気持ち悪くないのが困る時が来るなんて、思いもしなかった。





「ワシからしたら、ってめっちゃ思うねん」

ぽつり、そう呟いて、脳裏に先程の二人の姿を浮かべた。
記憶の中の二人は、いつかの自分達の、腐れ縁のような付き合いの始まりの時とは全く違う顔をしていた。
何もかもに飽いて不貞腐れたような目、無関心を装ってけれど逸らしきれなかったそれを、何かに気づかないように互いに背を向けあっていたように思う。

「ほんましょーもないアホな後輩たちやわ」

でもたぶん、それが可愛くて仕方がなかったのだろうと、今となっては思うのだ。
互いに告げる言葉の関心の先は明らかに互いに向いていたのに、嫌いだからと片付けたその幼さがなんだかいじらしくて。
(だからつい遊びすぎたわ。反省反省。……まさかこんな拗れるなんて、思いもよらんかった)
一年と少し。
それが短いか長いかはわからない。
けれどもきっと、あの二人にとっては短くて――それからとても長い、自分を保つ為の最適な距離感だったのだろう。


『花宮、お前来週の頭、放課後空けろや』

数日前、からかいついでに電話先で告げたそれに、花宮は死ぬほどしぶしぶと頷いた。(というか頷かせた)
恐らく最終的にバックれる気の後輩に、もう一人の後輩をチラつかせれば、比較的素直な返答が返ってきたのはほんの少しばかり拍子抜けだった。
それと同時に、ああやっとか、という安堵のようなものを感じたのは致し方のないことだろう。
だってあんなにも、あいつらは最初の最初から、互いしか見ていなかったのに、気づかないものだから。
(――なーんか、最早懐かしいわ)
死ぬほど青い顔で、けれど何処か楽しげな表情をした、世間を舐め切った後輩の姿が脳裏を過ぎる。
『面白いものを見つけただけですよ』

それは、花宮がほんの少しだけ、まだ、俺に対しても猫を被ろうとしていた頃の話だ。







「……なんや花宮、めっちゃおもろい顔しとるやん」
「……は?」

いつも通り、今は使われていない、部室棟の空き教室の一角に座りぼやりとしている後輩に声をかければ、やはり遠目から見た通り、色々な感情を綯い交ぜにした表情を浮かべていた。
良い子然とした表情か、心底退屈だ、と言わんばかりの表情をしているかの二択なのに珍しい。

「むっちゃ吐きそうなのに、むっちゃ楽しそうな顔しとるで。なんなん?目覚めた?ドMにでもなったか?」
「は?アホか」

間髪入れずに嫌そうな顔をした花宮は、最近良い子面が時折外れるようになってきている。
多分本人はそのつもりはないのだろうけれど。(時折しまった、という顔をすることがあるのだ)

「いやほんまやで。顔色死ぬほど最悪。鏡見たらええんちゃう?…………で?おサボり中の花宮くんは何かええことあったんですかね」
「……」
「ほら、素直に吐きや。先輩はな、可愛ええ後輩のこと、先生に告げ口なんてしたくないんや」
「……」

恐喝じゃねえか、と言わんばかりに眉間に深い皺を寄せた後、花宮は小さくため息をついて、死ぬほど嫌そうに口を開いた。

「面白いものを見つけただけですよ。……死にたくなるくらい最悪な」
「…………死にたくなるくらい最悪なおもろいもん?」

なんやそれ、物?人?
何か良いこと(多分)があったのだろうと思ってはいたものの、そういう返答が来るとは思っていなくて、ほんの少しだけ面をくらう。
この、世の中退屈ばかりだ、と世間様を舐め腐った態度の後輩にしては珍しすぎる返答だったからだ。

「……人」

思わず聞き返したそれに小さく返された言葉の響きを、俺は多分一生忘れないと思う。
からかって遊ぶ為が七割八割で、残りが――後輩に訪れた運命的な出会いへの祝福だ。

「ほーん、そりゃあ珍しいな。どんな奴なん?」

聞かせてやと強請ったそれに、花宮は青い顔のまま、珍しく普通に話し始めたから、これは面白いことになりそうだ、と思った記憶がある。
そうしてそれはやがて遠目に見た二人の姿や関係性から疑いに変わり、初めて噂の"面白いもの"と花宮に関わった時、確信に変わった。


