサンキューな」
「おかず、朝昼兼用になっちゃってるけどね」
「作ってくれるだけでありがてぇよ」


真一郎の素直すぎる感謝の言葉に名前の心臓はドキッと高鳴る。それをバレないように、と顔の前で両手を合わせて隠すように誤魔化した。


「いただきます」
「いただきます」


二人揃ってのいただきますをして二人はご飯を食べ始めた。毎朝交わす今日の予定や些細な雑談も二人揃ってのご飯も、いただきますの挨拶も毎日の変哲もないやりとり。だけど、二人はその時間が一緒にいられることが何よりも幸せだと感じている。
その証拠に二人の薬指にはお揃いのシルバーの指輪が光っていた。

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