短編 | ナノ


※1個50円の続き

あたしは高校を卒業してから専門学校に通い、調理師の資格を手に入れた。専門学校入学の時には一人暮らしをして、自分のやりたいことのために挑戦する日々。親元を離れて、自分自身に挑戦して、正直楽な道ではなかったけれどやりがいはすごくあった。…そう、あったのだ。


見慣れた父のお店。高校の頃までは手伝うことはあっても、調理場のメインで立ったことはない。でも、今あたしはそこに立っている、1人で。

室内は薄暗く、人影おらずシンとした店内。思い出が詰まっているからこそ、込み上げてくるものがあるが、今はまだその時ではないと必死に言い聞かす。


今回あたしがここに立っているのには理由がある。このお店をやっていた父が倒れたのだ。父は大事には至らず、問題なかったのだけれど、父ももういい歳であること、今回のことをきっかけに店じまいを決めたのである。あたしが社会人になったわけだから、それもそうだと納得するが、幼少期からここで過ごすことも多かった身としては、頭でどんなに理解していたとしても気持ちがついていかずに物寂しさが募るもの。

何も変わらないはずの内装。だけど何かが違うように見えるのは、自分が歳を重ねたからだろう。こんな風だったっけ、と思うことがあったり、もっと大きかった気がするのにな、と。




ガラガラッ



「お店、何時からっすか?」



店の扉が開かれる音が耳に入り、あたしは入口に視線をずらすと同時に聞こえて来た声。聞き慣れない若い男の声に、あたしは自然と警戒心が生まれる。入口には準備中という札をかけてあるのは確認済みだ。それなのに入ってくるなんて、どんな神経をしているんだろうとも思う。



「あ!おねーさん!!久々っすね…!」



面食らわせられた。びっくりしたんだから仕方ない。非常識にも扉を開けて入って来た人に実は見覚えがある。昔、このお店で見かけた彼だ。あれから何年も経っているから、お互いに歳も重ねて、見た目の雰囲気だって変わった。顔立ちも大人っぽくなって、あどけなさも無くなっているけれど、「なははっ!」って笑うところとか屈託のない笑顔はあの人変わらず。


「覚えてたんだ、久しぶり」


そう、確か彼の名前は椎名ニキくん。あの日以降、ずっと誰だったっけと自分の中にある記憶の中の引き出しという引き出しを出しまくった。なかなか思い出せなくて、もういいやって考えることも放棄した頃、ふと思い出したのは心に栄養!椎名親子の料理教室という番組だ。昔から料理が好きだったあたしは気付けば料理関係番組を見ていて、椎名親子の料理教室もその一つ。「椎名先生と良い子の約束」ってセリフは懐かしい。


「覚えてるっすよ!おねーさんのこと!あの日のコロッケは忘れらんないっす!」


本当に懐かしい、テレビでよく見ていたニコニコと人懐っこい笑み。そしてあの日のコロッケを覚えてくれているなんて、たった1回だけのやりとりだったのに、忘れてもおかしくないようなことを覚えていてくれたことに少しだけ気持がほっこりとする。


「ニキくん、元気そうだね」
「はいっす!おねーさんも元気そうっすね!一人暮らししてるっておじさんから聞いてたんすけど…?」


さっきの言い方は少し語弊がある、ニキくんとはあの日の出来事はとある1日の些細な出来事。しかしあの日をきっかけに何度か顔を合わせるようになった。たまにここに来れば、タイミングが会えば会うようになった。高校に上がってからはバイトも始めたこともあり、お店に入れる時間は一気に減る。それでも、変わらず顔を合わせれば話す仲になっていたあたしたち。途中から赤い髪の男の子も一緒にいたりして。ニキくんとのやりとりはきちんと楽しそうで安心したのも覚えている。



