短編 | ナノ


※あなたを思って吐き出す花の真一郎視点


本当にたまたまだった。仕事の休みの日、月の支払いやらなんやらが溜まっていて、こういう時じゃないと行けねぇからまとめて溜め込んだやらなきゃいけないことをこなしていた。一つ、一つとやらなければならないことを片付けていき、やっと終えた時には午後の時間にあっという間になっていて、時間経過の早さに肩を落とす。休みの日はこうやってなくなっていくんだよなぁ…と止まってはくれない時間。せっかくの休み、わかっているけれど流石に俺もそろそろ一息つきたい。そう思ってバイクを走らせ、どこかの店に入るか、もしくはコンビニに立ち寄って何かを買うか、と思っていた時だった。

ふと視線に入ってきたのは名前だった。歩道の無い道路の端っこを律儀に歩く名前は、俺の存在に気づいていない。いくらこっちに歩いて来ているとは言え、遠いしこっちもメット被ってるしな、そう思ってすれ違う前に声をかけようと思っていたら、名前が突然駆け出して、すぐそばにあった道へと曲がる。あまりにも突然で違和感を感じた俺は、名前の行った道に吸い込まれるようにバイクの行く先を変更。人の足ではすぐにいなくなるはずないのに、名前の姿は消えていて妙な違和感を感じる。何かあったのか、具合が悪かったのか、それなら放っておくわけにもいかず、もう少し探してみようと思った時、それはすぐに解決する。たまたま近くにあった神社の入り口入ってすぐのところで背中を丸めている名前の後ろ姿を見つけた。バイクを止めて、急いで駆け寄り声を掛けようとしたけど、俺にはそれができなかった。名前の嗚咽のような咽せ返る声と苦しそうに丸める背中。そしてボトリと音を立てて名前の影から見えたのは濡れた黄色っぽいオレンジっぽい花だった。それを見た瞬間、俺は声を失い、我を失い、何もできずに立ち止まって、名前に気づかれないようにその場を立ち去った。



今、世間では花吐き病という謎の流行病で話題は持ちきりだ。性別、年齢問わず突然、花を吐く。その花は人それぞれ異なり、花を吐いていない者が触れればそれは伝染するという。原因は不明。医者、研究者たちが原因の究明に尽力を尽くしていると日々、メディアは報道していた。そんな訳のわからない病気に名前がかかっていたことを知った俺は、あの時そばに駆けつけてやれればよかった。原因がわからないと言われていても無理やり病院に連れて行くべきだった。そうしてやりたかった、けど。
家に帰宅すれば学校が終わったらしいエマが既に家にいて「真ニィおかえり〜」とすれ違いざまに声をかけてくれる。「おう、ただいま」となんとか笑顔を繕って悟られないように不自然に思われない程度で足速で自室に向かった。


「マジかよ…」


部屋に戻って早々俺は全身の力が抜けたかのようにズルズルと扉を壁にして身を預けて座り込む。頭を抱えてうずくまる体。脳裏にはまだ新鮮にインプットされている名前の後ろ姿と嗚咽する声。思い出しただけでも胸が痛くて、ぎゅっと胸の辺りを握りしめた。




名前とは腐れ縁だ。所謂幼馴染。と言っても、本当に近所に住んでいて一緒の小学校、中学と過ごしてきて他のクラスメイトよりは俺の家のことを知っている立ち位置。特段中のいいヤツらを除いて、他の奴らと比較して距離が近い異性、それぐらいの関係だ。そんな名前に俺は心地よさを覚えつつ、どことない安心感をもらってずっと甘えてきた。喧嘩した時だって、失恋した時だって、ふとした時、少し離れた位置に必ずいる名前を当たり前に思っていたから、これが名前を好きだという気持ちだったと自覚した時、互いに歳を重ね過ぎてしまい、当たり前が逆に今重荷となって重圧をかけてくる。名前は所詮家が近所の幼馴染程度にしか認識していないだろう。だから、この距離感でいつだっていてくれたはずだ。近くなればなった分だけ、相手を頼ってしまったり、迷惑をかけやすい。そうならないための一定の距離感がそこにあって、俺は今更それを飛び越えて手を伸ばすほど勢いがある子供ではなかった。だから、ずっとこの距離に甘んじて、万次郎とエマを理由に独り身でいることは仕方ないと言い聞かせていたのだと思う。万次郎もエマも「恋人作らないのか」「結婚はいいのか」とか無駄に急かしてくる時だってある。「俺はいいの」ってはぐらかして、いつだってそのやりとりは終了させてきた。心のどこかで、名前だって一人だしな…とぼんやり思いながら。まだ大丈夫って言い聞かせて。


