短編 | ナノ


自分が信じていたものが離れていく寂しさを知っているだろうか。
自分が信じていたものが、偽りだったと知った時、人はどう思うだろうか。

脳裏に焼き付いた母親の涙ぐんだ顔と「一人なんだから強く生きなさい」という言葉。

そして次に思い出すのは「アンタは他所の子、血がつながっていないんだよ」と言われた言葉。


わかるだろうか、突然人が予想していないことを打ち明けられた時、どんな気持ちになるかなんて。

わかるだろうか。



施設に入れられたオレが出会ったのは二個上の名前だった。いつもニコニコしていて、周りの奴らから慕われていて、ちょっと眩しいぐらいのヤツ。オレが施設に来て早々、話しかけてきたのも名前が最初で警戒していたオレを気にもせずズカズカと入り込んでくる変なオンナ、それが最初の第一印象だった。兄が欲しいと思っていた、ある日施設にオレを訪ねてやってきたシンイチロー。オレの兄だと言い、いろんなことを教えてくれた。バイク、ケンカ、格好の付け方、そして笑い方いろいろ。
あちこち連れて行ってもらった日、施設に帰るのは少しだけ寂しく感じた。楽しい時間が終わる、また離れなければいけない時間。あぁ、オレは何故ここにいるんだろうかと思わずにはいられない。そんな夜、決まってオレの元へやってくるのも名前だった。


「今日は何したの?」


オレの話を聞きたいと言わんばかりの興味関心を最大限に表現したような顔で見つめてくる。ワクワク、キラキラ。そう言った瞳が少しだけ気恥ずかしくて、少しだけ嬉しくて、オレの楽しかった時間を思い出して良いと、まだ終わってない、虚無の時間を忘れさせるようにしていてくれていたのかもしれない。名前は何一つ、否定せず一緒に笑って聞いてくれていた。やらかした話をすれば、名前は困ったように笑って「イザナは綺麗な顔をしてるんだから、せっかくもらったものを傷ばっかり作っちゃダメだよ」ってオレの頬を撫でながら言っていたし、それをくすぐったく感じて適当に誤魔化したことも覚えている。


ある日のことだ。
いつものようにオレのところにやってきて、シンイチローとの出来事を聞きにきた名前。いつものようにニコニコと笑って話を聞き、共感と肯定を繰り返す。話し終えた頃、訪れる沈黙はさほど嫌ではなかったはずなのに、この時だけは何となく肌で違和感を感じた。なんとなく、しっくりこないような、型にしっかり嵌っていないような無理やり詰め込んだような違和感。だけど、その答えは見出せず、モヤモヤしていた時、名前がなんとなく呟いた。


「イザナは、血の関係ってどう思う?」
「血の関係?」


名前の言うことは、抽象的で何を言いたいのか分からなかった。だから、何言ってるんだって顔して名前を見ていただろうし、名前もそんなオレを見てように笑うだけ。視線をオレから外して何もない、何も変わらない部屋の中なのに上を見上げて語り出す。


「そう、誰と血が繋がってるとか、どうとか。あたしはね、血が繋がってるかどうかだけが大切だとは思ってないの」
「フーン」
「だって、血の繋がりだけ気にしてたら、ここの施設のみんなのことだって否定することになるでしょ。もしかしたら迎えてくれるかもしれない家族のことだって。そう考えたら、あたしはお互いがどう思うかが大切って思いたいんだ」


名前がなんでこんなことを突然言い出したのかオレにはわかんなかった。名前はいつだって自分のことより他人のこと。だから、珍しく自分の考え方を言ったことに多少なりとも驚いてしまったのか、なんて返すのが正解なのかも分からず、「フーン」って返事しかできなかった。




名前が、この施設を出ることが決まった。引き取られるらしい、相手についてはちゃんと聞いていないけれど、子供のいない家庭に引き取られるとのこと。施設にいた奴らはみんな名前がいなくなることを悲しんで、それをまた名前も困ったように必死に笑顔を繕っていて「また会いに来るからね」と言った。気丈に振る舞った声で、だけど名前の目も口元も震えていて、必死に堪えているのは見れば一目瞭然。小さいヤツは、最後に名前と寝たいとわがままを言ったりもして、そんなヤツらを名前は一緒に添い寝してやっていた。オレと言えば、逆に眠れなくて、窓から外を眺める。大して星も見えねぇ空、外の街灯のせいで暗いと思えない夜空を
見上げ、ボーッとするだけ。


「眠れないの?」


人の気配はあった。なんとなく、そうかと思っていたら声でそれは確信に変わる。見なくてもわかる、一緒に過ごしてきたのだから。


「名前こそ」
「まあね…、明日でここを出るって思うとね」


珍しく、弱気なところと本音を曝け出す。そう思ったことを言えるほど、空気が読めないオレではない。たとえ言っていたとして、次に返ってくる言葉に何を言えようか。名前が何と思って受け止めるだろうか。そう思ったら、何一つ予想もつかないオレは何も言わないのが一番だ。


「イザナは無茶しちゃダメだよ」
「どういう意味だよ」
「そのままの意味だって」


名前はクスクスと笑い出す。唐突になんだよ、そう思って切り返しただけなのに、笑われる意味がわかんねぇ。


「シンイチローくんにいろいろ教えてもらってるみたいだけど、ヤンチャもほどほどにねってこと」


と名前はオレのなんなんだよ。訳わかんねぇな、最後まで。モヤモヤした感情が胸の中で渦巻いて気持ち悪い。だけど、どことなく嫌いじゃないそれがスッキリしなくて名前の方は見ないように、と外をひたすら見つめてた。



「いつか、イザナのこと迎えに来るね」
「なんだそれ」
「シンイチローくんが来てくれるけどさ、あたしも会いに行くねってこと」


今思えば、名前のこの時の言葉はどういう意味だったんだろうか。
シンイチローがこの施設に来ると言う意味で、会いに来るという意味だったのか。
シンイチローが迎えに来ると言う意味で、迎え入れられた俺に会いに来るという意味だったのか。





そんなことも忘れてしまうぐらい、月日は経った。
いろんなことがあった、ネンショーに入って出てきて真一郎に会いに行って、母親に会って。

兄だと思っていた。

だけど、全部偽りだった。何一つ繋がっていなかった。


「知ってたんだろ、真一郎!!」
「あぁ…」


雨の日、オレは真一郎を殴った。全てをぶつけた。知らなかったこと全部、吐き出してぶつけて、全てを真一郎は抵抗することなく受け止める。


「血のつながりなんてなくたって、俺とオマエはなんにも変わんねぇハズだろ」
「はじめっから、孤独なら耐えられた…のに」


なんでだよ、知ってて。なんで、ずっと渦巻く感情はドス黒い渦。どんなに雨に打たれても言葉で吐き出してもそれは無くならない。収まることなく、むしろどんどん溜まっていく。ほっといて会わずにいればこんな気持ちも知らなくて済んだ。知らなくて良かったことを知ってしまってから、全てが嘘だったと、偽りだったと知った時、いろんなものが崩れていく音がした。もう、何を信じれば良いのかもわからず、オレは…っ、


「名前ちゃんはそんなこと言わなかっただろ」


だから、真一郎の口から名前の名前が出た時、正直驚いた。オレが名前に真一郎の話をした記憶はある。真一郎に直接的名前の話をした覚えがない。もしかしたら、記憶にないだけで話したかもしれないけれど、真一郎の言葉が何故かオレの中にグッと突き刺さる。


「血のつながりよりも、お互いがどう思っているかが大切だって」


真一郎のその言葉は、昔名前が言った言葉。オレが真一郎に連れられて出かけた日にいつものように語った後、ちょっとだけ様子のおかしい名前が言っていた。顔色も変えず、表情も変えず、真っ直ぐオレを見つめる真一郎は、ザアザアぶりの雨音にも負けず大声で確かに言った。


「ずっとイザナのこと気にかけてた、わざわざ俺のところまで会いにも来てさ」
「…な、」



◆◆◆


「イザ、ナ…?」


久々に聞いた声はあの頃と変わらず。それなのに、髪の長さも背格好も雰囲気でさえ、自分の中にいた名前と印象が変わっているではないか。オレだって髪は伸びたし、背だって伸びた。声も低くなって、名前が知ってるあの頃のオレではない。それでも、オレを見た瞬間、時が止まったかのように静寂さに包まれた気がしたし、名前は目を見開いて驚いた表情でオレを食い入るように見つめている。