「ニキ、料理出来んのになんで買うんだよ」


赤い髪の彼がある日、ニキくんが尋ねていた。この日もちょうどお惣菜のコロッケを買っていて、不思議そうに見つめる彼もニキくんの料理の腕前は承知の上らしい。そりゃあ料理できるって思いたくもなるけど、コロッケとかって自分家で作るのめんどくさいよなぁ…と思っていれば「僕の命の恩人!!めちゃくちゃ美味しいんっすから!」なんて返すから、あたしがつい噴き出してしまった。コロッケを恩人て普通言わないよ。



「おねーさん、全然会わなくなっちゃって、一人暮らし始めたって聞いてたんすけど?」
「専門に通うために近いところにね。それも無事卒業したし、資格も取れたし!このままさらに修行して働いて…って思ってたんだけど、実は父が倒れちゃって」


ニキくんも知ってたのか。多分、父か母が話したんだろう。そんな父も倒れてしまったし、これを機に店じまいする予定。商店街は寂れて人の数も減ってしまった。近くに大きなショッピングモールとかができたせいもあるし、何よりそういう時代だ。母一人では大変だろうし、いい機会かなって。なるべく表情に出さないように、「父さんも良い歳だから」と笑って誤魔化した。ニキくんはどう思っただろう。













「ぼくおねーさんの料理食べたいっす!」



ニキくんの突拍子の無い言葉が飛び込んでくる。おかげであたしは理解できなかった。ニキくんはそれこそ残念そうな表情を浮かべるものの、すぐに何かを閃いたかのように表情を輝かせているし。結局言葉足らずなニキくんなので、どういう意図なのかを聞き出して納得する。その意図を捉えて考えた結果、このお店であたしの成長を見届けてくれていた常連さんたちに、1日で良い、思い出の詰まったこの店で社会人になったあたしが料理を振る舞うことを決心する。そこからは前善は急げ。父と母にその想いを伝えたら、大変だろうけどと言いつつ快く了承してくれた。







それから店を開く日をあらかじめ決めておき、あたしは商店街でお世話になったおじさんおばさんたちに挨拶周りをしたり、父からレシピを聞いたり、自分なりにも料理を考えたりする日々。


「ちょりぃ〜っす!おねーさんお邪魔しまーすっ!」


今日がいよいよその日。時間的にはまだ準備中で、開店前だというのに当たり前のように入って来るニキくんは、もう客という概念が無くなっていた。確かに準備の手伝いや相談を頼んでいたんだけどね。今日という特別な日でさえ変わらないのは逆にありがたい、どこか緊張していた気持ちを解きほぐしてくれる。


「ニキくん、まだ時間は早いけど」
「だって、おねーさんの手料理!待ちきれなくって来ちゃったっす!」


当たり前のようにカウンターに座ってるし。もう仕方ないなぁ…と言いつつも自分自身、表情が緩んでいるのがわかるから、ニキくんに今も昔も甘いな。こんなやりとりも今日が最後…。



「ニキくん、料理できるの知ってるから、」



今まで相談に乗ってもらって、味のチェックもしてもらってたから初めて食べさせるわけではない。だけど、今までのは所謂父の味。父の味になっているか、ニキくんはびっくりするぐらい的確に助言してくれる人だってことも知っているから、緊張と不安を少しだけ抱えながら一つのお皿を差し出した。



「口に合うかわからなけど、ニキくんにたくさん助けてもらったから」



ニキくんと出会うきっかけになったコロッケ。あの日は父の作ったものだったけれど、今ここにあるコロッケは一から全てあたしが作り上げたもの。揚げたてで、まだ熱もこもっているそれ。ニキくんは嬉しそうに目を見開いて、箸を握り、そのコロッケを口に含んだ。はふはふ、としながら食べる姿は無防備で無邪気。大きくなっても可愛らしさがあって癒される。



「美味しいっす!揚げたてホクホク!これがおねーさんの味っすね!」


さすがニキくんだ。そう、あたしはあえて自分の味付けでこのコロッケを作った。本来なら出会いのきっかけである父の味付けのコロッケを作るべきなのかもしれないけれど、ニキくんに今のあたしを知ってもらいたくて。でも、コロッケだけで気づくかなぁ…と心のどこかで思ってしまっていたけれど、それも取り越し苦労。常にニキくんはあたしの予想の外を行く。



