「苗字、花宮のこと好きなの?」

いつもとはほんの少しだけトーンの落ちた声音で言われた時、動揺しなかったと言ったらたぶん嘘になる。
少なくとも直ぐに違う、と返せなかったところで、この何とも言い表せない感情をどう伝えるべきか迷っていたのだろうなと思った。

「いや、それはない」

少しだけ間を開けて返したそれに、ふうん、とだけ返して、原は手元のいちごオレを飲み干した。
前髪が長すぎて、相変わらず原は表情はよくわからない。けれどなんだか少しだけ納得がいっていないようだ、というのは何となく感じていた。

「……なんで?」
「うーん、……目?」
「……目?」
「うん」

聞いておいて理由は言わないのか。
はあ、と小さくため息をついてぼんやりと思う。
――目、かあ。
少し前まで僅かに関わりのあった、元・男バスマネージャーの彼女も何か似たような事を言っていたような気がする。
けれど、最早過去のことだ。薄れに薄れたそれに、覚えたはずの彼女の顔も名前ももう思い出すことが出来なかった。
(そんなことより、……花宮の方が気になる)
沈黙を保ったままの原を後目に、ぼんやりとその時のことを思い出す。







「まさか、いつも俺たちに良くしてくれてるシライさんにそんな事思ったりする訳ないじゃないか。



――なんて言うワケねぇだろバァカ」

中途半端な猫をかぶっていた男は、彼女の何気ない問いかけに、呆気なく本性を現した。
面倒くさいから。それだけの理由だったように思う。
何故なら私も同じ思いで彼女を傷つけようと言葉を選んだからである。

五月蝿いウザい煩わしい。
私がそう思っているのだから、花宮がどう思っているかなんて、そんなものとうに明白だろう。
信用も信頼も欠片も置いていない花宮に唯一持つ、不気味なまでの確信に、疑う余地なんてどこにもなかった。

「……っ、」

ぼろぼろと涙を零す彼女は、可哀想だった――と思う。確か、そう思った筈だ。
花宮に対して淡い恋心を抱かなければ、他よりも近くにあると安心しなければ、せめて私に近寄らなければ。きっともう少し、夢は見られていた筈だった。
(キラキラしていて、光が跳ねて他を照らすみたいな、そういう綺麗なもの、青春。――――私や花宮が死ぬほど嫌いなそれを叩き割らない選択肢はない)
ここまで来たら、その点における花宮への感情は、最早信頼と言っても良いのかもしれない。……いや良くない。気持ち悪くて吐きそうだ。
口元をこそりと抑えながら、彼女の向こうにいる花宮を見た。
真っ直ぐな黒い、闇みたいな色。
その目はいつ見ても、底なし沼のような恐ろしい感覚がする。
ひと息つく間に飲み込まれそうなのに、まるで鏡の中の自分を見ているような、……ううん、透明なプラスチックの板に、屈折した光が反射して跳ね返っているのを覗き込んでいるみたいな、そういう感じがした。

「で?他に言うことはねえのか、シライ。しょうもない用事でわざわざ呼び止めるんじゃねぇよ」
「……しょ、うもない?」
「ああ、そう言ったけど。何、まさかそのオツムじゃ理解できねえのか?最近成績不振らしいしなァ、お前。……色ボケする前にやる事あるって、わかんねえのか?」

花宮くん、ひどい。
テンプレのような言葉を紡いで、逃げるように彼女は去っていく。
(テスト前で部活動停止中とはいえ、部活関連で元々何か用が合ったんだろうに)
ご愁傷さま、なんて、私が最初の火種を撒いたくせに他人事の様に思うのはどうなんだろうな。
ぼんやり思いながら小さくなる背中を見ていれば、少し距離の空いた先で小さなため息が聞こえた。

「死ぬほどめんどくせえ」
「……うん、そうだね」

思わず返した言葉に、花宮はその真っ黒な目をこちらに向けた。
そこに映る私はどうなんだろう。私も似たような目をしているのだろうか。

――花宮と私は似ている。
死ぬほど気持ち悪くて、吐き気がするけれど、それは初めて出会った時から互いに認めていることだ。
趣味嗜好人間関係その他は全く似ていない。けれど根っこのところがどうしようもないほどに腐ってしまっているのは同じだった。
(でも、……だからなんだと思う)
ただ似ているだけだったなら、こんなに気持ち悪くなかった。こんなに互いを嫌悪しなかった。
鏡の中を覗くだけなら、似ているというだけの認識で終わった筈だった。なのに、今も目が逸らせないのは。気になって気に食わないのは。

「……おい」
「……なに」
「お前シライの事嗅ぎ回ってただろ」
「……ああ、」

さっきそれ言おうとしてたのか。
そう思いながら「嗅ぎ回るほどじゃない」とだけ返せば、花宮は面倒くさそうに眉根を寄せた。

「そのせいで原がうるせえんだよ。黙らせろ」
「……いや、原なら私より花宮の方が言うこと聞くんじゃない?」
「めんどくせえ」

さっきからそればっかだな。……まあ分かるけど。
それにしても、花宮は私と原が関わるのを良しとしていないという認識だったけど――――いや、それもだけど、こうやって普通に会話するの、いつぶりだろう。
まともな会話は望めない、というよりはする気がなかっただけだけれど。
(……ああ、あの時だ)
さっき一瞬だけ浮かんだ、いつかの帰り道の情景。
夕方、花宮の真っ黒な目、けれどいつもの刺すような感覚はどこにも無い。あの時の感覚と少し、似てる。
まるで自分しか居ないみたいだった、あの感覚を何と表せば良いのか分からなかったけれど、ああ、そうだ。これは鏡を覗いている感覚に良く似ているのだ。
(鏡を覗くだけなら、気持ち悪くない)
花宮も同じなのだろうか。
だから、ほんの少しだけ、距離が近くても、そこに居ても許せるのだろうか。

結局、私と花宮はそれから会話することも、睨み合うことも無く、いつかみたいにただ無言で別れたのだった。



(ああ、それからだ)
花宮が、読み合いをやめたように思う。
花宮の言葉を借りるのならば「めんどくせえ」からだ、と思っているけれど。
それにほんの少しの違和感を感じつつも、私も引きずられるように読み合うことをやめたのが悪かったのだろうか。
先の原の問いかけに頭が痛くなる感覚がして、曖昧に笑わざるを得なかった。

――多分きっと、始めて屋上でそれに出逢ってしまった時のあの、電流の様な毒のようなものが体の中を勝手に這い回るような感覚は、アイツ以外の誰にも分かることはないのだろうと思う。

「……」

昼休みが終わるチャイムをぼうっと聴きながら、こちらを見向きもしない原は、私と花宮をなんだと思っているのだろう。
聞く事も出来ないままに、原は「じゃーまたねん」といつも通りの素振りを見せて室内へと戻って行った。







「結局、羨ましいんですよ、私。私に無いものを持ってる花宮が羨ましくて。私がこうならなかった私がすぐ手の届くところにいるから、羨ましくて妬ましくて、なんだか――子供みたいな癇癪を起こしてる。……羨ましいって思う私が気持ち悪くて、だから、花宮に会いたくない」

木吉について話した時ぶりに、気まぐれに連絡をしてきた今吉センパイはどうやら暇らしい。
「ウチもちょうどテスト期間で部活動が無いから暇なんや、おもろい話ない?花宮とか」と開口一番に言ってきた時は思わず反射的に電話を切ってしまった。
間髪入れずに掛け直してきた今吉センパイは死ぬほど笑っていたから本当に暇だったんだと思う。
最初は本当に取り留めのない話をしていたのだけど、いつの間にかこの前のマネージャーの子と花宮の話をしていたから今吉センパイは自分の思う方に話を持っていくのが上手い。こちらとしては癪に障るけど。

「ふうん、なるほどなあ」
「……満足ですか、これで」
「うーんまあ、ぼちぼち?難儀やなあ、相変わらず」

まあでも、苗字ちゃんがそう思ってるなら花宮もやろ。
ぽつりと呟かれたそれに「それはどうですかね」と言えば、「変なところで自分とは違うって切り離すのは癖なん?」とセンパイは言った。
その言葉の意味が良く分からなくて黙りを決め込めば、小さなため息の後、今吉センパイは続ける。

「ゆーてお前ら謎の信頼感あるやん。絶対的に相手も同じだって、思う瞬間あるやろ。ていうか基本苗字ちゃんも花宮もそうやん。目を逸らしたくなるのはだからやろ?なのに、そういうとこばっかり、自分とは違うって線引きするの何でなん?苗字ちゃんも花宮もアホなん?」
「……いやアホではないですけど。逆に私と花宮の事解ってる訳でもないセンパイが決めつけて言うのどうなんです?アホなんですか?」
「せやかてそうやってムキになるやん。認めたくない事があるとお前らすぐムキになっとるで。無意識なんやろけどな」

だから難儀やなって言っとるんやで、と今吉センパイはいつものように言うから、私はなんだかグラグラと煮えたぎるような、よく分からない感覚を吐き出すでも無く、ただ耐える事しか出来なかった。
――たぶん、センパイは正しい。
人外じみたものを感じてしまうくらい、他人の感情の機微を良く見ていると思う。
だから"解ってる訳でもない"とは言ったけれど、本当は私や花宮よりもずっと、私と花宮のこれをよく分かっているだろう。

「少なくとも花宮は腹くくりはじめたやろ」
「……」
「――沈黙は肯定やで」

は?
思わず漏らしたそれに、センパイは愉しそうな色を乗せて続けた。

「昔、ワシが花宮に言うた言葉なんやけどな。……ただの同族嫌悪なら離れればいいだけやろって言ったのを、アイツなんも返せへんかったんよ」
「……花宮が?」
「そ、花宮が。だから多分、今頃アイツも身に染みてるんちゃう?……知らんけど」

無責任な言葉だな。
そう思ったのがバレたのか、「だってお前らの事ワシは解っとらんのやろ?」と皮肉を返された。一を百にして返すのをやめてほしい。
そうして私がため息をついたのをセンパイは笑って聞いていた。


『沈黙は肯定やで』

言われた言葉に身体中が一瞬にして冷えていくような感覚を、花宮も感じていたのだろうか。
――本当は、花宮の事を嫌々ながら分かると言いながら解っていないのは私の方なのではないだろうか。


モヤモヤとした感覚を抱えながらぼんやりと毎日を過ごしていたら、無意識に人を避けてしまっていたらしい。
見知らぬ背の高い男(多分バスケ部)の人に「いい加減原が鬱陶しいから会いに行ってやってよ」と言われてしまった。
ごめん、原。



20190703
prev next
back

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -