今日は待ちに待った練習試合だ。
久々に見ることが出来るのが嬉しくて、あまりの浮かれように日が昇るよりも前に起きてしまった。
正直流石に緑間くんですらまだ寝ている時間だと思う。目が覚めてまだ薄らとした明るさしかない外を見て、気合いの入りようになんだか恥ずかしくなってしまった。ちなみに日が昇るまでは変わらず緑間くんの過去の動画を眺めていたのは余談である。

「楽しみだなあ」

夏休みの合宿も終わって、更にあのうつくしいシュートに磨きがかかった事だろうと思う。
実に一ヶ月ほどぶり。本当に久しぶりに目にすることの出来る緑間くんのバスケに、思わず気合いが入ってしまうのはそう、致し方のないことだ。
今日のおは朝占いでも蟹座は二位と上々の結果だったし、アイテムできっちり補正をしてくる緑間くんだから、相変わらず見惚れる程のシュートを打つに違いない。
緑間のシュートが更に上を行くとは思えど、劣化するとは全く思ってないのが苗字の良いところであり、盲目的な悪いところだよね、とは友人談である。蛇足ではあるが。
ふんふんと鼻歌を歌いながら出かける準備を初めたものの、もちろん対して時間もかからなかったが為に時間を持て余して朝食でも作るか、とキッチンでゴソゴソと料理をしていれば、物音で目が覚めた母が「雨でも降るのかしら」とひどく驚いた顔で見つめてきた。血の繋った娘に対しての言葉がそれって。

「いつもはお昼近くに起きてくるじゃない」
「うっ……それは否定できないけどさあ」
「そういえば今日出かけるんだっけ?……デート?」

どこかニヤニヤとした風な笑みを浮かべてからかって来る母の顔がどこぞの友人によく似ていて、思わず眉を潜めた。なんでみんなそう言うんだろう。
なんとも言えない憤りのようなものと気恥しさが胸を掠めた。

「違いますー。クラスメイトの練習試合見に行くの。誘って貰えたから」
「……それって男の子?」
「そうだけど」
「あらあら」

うふふ、とにっこり笑った母はそれ以上は何も言わなかったけれど、なんだか分かってますよ、とでも言いたげな目をしていた。全然何も分かっていない。
むう、と反論したい気持ちが膨れ上がるものの、これ以上突っぱねたところで思春期特有のそれだとしか思われない気しかしなくて、仕方なしに不満を押し込めた。
思わず零れ落ちたため息はご愛嬌だ。

「夕方くらいには帰ってくるから、そんなに遅くならないと思う」

それだけを口早に告げ、残念ながら普通程度の腕前しかない故に、豪華とは決して口には出せない朝食をお皿に乗せ、リビングへと向かう。
母はからかいたかっただけのようで、私がこれ以上何も言う気が無いのを悟ると静かに部屋へと戻って行った。
日はすっかり昇っているとはいえ、普段登校している時間よりも少し早いのだから当然だろう。恐らくもう少ししたら家事をやりはじめるに違いない。
ぼんやりとそんな事を考えながら朝食を口にしていると、不意にスマホが通知音と共に震える。
見慣れた緑のアイコンの連絡ツールに何かが送られてきたらしい。

「……み、緑間くんだ」

震える手でタップして開けば、「苗字、おはよう。そこそこ早くからやるとはいえ、別段入場に制限をかけているわけでもないし、好きな時に来れば良い。急ぐ必要はないから気をつけて来るのだよ。水分補給も忘れるな」とのメッセージが入っていた。
朝からとんだ神対応である。
十時くらいから試合をするって言ってたけど、きっとそれより前に集まるのだろうとはいえ――それでもこんな少し早い時間に連絡をくれるなんて。
緑間くんが早起きかどうかは置いておいて、もしかしたら起きて早々に送ってきてくれたのかもしれない。想像の域は出ないけれども、そんな考えに至って胸が歓喜に震えた。一体いくら積めば良いんですか、緑間くん。
どうにも落ち着かず震えたままの指で打ち間違えつつも、感謝と今日の試合を見れることを楽しみにしている旨を伝えて、そっとスマホの画面を閉じた。

「う、うう……神よ……生きててよかった……」

ドクドクとうるさい心臓を無視しながら、祈るように指を組んで打ち震えていると、洗濯物をしようと再びリビングを通りがかった母に「名前、あんたそろそろ行くんじゃないの?」と心底呆れたような顔で声をかけられた。
その言葉に慌てて時計を見ると、いつの間にか家を出る予定の時間になっていた。どうやら一時間近くも震えながら神に感謝していたらしい。
我ながら恐ろしい、とどうでも良いことを片隅で思いながらバタバタと荷物を取りに部屋へと駆け上がり、そのままの勢いで家を出た。




どこかざわざわとした見慣れない少し広めの体育館の中、そっと静かに空いている席に着いてほっとため息を吐く。
間に合った。そういうどこか落ち着かない心地だった。
そこそこ近いとはいえ随分と余裕を持った時間を設定し家を出た筈なのに、何をどうしたのか反対側の電車に乗ってしまったり、慌てて降りて正しい電車に乗って最寄り駅に辿り着いたかと思えば、バスがちょっとした渋滞に捕まってしまったり、などという事が起きたせいである。元はといえば逆方向に乗った私が悪いのだけれど。
少し――いやかなり浮かれすぎたのかもしれない。
とっとと気持ちを切り替えないと。久しぶりに緑間くんのバスケを見れるのだから、と思うと、今度は別の意味でソワソワとしてきた。
見慣れないというか、今回練習試合で使われる場所にならなければ縁の無かったであろう別の区の体育館の室内に、目線があっちこっちに彷徨ってしまう。
そんな風に人と人の会話のざわめきの中ぼんやりとしていると、不意に視線を感じた気がして、思わず目線をそちらに向けた。

「――あ」

背の高い人達だらけの中でもそれでも一際大きな身長を持った、新緑色の髪をした人。
その人が確かにこちらの方を見ていた。
――緑間くんだ。
彼の周りの人達はそれぞれ何か(恐らく今日の試合についての話だ)を確認したりしている中、それでも彼はそちらを気にする事なく、ただじっとこちらを見るばかりだった。
聞かなくても大丈夫なのだろうか、と少しハラハラしつつも合わさった目線を逸らす事も出来ず、ただお互いにじっと見つめ合う。
(み、見つめ合ってる…………?え、緑間くんと?何故?なんで?というかよく私を見つけられたな緑間くん)
驚きの余り事態を把握していなかったのに、急に現実に立ち返ってしまい、同時に恥ずかしくなってくる。
最早崇拝に近いと友人に揶揄された対象である彼が、少し遠い場所にいるというのに、こちらをしっかりと認識して且つただじっと見ているのだ。恐れ多すぎて冷や汗のようなものすら首を伝う。
このままその時間が永遠になってしまうのではないか、とよく分からないことを思っているうちに、話を聞いていない緑間くんに気づいたらしい高尾くんが緑間くんに話しかけ、そうして目線が逸らされた。
ドッドッ、と煩い鼓動に思わず首を横に振る。
高尾くんは不思議そうな顔で緑間くんに何やらを話して、それからちらりとこちらの方に視線を向けた。
「あ」と口をぽかんと開けた後、彼は途端にゲラゲラと大きな声を上げて笑いだした。それはざわめきがあちこちからバラバラと聞こえる体育館にも堂々と響く声だった。
途端に辺りがしぃん、と静まる。

「うるせえな高尾!今大事な話してんだろうが!轢くぞ」
「ええ、そりゃないっすよ宮地サン!そもそも一番聞いてなかったの真ちゃんですよ!真ちゃん!」
「俺はそっちを見ていなかっただけで話は聞いていました」
「人の話を聞く時は目え向けろって教わらなかったのかお前は。安心しろ、どっちも一緒に轢いてやっから。木村の軽トラで」

緑間くんとそう変わらない身長の人が先程の高尾くんの笑い声と同じくらい大きな声を上げて、にこやかに二人に怒っている。
ミヤジさん、どこかで聞いた事のある名前だな――なんだっけ、などと現実逃避にも似た形で思考を飛ばしていると、「ねえ真ちゃん、そんな気になんの?」とどこかからかうような声が耳に入る。
緑間くんが、何かを気にしている?視線が合ったまま見られていたということは、緑間くんの気になる事とは自意識過剰とかではなく私のことだろう。もしや私のあまりにもセンスのない服装(とはいえ恐らく世の中のどこにでもいそうな平凡な人間の格好の筈だ)が気になってしまったとか?
ドキリと先程とは違い、嫌な方に音を立て始めた心臓を抑えながらも再び意識を緑間くんの方に向けると、彼はやはりこちらを向いたままだった。
ばちり、と再度目合った視線とその気恥しさから逃げるように思わず手を振れば、緑間くんは直ぐに手を振り返してくれた。あまりにも優しい。今日は一段と神対応がすぎる。
嫌な方の焦りで煩かった心臓は、いつの間にか嬉しさにドキドキと高鳴っていた。