「自分の作ったもの食べて笑顔になってほしいから、そう言ってもらえて嬉しい」



美味しい、それは料理人だったら誰もがうれしい一言。だからあたしは料理人になろうと思ったんだ。本当ならこのお店もあたしが続けられたらいいんだけど、技量的にもまだまだだし、商店街でやっていくのは厳しいからなあ…。今日を終えたら、その後は?父が倒れてから、目まぐるしくドタバタしていたせいで、全く考えていなかった。料理人になりたいと思って、調理免許も取ったのに。


「おねーさん、職探しするんすか?」
「そうだね、店じまいしたら働き口、ちゃんと探さないと」



モグモグとコロッケを咀嚼しては飲み込み、喋ったかと思えば、再び咀嚼をし始める。ニキくんの咀嚼のタイミングでぼんやりと考える明日からのこと。本当なら今日が終わるまで明日を見ちゃいけない気もするけれど、先のこと考えてしまう性格だから仕方ない。















あの日の不安は何処へやら。

父のお店で一日限りの催しは慣れないことも多く反省点もありつつ、結果としては無事終了。最後はあっという間だった。気付けば時間が過ぎていて終わってしまったって感じ。それから、また不安と悩みを抱えるつもりだったのに、今のあたしはカフェシナモンにいる。



「あれ、おね〜さんじゃん」



ちなみに客としてではない、カフェシナモンのエプロンをしている、ここの店員として。ここは商店街とは違う。だけど、明らかにおねーさんと呼んだ声はあたしに向けてのものだと、思ってしまった。あたしに気付いて声をかけてくる人がいる方が珍しいのに、目を向けてなるほどと納得させられる。



「えっと、燐音くん、だっけ」
「ひさしぶりだなァ」



ニヤリと笑みを浮かべる赤毛の髪の彼、昔ニキくんと一緒にいるのを何度も見かけた燐音くんだ。昔はもうちょっと可愛げがあったように記憶してるんだけど、人の成長って怖い。



「ちょっと、燐音くん。お店なんで静かにしてくださいよ〜?!」
「うるっせェな!ニキのくせに!さっさと飯作りやがれ」
「んな、横暴な…!」


ニキくんの足を軽く蹴るようにあしらう燐音くん。お店だと言うのに、この2人にTPOという概念がないのだろうか。燐音くんの行動もそうだけど、ニキくんも店員としてはダメだよね。そのうち店長に怒られるんじゃないかなって思いつつ、あたしだけでも静かにしてようと厨房へ戻っていったニキくんをぼんやりと眺めながら心に決める。ニキくんがどうやら燐音くんのご飯を作るようなので、あたしは片付けでもしようかなと手待ち時間にすることを見出そうと思考を働かせていれば、テーブルに肘をついてニヤニヤしている燐音くんと目が合う。なんか怖い…。


「ニキのやつ、おね〜さんに会えなくて寂しがってたんだぜ?」
「…ん、ぇっ?」
「ニキは何よりも食が大切だからなァ。そんなニキがまた会えた!!!って大騒ぎしてたんだからよ、」


燐音くんはやっぱり変わった気がする。目を細めてニヤリと笑うその表情にあたしの心が揺さぶられる。


「はいっ、燐音くん、!さっさと食べて帰ってくださいねっ!?」
「へーへー。いただきまーす」


料理を作ってきたニキくんが再びここに戻ってきた。テーブルに燐音くんのために作った料理を置いて、出来立てのそれから湯気がふわふわとしている。


「名前ちゃんも燐音くんの相手しなくて良いんすからね…!」
「あ、う、うん」
「へぇ…言うじゃねェの」



昔はこんな子じゃなかったのに。


もっと素直と言うか天然というか、無垢っていうべきかな。そう印象だったのにな。

「相当嬉しかったんだろうな」

ニキくんが来る直前、燐音くんに言われた言葉が頭の中で響く。


深い意味…はないと思いたい。


気付けば名前で呼んでくれる理由も。

ここに働けるよう紹介してくれたことだって。

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -