その存在を知った時、単純に面白いなと思った。

ただそれだけだった。
体のいい玩具を見つけたみたいな。そういう感覚。
それだけで良かったんだよなあ。ぼんやりと思って、重たい腰を上げた。

「原くん」

そう何の感情もなさそうな顔をして、その目の奥に何かをギラつかせては素知らぬふりをする女。

この何とも言い難い感情が何なのかわからないから。だから。
オトモダチゴッコの続きを始めよう。







空がとても、青い。

「苗字ー」
「……なに、原くん」
「……いい加減その敬称とっぱらっちゃってもいいんだぜ?つーかお前だったら一哉って呼んでもいーけど?」

許す、と、いつも通りニヤニヤとした笑みを浮かべながら言う男の言葉は、ひどく薄っぺらい。信憑性がない。
これもいつものからかいだ、というのは明白だった。

「それで?用はそれじゃないでしょ」

どうでもいい、といった色を言葉にのせながら言えば、原はその笑みを深くした。
薄いピンクがかった紫の髪が、微かに揺れる。

「おー、そうそう、あのさ」
「うん」
「メシここで食っていい?」
「……そんなの一々私に聞くべきことなの?」

いちおー、とほんの少しだるそうな声音に好きにすればいい、とだけ返す。
原は笑う。

(変なの)

……原は、よくわからない。
思うがままに、自由に、自分のやりたいようにしている。
こういうふうに寄ってきたかと思えば、不意に目を離すといなくなっている。
まるで、猫のようだ。

(そして私はこいつのことを、よく知らない)

じ、と見ていたことに気づいたのか、原はなーに?とこちらを向いた。

「何も」

ない、という言葉は少しだけ掠れてしまった。
原はふーん、と言うと、また笑う。
少しだけ癪に障ったけれど、居心地は、悪くなかった。



――あの日、あの後、次の授業の時間には既に私は原にメールをしていて。
気持ちの悪いくらいの早さじゃないか、と思うくらい、なんだか、小さな子供のように、はやる気持ちを抑えきれなかった。

そしてそんな私を原は笑った。なんの遠慮もなしに。なんの考慮もなしに。
――たくさんの人の前で。
あの時は本当に"真面目な苗字"の体裁を取り繕うのが大変だったのを思い出して、ため息が漏れた。


「……なあ苗字、考えてること当ててやろっか?」
「……なに」
「俺に初めてメールした後のことだろ?」

は、と声が漏れた。

「お前がそういう顔する時ってあのこと思い出してるときだって知ってた?」

からかいの混じる声音。
知らなかったと言うには少し、私のプライドが高すぎて、さあ、とだけしか返せなかった。







「あー、ねむ」

ご飯を食べ終わった原がぽつりと呟いた。
紫の髪が、陽に透けて、キラキラと輝く。


――ぽかぽかと、あたたかい陽が差すこの場所は、思ったより人気がない。
裏庭なんて名前が付いてるからか、それとも、学食のくせにやけに豪華で、テラス席なんかもある食堂がひどく人気があるせいかはわからないけれど。

「苗字は、ねむくねーの」
「今日はあんまり」
「は、今日は?なんで?」
「誰かさんのせいじゃないの?」

暗にお前がいるから気を抜いてリラックス出来ないのだ、と少しからかいの意味も含めて言えば、やはり原は笑った。

「なーに、名前ちゃんは俺のこと意識しちゃってんの?」
「……は?」
「いやー、原クンが罪な男でごめんねー」

口直しになのか、原はいつの間にか噛んでいたらしいフーセンガムをぷくりと膨らませて、ぱちん、と潰す。
それから、一旦立ち上がったと思えば、ベンチに横になるような体勢になった。


「膝かして」


つーか借りる。寝る。おやすみ。
そう言って、頭を私の膝の上に乗せて、静かな沈黙が落ちる。


(……なにこれ)

私の膝を勝手に借りた原は静かで、もう深く眠りに落ちているようだった。
――寝息が微かに聞こえる。
なんだかむず痒いような気持ちになって、誰も見てないのに、ぼうっと遠くを見るフリをした。


ざあ、と風が吹く。原の髪が揺れる。
さらさらと流れる髪に、思わず触れてしまった。
染髪で傷んでいるだろう髪を指に絡め、通す。思ったよりもふわふわとしていて、気持ちが良かった。


「……んー、」


少し唸るような声が聞こえて、手を離す。
原は依然眠ったまま、ほんの僅かに身じろぎをして、また沈黙。


「……私、何やってるんだろ」

そもそも、これは友達なのか。
友達が、することなのか。
疑問は新たな疑問を浮かび上がらせ、けれど、確実な答えを出せないでいた。


原一哉の隣は、近くは、ひどく居心地が良い。
苛立ちを覚える所もあるけれど、わかりにくいけれど、でも、どうしたって私の嫌いな"良い人"ではないからなのかもしれない。
それだけで許せる私はなんて単純で、傲慢で、それから、自分に甘いのか。

