何でもないふりを、するのは得意。

「童」

松陽先生の元には、昔から住み着いている女がいた。歳はおそらく三十路近くだったと思うが、妙に爺臭い。色素の抜けたような長い髪と、透き通るような白い肌。胸にはサラシが巻かれ、だらしなく羽織られた白い着物と、腰にはすらりと伸びた白い刀。本当に、上から下まで色の付いていない女だった。その女を初めて見たとき、今にも消えそうだなあと、思った。

「…童じゃねー」
「ふ、じゃあ糞餓鬼か」
「銀時だっての。しばくぞババァ」
「物騒な事を言うねえ」

いつもの様に縁側の柱にもたれて庭を眺めている女に、特別用は無いらしいが、いつもの様に呼び止められる。口は悪いが、俺はこの女に心底腹が立ったことは無い。それは、この女が纏っている空気の様なものの所為だと思う。不思議だ。この女と居ると、いつも時間がゆっくりと動いている気がする。

「松陽、天人が数匹ばかり近くまで来ているらしい」
「うーん…さて、どうしたものでしょう」
「お前、危険だよ」
「それはお前も一緒ですよ」

松陽先生に剣の稽古をつけて貰おうという話になり、ヅラと高杉と俺が先生の部屋の前まで来たとき、中からあの女と先生の話し声が聞こえてきた。俺達は互いに一度目を合わせて、息を潜めて二人の話に聞き耳を立てた。

「仕方が無いか」
「お前、行く気かい?」
「この辺りで刀を持てるのは、私しか居ないでしょう」
「松陽、時代は流れている。幕府も、直に寝返るだろうよ」
「…それでも、私は今を守りたいのですよ」

話の内容は重苦しいものだったが女の纏う空気の所為で、只の世間話をしている様だった。

「お前は馬鹿みたいに真っ直ぐだねえ」
「はは、そうですか」
「早死にするよ」
「…私は、自分の生き方を曲げたくない」
「……くくっ、参ったねえ」
「なんです?」
「私はやっぱり、お前の生き方が好きらしいよ松陽」
「…お前……」
「なに、お前はいつもの様に餓鬼共の面倒を見ていれば良い。私は少しばかり掃除をして来よう」

中からかちゃりという、おそらく刀を掴む音と衣擦れの音がして我に返る。近くの部屋に、三人で慌てて隠れた。

「待ちなさい」
「お前が死んだら、餓鬼共はどうすりゃいい」
「……」
「…この国にはお前の様な奴が必要なんだよ、松陽」

松陽先生が押し黙ると、襖の開く音がした。障子に映る女の影は、廊下を歩いていき、やがて見えなくなった。それから、殆ど毎日寺小屋に居た筈の女は、とんと姿を見せなくなった。俺達は縁側の柱を見る度に落ち着かなくなったが、松陽先生にあれ是問うたりすることは無かったし、俺は何でもないふりをした。

「童」

それから少し経つと、いつの間にかまた縁側の柱にもたれて庭を眺めている女が声を掛けてきた。驚いて目を見開くと、女は柔らかく笑った。予想していた様な怪我は無かった。あの話からして数匹の天人を一人で相手したというのに、だ。余程腕が立つのだろう。そう思って近づいて見ると、左側の袖が不自然に垂れ下がっていた。

「…ババァ、」
「腕一本でお前等と松陽を救えたんだ。安いもんさ」

見ている俺が痛いくらいなのに、女が満足気に笑って俺の頭を右手で撫でるから、目頭が熱くなった。でも、直ぐに何でもない様なふりをした。

「…松陽先生、」

遂に天人共に寝返った幕府は、あっさり侍を切り捨てた。反乱者は次々に排除され、この平和だった地にも天人が迫った。そして、松陽先生が、死んだ。この時、女の涙を初めて見た。

「私達は、時代に必要とされなかった」
「……」
「銀時」
「…なに」
「お前は何を守る」
「松陽先生が守ろうとしたもんを、守りたい」
「…そうかい」

女はいつもの様に柔らかく笑んでいたが、その目は悲しげに揺れていた。それからというもの、女は度々戦地に赴いている様で、姿を消す事がよくあった。松陽先生が守ろうとしたものを、腕一本で必死に守ろうとしている。傷を携えて俺達の元へ帰ってくる女はまるで、まだ剣を持てない俺達の代わり踏張っている様で、痛々しかった。早く追い付きたくて、背負っているものを一緒に背負いたくて、何より女を守りたくて、俺は毎日一人で竹刀を振るった。

「銀時」
「あ?」
「準備は出来たか?」
「…ああ」

ある日を境に、女は帰って来なくなった。女が帰ればいつも傷の手当てをしてやっていたヅラも、不器用なりに労ってやっていた高杉も、何かしら感じ取っていた様だが何も言わなかった。誰もが、女は死んだと思っているのだろう。でも俺はどうしてもそうは思えなかった。姿を見せないだけで、この世界の何処かにいるような気がした。あの女はくたばらない。そう信じて疑わなかった。だから、何でもない様なふりをした。

「…真っ白だな」
「あの女みてえ」
「偶然だ、偶然」

やがてデカくなった俺達は剣を取った。松陽先生が守ろうとしたものを取り返しに、戦地へと赴く。

「…行くぞ」

血生臭く喧しいこの場所で、いつもあの女を探していた。




遭難






「ヅラ、今日はあの気持ち悪ィ化け物はどーした」
「気持ち悪くない!エリザベスだ!」
「そうだな。気持ち悪ィのはお前だな」
「…銀時」
「んだよ」
「あの女を、覚えているか」
「……もう、忘れちまったよ」

何でもないふりを、するのは得意。昔っから。


今も、あのやわらかな笑みをさがしている。




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