短編 | ナノ



あたしの家は小さな定食屋だった。商店街にあるパッとしないような少し古びた外観。来てくれるのは商店街の常連さんだったり、近隣の近くで仕事をしていたであろう職人さんたち。オフィス街ではない此処はそれでも来てくれるお客さんに感謝とこの近い距離感がとても温かくてあたしは大好きだった。



「名前ちゃんおかえりなさい」
「こんにちは!そしてただいまです!」



中学生だったあたしは、まっすぐ帰らずにお店に来るのは当たり前。今も店の前で近所のおばさまに挨拶をすれば、「元気だねぇ」と返してくれた。自宅にいるよりこのお店にいることの方が多かったかもしれない。だからお店のお客さんたちとは顔見知り。小さい頃のあたしを知っていてくれるから、こんな挨拶も日常茶飯事。ピークの時間はお父さんとお母さんが二人で店内を回しているのだが、昼時も過ぎて夕食までの間である夕方の時間と言えば、店内は下準備のため入口には準備中の札。代わりにお店の外に横長のテーブルを出して、並べられた惣菜たち。



「かき揚げくださーい」
「ありがとうございます!」



夕食の買い出しに商店街へ訪れる人たちのためにこうやって惣菜を販売しているのがうちのお店だ。






日も沈みかけてるからか、空気がだんだんとひんやりしてくる時間帯。お母さんは並べられたお惣菜たちを整えると手元の時計を確認した。



「名前、ちょっとお父さんの準備見てくるから、此処にいてもらっても良い?」
「はーい」



そう言ってお母さんは店の中へと戻っていく。もうすぐ夜の営業が開始する時間。お父さんの仕込みも終盤だろう。いつものルーティンだけれど、お母さんは多分こっちの現状も伝えるべく行ってしまった。別にどうってことない、いつも通りのこのお店の前で見知った顔のおじさん、おばさんたちと目が合えば笑顔で挨拶をしながら立っているだけ。



「…ったっす…」



行き交う人たちを眺めながら、ぼーっとしていただけ。何にも考えていなくて、視線だって宙ぶらりん。完全に気が抜けていた瞬間だった。耳に入ってきたのはおじさんでもおばさんでもない男の子の声。しかも気力を感じられないその声はこの商店街には似つかない珍しいものだと思う。




ふと、視線を向けた先にいたのはあたしよりも歳下だと思う。多分、小学校…中学年?高学年?ぐらいかな。少しだけぶかぶかの服を着て、トボトボと浮かない表情で歩いている。



「うぅ…僕はここで死んじゃうかも…」



死んじゃうって言葉を聞いて、普通ならどう反応する?それは大変!って?それとも、何を大袈裟な!かな?捉え方はそれぞれだと思うけれど、あたしの場合、彼が何に対してそう思っているのかわからなかったから、「何を根拠に」と言うものだった。



「お財布見当たらないし、ポケットに入ってたのは50円だけだし、これじゃ何も買えないっすよ〜っ!!!」




男の子は突然大きな声を出して首を大きく横に振った。かと思えばすぐにまた落胆、力なく肩を落とすから元気だなあと思うしかない。



「うぅ…美味しそうな匂いで溢れてる…でもそれも買えない僕…」



あたしからすれば元気だな、と思っていたけれど、どうやら彼はお腹が減っているらしい。あたしがこんなにもガン見をしているのに、全く視線には気付いてないのか、気にしていないのか。あたしの前に並べられたお惣菜たちを物欲しそうに眺めているではないか。さっきの言葉が本当なら所持金は50円。財布がないって言うのは忘れてしまったのか無くしたのか。どっちにしたって、どんまいとしか言いようがない。



「家まで帰れずに死んじゃうんだ…」



どこまでも大袈裟だなって思う。


だけど、空腹の時ほど目の前に食べ物があるのに食べれないのはとても辛いものだっていうのはあたしも理解している。彼の視線につられて目の前のお惣菜たちに目をやってみたが、豚カツ、コロッケ、メンチカツ、かき揚げなどなど。どれも透明な食品トレーに入って数百円の値札がついている。つまり、どう頑張ったって彼が買うことは難しいのだ。




「美味しいご飯食べたかったなあ…」
「あ、あの」
「…んぃ?」



お腹を手で押さえて天を仰ぐ彼。何もかも諦めたようなその表情に水を刺すのも悪いと思いつつ、あたしは思い切って声をかけた。綺麗な青い瞳が初めてあたしという人物を認識してくれて、ここでやっとお互いの目が合う。



「よかったら、買いませんか?」



あたしがそう提案したのはお惣菜で並べられていた一つのコロッケ。彼はその提案に最初は目を輝かせて今にも食べてしまいたい衝動を抑えながらもゆっくりと歩み寄ってくる。



「いいんですか…?!って、おねーさん…僕にはそれは買えないっすよ〜っ…」



完全に我を忘れていたようだったけれど、彼は自我を取り戻したらしい。輝いていた瞳も一瞬で光を失い、再び落胆する肩。「僕、50円しかないっす」と力なく呟いた。それもそのはず、あたしが差し出したトレーの中にはコロッケが3個も入っている。ボリューミーで空腹時にこれだけ食べられたらどんなに幸せだろうか。しかし金額は150円。普通に考えたら安いと思うこのコロッケたちも、所持金が50円と考えたら、それは高価なものに見えるだろう。




「50円で買えますよ」
「どういうことっすか…?」
「3個で150円だから」



あたしはトレーの蓋を止めていた輪ゴムを外し蓋を開ける。



「1個、50円なんで」


お腹減ってる人を見過ごせない。かと言って、誰にでもホイホイあげれるわけでもない。だから、あたしは店内にいるお母さんにバラ売りしていいか聞いてみたら、二つ返事で了承を得られた。だから、彼にそのまま提案している流れである。



「…食べませんか?」

「食べる!欲しいっす!!!50円!!!くださいっす!!!」



お節介だったかな、とか。こんな提案迷惑だったかな、って言ってから思ってしまった。と、言うのも彼がフリーズしてしまったから、あたしの要らぬ行動だったのかもと不安が過ぎる。だけどそれは要らぬ心配だったらしい。お腹が減りすぎて思考回路も働いてなかったのか、まさかこんな提案をされると思ってもなかったのだろう。不自然な沈黙は彼のたかが外れたような大きな声によってかき消される。




「もぐもぐっ、んぅ〜!!!美味しいっす!生き返る〜っっっ!」




彼は勢いよく50円をテーブルに置いてコロッケを一つ手掴みすると、大きな口で一口、また一口と齧り付く。少し冷めてはいるけれど、まだ若干の温もりが残るコロッケ。冷めても全然イケると思ううちのコロッケを本当に美味しそうに食べる姿にあたしは嬉しくなる。



「おねーさんのおかげで僕、死なずに済んだっす!」
「大袈裟だなあ」
「僕にとっては死活問題っす!!!」



コロッケ一つ、じゃがいもで作られた柔らかさがあり、しかも空腹時と言えばそれはもうなくなるのは一瞬だった。コロッケ一つで救われた命がある、なんて大袈裟が過ぎる。それでも彼からすれば死活問題。その表情は真剣そのものだったから、そういうことにしておこう。



「この料理、おねーさんが作ったんすか?」
「まさか。うちのお父さんとお母さんだよ、ここのお店やってるんだ」
「そうなんっすね!めちゃくちゃ美味しかったっす!ご馳走様っすよ!」



次はちゃんとお財布持って買いに来るっすから!と、言って彼は行ってしまった。制服着て立ってるのに、あたしが作ったのか?って質問は普通ならあり得ないのに、発想が小学生過ぎる。そういことを素直に思いつくあたり、純粋なんだろうな、と思った。



「名前〜そろそろこっちの準備するから、そっち片すよ」
「はーい!」



店内からお母さんに言われてあたしは外した輪ゴムを再びトレーにつけた。お財布持ってくるって言ってたから、忘れてきたんだろう。


お店にいる時も思っていたけれど、あんな風に自分の親が作ったものを美味しそうに食べてくれるのはとても嬉しいものだから。彼が言ったようにあたしが作ったものも誰かに気に入ってもらえたら、もっと嬉しいのかな。

 


「そういえば、」




彼、どっかで見たことあるんだけど、なんだったかな。


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