短編 | ナノ


八月は猛暑真っ只中で、外に出るなんてって、思いたくなる。日差しだってジリジリするし、日に焼けるし、汗かいてどんなに可愛くなれるよう準備したって一瞬で崩れるから。

夏なんて、って思うことはたくさんあっても、どんなに不満を思っても、夏が嫌いにならなかった理由はあった。


だけどそれも昔の話。


すっかり辺りが暗くなった時間に防波堤の柵に寄りかかって眺める海は薄暗く、漣の音が心地よい。陽が落ちるのも遅くなったけれど、それよりも遅い時間にわざわざ海に来るなんてと思われそうだけど、来たくもなるんだから仕方ない。


「名前」
「んー」


ずっと遠く彼方を見つめていたら、名前を呼ばれてとりあえず返事だけ返す。顔は見てないし、その後の言葉は続かなかった。なんで呼んだんだ、なんて思わない。何かを言いたくて呼んだかもしれないし、あたしが起きてるのか不安になった可能性だってある。



「起きてるよ」
「知ってるワ」


なんだ、寝てると思ったわけじゃないんだ。それもそうか、とあたしは息を吐く。あたしの横でおんなじようにずっと海を眺めているワカは毎年懲りずにこの時期、海まで連れてきてくれる。何を感じ取ってか、一人でふらりと行こうとするたびに、何処からともなく現れて黙ったままヘルメットをあたしに手渡して連れて行ってくれる。そしてずっと何も喋らずずっと海を眺めてるだけ、本当にそれだけ。潮の香りを受けて、海風を浴びて、波の音に耳を澄ませているだけの時間を過ごす。時間なんて気にしないし気にならない。ボーッとした時間を過ごして、何となく思うんだ。帰ろうか、って。口にしてまたワカのバイクで帰る。それが毎年この時期の恒例だった。

基本、喋ることなく口を開くときは帰ろうか、の時なのに今日は何故か呟いてしまったせいで、なんとなく沈黙が落ち着かなくてまた口を開く。


「旧暦の八月に水難事故が増える理由知ってる?」
「しらねぇけど」
「亡くなった人の霊が、誰かの命を引き換えに自分が生まれ変わろうとするんだって」


聞いた話だった。旧暦の八月、つまりあたしたちが見ている暦的には八月下旬ぐらいから見かける水難事故。夏だし、海に行く人も多いしって毎年なんとなくながして見がちのニュースだけれど、実際はそういう言い伝えみたいなものがあるらしい。


「だから考えたの、例えばさ」
「うん」
「今あたしがこの海で死んだとしたら、誰かが生まれ変わる魂って真一郎の可能性があるのかなって」


目の前に広がる海は薄暗くて、水面がゆらゆらと揺れている。じっと見ていれば不気味ささえ感じるのはこんな話を聞いたからだろうか。毎年見ていた海が、時間とちょっとした予備知識を手に入れただけで、全く別のものに見えてくる。今だって、見ている間に何か黒いものが出てきてもおかしくないなって思ってしまうわけで。



「たとえ真ちゃんが生まれ変われる可能性になっても、そんなの真ちゃんは望まないでしょ」
「そうかなぁ」
「むしろ怒るよ。それに、それで生まれ変わっても真ちゃんに会えるわけじゃないし、生きる時間だって違う」



たらればの話なのにワカは真面目だね。まあ、たらればでも聞く側としてはこんな話は面白くないか。ワカの言う通り、たとえ真一郎の魂が生まれ変わってもあたしたちの生きる時間と異なるわけだし、真一郎が戻ってくるわけではない。あたしたちが大好きだったあの笑顔も、声も何もかもはもう戻ってこない。



「でもさ、死んだら向こうで真一郎に会えるかも知れないよ」
「名前」
「だってあたしたちが真っ当に生きて死ぬ頃に真一郎の魂はどこにあるかな、それこそその頃には生まれ変わっていないかも知れないし、年を重ね続けた姿を見せても気づいてもらえないかも知れない」


こんなヨボヨボのババアしらねぇ!みたいな、ってあえて真一郎の口調を真似て、冗談っぽく言ってみたけれど、ワカは笑ってくれなかった。やっと見られたワカの顔だったけど、ずっとぼんやりと海を眺めたまま、あたしの方は見てくれない。


「…真一郎がいなくなって、いろんなことが変わっちゃってさ」


変わり始めたのは黒龍を下の代に引き継いでからだけど。


「真一郎がいたら、ってやっぱり思うよね」


そうやっていつだって思い出す真一郎のこと。

水難事故の話を聞いて、真一郎が亡くなったのも八月だったからもしかして、って思ったけどまず旧暦では七月だったし、何より水難事故じゃなかったわ、って調べて気づいた。一緒に調べてわかったのは仏滅であること。仏滅って別れたい人との別れに良い日って意味らしいけど、全然そんなことない人を失うってどう言うことだって思ったぐらいだ。



「確かに色々変わることもあるけどさ」


ずっと黙っていたワカが呟く。


「それって生きてるってことでしょ。真ちゃんの分まで」


ずっと合わなかった目があった。ワカは少しだけ寂しそうに切なそうに笑みを浮かべている。
あたしたちはとっくに涙は枯れた似たもの同士。たくさん泣いて、喚いて、泣いて、心と人間関係にポッカリと大きな穴を開けている。


「名前が死んでもオレが死んでも真ちゃんは絶対怒る。だからオレは生きるし、まず死ぬ選択肢もないんだけどネ」
「確かに」


ぽっかりとできた大きな穴は、月日がいくら経とうとも塞がることはない。それだけ大きな存在を失ってしまったから。だけど、ワカの言う通り、あたしたちに死ぬ選択肢はないのだ。どんなにたらればで死んだ時のことを考えたり、真一郎に会いたいと思っても、だからと言ってその決断をしてまでの度胸もなければ、そう思うならこの人生をこれからを真一郎の分まで楽しんで生きよう、そしてふとした時にこうやって思い出して過ごすのだ。

ふと思い出すぐらいがちょうどいい。


だから、八月は一番感情がぐちゃぐちゃになる。

真一郎の誕生日も、真一郎の命日も、亡くなった人が帰ってくると言われているお盆もぜーんぶ八月だから。暑さにやられて、頭の中も正常に機能しない上に感情を揺さぶられる暑い夏を嫌いになりたいのに、一番真一郎を思い出せる時期だから、今年も嫌いになれないまま終わるんだろう。


「ねえ、ワカ」
「なに」
「今年もありがとう」
「どういたしまして」


今年の海はちょっと違う。見つめれば見つめた分だけ不気味に感じたし、気づけば飲み込まれるんじゃないかって思った。もしかしたら、あちらにいる死者の魂があたしのことを引き入れて生まれ変わろうとしたのかも知れない。だけど、今年だって変わらずワカが横にいてくれたから、あたしはあたしで今年もいられたのだろう。ワカは余裕そうな笑みを浮かべていたけれど、ワカもあたしと同じようにあたしがいたから平気だったと思ってくれていても良いんだよ。そう心の中で呟いて、あたしたちは帰路に就く。真っ暗な夜空の下、街灯が照らす道に沿って。


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