正しい人が許せないのは、こんなにも愚かな自分を正当化したいからなのではないか。

……あの頃、とても許せなかった、許そうとは思わなかった正しい人を、美しい人間を思い出そうとした。思い出せなかった。


「…………、」

美香。

まるで、人形のような容姿をもった、正しく、真っ直ぐで、綺麗な世界に生きている、それこそまるで天使のような、人間。


「……思い出せない」


どんなに興味が無くたって、顔も見たくない人間だって、思い出せないことなんてなかったのに。けれどそれとこれとはまた別らしい、というのを改めて思い直す。
そう、思い出はどこまでも透明だ。
誰かが――確かに近くには、美香という人間が居たのに。
何をしたか、どう過ごしたのかすら最早思い出せない。どうでも良い記憶として薄れてしまった。


そう思う間に、あたたかさでか急な眠気に誘われた。多分、膝の上もあたたかいのがいけないのだ。
眠気で意識が遠のく中、近くに置いたままの膝掛けを、人の膝の上で遠慮なく眠るそれにかける。
――春風が時折冷たいから。それだけだ。







「――オイ、原。お前いつまでそこで寝てんだよ」
「……あー、……ん?ザキ……と、花宮?何してんの」
「部活だ部活。時間見ろバァカ」

え、と呟いて、ポケットからスマホを取り出す。
あらら、こんな時間かよ。

「あー、悪ィ……ゴメンナサイ花宮クン」

とんでもないえげつない花宮のオーラに思わずビビる。怖すぎ。


……そういえば、と思う。
どこを見ても、昼休み共に過ごした存在が、居ない。

(……先に帰ったんだろーな、薄情な奴)


「おら、とっとと立て、原」
「はいよー」

さてと、と立ち上がろうとした時、何かが落ちそうになって、思わず掴む。
それは薄桃色の膝掛けで。
それを見て、先ほどまで自分にかかっていたのだろう、ということに気づいた。


「……これ、」
「あ?お前どーせまた誰か女ひっかけたんだろ」

そいつのじゃねーの?と言うザキにいやそうじゃねーよ、と思わず返してしまう。
案の定訝しげな目を向けてくる奴に、軽口を叩こうとして、けれど、出来なかった。

(なんかすげえ、むず痒い)

いつもニヤけている口元だと言われるけれど、それ以上に、なんだか、変な風になっている気がして、少し俯く。
なんて表せば良いのか、わからなかった。



「……先行ってるぞ」


少しの沈黙を破ったのは花宮だった。
なんだか、気のせいでなければ少し機嫌が悪い様に見えた。

「なんだ花宮のヤツ」
「なんか早く行かねーと行けない用事でも出来たんじゃね?」

膝掛けを慎重に畳んで、それからガムを口に放り込んだ。
余計な事を喋りかねなかったからだ。

(気のせいじゃなきゃ…………気づいたんかね、花宮)


この膝掛けの持ち主が苗字だって。


「気づいたんだとしたら、ほんとすげー、執念つーか……」
「お前もお前で何ブツブツ呟いてんだよ、気味悪ィ」
「ザキのその顔には負けるわ」

は?!
素っ頓狂な声をあげて、冗談を本気にするザキに、思わず笑い声をあげる。

(嫌いなのに執着してる時点で相当、歪んでる)



花宮も、苗字も。

そこに割り込もうとしてる俺も、かもなあ。


ぷくー、とガムを膨らませて、ぱちん、と潰す。
膝掛けを持つ手に、ほんの少し力がこもった。







面白そうだと思ったのだ。確かに、最初はそう思っていた。
同じ色をした目で周りを見るあの女からは、どんな風に見えているのか。
そんな、興味本位だった。


「何そんな不貞腐れた顔しとんねん」

眼鏡の奥にある細い目が爛々と楽しげにぎらついているのに気づいて、思わず眉を寄せた。

「そないに苗字ちゃんの隣が気になるんか」
「何言ってんのかわかんねえよ」
「せやかてむっちゃ見とるやん。苗字ちゃんのこと。気になるんやろ?気に食わんのやろ?」

んなわけあるか。
ほんの少しの嘘を混ぜて返すも、目の前の妖怪サトリは、全てお見通しとでも言わんばかりに笑みを深くした。

「ただの同属嫌悪ならもっと目一杯離れればええやん。どうせお互い一番遠いクラスなんやし。それを利用すればええ。敢えて相手の思考考えて避ける、っちゅー手ェ使わんかったのは何でや。わかっとんねやろ?」

いかにも面白いと言わんばかりの声音に、何かを返す気にはならなかった。
沈黙。それは、


「沈黙は肯定やで」



軋む音がした。




20131208
現在と過去。



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