「――何そんな不貞腐れた顔しとんねん」

それから。
ある日、俺はもう一つの可能性に気づいてしまった。
もしかしたらば花宮と苗字ちゃんの持つものは、"それ"だけではないのではないだろうか、と。

「そないに苗字ちゃんの隣が気になるんか」

いつもの空き教室の定位置。
窓から外を覗く、可愛くて可愛くない後輩の目の奥に、ギラギラと光るような熱を見つけてしまった。

「……何言ってんのかわかんねえよ」
「せやかてむっちゃ見とるやん。苗字ちゃんのこと。気になるんやろ?気に食わんのやろ?」
「……は?んなわけあるか」

馬鹿じゃねえの、と舌打ちしながらも目は外に向いていて。なんて素直じゃない後輩だ、と思う。
逸らそうとする声音とは裏腹に、何故その目を逸らさないのか。
忌々しげに細められた目は、苗字ちゃんを睨んでいるように見えてその実、その隣にいる名も知らない女子を睨んでいるのだと、きっと本人は気づいていやしないのだろう。
無意識に意識をしている花宮の鈍感さに、はあとため息をついて、それから口を開いた。

「そんならもう、苗字ちゃんから離れればええよ」
「……何、」
「ただの同属嫌悪ならもっと目一杯離れればええやん。どうせお互い一番遠いクラスなんやし。それを利用すればええ」
「……」
「敢えて相手の思考考えて避ける、っちゅー手ェ使わんかったのは何でや。わかっとんねやろ?」

なあ花宮。
窘めるようにその名を呼べば、花宮は外に向けていた目線を一度こちらに向けて、それから、また外に向ける。
何かを言いたげな唇は、けれどそれでも動かなかった。
――あの花宮が、だ。
自分の意思を、意見を、躊躇って言葉にしないような男ではない。
だからたぶん、きっと。その奥の奥では、わかっているのだろう。
(……アホやな)
お前がそうならきっと、苗字ちゃんもそうなんやろ。
全く似ていないようでいて、根本的な部分はやけに似通う二人は、時折同じような目でお互いを見ているのに、それに本人達だけが気づいていないのだ。
嫌悪と羨望と嫉妬。それから。


「沈黙は肯定やで」


その奥に密かにある、歪んだ恋のようなものに。

(……ああ、これはどう転ぶんやろか。上手くいく?それとも気付かないうちにカッ攫われたりする?……でも、出来ればハッピーエンドがええなあ)
何も返せない花宮を横目に、素直ではない、可愛い後輩達の幸せを祈った。







「……花宮」

どこ行くの、とちらりと少し前を歩く男を見る。
とっくに寮の方向への分岐路は過ぎた。
(……なんか、やわらかくなった?)
行くぞ、と私の手を引いて先を進む男の横顔を見て、思う。
いつもの刺し殺しにくるような重たい感覚はどこにもなく、かといって、友好的な感じがするわけでもない。完全なる無臭。居心地が悪いわけでもなく。
まるで、――私がそこにもう一人いるだけみたいな感覚がした。

「知らねえ」

ぽつり、と返された言葉に思わずぱちり、と目を瞬かせ、四文字を反駁させた。
(……知らねえって言った?)
じゃあ一体今、私達はどこに向かっているというのか。

「……迷子はごめんなんだけど。グーグルマップ開く?」
「……そういう意味じゃねえよバァカ。この辺の地理なら頭に入ってるっつーの」
「じゃあ花宮くんはどこに向かってるんですか」
「…………どこでもいい」

お前がいるなら。
返された言葉の意味は、どういう意味なのだろう。
まるで少女漫画のように甘い言葉には、そういった甘さは全く含まれてはいない。
だからたぶん、その言葉の意味そのままなのだろう、と思う。

「……今吉サンが」

間を開けて、花宮が言葉を落とす。
先程ひどく楽しげな顔をして手を振り去っていった先輩がどうしたのだろうか。

「……今吉センパイが、何、」
「……さっきお前にも言ってただろ。話して確かめろって」
「ああ、うん」

そういえばそんなことを言っていた。
そう思ったところで、何かがカチリとはまる感覚がして、そうか、と思う。花宮は今、難儀やなあ、と私と花宮を見る度に苦笑いしていたあの人の言葉の通りにしようとしているのだ。
あの人の言葉を素直に聞こうとする花宮なんて、レアにも程がある。写真にでも――ううん、動画にでも収めておくべきだっただろうか。
(……なんて、茶化してはみたけど)
そうやって脳内だけでも落ち着かせないと、やけに早鐘を鳴らす鼓動が聞こえてしまうのではないかと、そんな気がしていた。

「なら、あれでいいじゃん」
「……あれ?……ああ、あれか」

ぼやりと脳裏に浮かんだそれの正しい名称を呟くより前に、合点がいったのだろう花宮が頷いた。
細かい路地をいくつか抜けた先、夕も溶け夜になろうとしている公園が見えた。
そこそこに広いそれは、この地域でも一番大きいと聞いたことがある。
少し遠くに見える噴水は、ライトアップされていて、この微妙な暗さでもはっきりとその輪郭が見えた。



このあたりでいいだろ、と呟き適当なところに腰をおろした花宮の、ほんの少し間を空けた隣に座る。
ここはあの場所ではないのに、だのにいつかの夕暮れの続きが、そこにあるような感覚がしていた。

「……」
「……」

互いを沈黙が支配する。
話すと言ったって、私と花宮がまともに話した事は多分、数えられるくらいしかないから当然だろう。
それに何より、――話さなくても分かるという当たり前のような確信がそこにあった。

「あー、」

何かを言おうとして、やめる。
珍しい花宮の姿を横目に見て、けれど私も同じだ、と思った。
口を開こうとしては閉じて、を繰り返しているのだから、結局同じことをしている。
(同じだって思うのに、変なところで違うって言う、か。――確かにそうなのかもしれない)
いつか、今吉センパイがアホやなあと言ったそれをぼんやりと思い出して、制服の裾をぎゅ、と握った。
だって、今も同じだ。
花宮と私が同じだ、と思いながら、けれど言葉にしようとしてはやめるそれが同じだとは思えなくて、だからやめてしまう。
(……変なの)
どうしてこんなに、不安に思うんだろう。
あの時からずっとそうだ。初めて出会ってしまったあの日からずっとそうだ。いいようのない、漠然とした不安のようなものが、花宮を前にすると私を取り巻いては焦らせる。
私が持たないものを持つ花宮が羨ましい。私の持てないものを持つ花宮が妬ましい。私に似ている花宮が嫌いで、だから。

「……目を、」

ぽろり、と言葉が零れた。
隣に座る花宮はこちらにただ、視線だけを向けて黙っている。

「……目を、逸らしたかったんだと思う」

じわりと何かが腹の底から這い上がる感覚がして、私はそれに舌打ちをしたくなった。
だって、熱い。熱くて仕方がない。さっき花宮が触れていた腕だって。今も。
瞬間、気持ちの悪さが私を襲う。
う、と吐きそうになる感覚を堪えている私は、きっとひどい顔色をしているに違いない。

「目を逸らさなきゃ、だって、……だってそうじゃなかったら、報われないじゃん。このままこんな風に生きてきちゃったのに、自分がそうならなかった自分が、すぐ手の届くところにいるんだよ。そんなの、死ぬほど絶望するに決まってる。死ぬほど吐き気がするに決まってる。こんな、子供みたいな癇癪起こす私が一番気持ち悪い」

花宮は、何も言わない。
ただただじっとこちらを見ていた。

「…………私、羨ましかった」

花宮のこと。
そう続ければ、途端に頬が熱くなる感覚がする。
死にそうな顔色をしながら頬を染めるなんて器用な真似、たぶん今後一生出来る気がしない、と頭のどこかで冷静な――現実逃避をしている私がぼんやりと思った。

「つまんないって目をするくせに、執着出来るものを持ってるから。だから、知りたかった。……だから、試合だって、み、見に行った。……なにもわからなかったけど」
「……、」
「……花宮はさ、違うんじゃないかって、私思ってた。こんな風に思ってるが故の嫌悪なんかじゃないって。……なのに、今吉センパイは言うんだ、アホやって。………………ねえ、」

そうなの?
そう視線を花宮に向ければ、ひどく顔色の悪い花宮が、どこかバツの悪そうな顔をしてこちらを見ていた。
(……ああ、私もたぶん、こんな顔をしてるんだ)
顔色を悪くして、感情が高ぶっているからか僅かに頬を赤くして、どこか迷子みたいな顔をして自分を互いに探している。
厄介な感情だと思った。

「……お前の」
「……うん」
「お前の目が、嫌いだ」

俺とは違うから、嫌いだ。歪んで屈折してるのに、透けるみたいに綺麗だから、叩き割りたかった。
――そう続けた花宮の声音には、悪意はなく、ただ羨望のようなものが滲んでいた。

「……体の中を電流みたいな、毒みたいなモンが這い回った感覚、お前覚えてるか」

唐突に花宮がそう言う。
なんのことだ、と普通なら思うそれを私は当たり前みたいに「あれか」と思って、まるで私もそれを感じていて当たり前みたいな事を言う花宮が、なんだかおかしい。
うん、と私が再び頷けば、花宮はハッ、と鼻で笑って続けた。

「バカみてえだと思った。頭がイカれたのかって。…………今吉サンにお前の事を、吐きそうになりながら初めて話した時、あの人言ったんだ。"運命やん"って。バカに加えてクソみてえな言葉だとすら思ったね」
「……うん」
「………………でも、気持ち悪くて仕方がねえけど、……死ぬほど嫌だけど、」

そうなのかもしれねえって少し思う。

それは、消え入りそうなほど小さな声音だった。
花宮は私から目を逸らした。でも、意識はこちらに向いたままなのだから、結局逸らせていないのに。
可笑しくて思わずふ、と笑みが零れた。
(…………ああ、そういうことか)
今吉センパイの言っていた"逸らそうとして逸らせてない"って、多分こういう事だ。

――意識してる。互いが、互いを。
ずっとずっと前から。一番初めから。
かけ違えたまま、ここまで来た。

「――、」

花宮の言葉に、何かがすとん、と腑に落ちた感覚がしていた。
(……運命、)
らしくない言葉だ。そんな甘さの欠片もない関係だ。
ただ互いに無いものねだりをしていただけなのに。

『八割くらいはそれで合っとるんやと思うで』

……八割。うん、八割は多分そうなんだろう。
なら残り二割は、見なかったフリを続けてきたそこに答えがある。
(センパイ、私、――ううん、私と花宮は本当に、アホだった)
花宮に視線を向ける。
どこかほんの少しだけ血色が良くなったように見える男の、何が引っかかったのかはわからない。
ううん、たぶんその全部がきっと、そうだった。

「……ねえ」

お互いに弱っているのだろう、静かな息遣いだけがそこにあった。
少しずつ近づいていく。少しずつ、近づいている。踏み込んで、踏み込まれた。なんだか、なんでだろう。気持ち悪くなかった。……なんだか心地良ささえ感じた。

「……花宮」

花宮は逸らしたままと視線をこちらにゆっくりと向けると、つまらなそうに、嫌そうに。それから少しだけ、よくわからない、困惑のような喜色のような、何かがないまぜになったような顔で、微かに笑った。

それを見た途端、これまでの羨ましさも妬ましさも嫌悪感も、何もかもがどうでもよくなるような感覚がして、アホだなあ、と内心で思う。

「……苗字」

なんだ、すごく単純な事だったんじゃないか。
電流みたいな、毒みたいな、なんて。あれは我ながら的確な表現だったに違いない。
嫌だと言いながら、単に目が離せない理由、そんなの。





「……すき」



ただシンプルに、それだけだ。



20190707
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