真一郎に会ったあの日、きっと名前の名前が出なければオレがここにいること自体がなかったと思う。ずっと塞いでいた箱を開けたのは真一郎だ。正直、思い出さない方が良かったとも思うけれど、思い出してしまっては後の祭り。思い出せばいろんな記憶が呼び起こされて、オレの知らない間の名前を真一郎が知ってるって思ったらすごくムカついた。ずっと一緒にいたのはオレなのに、って。真一郎に場所とか聞いてなかったら、オレはすぐに今の名前に気づけたのかな。気づけたと言いたいけれど、こんなにも雰囲気が変わると確信が持てるか不安になるし、オレよりも先に今の名前を真一郎が見ていたと考えたらやっぱりムカついたからまた殴るしかねぇ。



「ちょっと…時間くれねぇか」



そんなモヤモヤと苛立ちを抱えながらも、名前に問い掛ければ、昔と変わらぬふんわりとした笑みを浮かべて頷いてくれた。
オレがやってきたのは見知らぬ家と見慣れない表札の家。インターホンを押す時、ガラにもなく緊張もした。本当にここであってるのかと、ずっと疑ったまま出て来たヤツに、要件を伝えれば入れ替わりでやってきたのが名前だった。ここで話すのもなんだから、オレは外に呼び出す。ここの地理に詳しい訳じゃねぇけど、適当にぶらぶら歩いて来たのは公園だった。オレたちは適当に目についた空いているベンチに腰掛けて話の続きを再開する。



「真一郎から聞いてると思うけど、」
「うん」
「オレ、ネンショー入ってて出てきてさ、」


名前と別れた後の話をいろいろした。暴力、ネンショー入り、母親に会ったこと、真一郎に裏切られたと思ったこと。胸の中に抱えた気持ちも込みで伝えるか悩んだけれど、話をする上でしなきゃいけないと思った。うまく吐露できてるかなんて関係ない。とりあえず伝えたかったことを全部吐き出すように言葉にしていく。


「真一郎くん、喋っちゃったかあ」


名前は昔みたいに全部一字一句聞き逃さないように耳を傾けて、優しく頷いて傾聴して。オレの話が一区切りつく頃、困ったように笑って呟いた。


「真一郎くんにね、聞いたの。施設出る前に、たまたま真一郎くんがイザナに会いに来た時、あたしが先にあった時が会ってね」


それは寝耳に水。


「あ、イザナの言ってた真一郎くんだって思って。ひょんなことでちょっと話し込んで、その時に血縁関係のことは聞いてたんだ」
「んだよそれ…」
「言えないよ、あたしには。イザナ、本当に嬉しそうだったし。だから、言ったんだよ。血の繋がりは関係ないって。血の繋がりが何になる、どんなに繋がっていてもそこに心がなければあってもなくても一緒。むしろ枷になることだってある。だったら、血の繋がりがなくても、自分のことを思ってくれて、自分が大切にしたいと思うならそれで良いじゃないって」


あの日聞いた名前の言葉、同じ言葉のはずなのに、込められた気持ちはあの時よりも重く心にのし掛かる。


「イザナが少年院入った時、あたしイザナに会いに行ってね。そしたらいなくて、真一郎くんが教えてくれて。イザナにはちゃんと笑っていて欲しくて、真一郎くんに言ったんだ」


イザナはきっとその事実を知ったら、すごく悲しむかもしれない。だから、言ってあげてほしい。
昔あたしがイザナに伝えた言葉を思い出してほしいって。人は気持ちだよ、血の関係も超えていけるって。


「あたしがイザナを迎えにいけたら一番良かったけれど、今のあたしには無理だからお願いしますって」
「…名前、」


びっくりするぐらい清々しい笑顔だった。面白くない、何でそんな笑顔なんだよ、何で何で、真一郎も名前も。胸に込み上げてくるモヤモヤが、黒いモヤが胸の奥からドッと溢れる。


「…迎えにいくとか行けねぇとか、真一郎に会ったとかなんだよ…。そんなこと言うなら、さっさと会いに来いよ。迎えに行くとかじゃなくたって、会いに来ることはできんだろうが」


意味がわからない、真一郎も名前も。迎えに行くだの、どうこうって。オレの気持ちを汲んでるつもりなのか勝手に決めんな。そう言いたかったけど、言えなかった。多分、真一郎と一悶着起きる前のオレだったら、構わず言ってたと思うけど。


「名前に会う前に、名前の母さんに会ってさ。似てねぇのに、すっごいニコニコ笑っててよ、雰囲気とかなんとなく似てるって思った。名前の名前呼ぶ時とかもスッゲェ優しい声してて、血縁関係じゃねぇのに、本当の親子みたいだった」
「うん」
「名前に言われても真一郎に言われてもわかんなかったけど、ここにきて解った気がする」


名前と真一郎が言いたかった血の繋がり以上の気持ちってヤツ。まだ新しい、名前の所謂母さんってヤツの事を思い出しながら、あぁ、こういうことを言ったかったんだって、ずっと理解できなかったことなのこんな些細なことでストンと理解するとはな。


「解ってくれたなら良かった」
「名前が教えてくれてたからな」
「ふふっ、言った甲斐があったってことだね」


隣で満足そうに笑う名前。まるでこれで一件落着のような反応だけど、そうじゃない。オレが言いたかったのはこういう事じゃないってことを解らせなければならない。


「名前」
「なあに?」
「オレはネンショーにも入ったし、暴力ばっかで学もねぇ。正直、立場も過ごしてきた時間も正反対だと思ってる」


真一郎に話は聞いていた。名前は引き取られた家庭で幸せに過ごしていること。不自由なく、素敵な家族に迎え入れてくれたこと。名前には目標があって知識をつけ、良いところへの学校に行き、就職すること。全部わかった上でこんな言葉を言うなんて、オレは意地が悪いし性格も悪いという自覚もある。不器用を通り越して、マジで馬鹿なやつだなって言われても仕方ねぇ。


「名前と離れて解った、オレにとって真一郎と同じようにいろんなことを教えてくれたのは名前だったって。だから、これからもまた名前と一緒にいたい」


人の良い名前がこういうふうに言われたら、名前が困ることも自分の気持ちを押し殺して頷くかもしれないこともわかっている。って思っていたけれど、久々の名前を見たら、それもオレの思い込みだったかもしれないってヒヨってしまう。だけど、ここで言わない方が余計に後悔を生むことはわかっているから。



「イザナ、それってプロポーズ…?」
「…」
「そんな何とも言えない顔しないでよ。本当に表情が柔らかくなったね」


柔らかいって何だよ、こちとら気恥ずかしいこと口にして早く返答が聞きてぇんだわ。一瞬だけ目を見開いて驚いたくせに、いつものように微笑む名前の本心が見えなくて、どう切り返されるのかが予想できずに落ち着かねぇ。同じ時間を過ごしているはずなのに、この差は何なんだって苛立ちたくもなる。



「あたし、勉強いっぱいして良いところに就職してお金いっぱい稼げるようになって施設に恩返しできたらなって思ってた」


オレから視線をずらして公園の更に遠くを見つめる名前。先を見越したような澄んだ目はキラキラしているように見える。



「でもね、それも引き取られる前の話で、イザナに会ってから、いっぱい話をするようになって、真一郎くんにも会って思ったの。あぁ、この人のために何かしてあげたいなって」


名前は誰にでも優しかった。いつもニコニコしていて、周りの奴らから慕われていて、ちょっと眩しいぐらいのヤツ。オレが施設に来て早々、話しかけてきたのも名前が最初で警戒していたオレを気にもせずズカズカと入り込んでくる変なオンナ、それが第一印象。


「一目惚れだったのかな、どうだろう。最初はいつものようにお姉ちゃんになってあげたいな、だったんだけどね。だから、いっぱい頑張っていつかイザナを迎えに行って、それこそ真一郎くんたちから奪っちゃえ!って思ってたのに、イザナ…自分で言っちゃうんだもん」


困ったように笑うくせに、言うことが結構強めでオレの方が面食らってしまった。


「いっぱい間違ったことしちゃってても、これから一緒に気をつけていければいいよ。学がないことを気にするなら、これからたくさん学ぼう。でもそれ以上に、人生自分がどう生きられたかが大切だと思うから、イザナが笑っていける人生になるなら、あたしは喜んで隣にいさせてほしいな」



オレはどうやら知らなかったらしい。名前はかっこいいメンタルを持っていたらしいことに。それもそうか、施設で暮らして育ったオレらが、普通じゃない人生の中で生き抜いてきたんだから。一筋縄ではないかないもんだ。名前はきっとそんな部分を笑顔で隠して生きてきた飛んだ強者。きっとそんな強さに知らず知らずオレは惹かれていたのかもしんねぇな。

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