短編 | ナノ


仕事は定時でおしまい。タイムカードを切って、職場を退社。疲れたな、こんな時はやっぱり癒しが一番。そう思って向かうのは家でもなければ、美味しいご飯屋さんでもない。スパでもなく、向かった先は一軒のペットショップ。重い扉を開けばそこは天国。

「かわいい〜!」
「いらっしゃーい、名前」
「お疲れ様、一虎くん」


出迎えてくれた小さな生命。かわいい子猫を抱えた一虎くんがいて、思わず子猫に反応してしまった。そんなあたしもいつものことだと気にせず挨拶してくれる一虎くんはそういえば何をしているんだろう。この時間ってそろそろ片付けじゃないっけと思いつつ、かわいい子猫の誘惑に負けて抱っこさせてと手を伸ばせば、一虎くんの腕の中にいた子猫があたしのところにやってくる。もふもふだし、小さくて腕の中に収まるサイズ感がたまらない。


「一虎くーん、こっちの片付けって…、あ、名前さん!お疲れ様です!」
「千冬くんお疲れ〜」


あたしの抱える猫を一緒に可愛がってたら奥からやってきたのは千冬くんで、やっぱり一虎くんやることあったんじゃんと思いつつも挨拶をする。一虎くんは子猫を撫でながら「接客してるんだけど」って返してて、接客って誰の?と思ったけど、あたしか。一応あたしはお客さんだからね、全然ほっといてくれて構わないお客だけどさ。


「おい、一虎ァ、千冬ゥ、片付けどうなった…って名前来てたのかよ」
「お疲れ〜圭介」


二人でやいやいやっている横で子猫を満喫していれば、奥にいたであろう圭介まで出てきて、フロアの中は大賑わい。確認するためにちらっと見た時間は確かに良い時間を差していて、本格的に締め作業をしなければいけない頃合い。あたしも名残惜しいけど、この子猫とはそろそろバイバイしなきゃいけないことを悟る。また会いに来よう…と決めて、千冬くんに子猫を手渡した。圭介は一虎くんと何やら話し込んでいるみたい。仕事中に来ているのだから、あたしは邪魔にならないように店内を見て回る。すやすやと眠る子犬や子猫は何度見てもかわいい。癒しにはやっぱり動物が一番、アニマルセラピーが有効的だ。


「じゃあ、名前お疲れ〜」
「うん、お疲れ様」
「すんません!先に失礼します!」
「はーい」
「こっちで待ってろよ」
「うん」


すぐに一虎くんと千冬くんが退勤。あたしに座るよう声をかけてくれたので、お言葉に甘えて裏の事務室にはいって、空いていた椅子に腰掛けた。ずっと履いていたパンプスも圭介だけなら、と思って両脚とも脱いで宙に伸ばせば足が少しだけ軽くなる。ちなみに圭介はまだ業務を残しているのか、二人に挨拶されながらもテーブルに座って何やら記録業務を再開。覗き見るのはよろしくないので、あんまり内容を見ないようにしながら、業務を集中してこなす圭介をぼんやりと眺めることにした。
圭介が一虎くんと千冬くんと始めたこのペットショップも何年経っただろうか。軌道にも乗ってきて、見ている側としても仕事が安定してきたなと思う。あれやこれやと最初はてんやわんやしていたのに、今ではあの圭介がショップ責任者としてやってるんだもん。勉強が苦手だった圭介がなぁ…て思ったら、ちょっと微笑ましくて笑っちゃう。あたしと圭介が付き合ってからも結構経つもんなぁ。お互い良い歳だし、これからのこともやっぱり考えてしまう。周りの友達の結婚ラッシュは過ぎて行った。結婚に強く固執していたわけじゃないあたしは別に今の関係でもいいと思っていたけれど、周りはそう思わないらしい。なーんも変化のないあたしたちに焦り、声をかけてきたり、心配という内容をよく言われるようになった。周りにとやかく言われる筋合いもないけれど、やっぱり仕事とか子供のこととか考えるとついて回るのは結婚のことになる訳で。そういえば、この手の話題はちゃんと圭介と話したことなかったなぁ…。


うーん、話振ってみるか。


「圭介」
「ア?」
「あたしさ、仕事の時間減らそうと思うんだけど」


作業しながらの圭介に話しかけるなんて、仕事の妨害だけど、多分面と向かって聞くのもあたしが気恥ずかしくてできないから許してほしい。突然あたしが話しかけるから、圭介は一瞬だけ作業を止めてあたしを見上げてくれたけど、すぐに視線は記録帳に戻ってしまった。止めていた手の動きも再開しているけれど、多分耳はあたしに傾けてくれていると信じて話を続ける。


