「飲みに行きましょうよ、土方さん」

土方さんの部屋の襖を開けていきなり私がそう言うと、土方さんはだらしなく煙を吐き出しながら、黙って書類が散乱している机の上を指差した。それを見て私が笑うと、土方さんは眉間に皺を寄せた。時刻は午後8時をすこし過ぎた頃のことだった。通常業務は終了している。

「お前なァ……」
「私に怒らないでくださいよ。私はどっかの隊長さんと違って、優等生だと思うんですがねえ?」
「総悟と比べりゃ、な」
「そんなもんほっといて、憂さ晴らしに行きましょうよ。たまにゃあ」
「つーか何でお前、浴衣……あァ、今日非番か」
「疲れてんですか?」
「……当たり前だ」
「とりあえず、ほら、行きましょうよ土方さん」
「あー……まあ、いいか。ちょっと待ってろ」
「はーい」

意外と快く了承してくれた土方さんは着替える為か、ゆっくり立ち上がった。気を遣って部屋の外に出て、襖を閉める。縁側に腰掛けて土方さんを待っていると、近くからカエルの鳴く声が聴こえてきた。恐らく、庭の池にでも住んでいるのだろう。ひんやりとした夜風が気持ちいい。昼間の暑さが嘘のようだ。

「おい」
「お着替え終わりました?」
「あァ、行くぞ」

振り返るとそこには制服から黒い着流しに着替えた土方さんがいて、でもやっぱり眉間には皺があった。

「土方さん、ザキに車出させていい?」
「おー出させろ出させろ」

山崎を呼びつけて、ちょっと居酒屋まで送ってよというと嫌ですと即答されたが、私の後ろに土方さんが居ることに気づいて直ぐ様ハイ喜んで!と言い直した。お前は居酒屋店員か。山崎が運転席に、私と土方さんが後部座席に乗り込むと、車はゆっくりと走り出す。過ぎて行く街並みは相変わらずギラギラと刺激的で、すこし目にしみる。今夜は生憎の曇りで、月には薄い膜が張っている様だった。適当に、屯所から近い飲み屋街に下ろしてもらって、土方さんとぶらぶら歩き出す。

「何処がいいですか?」
「お前はいつも何処で飲んでんだ?よく酔っ払って帰って来んだろ、近藤さんと」
「あー、あれはお妙さんの店に付き合ってるだけですよ」
「お前キャバクラで飲んでんのかよ…」
「近藤さんは太っ腹ですよねえ。全部俺が持つから好きなもん飲めって」
「……あのひと泣きながら帰って来てたな、そういや」
「いやー、実に太っ腹。近藤さんはオトコですねえ」
「お前、酒強ェもんな…」
「ほんとにねえ、土方さんみたいに直ぐ酔えりゃあ安上がりなんですけど」
「あァ?勝負するか腹立つから。オトコのプライドにかけて」
「言いましたよ?そのかわり奢ってね土方さん」
「それお前が得するだけじゃねーか!」
「いっけね」
「お前総悟に似てきたよね!」

あー腹立つわとかぶちぶち言いながら隣を歩く土方さん。恐らく歩幅は、私に合わせているのだろう。いつもよりゆっくりだ。そんなことをぼんやり考えているとき、私は道端に立ててある看板に目を奪われた。思わず土方さんの袖を掴んで引っ張る。

「あ!此処にしましょうよ土方さん」
「あ?来たことあんのか?」
「ない!」
「ねえのかよ」
「ないですけど、見てこれ。美味しそうですよ!旬のお魚が沢山あるそうです!」

目をギラギラさせている私を見て土方さんは少しだけ笑う。引っ張られたせいでずれた襟元を直しながら、土方さんは入るぞと言った。戸をカラカラ開けると、中からいらっしゃいませーと元気な声。焼き魚のにおいと、すこしだけ湿気た空気。それから、橙色の照明。純和風で、広くも狭くもなく素朴な飲み屋だった。お好きな席へどうぞと言われたが、平日ど真ん中のせいか客足は少なく、席は選び放題だった。私は、迷うことなく隅っこの、小さなテーブルへ足を進めた。一応、上座に土方さんを座らせようとしたが、アホかと言われたのでやむを得ず私が座る。向かいの椅子に腰かけた土方さんは早速煙草をくわえた。

