「及川さん登場〜〜〜〜☆」

酔っ払いの及川が、私のマンションにやってくるのはこれが何度目だろうか。深夜2時、インターホンに反応してドアをあけると、右手でピースサインをつくって、それを右目の前あたりにサッとかざす及川が目の前に立っていた。いい加減イラッとくる。

「…これで何度目だ、及川」
「わかんない!覚えてないし」

てへっという腹立つ笑いをしてから、及川はぐいぐいと私を部屋に押し込む。しょうがないので部屋に上げてやることにした。どうせ飲みに行ってはしゃいで、終電を逃したんだろう。いつものことだ。迷わずベッドの上に倒れ込む及川を横目で見つつ、私はキッチンでグラスに水を入れた。それをうーうー呻きながら寝転ぶ及川に手渡すと、口移しがいいと甘えた声をだすから、ため息がでた。

「ん」

仕方がないので自分の口に水を含み及川に覆い被さると、目の前の顔はうれしそうに綻ぶ。あー、くそ。かわいいやつめ。

「ありがとー」
「ちょっと、」

及川の口を自分の口で塞いで水を流し込む。それが終わると、及川は私の体に腕を巻き付けて引き寄せた。あわてて手を伸ばし、グラスを床の上に置く。素直に及川の体の上に倒れてやると、チャラついた香水のにおいと酒のにおいが相まって、思わず眉間に力が入る。

「及川、いいにおいする」
「そうでしょー」
「でも、前の方がいい」
「前?」
「汗臭い及川がいい」

言って、及川の胸に顔を埋める。及川は何も言わない。すぐそこにある心臓が、どくどくと音を立てている。私は、こいつを追いかけて今の大学に入った。及川はスポーツ推薦で早々に受験を終えていたが、私は通常の試験を経て、合格した。どうしても、及川のバレーをまだ傍で見ていたかったのだ。そこそこの名門大学なので、一生懸命勉強を頑張る私をみて両親は反対しなかったし、まんまと私は親元を離れてこのマンションに引っ越してきたのだ。及川と、及川のバレーを追いかけてきたのだ。

「及川」
「なあに」

なのに、バレーの強豪であるこの大学で、早速不調に見舞われた及川は、凹んでいた。恐らく不調の原因は環境の変化だと思う。だって、ここには岩泉も、花巻くんも、松川くんも、いない。本当の及川を理解している人間がいない。そして、ハイレベルな選手達に囲まれて、レギュラー争いに疲労しているのだろう。今まで及川は、どこにいたって特別視されていた。今はそれが無い。及川は弱音を吐いたりしないし、文句も言わない。カッコ悪いから、らしい。だからこうして度々夜に飲み歩いて、最後に私の腕の中で、眠るのだ。まるで、青城を懐かしんで、取り戻そうとしているみたいで、見ていて痛々しい。泣いても喚いても、もう、戻らないのに。

「もう、忘れちゃったの?」

あの耳が千切れてしまいそうなほどの歓声と、高々とかかげた拳と、飛ぶ仲間の背中と、光る汗と、息苦しさと、そして勝利の感触を。コートの中で静かに燃えるその瞳は、もっとずっと先を見つめていたんじゃなかったのか。

「忘れてなんかいないよ」

低く、力強いその声が懐かしい。それに反応して顔を上げると、目の前のふたつの瞳は確かに、燃えていた。及川は、何も変わってなんかいない。変わるはずがない。だってこいつは、バレーが好きだから。

「忘れられるわけがないよ」




青く遠いまなざし






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