「……へえー、ふーん、そーなんだあ」
「……何なのだよ高尾、その顔は!」
「いやあ?別に」

真ちゃん青春してんねーとニヤニヤと笑っていた高尾くんに、緑間くんはするりと私から視線を外し、声を荒らげながらもチームメイトの輪へと戻って行った。
――結局一体何だったのだろう。
そうは思ったものの、少しして始まった試合に火照りの収まらない頬も高鳴った心臓の事もすっかりと忘れ、久々に目にした緑間くんのうつくしいシュートに全ての意識を持っていかれたのだった。




圧巻。実に圧巻としか言いようのない試合だった。
そして久々に供給された緑間くんの、計算され尽くしたグラフのようなうつくしい弧を描くシュートに、感動のあまりに涙が止まらなかった。比喩とかではなく、本当に。周囲から奇異の目がこちらに向けられていたのは気の所為だと思いたい。

「ううっ……ありがとう……神よ……」

本日二度目の天への感謝を告げながら、ぐすぐすと鼻を鳴らしつつ体育館を出ようとしたところで、不意に後ろから「苗字さん!」と声をかけられ振り返る。
そこにいたのは笑い声一つで周囲を静まり返させる事が出来る男・高尾くんだった。

「……あれ、泣いてる?え?何?どうしたの?試合中なんかあった?」
「あ……ありまくりました……本当、あの本当に……最高で……神でした……」
「え?神?……ねえ真ちゃん、どういう意味かわかる?」

え?緑間くん?
困惑の表情を浮かべながら後ろの方を振り返った高尾くんにつられてそちらの方に視線を向ければ、この感動の原因――もとい、起因になった緑間くんが、きょとんとした顔でこちらを見ていた。

「いや苗字は時折難しい表現をするから俺にも分からんが…………その涙はどうした、苗字」
「み、緑間くん……あの」
「……ああ」
「最高!でした!本当にありがとうまじで天に一生感謝っていうか永遠に緑間くんに感謝します本当に……神……」
「そ、そうか……」
「え?真ちゃん意味わかって頷いてんの?それ」
「いや……まあ、苗字は褒めてくれてはいるのだろう?」

困ったような声音が近くで聞こえて、それからぽん、と頭上に何かが落ちた。
なんだか少し、生暖かいような、そういうものが。
それは少し不器用にゆるりと私の頭を撫ぜた。緑間くんの手のひらだった。

「何故泣いているのかは分からないが――苗字が楽しめたなら良かったのだよ」

そうして微笑んだ緑間くんに、すっかり忘れ去られていた事を憤るようにして心臓がどくりと音を上げ始めた。
――緑間くんが、私の頭を撫でている。
何故とどうしてを交互に繰り返した後、少しずつ頬が赤く染まっていくのが分かった。
いやそんなまさか。神対応――とだけでは済まないだろう、これは。
そもそもこんな至近距離で接触イベントが起きるなんて有り得ない。でも有り得ない筈なのに有り得てしまっている。
目の前の緑間くんに聞こえそうなくらいに煩く高鳴り始めた心臓を誤魔化そうと俯けば、緑間くんは「苗字?」と不思議そうに呟いてこちらを覗き込もうとした――ところで。

「真ちゃん?あのさ、そういうのこういう所でやるのやめた方が良いよ?」
「………………は?」
「いやだから、そういう風にイチャつくのとか」
「……どうしてそうなる」
「え?だって、真ちゃん付き合ってるんじゃないの?苗字さんと」
「違うのだよ!ふざけた事を言うな高尾!苗字に失礼だろう!」
「えっ、……ええ?マジで言ってんの?」

するり、と試合前の時のように視線と手のひらが外され、緑間くんは高尾くんの方へと詰め寄るようにして私から離れた。
……それを寂しいと思うのは、どうしてなんだろう。
ドキドキと痛いくらいに跳ねる心臓を抑えながら、私は「え?何?なんなの?マジで」と、誰よりも困惑しているような顔をした高尾くんと、怒りを真っ直ぐにぶつける緑間くんとを、頬の熱が引くまでぼんやりと見ていた。



2020.06.03
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