「何飲みます?」
「お前とりあえず生だろ?」
「あ、土方さん枝豆!枝豆も!」
「わかったからはしゃぐんじゃねーよ」

すんませんと土方さんが声をかけると、店員はにこにこしながら注文を聞きにきた。愛想のいい店員は好きだ。やっぱりこの店にしてよかったなあと思った。ライターをカチリと鳴らした土方さんの前に灰皿を移動させると、煙を吐きながらすまねえなと言った。

「じゃあ、乾杯しますか」
「何に」
「我らが副長、土方さんに」
「……なんだそりゃあ」
「土方さん、おつかれーい!カンパーイ!」

注文後直ぐに運ばれてきたジョッキを持ち、ガチンとぶつける。そのままグビグビやると、土方さんも負けじとグビグビやっていて、なんか笑えた。枝豆をてきとうに貪りながら、自然と仕事の話になる。

「あー、やってらんねえよ。なんだよあの事務処理の量。さばききれねえんだよマジで…」
「沖田さんの思うつぼですねこれじゃあ。あ、すいませーん生おかわり」
「あー腹立つわ。マジで。誰に似たんだか…。あ、すんません俺もおかわり」
「あれはあれで土方さんのことが好きなんでしょ。こんなこと言ったら刺されそうだけど」
「はあ?俺があいつのせいで何回死にかけてると思ってんだ」
「まあ、あの始末書の量じゃどんだけやっても追っ付きませんよねえ。あ、すいませーん冷酒と季節のお造り盛り合わせくださーい」
「いい加減、過労死すらァ。あ、すんません俺もこいつと同じものを」
「大変そうですねえ。色小姓さんでも雇えばいいじゃないですか」
「…んだよ色小姓って」
「一から説明して欲しいんですか?」
「そういう意味じゃねぇ!」
「土方さんいい年こいて女っ気ないから」
「ふざけんな誰がホモだ。俺は女が好きだわ。めっちゃ好きだわ」
「いや知ってますし花街で遊んでんのもバレてますし。ていうか土方さん、酔ってます?言ってることが気持ち悪いんですが」
「断じて酔ってねェし」
「あーなるほど駄目だこのひと。あ、すいませーん。冷酒おかわり」
「つーか気持ち悪いって何だコラ殺すぞ。あ、すんません俺もおかわりで」
「あ、香のにおいプンプンさせて帰って来るの勘弁してください。煙草と相まって最低なにおいの出来上がりですよほんと」
「……あれはとっつぁんの付き合いだから仕方ねェ」
「ですよねえ、土方さんシャイだから一人で行けるわけないですもん。あ、すいませーん軟骨の唐揚げとハイボールください」
「誰がシャイだ。一人で行くわガンガン行ってるわ。あ、すんません俺もこいつと同じものを」
「ふはは、完全に墓穴掘ってますねそれ」

だんだん仕事の話からズレてきたなあと思いながら、残っていた枝豆を許可なくたいらげる。土方さんは真っ赤な顔をして、煙草を灰皿に押し付けていた。このひとチャンポンするとすぐ酔うよなあ。弱い癖に、食らいついてくるところが本当、土方さんらしいや。

「つーか、お前こそどうなんだよ」
「え?私の話ですか。あ、すいませーん、コレおかわり」
「早く嫁に貰ってもらえよ。いきおくれてんぞ。あ、すんません俺もおかわりで」
「私がふつうの家庭に落ち着く女に見えますか、土方さん」
「あ?たしかにお前すげえ浮気しそう」
「ふ、そういう意味じゃないですって。あんた私の何を知ってんですか」
「お前変に頑固の癖に、実は押しに弱いとこあんだろ。男はそこにつけこむんだよ」
「そんなタチの悪い男まわりに居ませんがね」
「お前は喋ると駄目なタイプだ。俺と一緒で育ちが悪ィからな。黙ってりゃそれなりだが」
「はい?何ですかいきなり。気味が悪いなあ。あ、すいませーん、梅酒ロックで」
「ふっつーーーーに家庭に入って、幸せになりゃあいいのに。あ、俺ァ焼酎、水割りで」