「真」
「んー?」


名前に名前を呼ばれて、俺はいつものように反応する。過剰でもなく、あくまで平常心を保っていつもと同じを装って。俺を呼んだ名前の顔色は良いとは言えなかった。きっと今日も変わらず名前は花を吐いているんだろう。自分だって大変なのに、「最近、何かあった?」と聞いてくる名前はなんてお人好しなんだと思いながら、俺は「何もねぇよ?気にしすぎだって」と嘘を吐いた。名前にこれ以上、俺なんかが負担をかけるわけにはいかない。元々顔色の悪い名前の表情が少しだけ曇ったように見えたけれど、これは俺だって譲れねぇんだわ、ごめんなって心の中で呟いた。


バイク屋の客から、ふと噂を聞いた。その人はどうやらマスコミ関係の仕事をしているらしい。「花吐き病の原因、わかったらしいよ」確かにそう呟いた。そんな情報をこんなところで言って良いのか、と思ったがそれ以上にその真実が本当ならば原因が知りたかった。ずっとわからないと言われていたことの情報が得られる、場合によってはそれで病気が治るかもしれない、藁をも縋る思いでいたのにその人から聞かされた情報を聞いて俺は全身の力が抜けるのがわかった。


「今度エマと出かけるんだけどね」


その情報を得てすぐだった。休憩兼ねてコンビニに行く途中にバッタリ、名前と鉢合わせしてゆっくり歩く。というよりは俺の周りだけ時間が異様に遅い気がした。何も変わらないはずなのに、なんとも言えない感情がぐるぐると渦巻いてそれが体感を鈍らせていく。名前はそんな人の気も知らないで、今度エマと出かけることを俺に打ち明けてきたから、喉に何かがつっかえた。


「アイツがくっついていると、名前も好きなことできねぇだろ」


つっかえたのは俺の感情。本当は打ち明けたい本音。だけど、この気持ちは今の名前に必要ないもの。名前に必要なのはもっと別にあることを知っている。一線を引いていても、距離が例えあったとしても、名前の性格上この距離感は気になんねぇんだとしたら、名前の中の認識として、この距離感の俺らでさえ気にしてしまう対象に入るのならば、俺らは名前のためにもこの距離感からさえ出ていかなければならない。だから俺は「名前は自分のこと優先して良いからさ」とずっと言葉にしないでいた言葉を声にする。


「幼馴染ってだけで、別に良いんだよ、んなに付き合わなくたって」


ずっと言えなかった、言いたくなかった言葉は、案外するりと嘘の笑顔を貼り付けていうことができたのは、これが名前を思ってだったからだろう。




本来ならば仕事の日なのに、俺は初めて自分の都合だけで店を閉めていた。店のシャッターには臨時休業の張り紙をして、店の事務室に引きこもっている。タバコを取り出しては火をつけて、ボーッとするだけ。口に咥えたまま、モクモクと立ち上がる煙。本当に咥えているだけで、吸い込みもせずにいれば、我に返る度短くなったタバコの本体部分と燃えた分だけ灰になったそれを見て、灰皿に押し付ける。そしてまた一本タバコを取り出して咥えての繰り返しだ。何も考えてはいけない、だって考えると脳裏に浮かぶのは名前のことで、あの日見た花の色も小さくなった背中も未だに忘れられない。それを思い出そうとするならば、俺も名前と同じように噎せ返ってしまうから。

事務所の棚に並べられた白と薄いピンクがかった花たちが視界に入る。綺麗で可愛らしい、のに見ていて苦しくなる花。部屋にもこの花はいくつもある。見ていて苦しいのに、その花を蔑ろにできないのは俺の気持ちの問題だろう。
携帯の着信音が鳴り響く。店は臨時休業にしていても、普段は営業している日。なので仕事の電話であれば出なければならない。正直、こんな時に無理矢理にでも外面作って対応ほどしんどいものはないが、俺も良い大人だ。そんなこと言ってる暇はない。携帯を取り出して、画面に映った名前を見て俺は一つため息をついた後、通話ボタンを押して耳に当てた。


今思えば何やってんだろって思えることだった。慌てて飛び出して、気づいたら走り出していたし、途中でバイクのことを思い出したけれど、再び店に戻ってなんて時間はももったいなく感じたからそのまま行く事にした。電話の相手はエマ。確か今日は名前と出かける火だと言っていたはずなのに、電話越しのエマは涙声で動揺していて最初はちゃんと聞き取れなかった。「っ真ニィッ」って言葉に詰まるエマの様子から、何かがあったのはすぐに理解できたし、聞かされた内容は俺の中で感情をかき乱すには十分の出来事だった。見慣れた玄関の前、ここのボタンを押すのは今が初めてではないのに、心なしか指が震える。もし、ここでなければ何処にいるんだ、と思いながら俺は僅かな期待を胸に反応を待つ。だから、家の中から僅かに物音がして、扉が開いた時、自分が願っていたくせに本当にいたという気持ちととりあえずの安堵の波が一緒に押し寄せる。名前は俺の姿を見るなり扉を閉めようとしたけれど、それを静止して家の中に問答無用でお邪魔した。


