「ありがとう……?」

きょとり、と突然声をかけた私を不審なものを見る目で見つつも、感謝の言葉を忘れない彼の生真面目なところを目にして、私はますます沼にはまる感覚を覚えた。
今までただのクラスメイトという認識しかしていなかったくせに、なんて現金な女だ。
我ながらそう思いつつも、徹夜で働かない頭と昨夜から収まらない興奮とで、彼に対する賛辞を思いつくがままに並べ立てれば、緑間くんはやはりきょとりとしたまま、「そうか」「ありがとう」「嬉しいのだよ」と一言一言に返答をくれた。
とんだ神対応である。

「昨日の試合で、緑間くんのシュートを初めて見て、こんなに美しいものを知らなかったのに、私、すごい後悔した」
「そうか」
「うん、だから――私、また緑間くんのバスケを観られるのを楽しみにしてる」

負けて残念だったね、とか、頑張ってね、応援してる、だなんて無責任な事を素人が言えるわけがない。
私はただ、あの感動を、私が緑間くんのバスケに感じたものを素直に伝えるしか出来なくて、でもそれが彼に届いたのだろうか。
ぱちぱち、と長い睫毛を瞬かせて不思議な顔をしていた彼が、ほんの少しだけ頬を緩めた。


「……ああ、人事を尽くすのだよ」


神様はやっぱり私を殺す気だ。そう思った。







――寝不足も無理をすると、一周半くらいしてひどい頭痛と吐き気に苛まされるなんて、初めて知った。

朝登校して、緑間くんに出会えてテンションがさらに上がった私は、そのまま幸せな気持ちで放課後を迎えるはずだった。
けれど今、私がいるのは保健室。
二時間目の終わりが間近になるにつれて、段々と体調が悪くなり、先生にも指摘されるくらい顔色が悪くなっていたらしい。
その後すぐ保健室に向かいベッドを借りて眠って――起きたら放課後だった。
「すごく青い顔で眠ってたから、起こすのが忍びなくなっちゃって」
そう優しい笑顔を浮かべて言った養護教諭は何も悪くない。体調を顧みなかった私の自己責任である。

「ずっとベッド占領してて、ごめんなさい」
「いいのよ、体調が良くなったならそれで。苗字さん、仮病ってわけじゃないし」

仮病ではないけど――ただの寝不足だからか心が痛むなあ。
ぼんやりとそう思いながら、ベッドから立ち上がれば、夕方頃にも関わらず外はまだ日が高い。
もうすぐ夏だなあ。
セーラー服の裾を直しながら外の景色を見ていると、保健室のドアの開く音がした。

「失礼しまーす!せんせー、絆創膏ちょーだい」
「あら、どのくらいの大きさがいいかしら」
「こんくらい」

ドアを開けて直ぐに入室の挨拶をした彼は、Tシャツにハーフパンツの練習着を着ていた。
まあこの時間だし、もう部活動も始まってるよね。
緑間くんに朝会えたのは幸運だったけど、お昼前の体育――男女別とはいえせっかくバスケだったのに、見れなくて残念だ。
あの試合ほどのすごいものが見れるとは思わない。でも、きっと彼は体育だからといって、手を抜こうとはしないだろう。……本気は出さないだろうけれど。
(見たかったなあ)
しょんぼりとしながら、教室に鞄を取りに行かなきゃと、長椅子に座り絆創膏を膝に貼られている男の子を横目に出入口に向かった。

「先生、ありがとうございました」
「どういたしまして。苗字さん、気をつけて帰ってね」

はい、失礼します。
そんなやり取りをしている時、こちらをじっと、多分何となく見ていた彼の鋭い目を、どこかで見たような気がする。
誰だったかなあ。
その内たぶん思い出せるだろうし良いか、と途中で区切りをつけて教室に入れば、誰一人いない教室が私を出迎えた。
朝もそうだったのに――――朝といえば、緑間くんはいつもあの時間、あの場所にいるのかなあ。
手慣れた手つきと時間とを考えて、もしかしたら朝練終わり間際だったのかもしれない、とぼんやり思った。