土方さんはテーブルに肘をついて、なんとか姿勢を保っている。真っ赤な目でこちらをじろりと見る土方さんは、至極真剣な顔をしていた。

「私は真選組として生きて、あんたの元で死ぬんですよ土方さん」
「あァ?……何で俺だよ」
「土方さんは、近藤さんを守る最後の剣なんでしょ?だったらあんたを守る剣は私です」
「チッ……言うこと聞かねえガキだよお前は。……昔っから」

とうとう机に突っ伏した土方さんを尻目に、追加で焼酎と漬け物盛合せとお茶漬けを頼んだ。土方さんはもう何にも頼まなかった。どうやら私の勝ちらしい。土方さんは静かに自分の財布をテーブルに置いた。

「……お前、よく食うな」
「人の金で食う飯は美味いってやつですよ。本当に、この店にして良かった。お造り美味しかったですね」
「…そうだな」
「ねえ、土方さん」
「あァ?」
「女が泣くのは恐いですか」
「…………うるせ」
「泣くことになる前に、私は死ぬんですよ土方さん」
「……」
「私ね、本当は真選組なんて、どうだって良かった」
「お前それ他の奴等の前で言うなよ」
「あんたが行くところへなら、何処へでも引っ付いて行こうと決めたんです」
「……」
「あんたいい女は拒絶して、よそへよそへやろうとしますけど」
「……」
「嫁になんて行ってやりませんよ、私はね」
「……チッ、意味わかんねェ事言うんじゃねーよ」
「意地が悪い人だなあ。わかってる癖に」
「……んだよ…」
「…私はあんたの、ただの手駒でいい」
「………俺も好きだよクソが」
「……」
「わかってんだろお前こそ。俺にそういうこと、言うんじゃねえよ…」
「……」
「それに、意地が悪ィのはお互い様だろうが」
「ぶっ…はははは、土方さん、だいぶ酔ってますね」
「…さあ、どうだかな」

予期せぬ一言に、鼻の奥がツンと痛んだので、慌てて茶碗をひっ掴み、お茶漬けを腹に流し込む。土方さんは延々と、机に突っ伏したままだった。

しばらくして、酔っ払いの土方さんを支えて席から立ち上がらせ、また戸を開けて外に出る。もちろんお代は土方さん持ちだった。夜風はやはり涼しい。時刻は午後11時半をすこし過ぎていた。迎えに来た山崎に軽く礼を言って、後部座席に二人して乗り込む。車内の空気は、ひんやりと冷たい。ぐったりと私に寄っ掛かる土方さんを心配する山崎と、ルームミラー越しに何度か目が合った。

「ザキぃ」
「はい?」
「あんたも今度飲みに行くか」
「いや、いいです」

山崎の即答を鼻で笑ってやってから窓の外を見ると、いつの間にか雲は晴れ、どデカい月が綺麗に出ていることに気が付いた。そしたら、何故か彼女のことを思い出した。私はこの人と、どうにかなりたいわけじゃない。この人も恐らく望んじゃいない。ただ他の誰にも、そう彼女にも担えない、この立ち位置に留まって居たいのだ。私が何より欲したのは、普通の家庭や愛しい恋人などではなく、この人の為に明日も戦える力だった。だって、私も貴女がとても好きだった。好きで仕方がなかった。もし叶うのならば、もう一度あの優しい声で名前を呼んで、あの温かい掌で、私の頬に触れて欲しいのだ。ゆるゆると視界が歪んでゆくので目を閉じると、生温かいものが頬を伝った。くたばっていると思っていた土方さんは何かを察したのか、私の頭をがしがしと乱暴にかき混ぜた後、狭い後部座席だというのに、私の太ももに頭を乗っけて横たわった。山崎は恐らく気付いていないふりをしている。邪魔な前髪を避けながら土方さんの顔を覗いて見ると、もう眉間に皺は無く、両の目は安らかに閉じられていた。

「土方さん」
「…何だ」
「また飲みに行きましょうね」

硬い黒髪に指先で触れてみると、胸がじりじりと焼け付くよう様に酷く傷む。この夜が明けて、再び朝日が昇るそのときまで、私はこの腑抜けた、只の女で居たかった。そう思った。

この夜が死ぬまで



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