とある成人女性の手記U


「お兄ちゃん、まなのこと好き?」
「ああ。好きだよ」

その夜のことだった。ふらりと立ち寄ったスーパーで、偶然にも私はあなたと彼女の姿を見かけた。昼間のことなど何もなかったかのように、あなたたちはすっかり元通り。彼女は再びあなたにべったりになっていた。

「よくまなが真太郎の所にいるって分かったね、さすがお兄ちゃんだ。ふふふ!」
「まなは真太郎の家しか行くとこねーだろ」
「それも正解!ふふふ!」

私は部外者で、その日一連の出来事を引き起こした或る意味張本人でもあったのであまり上からものを言えた立場ではなかったのだが、(これはいけない)と心から強く思った。あなたは彼女を昼間こっぴどく叱ったからと今度は優しく接していたのだろうが、あなたのその中途半端な優しさは、まだ幼い彼女の教育の妨げになると思ったのだ。

(…まなちゃん、全く反省してない)

それは彼女の顔を見れば簡単に分かった。あなたの中途半端な優しさに、彼女は幼いながらも女特有のずる賢さを発揮して、完全に甘えている。同じ女として、分かる。彼女は全く反省していない。

まあ確かに、まなちゃんはケーキを落としただけで、悪いことは何一つしていない。怒られる理由など本当になく、反省するしないの問題ではなかったのだが、彼女に対して負の感情を抱くようになっていた私は、こう思ってしまったのだった。

「お兄ちゃん、何が食べたい?まな張り切っちゃうぞ」
「いいよ張り切らなくて。お兄ちゃん作るし。まな料理下手だし張り切るとろくなことなんねーじゃん。お兄ちゃん今日もダークマター食べるのやだもん」
「ふふふ!じゃあ二人で作ろうよ!」
「…んー…、出来る事ならまなにはテレビ見て待っててほしいかな」
「お兄ちゃん!お願い!」
「んー…」
「…お兄ちゃん、まなのこと嫌い…?」

悲しい顔、悲しい声、悲しい仕草。悲しみの青色を全面に出して彼女はそう言った。それに気が付いてハッとしたあなただった。

「二人で作るか!」

わしゃわしゃと彼女の頭を撫でるあなただった。




あなたは私に何も話さなかったけど、私は知っていた。母親がいないことも父親もあまり家には帰らないことも。だから、あなたはまなちゃんの世界の中心だった。まなちゃんの教育係はあなただった。でも本当は、あなたはそれを鬱陶しく思っていたのだろう。あなたは自由時間を彼女の世話などではなく、本当は自分のためだけに使いたかった。真っ直ぐなあなただって本当は、他の同級生のように下らない軟派や無断外泊などの年相応のやんちゃに憧れていた。

二人で料理を作るのを拒むのも、余計手間が掛かって友人達からの急な誘いの電話に対応出来なくなるのを恐れたからだろう。

でもあなたは中途半端に優しいから。いつも自分を犠牲にすることを選んでしまう。本当は全てを投げ出してしまいたかったくせに。いない母親。帰らない父親。家の全てを自分に押し付けた両親への怒り。そしてまだ何も分かっていない幼い妹。あなたは優しいけれど普通の高校生男子だった。何かあればすぐさま頼ってくる妹。何かなくてもすぐさま近寄ってくる妹。家族の情よりも何よりも、面倒臭さを感じていたくせに。

まなちゃんのエプロン姿を見つめるその目は、本当は私の裸体にしか興味がなかった。二人分の皿を洗うその手は、本当は私をぐちゃぐちゃにかき乱したかった。中途半端で馬鹿なあなた。いつも自分を犠牲にしていた。そしてまなちゃんはあなたしか知らない。だから、良くない。あなたのその優しさは、まなちゃんの教育に、きっと良くない。

(これはいけない)

でも、まだ弱冠十七だったあなただから。高二男子にしては、上手くやっている方だったかもしれない。



「私も栄坂君の家に住む。そして私がまなちゃんの母親代わりになるわ」

私がそんな戯れ言をあなたに提案した時、あなたは色んな表情を私に見せてくれた。戸惑い、驚き、喜び、安心、安堵…。しかし最終的に落ち着いたのは、不安だった。

「…まながどう思うでしょうか」
「嫌!嫌だよお兄ちゃん!まなはお兄ちゃんと二人きりがいい、知らない人と住むのなんて絶対いやだ!」
「こら!成実さんは知らない人じゃねーだろ!」
「〜っお兄ちゃんの馬鹿!禿げろ!」

嫉妬に狂った彼女は家を飛び出していった。私は追いかけようとしなかった。あなたと追いかけようとした。だけど、あなたは私を置いて先に彼女を追いかけていってしまった。いつかと違った。それがあなたの答えなのだと私は知った。あなたは優しい。中途半端に優しかった。

「お兄ちゃん、まなのこと好き?」

ここから先は思い出したくもない。




久しぶりに会ったまなちゃんは順調に成長していた。自称母親代わりとして、私は安心した。恋愛もちゃんとしているみたいで、年相応に育っているのだと思わず笑みが洩れた。お節介なアドバイスだってしてしまった。お相手の男の子は緑色の髪をした、背の高い、賢そうな子だった。どっかのバスケ馬鹿とは違ったわ。



まなちゃんが私のようにいつまでもあなたの面影にとらわれていないことが分かり、安心した。本当よ、安心したの。



本当よ。



安心したの。



でも、



ごめんなさい、今日はもう遅いからまた明日にするわ。ごめんなさい。別に逃げるわけじゃないわ、ただ頭の中がぐちゃぐちゃなの。本当よ、
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