「あれ、L I N Eきてる」

鞄に入れっぱなしだった携帯を開けば、そう多くはない通知の中に、昨日の試合を誘ってくれた友人から連絡が入っていた。
なんでも、誠凛の練習を見に行かないか、というものだった。

「……練習、」

そういえばうちは放課後の練習、見れたりするのかな。もしくは練習試合とかやらないのだろうか。
友人への返信も疎かにぼんやりと考えて、そういえば隣の席の高橋くんも男子バスケ部だったなあ、と思い出した。

「高橋くんに明日聞いてみよう」

彼もたまに雑談でバスケ部の話を出していたし、試合やるから良かったら見に来てよ。俺は出ないけど、なんて言っていた。だから素直に、興味を持ったことを伝えれば、彼は教えてくれるだろうなあという予感がしていた。

「――あ、いたいた苗字さん!」

廊下に響いていた足音が止まると同時に、教室の出入口から私を呼ぶ声がして、思わずびくり、と肩がはねる。
視線をそちらにそろりと向けると、先程保健室でこちらをじっと見ていた男の子がそこにいた。

「はいこれー、スカーフ寝る時外してたの忘れてるってせんせーが」
「……あ、」

道理で何か足りないと思った。
彼が手にもつスカーフを受け取って礼を言えば、「全然いいよ」なんて言いながらからり、と笑った。
鋭い目だけ見ると冷たく見えるのに、愛嬌があるからかそんな風には見えないのか。
そんな事を思っていると、彼がそういえば、と続けた。

「苗字さん、体調大丈夫?授業中めっちゃ顔色悪かったじゃん」
「ああ、うん、ちょっと寝不足だっただけだからもうすっかり」
「そっかそっか!なら良かった」

授業中、の言葉にあれ、と何か引っかかるものを感じて彼をじっと見返すと、きょとり、と目を丸くされた。
黒髪に鋭い猛禽類みたいな目。最近どこかで見たような気がする。
背の高い、そう、緑間くんの近くで。……この教室で。
(――――あ、そうだ。高尾くんだ)
私ってもしかして顔を覚えるのが苦手なのかも。
コミュニケーション能力が高くて誰とでも仲良くする彼は、クラスの中心的人物だったはずだ。
随分と目立つし、昨日も試合で見たのに。
どうやら私は、私がよく喋る人間と、先生と、広い校内の道筋を覚えるので精一杯だったらしい。

「あ、もしかして高尾くんに惚れちゃった?」
「……え?」
「……あ、ごめん、今のナシね。そんな不思議そうな顔しないでよ。高尾くんジョークだよ」

じゃあお大事にな!と爽やかに笑って去っていく彼をぼんやりと見つめて、彼をちゃんと覚えることが出来ていなかった事を反省した。とても良い人だったから余計に心が痛む。
(そういえば、私がクラスメイトの事ちゃんと覚えられてないって事は――緑間くんは)
もしかしたら、私がクラスメイトな事すら気づいていないのでは?
そうしたら、今朝の不思議そうな顔もしっくりとくるような。でも、生真面目な彼の事だから名前と顔だけは覚えているかも。いやでも、なんてどうでも良いことをぐるぐると頭の中で考えていると、窓の外で笑い声が聞こえた。

「あ、高尾くんと――緑間くん」

先程去っていったはずの高尾くんは、もう体育館通路へと着いたらしい。早い。走ったのだろうか。
そんな彼は今朝と同じ場所にいた緑間くんを見て、爆笑しているようだ。
何があったのか気になるけれど、距離が少しあるから見えない。というか、単純に高尾くんの声量がすごい。

「……ふふ」

よくは見えないし聞こえないけれど、そんな高尾くんに緑間くんが声を荒らげているようだ。
仲良さげな二人が微笑ましくて――何より、帰りも緑間くんを見ることが出来て、なんだか嬉しかった。

「帰ったら続き見よう」

今日は程々にして、明日高橋くんに練習試合とかについてちゃんと聞こう。
そう心に決めて、教室を出る。
なんだか今日は、とても良い日だったような気がした。


20190708
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