「病院、なんで行ってねぇの」


名前はあくまでシラを切ることにしたのか、どうしたのって聞いてくるから、今更誤魔化すなって思った。エマから聞いたと告げれば、瞳が少しだけ動揺したように揺れるのを俺は見逃さなかった。なあ、俺言ったよな…、なんで。
言いたいことは山ほどある。病院に行っていないこともそう。俺らのことを気にしなくて良いって俺は言ったし、名前だって知ってるはずだろ、お前の病気の原因。今やテレビをつければやっている話題で、知らなかったとしたらどんだけテレビを見ていなかったんだって思うし、わかってて、なんで動かねぇの。全部ぶつけてやりたい、だけど名前が突然蹲って吐き出したせいで俺の言葉はかき消される。ボトリと目の前に現れたのはあの日と同じ、違うことと言えば、今回は俺の目の前ではっきりと名前の口から吐き出された黄色とオレンジの混ざった花がそこにあった。名前の中から出てきた花。名前の気持ちが形となった花。名前がずっと見ているであろうヤツを思って吐き出した花。何もわからないくせに、それに触れれば何か理解できる気がして、つい手を伸ばしてしまっていたら、名前に止められる。滅多に聞かない大きな声だった。そんなに大切なのか、大切だよな…、だって名前が吐き出してしまうほどの強い思いが込められた花だ。本来ならば見えない気持ちという具現化できないものを形にして見てしまって、俺が今更何をできようか。俺がどんなに名前を思っていようとも、これは所詮枷にしかならない。俺こそ、塞いで閉じ込めて悟られてはいけない。はずなのに、あろうことか体は脊髄反射でそれをしてしまう。


「し、ん…だれ、を」


頭上から名前の震えた声が耳に入る。それもそのはずだ。名前が吐き出した花の横に転がるもう一輪の花。白くピンクがかった花は俺の部屋や店の事務室にもあるこの花は今紛れもなく俺が吐き出したものだった。

名前は信じられないものを見る目で、口元を手で覆い目を見開いて俺を見つめる。そんな顔させたくなかったのに、名前の笑った顔が好きだったのにさ、あぁバカだわ俺。誤魔化しきかねぇのわかってお決まりの笑顔貼り付けてみたけれど、名前には効かない。


「なんで、名前が泣くんだよ」


俺だって泣いてねぇのに。なんで名前がなくの。おかしいだろ。だからそんな顔しないでくれよ…。俺はお前の何者でもない。何もしてあげられないのに、距離を置きたいのに、名前に幸せになってほしい、ただそれだけなのに名前はあろうことか「真はなんでいつもそうなのッ。辛いも苦しいも言わないでッ、そんな風に笑ってられるのッ、真に幸せになってほしいのに…っ」と言い出すから、俺の中のモヤモヤが燻り募る。


「辛いことも苦しいって思うこともあるけど、これでも頼って来たつもりだよ」
「もっと頼らなきゃ、真は頑張りすぎてる」
「じゃあ、もし頼ったら、お前はどうなるの?」
「どうって、…」
「俺がお前を頼ったら、気丈に振る舞ってるおまえはどうすんの?」
「あたしはそんな気丈に振る舞ってないよ」
「うそつけ、いつだって気丈に振る舞ってるじゃん。神社にお参り行って神頼みばっかり。叶えてくれるわけないのに、いつだってお願いしてさ。お前こそ拗らせてるじゃん。そんなこと、俺にはできねぇよ」


こんなに腹を割って話したのは初めてかもしれない。名前がぶつけてくる言葉に俺も溜めてた気持ちを乗せて返せば、名前が少しだけ動揺した。だから俺はずっと名前に黙っていたことをぶつける。初めて花を吐き出したところを見かけたあの日、それ以降だって何度か名前が花を吐き出す瞬間を俺は見ていたんだ。名前が心配だからこそ。


「俺は確かに辛いし苦しいけど、弟たちのためなら頑張れるからやってるの。だからそんなこと言わない欲しい。俺はお前まで抱えてあげられないから、そんなふうに苦しんでても何もできないから、そんなお前を見ていたくない」


