今吉先輩。
胡散臭い、私に無いものばかりを持っている、人間くさい、サトリ。

それから、花宮に関係なく、ただ――私の先輩でもある人。







「ほな、また明日な。……花宮、ちゃーんと、苗字ちゃん送ってくんやで?言うとくけど、嘘ついたら直ぐわかるからな、誤魔化すんやないで?」

――分かったんならちゃーんと返事せなあかんよ?
なんら変わりのないその笑みが、ひどく重苦しかった。
所謂、圧力というものなのだろうか。

「わかってますよ」
「はい」

花宮も私も、嫌悪とかそんなの置いて、頷くしかなくて。けれど、その先にある、「一緒に帰る」という選択肢には、確実にバツをつける。
確かに、この人ならわかるだろうなとかそういうのよりも、やはり自分を優先してしまうのは、仕方がないことだ。

「……お前らほんまにわかっとるんかいな」

はあ、と少し困ったように眉が下がる。
演技くさい。
なんとなくそう思って、けれど口には出さずにいれば、今吉先輩が不意に楽しげに笑った。

「演技くさい思たやろ、自分」
「まさか、思ってませんよ」

これは多分ばれてしまうだろうな、という予感と共に、けれど一つしかない選択肢に思考を向ける。
花宮は、黙ったままだ。

「ま、ええわ。花宮、いい子やからちゃんと先輩の言うこと聞くんやで?」
「そうですね」

何の感情もない声が聞こえる。
ただの声だというのに、何だか嫌な感じがふつふつと身の内から湧き上がってくるのがわかった。
それと同時に、今こう感じているのは私一人だけではないことを、何となしに悟ってしまう。
(いやだなあ)




あ、そういえばこれ落としとったで、と笑いながら渡された物は、先程無くしたと思っていた生徒手帳だった。もっと早く渡してくれればこうはならなかったのに。
楽しげに笑って去って行った先輩の背中を恨めしげな目で見えなくなるまで見続けて、それから、お互い家の方向ではないほうに、背中合わせに向く。
無言。
何も考えなくとも動く足。

……こうなることなんて、わかっているだろうに、何故、と思う。
ただの興味本意か、それとも本当に後輩同士を仲良くさせてやろうという様な善意からなのか。
(いや多分、絶対前者だろうな)

ぼうっと考えながら歩いていると、不意に背後の音がいなくなったような気がして、思わず振り向いてしまう。

「っ、」

目が、合う。
真っ直ぐな黒い、闇みたいな色。
底なし沼のような恐ろしい感覚を抱いて、思わず声すらあげることが出来なくなってしまった。
何故、ばかりが警鐘のようにぐるぐるとしている。
(……花宮、)

息をのむ。
それと同時に、花宮がその薄い唇をわずかに開いた。

「……」

けれど何かを紡ぐ様子もなく、ただ沈黙だけが場を支配する。
無音。
時折吹く風に眉を寄せながら、けれど、花宮から目をそらすことも出来ずに、私は立ち止まっていた。


「……お前の」
「な、に」

数秒程度の経過が数分にも数時間にも感じる頃、ようやく音が耳に届いた。

「家、あとどれくらいだ」
「いえ、?」
「………今吉さんがうるせえんだよ、だからだ」

ぱちり、と瞬きをして。
「五分くらい」とたったの六文字を口にしながら目も合わせずに呟いた。
花宮はそれに何も返さず、ただほんの少し早い歩調のまま私の少し前を歩いている。

「……」
「……、」

距離を保って無言のまま歩いていれば、そのうちに家の近くのコンビニまで来て、ここで良いとだけ告げれば、花宮はやはり何も無かったかのように元の道を戻って行った。

……それだけ。それっきりだ。
花宮真と悪態も睨み合いもなく、――気まずさすら微塵もないままに、ただ隣ともいえない距離で歩いたのは。
まるで自分しか居ないみたいだった。一人ではないし、普段の帰路ともまた感じるものは違うのに。
あの感覚は、一体何と表せば良かったのだろう。



その後たまたま(というかこちらの絶対動きを読まれている)今吉先輩に会った時に言われたのは、「お前らほんま難儀やなあ」という他人事だけであった。解せない。





「……そういえば、あの人も都内に進学したんだっけか」

ぼんやりと目の前の読み合いを見ていれば、見覚えのある顔がニヤリと腹の底を見せないままに笑って、目の前の敵を抜く。
きゅ、と床を鳴らすバッシュの音がなんだか懐かしく感じた。
(バスケ部だったことは一度もないんだけどなあ)
最後の最後。ふらりと見に行った全中の試合。
タイミングがズレてズレて――やがて崩壊していく試合。最悪で最低の蜘蛛の巣。
そういえば私はそんなものしか見たことがなかったな、とぼんやり思っていれば、どこまでも読み切れない人が不意にこちらを見上げた。

「……あ」

気づかれた。
目の奥も見えない細められた目が、楽しそうに更に細まっていくのが見える。玩具でも見つけたような顔だ。
(……ああそうだ、玩具だ)
良い玩具を見つけたような顔をして、いつも私と花宮を見ていた。
隙を見てはこちらを引っ掻き回していくような。
けれどもそのくせ私とは、最後まで私が許せる"適度な距離"を測ったまま、卒業して離れて行った。

こちらには反撃を一切許さないまま、逃げ勝ちした人。
それがなんだか腹立たしくて「妖怪サトリ」と最後の最後に呼べば、僅かな間を置いて大きな声で一頻り笑ったのを思い出す。


「は、はは、……いやほんま何でやねん」
「……いやこっちの台詞なんですけど」
「あかん、こんなん反則やろ……なんで最後の最後まで苗字ちゃんと花宮はおもろいん?ほんまあかん。せやからワシみたいなのに遊ばれるんやで?」

やっぱり遊んでる自覚はあったんですね。
目の前で爆笑する男とは裏腹に冷めていく思考のまま呟けば、「せやな」と返された。
せやな、ではない。

「あーあ、ほんまはもっと見てたかったんやけどなあ。あかんな。続きが気になってまう」
「……続きなんてないですよ」
「あるて。お前らが生きてる限り続きはあるで。……だってお前らやし。これで終わりにはならんやん」

なんの事だ?と首を傾げれば、そのうちわかるで、と先輩は笑った。
今となっては憶測でしかないのだけれど――まだ進路をぼんやりとしか考えてなかった私と花宮が、結局同じところに進学する事になることすら、この時点で見抜いていたのではないだろうか。恐ろしい。さすが妖怪サトリ。

「あーあ、もうお前らまとめてウチの高校くればええやん」
「遊ばれるのがわかってて行くわけないやん」
「お、珍しい。出とるで方言」
「……もう黙っててくれます?」

うちは両親とも元は関東の人間だし、うっかり先輩ににつられただけだ。
まわりに方言を使う人間しかいなければつられることだって偶にある。反射的なあれだ。

「ひどい後輩やなあ」
「ひどい先輩ですよね」
「せやな」

だから、せやな、ではない。
そう強く思いながら睨みあげれば、怖いなあと笑って、そうして一度だけ先輩は私の頭を撫ぜた。

「ほんま、……もう少し苗字ちゃんのこと、かまったげれば良かったんかなあ」

ほんの少しだけ、後悔してるような声だった。
いつも一歩どころか四、五歩ひいたところにいた先輩は、初めて、私の隣まで寄ろうとしていた。
私はそれに驚いて、何も言えないまま先輩をただじっと見る。

「自分、何も無いなんて事、ないで」

何もかもを分かったような笑みで、先輩は言う。
私はそれに僅かに眉根を寄せた。
一度も言ったことが無かったのにな。なんでバレているんだろう。

「ワシにとっては苗字ちゃんも可愛い可愛い後輩なんやし、寂しくなったらいつでも連絡して来や」
「……ないです」
「うん、いつでもええで」
「だからないですってば!」


そうして全てお見通しというふうな顔をして笑った先輩が卒業して、一年ちょっと。
私は一度も連絡をしたことが無い。当然のことである。
私のいる観客席から少し離れたところにいる先輩は、先程私と目が合った事なんてなかったみたいな顔をして、チームメイトと話していた。

「……寂しくなんてないってば」

過去の先輩に、それから今さっき笑っていた先輩に向けたはずの言葉は、まるで意地を張っている小さな子供みたいに拗ねた声音が浮かんでいた。



20190627

忌々しい過去を縁どる人。
prev next
back

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -