「土方さん」
「あ?」
「ちょっとリハビリ、手伝う気ないですか?」

そっと開けられた襖に目をやると、そこにはいつもの稽古着姿のなまえが立っていた。やってもやっても終わらない事務処理にいい加減嫌気がさしてきた秋の早朝。あの日から、2ヶ月とすこし、経っている。奇跡的に一命をとりとめたなまえに言い渡されたのは、退院後も2週間は激しい運動を控えろというものだった。こいつはその2週間を自室で俺の雑務を手伝いながら過ごし、そして、今に至る。

「何で俺だよ」
「だって沖田隊長じゃ恐すぎるし、他じゃあ相手にならないですもん。しかも、こんな時間じゃ土方さんしか起きちゃいないし」
「…病み上がりが言うじゃねえか」
「病み上がりじゃないですよ」

なまえがにやりと嫌な笑い方をする。俺はひとつため息をついて、ペンを置いた。まあ、たまにゃあ付き合ってやっても、いいか。

「うわあ、やっぱりもう秋ですねえ。すこし肌寒いや」

稽古場の壁に掛かっている木刀に手を伸ばしながら、なまえは大袈裟に身震いして見せた。

「…そうだな」

2本取った木刀のうち1本を俺に手渡し、なまえはにっこりと笑った。

「じゃあ、始めましょうか」
「負ける気がしねえな」
「その台詞、そのまま返しますよ土方さん」

距離を取り、向かい合って一礼し、お互い木刀を構えた。一気に距離を詰めてきたと思ったら、右から左から次々と打ち込んでくる。どうも今日は攻めてきやがる。肩慣らしのつもりだろうか。

「今日は保守的ですね、土方さん」
「…お前が攻めてくるからだろうがっ」
「ねえ、土方さん」
「ああ?」
「あなた何にビビってんですか」
「はあ?なに、」

なまえの言葉に、一瞬動揺する。こいつはそれを見逃さなかったらしい、俺の木刀は手を離れて宙を舞い、乾いた音をたてて床に転がった。おまけに目の前には、なまえの木刀の切っ先が突き付けられている。

「これで私、53勝328敗ですね」
「…卑怯だろ」
「心の迷いは剣を鈍らせるってやつですよ、土方さん」
「はあ……」

言い返すのも億劫で、俺はその場に腰を下ろした。懐から煙草を取り出して火を点けようとするが、灰皿がないことに気付き、また懐にしまう。すると、なまえもすぐ向かいに腰を下ろした。

「申し訳なかったとか思ってんですか」
「……」
「俺が撃たれりゃ良かったとか思ってんですか」
「……チッ」
「駄目ですよ、そんなの」
「んなこた判ってんだよ」

こいつの言う通りだった。あの日、あの指示を、こいつに出したのは紛れもない俺だ。いくら人員不足とはいえ、こいつだけをたった一人、近藤さんにつけさせるなんてのは無用心すぎた。悔やんでも悔やみきれない。

「参謀役が一線に出ちゃ意味がない。あなた真選組の頭脳でしょう」
「まあ…大将があんなだからな…」
「あはは、たしかに。土方さん、私ね、驚いたんです。あの時、近藤さんが銃口を向けられたあの時、勝手に体が動いた」
「……そうか」
「痛みなんて、感じなかった」
「……そうか」
「私、別に死んだってよかった」
「お前それ近藤さんに言うなよ。絶対泣くぞあの人」
「あははは、そう。だから、あの人だから、私かわりに、死んだってよかったんです」
「……」
「土方さんなら、わかるでしょう?」
「結局何が言いてえんだよお前は」
「ま、要するに、気にすんなってことです」

なまえがからから笑う。胸につっかえていたものは相変わらずだが、目の前のこいつを見ていると、なんだか知らないが肩の力が抜けた。

「お前さ」
「はい?」
「この2週間ちゃんと安静にしてたか」
「あ、バレました?」
「はあ……当たり前だろうが。どんだけ機敏に動けんだよふざけんな」
「夜な夜な部屋を抜け出してリハビリ、やってました。ごめんなさい」

なまえがまたからから笑う。こいつ本当にブレない女だ。昔っから。真っ直ぐに剣の事しか、そして、大将のことしか、考えてねえ。というよりかは、馬鹿だから余計な事まで頭がまわらねえのか。そう見せているのも計算の内か。読めない奴だ。昔っから。

「……跡」
「え?」
「跡、やっぱ残っちまったか?」
「ぷっあはは、今更傷跡が何だっていうんですか。勲章ですよこんなの」
「…そうかよ」
「そうです」
「悪かった」

俺が謝ると、なまえは目を伏せて微笑んだ。そして、あなたは悪くないと、首を横に振る。

「生きててくれて、よかった」
「土方さ、」

掌でなまえの頬に触れると、柔らかな体温が伝わってくる。その、血の通った、確かに生きているという感触に、喉の奥がぐっと熱くなったが、なんとか堪えた。なまえはその華奢な手で、頬に添えられた俺の手をゆるく覆う。そして、静かに目を閉じた。

「でもね、土方さん」
「何だ」
「私を行かせたことは大正解でしたよ」
「…あ?」
「やっぱり土方さんは真選組の頭脳ですね。あなた自身はいい。ただ、鬼の副長は、そうでなくちゃいけませんよ」
「…なまえ」
「ちゃんと見捨ててくれなくちゃ、いけませんよ」

笑って言うと、なまえはゆっくり立ち上がって俺に背を向けた。そして、んじゃおやすみなさーいと欠伸混じりに言いながら、稽古場から出ていった。その背中を見ながら、俺ははっとした。そう、確かに俺はあの日、なまえを近藤さんにつけた。そう指示した。こいつならいいと思った。適任だと、そう思った。だってあいつは、なまえは、何の迷いもなく、あの人の盾になって死んでくれるから。俺自身と、真選組副長という立場。生きて俺の側に居て欲しい、でもあの人のかわりに死んで欲しい。俺の胸につっかえて取れねえのは、この身勝手なただの矛盾だ。柔らかな体温から離れた掌は、すっかり元通りに冷えていた。




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