名前は驚いた顔で俺を見つめる。俺の辛い苦しいは全て家族のため、自分がやりたいからやっている。だけど名前は?名前の苦しさは訳が違うだろ。名前が求めてるところに俺がいないのなら、せめて俺らのせいで身動きが取れなくて悩んでいるのなら、それを解放してやんなきゃなんない。


「俺には幸せにできるほどの技量も器もがないから、自分でこもってないで掴んでほしい」


誰かを思う名前の幸せは俺が与えられるものじゃないから。「俺らのこと全部いっそのこと忘れてよ」って、そう伝えたくて、そう伝えるために俺は呟く。


「…名前は俺に幸せになってほしいの」


意地の悪いことだってわかってる。
ごめんな、これが最初で最後だから。離れる前に言わせてほしい、


「なら俺のこと好きになって」


自分でも驚くほどか細い声だった。
こんな風に打ち明けるつもりなんてなかったのに。俺がずっと黙って抱え込んでいたせいだ。自分の中にこもっていたのはどっちだよ、笑えるよな。こんな気持ち抱えてずっと黙ってそばにいてさ。


「名前がそんなになるぐらいの相手になれるようになるから、俺のことを本気で思うなら俺のこと好きになって」

些細なことで話して笑ってくれるそんなやりとりが嬉しかった。
少し離れたところに絶対いる名前に安心していた。
いつだって手が届くって思って、油断して甘えて全部自分都合だったことに気づかなくて。


「誰かを思ってずっと花を吐き出す名前、もう見てらんねぇよ…」
「し、ん…」


だからきっとこれはずっと自分の気持ちにわかっていて黙っていた自分の罪。甘え過ぎていた自分への罰。
わかってるから、わかってるから最後に言わせて。腕の中に閉じ込めたことも全部これが最初で最後だから許してほしい。


「俺のそばにいて、好きって言って」
「しん…」
「…て、ごめんな…ワリィ、」
「や、まって、」


もっと早めに伝えてたら、こんな風にはならなかったのかな。とか。もっと違う未来に行ってたのかな、って思っても全て後の祭り、今更何を思っても遅いたらればが脳内で繰り広げられる。最後だって言いながら、思いっきり抱きしめて、閉じ込めて我ながら未練がましい。名前の困惑した声に現実へと呼び戻されて、ハッとさせられる。
もう後戻りは何もできない、名前に言っちまったから。力を込めていた手を緩めてそっと離れる。きっと今名前の顔を見たらまた離れられなくなりそうだったから、目を合わせないようにと、


「真ッまってッ」


思っていたら、名前に腕を掴まれて動きが止まる。必死に名前の小さな両手が俺をギュッと力を込めて掴む。


「真、好き…ずっと、好き…」


何を言われても聞かないつもりだったのに、名前は最も簡単に俺の決意を壊していく。今聞こえたのが都合のいい幻聴ではと思ったのに、俺はあれだけ決意したのに思わず名前の顔を見て驚いた。
名前が俺をまっすぐ見つめて、ボロボロと涙をこぼしていたから。


「し、ん…好きなのッ…」


俺の腕の中に戻ってきて、胸の中にすっぽりと収まってしがみついて体を震わす。そしてまた名前は呟いた、「真が好き」と。




結局俺らはずっと一緒に居過ぎたせいで、時間に比例して気持ちが膨らみ過ぎていた。お互いのことを知り過ぎたせいで、頭でばっかり物事を考えてより複雑にして自分達を動きにくく自らがしていたという話。
結果、思いと考えはより自分達の行動を制限し、自分達の性格も相まって知らず知らず枷へ変化していた。
俺が昔みたいにもっと頭で考えるより行動していたら、もっと早く俺たちは幸せを掴んでいだんだろうな。大人になるってどんどんいろんなことを考えてしまって嫌になるって本気で思った瞬間だった。子供の頃のような勢いがほしいとこの時ばかりは思ったものだ。



柔らかい温かさに包まれる感覚が心地よくて目を閉じて蹲っていたら、「しん、」って名前に名前を呼ばれた。ずっと触れたくても触れられなかった手を伸ばしても届く距離にいた俺たちは、いつだって手を伸ばして触れられる関係に変わった。俺の部屋でのんびり過ごすこの時間だって、ずっと欲しかったもの。安定したリズムで聞こえてくる名前の心臓の鼓動が確かに今ここにいると教えてくれる。


「名前」
「なあに、」
「すげー好き」
「うん、あたしも大好きだよ」


たくさん遠回りして勘違いと誤解を繰り返してことを大ごとにした俺たちは学んだ。そばにいるだけでは伝わらないこと。きちんと言葉にしなければならないことを。だから、今日も言葉にしよう。後々後悔しないために、いつだって。

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