昔付き合っていた。ただそれだけのこと。それなのに、どうして距離感をうまく掴めないのだろう。一度抱き合って愛し合ってしまえば、またその手にその髪に触れる事など、簡単なことなのだ。しかし、彼はもうあのときのように熱く燃え上がるように愛してはくれない。彼はもう二度と、私の物にはならないのだ。

「銀時ぃ」
「なぁにー」

隣に座る、彼の名を呼ぶ。私はなんにも変わっちゃいない。ずっと、あの頃のまま。其処から動けずにいる。相変わらずご機嫌な声色で彼は返事をするけれど、きっと心の中では、私を煩わしく思っていることだろう。

「最近、どうしてんの」
「なんにも変わりねえよ。仕事もねえし、日がな一日ゴロゴロやってるー」
「ふうん」
「お前はー?」

手元のビールジョッキは、残り半分くらいだった。また一口飲んで、テーブルに置く。少し酔っ払った脳みそで、色々なパターンを想像してから、口を開いた。

「…いつも通り。可もなく、不可もなく」
「いい事じゃねえ?まあ、元気そうで良かったわ」
「なんにも面白い事は、ないけどねえ」

あんたがいない毎日なんて面白くもなんともないと、どうしても言えない。言ってしまったらきっと、終わってしまう。この友達でもましてや恋人でもないこの関係は、おそらく。

「普通が一番なんじゃねえのー?」
「そういうもん?」
「そういうもんだ」
「…そっか」

空になったジョッキを軽く持ち上げて、彼は店員におかわりと言った。平日ど真ん中という事もあり、店内は静かだ。

「あ、前に貸した漫画。借りパクやめてよね絶対」
「わかってるっつーの。まだ読んでる途中なのー」
「いま何巻まで読んだ?」
「えー…5巻?」
「まだ半分も読んでないのか」
「ちゃんと読んでから返すわ」

貸したものなんて返ってこようがこまいが、あの頃はどうでもよかった。でも、今となっては彼と私がまた会うための理由であり、それが唯一の希望。永遠に、読み終わらなければいいのになあと、思った。

「銀時ぃ」
「なぁにー」
「私の事好き?」

私達は、その昔付き合っていて、確かに愛されていると知っていた。しかしそれは、それぞれが同じくらい愛し愛されていなければ、簡単に壊れてしまうものだった。もうやめようと彼は言った。嫌いになった訳じゃないと彼は言った。仲の良い友達のほうが俺達は上手くいくと彼は言った。でも、この関係はきっと友達ではない。もちろん彼はそれに気が付いている。優しい彼は、私に時間をくれているのだ。出来るだけ傷つかないよう、ゆっくりと、私が彼を忘れられるように。

「…好きだよ」

そして彼の優しい嘘で、私は明日も生き長らえるのだ。







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