一ヶ月って早い。
そんなことを思いながら私はぼんやりと、自分の名が呼ばれるのをじっと待っていた。
今日は七月も半ば――期末テストの答案がそれぞれ順に返される時期だ。
文武両道を掲げる秀徳は、周辺の高校と比べるとテストの範囲がそこそこ広くて、それから難易度も少し高い。
とはいえ、完全な進学校とは少し違うから、そこまで厳しくはないのがこの学校の良いところなのだけれど。
それでも皆それぞれきちんと勉強をするからか、平均点がどの教科もある程度の高さになるみたいだ。……故に、赤点扱いとなる点数も比較的高い。先月行った中間テストで身をもって知っている。
私は別段酷い点数でもなければ良い点数でも無いのだけれど、それでも苦手な英語や数学の点数が不安になってしまうのは仕方のないことだろう、と思う。

「高橋くんどうだった?」
「今回めっちゃ良いよ。八十二だった」
「え?八十点超え?高橋くん頭良くない?」
「いや、普通だよ。今回高尾とかと一緒にテスト勉強したからかも。……苗字さんはどうだった?」
「……六十八……」
「……今回の数学、難しかったらしいから。みんな点数低いんだって」

言外に励ましてくれている高橋くんの優しさがちょっぴり痛い。
私もテスト勉強してるんだけどな。平均は超えてはいるけど、誤差みたいなものだし。

「他の教科はどうだったの?」

そう尋ねると、えっとねーと言いながら、高橋くんはクリアファイルを取り出した。
どうやら返ってきた答案をまとめて入れているらしい。
ファイルに入れようとか全く考えていなかった私は女子力が足りないんだと思う。……ちなみに私はそのまま折りたたんで鞄に入れてた。

「いまのとこ……現文が七十七、英語が八十、化学が八十五?」
「……やっぱり頭良くない?どっちかっていうと理数系なんだね、高橋くん」
「あ、そうかも。登場人物の感情?とか考えるの苦手なんだよね。苗字さんは?」
「私は文系寄りかな。現文が八十六で英語と化学が七十五。……私、基本的に平均点の女だから」
「……まあ、赤点じゃないから全然大丈夫だよ。うち平均も高いから、大体みんなそのくらいだし」

またそっと励まされてしまった。多分高橋くんは何もしなくても地頭が良いんだろうと察した。
部活はスタメンではないけれど運動神経も良いし、頭も良いし、爽やかな見た目(だと思う)をしているから、高橋くんはモテそうだ。
あんまりそのあたり気にしてないし、クラスの友人も恋バナより食べ物!部活!って感じだからその辺の話題に触れたことがないので分からないけれど。

「そういえば高尾くんと勉強会ってことは、男バス組ってこと?」
「ん?ああ、そうだよ。高尾と緑間と、隣のクラスの鈴木と田中」
「……緑間くんもいたんだ」

思わずそのワードに反応すると、高橋くんは笑った。
突っ込んでは来ないけれど、高橋くんは多分何となく、何かを察している。
たまに生暖かい目線で私を見ながら、緑間くんの話をするのだ。いや、もしかしたら何か勘違いされてるのかもしれないけれど。

「ほら、緑間は見た目通り頭良いから」
「……緑間くん、このクラスの平均めちゃくちゃ上げてそう」
「……まあ、ちょっとはあるかもね?」

高尾もああ見えて頭良いよ、と言った高橋くんは、やはりなんだか優しい顔でこちらを見ていた。お母さんのような目をしている。
何となく居心地の悪さを感じて、緑間くん(と高尾くん)の方に意識をやれば、二人もテストの点数の話をしているようだ。

「真ちゃん何点だった?」
「九十四だ」
「お、俺の勝ちー!九十五!」
「……誤差だな。お前は他の科目では軒並み俺より点数が低い」
「うるせえ!真ちゃんがおかしいだけだっつの!俺そこそこ良い方だし。ていうか絶対このクラスの平均真ちゃんが上げてるから!」

九十点台の人の会話って、こわい。
たぶん低いと言ってもその付近なんだろうな、と察することの出来る余裕を感じる。
二人とも当たり前みたいな顔をして、間違えた部分の問題の話に移っていた。

「ま、とりあえずボーダーは超えたから先輩達にドヤれるわな」
「このくらい当然なのだよ。馬鹿にバスケは出来ん」
「……それ火神とかどうなんの?」
「アレは人間ではなく獣だな」

ケモノって!とクラス中に響き渡るくらい笑い始めた高尾くんは、見事に先生に怒られていた。いつものことである。
毎回思うけど高尾くんのツボって、本当に浅い。

「っひ、ひい、ケモノ……」

怒られて、抑えつつもプルプルと笑っている高尾くんの姿もまた。いつもの事だった。
ちなみに緑間くんは関係ないです、という顔をして、水晶玉を磨いている。
その大きさ、漫画とかでしか見たことないな、というくらい大きい。割れたらどうなっちゃうんだろう。
そう思いながらじつと見つめていると、視線に気づいたのか、緑間くんが顔を上げてこちらを見た。
(……目……が、合っちゃった……)
ドキドキ、と鼓動が早くなる感覚がする。
緑間くんは目が合った後、不思議そうな顔をしてこちらを見ていたので、なんとなく手を振った。
緑間くんは小さく振り返してくれた。神だ。