「圭介の扶養に入りりたいから籍入れてくれない?」


結婚って言葉は重すぎて、かと言って他にいい言い回しも思い付かずに出てきたのがこの言葉。そしたらピタリと圭介の動きが止まってしまった。しかも、露骨に何とも言えない雰囲気を醸し出している。あ、これはダメなやつかなって思っても全ては後の祭り。圭介ならもしかしたらこの言い回しすれば、わからずに話題自体が流れるかもって思ってたけど、完全にあたしの見誤りだ。だってわかっていなかったら絶対「あ?どういう意味だよ」って聞いてくるもん。やっぱ経営者は給料云々の管理もしてるから違うね。



「オマエさぁ」
「うん?」
「わかってて言ってんのかよ」
「一応」
「仕事嫌なのかよ」
「そういう訳じゃないけど」


完全に圭介の作業の手を止めてしまった。テーブルに肘ついてため息もついて、あたしを何とも言えない呆れ顔で見てくる。普段、仕事のことあんまり愚痴ったりしないから、突然こんなこと言われたらそりゃ不思議にも思うか。扶養に入るって勤務時間減らすってことだしね。例えばこれが妊娠したりして、産休取るとか扶養に入るためにパートに切り替えるとかだったらわかるけど、唐突過ぎたね。深い意味なく、ただ圭介がどう思ってるか知りたい好奇心で口にした言葉だったから、言い訳も特に考えておらず視線と口籠もり、あたしの方がなんとなく分が悪いような空気感になって目線が合わせずらくなりさりげなく逸らして泳がせる。


「そういうのは軽々しくいうもんじゃねぇだろうが」
「うん、そうだね」


この反応だと、圭介も興味ないタイプかな。それもそうか、今は仕事で手がいっぱい。やっと軌道に乗ってこれからもっと働き盛りだし、この店の責任者だし。あたし自身、やりたいことを楽しく一生懸命やっている圭介が好きだし、女性も今は働く時代。なんなら、晩婚化が進んでいるし、結婚しない人も、事実婚でいることも珍しくない。子供も欲しいとは思うけれど、今すぐかって聞かれたら、はっきりそう言えるわけでもないから、それならそれでいいかって思ってしまうのがあたしの考え方だ。つまり答えは出ているので、これでこの話題はおしまい。周りが変に騒いで心配してうるさいから、あたしの方がそっちの考え方に引き込まれかけたけど、別に人は人、自分は自分で良いじゃないか。


「…俺は」
「んー?」
「ちゃんと考えてんだよ」
「…け、すけ?」


ビックリするぐらい低い声。でもそこに怒気がなければ、覇気もない。どちらかというとめちゃくちゃ考え込んでいるというか。え、あれ、何この空気感。まあだ続いてる感じ?


「もっと、ちゃんと仕事が落ち着いてお前だけじゃなくても守ってやれんようにしてから言うから、んなこと自分から軽々しく言うな」
「う、うん」
「これ終わったら帰れっから、もーちょい待ってろ」


ここで会話は終了。再びシンと静まり返った事務室の中。圭介が記録帳に内容を書き込む音だけかカリカリと響く。静かな室内に比例して、あたしの心臓の音はうるさい。圭介は記録帳に視線を戻しているから、きっと今のあたしが顔を赤くして熱を帯びていることも知らないだろう。お前だけじゃなくてって、そういう意味だよね…、つまり家族ってことを示唆する言葉。圭介が言葉足らずなのは今に始まったことじゃないはずなのに。あぁ、盲点だった。圭介の方があんまり気にしないかな、とか考えないかななんて決めつけて、実はあたしの方がそれを理由に能天気であんまり考えていなかった。圭介はしっかりと考えてくれてたんだということを悟る。



「はぁ〜〜〜」
「なんだよ…そのため息」
「ううん、自分がバカだったなぁって思ったの」
「あ?どういうことだよ」


そのままの意味だから気にしないでほしい。こんなにバカになる程、能天気に過ごせるぐらいあたしは幸せ者なんだなと気付かされたそんな夜。やっぱりここに来て正解だった。疲れた時は動物と圭介に限るね。

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