「また緑間だ」
「あれ止められるやつなんているのかよ」

――緑間くんのシュートは、やはりとても綺麗だった。
否、"だった"というのは語弊がある。訂正しよう。
緑間くんのシュートは、いつ見てもとても綺麗だ。研鑽されたうつくしさがそこにはある。彼の血の滲むような努力がそこにある。
だからたぶん余計に、私はそこから目が逸らせないのだと思う。
積み重ねられたその努力は、私が見聞き知る事のない努力であり、けれどもその結果はいつだって、誰もが目にする事が出来る。
見ることの叶うその努力の結果を、どうして見ない事が出来ようか。
ましてや化け物だなんて、その美しさに見合わない称号を勝手に名付けて呼ぶなんて、そんな恥知らずな事、私には到底出来やしない。

「今回も秀徳の勝ちだ」

初めて彼を知ったあの日から。初めて練習試合に足を運ぶようになってから。何度も何度も、彼の試合を見た。何度も何度もそのシュートを見た。
何度見ても飽きる事が無いほどに、私は緑間くんのバスケにすっかり虜になっていた。




「苗字さん、昨日試合見に来てたでしょ」

朝、ほんの少しだけ寝坊して、予鈴のチャイムに滑り込むように席に着けば、隣の席の高橋くん(男バス所属)にこっそりと声をかけられて、わたしは小さく「うん」と頷いた。
すると彼はやっぱり、というような顔をして笑う。

「高尾が苗字さん来てるって言ってたから、観戦席の方見てたんだけど見つけらんなくてさ。でも帰りに、ちょうど帰ろうとしてる苗字さんぽい子見たから」
「見られてたんだ。なんか恥ずかしいな……ていうか高尾くん、目がいいね」
「あいつめちゃくちゃ視野が広いんだよね」

へえ。
そんな取り留めのない話をしながら、けれど私の意識は窓際後方に座る緑間くんの方に向いていた。
(寝坊しちゃったから、昨日の感想、言えなかったなあ)
彼のバスケに夢中になって、完徹して少し早めに学校に来たあの日。たまたま出会った緑間くんに直接感想を告げてから勢いをつけた私は、次の日高橋くんに練習試合の日を聞き出した。
そうしてその試合を見た次の日くらいにも、興奮冷めやらぬまま早めに登校して、また同じ場所に居た彼に、その努力のうつくしさに感動した旨を伝えて。
それから度々、私は試合を見る度に一方的に感想を告げるようになっていた。
(明日は早めに来よう)
そう決意したと同時に、緑間くんのいる方向から声が聞こえて、思わず耳を澄ましてしまう。

「真ちゃん一番後ろの席で良かったよなー、まじで」
「何故だ」
「いや……今日のそれ、すげえ邪魔になってるからね?もう少し小さいのなかったの?」
「仕方がないだろう。薬局の前にいるカエルの置き物と言われてしまっては、そのものを譲って貰うしかない。紛い物では効力も薄れるのだよ」
「だからってマジモンの置き物貰って来るとかマジでやべえ」

高尾くんと緑間くんの会話だ。
高尾くんはやや引き笑い気味に爆笑している。朝からとても元気な人だ。
(そっか、今日の蟹座は薬局のあの置き物かあ)
それは確かに大きいと思う。急いで入ってきたからそこまで見れてなかった。どうやって持ってきたのかが気になる。
そうぼんやりと思った頃、先生がちょうど入ってきてホームルームが始まった。

「……え?最早隣に置くの?マジ?」

高尾くんのその声に思わずちらり、と視線を一瞬向ければ、確かに大きくて存在感のある置き物がじっと緑間くんの隣を陣取っていた。……隣の席にも誰も居なくて良かったね、緑間くん。







「あ、今日二位だ」

歯磨きをしながらテレビを見ていれば、ちょうどおは朝がやっていて、思わず目を向けてしまう。
今までやっているのに気づいても流し見しかしていなかったのに、こうやってしっかり見るようになってしまったのは確実に緑間くんの影響だと思う。
ちなみに余談ではあるのだけれど、私をあの試合に連れて行った友人は、私があれ以来試合を見に行っているのを知り色々と尋ねてきて、それに対して緑間くんについてうっかり語ってしまった際に諸々を察したらしい。苗字は緑間教の信者と言われた。

「気になるあの人と大接近。ドキドキの止まらない一日になるかも…………気になるあの人かあ」

どう考えても緑間くんしかいない。それは確かにドキドキが止まらなさそうだ。
まあ、当たるか当たらないかは自分次第な気はするけど、と思いながらも何となくラッキーアイテムである牛乳石鹸を洗面台の下のストックから拝借してしまった。なんて単純な女だ。

「緑間くんは一位か」

今日のラッキーアイテムはゴルフボール(サイン入り)らしい。昨日とは違って場所をとらなさそうだし、持ってくるのも楽そうだ。良かったね、緑間くん。……あと突っ込みたいのに目を逸らしてた先生、今日は胃が痛む事はないと思う。

「あ、時間だ。……いってきまーす」

おは朝を見終わると家を出るのに丁度良い時間だ。
家から学校まで徒歩20分程度。近くもないが遠くもない。まあ歩けなくもない距離なので、よっぽどの事がない限り(昨日のように遅刻寸前とか)は歩いて登校している。
うちの自転車は古くて逆に疲れるから、出来るだけ自転車を使いたくないだけなのだけれど。



相変わらずこの時間は人が少ない。
時折、朝の委員会活動のあるところの当番の人達がするりと足早に通り過ぎて、真っ直ぐに昇降口へと入っていく。
私はそれを横目に、もう何度目かになる体育館横へと足を向けた。

「おはよう、緑間くん」

朝練後はテーピングを必ず巻き直す緑間くんは、いつも定位置でその作業をしているらしい。……と高橋くんが言っていた。(私が話をふったわけではなく、彼がいつもの雑談で不意に話題にあげただけである)
緑間くんは最後の指のテーピングを巻き終わった後、不躾にも途中で声をかけた私をしっかりと見たあと、口を開いた。

「おはよう。試合から日を空けてから来るのは珍しいな」
「ああ、昨日寝坊しちゃって」
「ああ……お前がギリギリで教室に入ってきたのは見たのだよ。慌ただしかった」
「見てたんだ」

ああ、と少し悪戯っぽい笑みを浮かべた緑間くんに思わずドキリとする。珍しいものを見てしまった。
……というよりも。
あれ、と思う言葉が有って、私は思わず緑間くんに疑問を投げかけてしまう。

「緑間くん、私が同じクラスだって、知ってたの?」
「……今はもう七月だ。流石にクラスメイトの顔くらいは覚えている」
「ああ、そっか、そうだよね」
「……というか、何度も声をかけてくれば、顔くらい覚えるのだよ。苗字」

(な、名前、)
本当に覚えててくれてたんだなあ、と謎の感動を覚えて、思わず無言で緑間くんを凝視してしまった。
緑間くんは不思議そうな顔でこちらを見ている。

「……?どうした?」
「あ、いや、なんか……嬉しくて……へへ」

へへ、ってなんだ。そう思うも気持ち悪い顔になってしまうのを止められなくて、思わず顔を手で覆った。
「そうか」と緑間くんが特に気にしないようなトーンで返してくれたのが救いだった。良かった、引かれてない。

「あ、そうだ、一昨日の試合なんだけどね」

そういえばまだ言えていなかった、といつもの如く、推しを語るオタク(友人が言っていた。よくわからない)のようにダラダラと、語彙力の足りてない言葉で緑間くんのシュートの美しさと試合運びの分かりやすい簡潔さ、まだ飽きることが無いのでこれからも緑間くんのバスケを見たいと言うことを伝える。
初めこそはやはり不思議そうな顔をしてこちらの話を聞いていた緑間くんも、週に一回あるかないか程度とはいえ、一ヶ月と少しも続けられれば流石に慣れたのだろう。「ありがとう」「なら良かったのだよ」「ああ、人事を尽くそう」とこちらの目をしっかりと見て、さらりと返事をしてくれる。変わらない神対応である。

「一昨日といえば」

少し間を空けてから、不意に緑間くんが口を開いた。珍しい。
なんだろう、と目で返事をすれば、こてり、と少し首を傾げて彼は言った。

「今日も観にきていると高尾が言っていた。恐らく今のところほぼ毎回観にきているのだろうと思っているのだが」
「ああ、うん……高橋くんから聞いて、観に行ってるよ」

流石にストーカーみたいで気持ち悪かったかな。
不安でドキドキとしながら緑間くんの言葉を待っていると、はあ、とため息をつく音が聞こえた。

「それなのだよ」
「……えっ、それ?」
「何故俺のバスケを観にきていると言うくせに、俺に聞かない」
「えっ……だって、高橋くん隣の席だし……」
「俺だって同じクラスだろう」

そうだけど、緑間くんに直接聞いても迷惑では無いのだろうか。
そう思いながら、思わず下に下がって行った視線をちらりと彼に向けると、「迷惑なら来るなと言っている」と返された。すごい、緑間くんはエスパーなのかもしれない。

「苗字は分かりやすいのだよ。昨日だって俺を見ていただろう。視線が雄弁だ」
「視線が……」
「ああ」

いやなんか筒抜けなの恥ずかしいな、と思って、赤くなる頬を押さえる。
そっかあ、と返せば、緑間くんがポケットからスマホを取り出して「だから俺に聞けばいい」と言った。

「来るなら来る日を教えるのだよ。苗字は毎回細かに俺のシュートを見て、真っ直ぐな気持ちを伝えてくれている。ならば、俺もそれに応えるべきだ」
「……応える、……え?」
「連絡先を教えろ。……俺に普通に話しかければいい――が、無理ならこちらに連絡するのだよ」

(緑間くんの連絡先…!?………あ、そういえば、気になるあの人と大接近って……おは朝すごい)
おは朝の効果を疑ってごめんね、緑間くん。
目の前にいる彼に心の内でこそりと謝って、震える手でスマホを取り出し、連絡先を交換する。
すごい、私の携帯に、緑間くんが友達登録された……!
嬉しさのあまり飛び跳ねてしまいそうなのをどうにか抑えたけれど、「変な顔をしてる」と緑間くんに訝しげな目で見られてしまった。悲しいけれど嬉しさを隠しきれなかったようだ。

「あ、ありがとう……今度から緑間くんに聞くね」
「ああ。……ちなみにだが、夏休み前半は合宿があるから、苗字の期待しているような試合は無いだろうな」
「……そっかあ……夏休みか」

マネージャーになれば良かったかなあ、と一瞬思って、直ぐにその考えを振り払う。
いくら緑間くんのバスケが好きだとはいえ、そんな生半可な気持ちでマネージャーになるのは失礼だ。大人しく、一般でも観戦出来る試合が組まれるのを待とう。夏休みは長いのだ。

「八月になれば、いくつか試合は組まれるはずだ。……ただの内々の模擬試合でも良ければ、前もって言ってくれれば見せてやれるとは、思うが」
「……え、いいの?部外者なのに?」
「ああ。俺の一日三回までの我儘の一回を使えば問題ないのだよ。別に部活動に支障を来す訳でもない、ただの見学者がいるだけだからな」
「一日三回の我儘……」

私の我儘を緑間くんの我儘として使わせて良いのだろうか?……でも、緑間くんの事だから大丈夫だからそう言ってくれているのだろうし、最悪緑間くんのバスケ不足になってしまったらお願いしよう、と思って、小さく頷いた。今のところお願いするつもりは欠片もない。
けれど緑間くんは私のその態度に満足げに頷いて、それからゆっくりと立ち上がる。

「そろそろ戻る。……あまり遅いと高尾が茶々を入れにくるのだよ」
「……ああ……此処に高尾くんが来たらややこしいことになりそうだしね」
「全くだ」

ありがとう、と緑間くんに言えば、ああ、と緑間くんは微かに笑って、体育館へと戻って行った。

「……緑間くんの連絡先……」

スマホが宝物になってしまった、どうしよう。
なんて頭の悪いことを考えながら、私は昇降口へと向かった。
人が増える前にこのニヤけた顔をなんとかしよう。
そうは決めたものの、どうしても隠しきれなかったらしい、高橋くんに「なんかいい事あった?」と言われた。恥ずかしい。



20190711
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