「あ、緑間くん」

緑間くんの誕生日の件で試合の事に関係なく話してから、なんとなく他に早起きをしてしまう日が出来て。
今では用もなく週に三日くらい早めに学校に来て、緑間くんと他愛のない話をしている。
時折練習内容の問題で、いつも通りの時間に通りかかっても居ない事もあるけれど、居る時は緑間くんと挨拶を交わすのがほぼ日課となってしまった。

「おはよう、緑間くん。……これ、よかったら」
「ああ。おはよう、苗字。……ああ、付け足すのに使おう。助かるのだよ」
「うちの母親の趣味関連で育すぎてたから、飾るとか以外に使い道あってよかった」

お母さんも、たくさん育てすぎたから全然かまわない、と笑っていたし。
今朝、母と交わした会話をぼんやりと思い出しつつ、手元に簡易的にまとめて持っていた切り花を緑間くんに渡す。
今日の緑間くんのラッキーアイテムは花束(本数が多いほど吉)で、母の趣味は厳密に言うとドライフラワーを作ること、なのだけれど。咲いて直ぐに加工するのが一番良いから、育てるところから始めているらしい。

「花束は今は、中?」
「ああ、持っていたいところだが、テーピングするのに出てきただけだからな。ベンチに置いてあるのだよ」
「そっか」

一体どんな花束を持ってきたのかちょっと気になってたのだけれど、これは教室で見るまでのお楽しみ的な感じかもしれない。
ちなみに私の独断と偏見で、冷たい印象のある色よりも、はっきりとしていて鮮やかな暖色系を十本程持ってきた。変に浮かないと良いけれど。
まあ色の指定は無かったし、緑間くんもそういうところは気にしなさそうだから、たぶん大丈夫だろう。

「苗字」
「……へ?」
「座らないのか?」
「…………え?座る?」

いつも俺は座っているのにどうしてお前は立ったままなのかが謎だった、と呟いて、目線で隣に座ることを促された。
(緑間くんやっぱり優しい)
なんだか嬉しくなって、にこにことしながら座れば、緑間くんは不思議そうな顔をしたあと、満足げに頷いた。

「変なところで遠慮しいなのか、苗字は」
「え?普通だと思うよ。……めっちゃ日本人の典型って言われるし」
「まあそれもそうだが……初めて声をかけてきた時は、もっとこう……勢いがあった気がするのだよ」
「あー……あれはまあ、特殊?というか」

そもそも完徹だったからだ、とは言い出せなくて、もにょもにょと語尾を誤魔化した。
流石に少し怒られてしまいそうだ。今は勿論、過去の試合を鑑賞はしても、時間を見て早めに眠ってはいるけれど。

「そうか」

誤魔化したのに気づいているのかいないのか、特に突っ込んでくることもなく、緑間くんはそれだけを返した。
緑間くんの良いところは、マイペースすぎるところでもあると思う。一周して気を使ってないように見せかけて気を使っているようにすら思えてしまう、そういうところがまた、私を沼にずぶずぶと落としていく。
勝手に朝からテンションを上げている女が、隣にいるとは露ほども思っていなさそうな緑間くんは、少し間を開けてから、そういえば、と不意に零した。

「どうだった」
「……うん?」

どうとは、と思って首を傾げる。
この前の試合の事ならもう本人に伝えたし、昨日廊下に張り出された順位表に、緑間くんの名前がかなり上位にあったことについてだろうか。それとも一昨日のラッキーアイテムで苦戦しながら作っていた編みぐるみか、もしくはその前の――。
ううん、と悩んでいれば「テストだ」と緑間くんは言った。

「……テスト」
「ああ。高橋と途中から返却される度に話していただろう?」

見てたのか、と思わず驚いて目を丸くしてしまう。
私が緑間くんの事を勝手に気にしているだけだと思っていたから、余計に。
けれども緑間くんはそんな私の様子を気にも留めず、それで?と促す。成績の良い人に堂々と言える点数を貰えていないのが悲しかった。

「えっと、詳細は省くんだけど……平均点なんだよね」
「どの科目がだ?」
「いや、全部……本当に、平均で」
「……なるほど」

クロコと同じタイプか、と緑間くんが呟いた。
クロコ、って誰だろう?とぼんやり思っていると、緑間くんはテーピングを巻き直していた手を止めて、こちらを見た。
――また目が合ってしまった。
緑間くんの目はとても綺麗なので、無条件にドキドキしてしまうからやめてほしい。心臓に悪いのだ。

「今回はこちらの事情で、部活連中で勉強会をしたんだが、次は苗字も来るといいのだよ。もしわからない所があれば、教えてやってもいい」

なんだって。
ぱちり、と何度も瞬きを繰り返して、息を呑む。
緑間くんの余りの優しさに、何をしても平均の私は涙が零れるかと思った。
ただでさえ彼のバスケに見惚れてからのめり込むように追っかけて、更にその才能にかまけることなく、たゆまぬ努力を続けているところを尊敬しているというのに。その上頭が良くて優しい、とくると私は最早どういう顔で彼を見れば良いのかがわからなくなってきてしまった。

「……神かよ」
「……?苗字、何か言ったか?」
「ううん、……ありがとう、緑間くん」

ああ。
緑間くんは優しく微笑む。
こうやって話せているだけで、奇跡みたいなものなのになあ。
私はそう思いながら、緑間くんがテーピングを再開する手つきをぼんやりと見ていた。
誰かと無言でいる時間がそわそわとしないのは、初めてな気がする。

私はそうして、緑間くんを呼ぶ高尾くんの声がするまでの間、ただ静かに彼の、美しく努力家な指先を見ていた。


20190718
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