text | ナノ

 ある酒場。私服に身を包もうとも、隠しきれない仄暗く、鋭い雰囲気を纏う男達が存分に酒を煽っていた。騒がしいが、それは単に上機嫌からくるものではない。その場を生業にしている娼婦は彼らを慰めようと、煌びやかなドレスをゆらゆらとたゆたわせ、身を擦り寄せるのだった。
「ねェ、今日は一体どうしちゃったの? 何かイヤなことでも?」
「貴様には関係ない」
 不快感を隠そうともしない、黒髪に白メッシュの男は、忌々しそうに手を弾く。別に女が嫌いな訳ではなく、その場に集っている理由からだ。それと、彼の居るところで女に現を抜かしたくなかった。それを面白がって仄暗い笑みを浮かべた細身の男は、あっと言う間に彼らの女を掠めとれるからだ。
 一瞬笑みが凍るが、女は諦めずに、今度はその男の隣にいた少し小柄な男に方向転換した。緩く口元を上げている様子からは、四方や自分を断ることも無いと安易に考えた。
「ええ〜話しても良いじゃない。聞きたいなァ」
 スルリと肩からなで下ろされる手の平は男には無い柔らかさで、私服の男たちを誘惑する。艶やかに色を含ませた甘い声を、もう一人の男は笑った。
「おーと、ねェちゃん、ねェちゃんタイプじゃねェんだわ。ワリィな」
「…このインポがッ」
 ニコニコと笑って、彼女を全否定した。突然の言葉に女は、笑おうと一瞬痙攣して、着飾られた顔面はクシャリと歪んだ。
 忌々しそうに捨て台詞を吐いた女は次とばかりに彼らからさっさと離れていく。ただ、店主の目だけが、劣情を含めつつ、彼女らを追った。
 騒然としている店内で、初めに声を掛けられた男は、今は露わな目を細めて、小さく震えた。お腹を抱えていた両手の一方を、隣の小柄な男の肩にやや強めに置かれる。パシンと小気味良く音がなった。
「フッ、ハハッ、言われたな〜シャチ」
「おれはすこぶるげんきだ」
 彼を象徴するキャスケット帽の鍔をグイと下げて、愉快そうに笑いを零す男を視界から消した。
「別に知りたくなかった」クックと苦しそうに笑った。
「っでェ…。てか、船長、機嫌良くね?」
 バシバシと頭を叩き、タンブラーを傾ける。やめろペンギンと、手を弾くシャチ。弾かれた手を大袈裟に擦りながら、ペンギンも、目の前の酒を煽った。
「確かに」
 帽子の存在しない状態は落ち着かないのか、白の混じった黒髪を、後ろに流し、襟足を指で弄くった。
 海賊行きつけの隠れ家的バーは、雰囲気が仄暗い。きらきらと明かりに反射して、煌めく娼婦たちのドレスが、彼らの視界の端で踊った。BGMとして流されているバラード調の、昔の流行曲が、騒がしい店内と不調和音として広がる。蒼然を保つ店内に似合わない、爛漫な笑みが零れる。薄い唇から、犬歯がちょこんと見えた。
「ポチ、見つかったのかな」
 シャチは、期待の目で、店の奥、丸いテーブルを囲うように存在したソファに悠々と腰掛け、隣に白クマを携えた男を見つめた。ニヤニヤと笑い、もう隣に美女を侍らせながらも、其方の手にはグラスを持ち、ベポを撫でながら酒を煽っている。
「…そうは見えないが。興味の引くものでもあったんだろ」
「…だよなー」
 隣の娼婦に気が付かない程に、と二人は心の中で意見が一致するのだった。

「〜♪〜♪」
 グラスの縁をトントンと指でなぞり、中のオレンジ色の液体を揺らした。くるくると酒を回す。グラスの液体が、彼の腕に描かれた刺青が、店の薄暗い灯りにぼんやりと照らされ、蠢き、暗い、陰湿な雰囲気を醸し出した。しかし当の本人は低く鼻歌を歌い、大変ご機嫌であるのが、その場と噛み合わず、異質なものとなって周りの注目を浴びていた。
 明るい声が、彼の鼻歌を止めた。大凡、このような場に似合わない少年のような声だった。
「キャプテンすごく楽しそう。どうしたの? もしかしてポチが見つかった?」
「フフ。…ああ〜、ベポ、明日海岸に行ってみりゃいい。フフフ。いっそ通え」
 そうだ散歩に行こうと曰う彼に、白クマがキョトリと目をしばたかせた。
「えー? キャプテンのお気に入りがそこにあるの?」
 ローは薄く笑みを浮かべ、何も言わない。スルスルとベポと呼ぶ白クマに薄い手の平を滑らせた。
 気持ちよさ気に、小さな目を細めたベポは、最早返ってこない言葉を期待した様子が無かった。両の手に、包むように持ったオレンジ色の、――しかし此方は本当にオレンジジュースである――液体の入ったグラスをテーブルに置いた。
 ローの笑みが深まり、唐突に、ベポから視線を離す。一瞬で鋭利になった眼差しが、別のテーブルを囲っていた彼らに刺さった。
「おい、ペンギン。ログはどれくらいで溜まる?」
「は、おれですか。…えー、」
 店内に集まるハートの海賊団の、視線が、ローの後を追うように、パラパラと注目が集まる。当のペンギンは不意打ちな彼の言動に少し狼狽え、取り敢えずと居住まいを正し、視線を宙に投げた。
「三週間位よキャプテン・ロー。もういじらしい方、私に聞けば良いじゃなあい。あなたを想う島の女が居るのよ? ケモノなんか放って、」
「うっせェな。きったねェ雌がおれに話し掛けんじゃねェ。バラバラにすっぞ」
 テメェにゃ聞いてねェ。おれに許可無く話し掛けんな。と続くであろう言葉は飲み込まれた。ギラリと輝く眼光に、ハートの海賊団は知ったように頭を抱えた。
「えっ。」
 あの女、バッカ…。こそこそとクルー達は互いに視線を合わせ、女を嘲笑する。彼の言動は、女のたった一言に由来していた。
 ケモノって言ったよ。口パクでやり取りする。しかし一瞬ローが投げた刺すような視線に、口を噤んだ。口を窄ませピューと息を鳴らせたシャチが、船のコックに抑え込まれる。カチャンと微かに、何かが鳴る。
「島のならキッチリハッキリ日にちくれえ把握してろ愚図。もう一度チャンスをやる。次は間違えるなよ」
 低い、甘い声。突然饒舌になったロー。ただニヤリと浮かべた笑みだけが凶悪だった。一瞬にして店内の雰囲気が凍った。クルーのニヤニヤと女の運命を予測するいやらしい笑み。BGMのバラードが虚しく響いた。BGMに紛れて、極小さく囁かれる会話に、白クマが耳をピクリと反応させた。
「キャ、キャプテン・ロー…?」
「言えないのか」
 スッと笑みが引くと、それだけで店内の気温がぐっと一、二度は下がった。女を威圧する雰囲気は、素人に向けるそれではなく、あからさまな殺意が込められていた。作られた静寂が耳に痛い。
 ゆらりと伸ばした手が大太刀に触れる寸前、その沈黙を一つの声が壊した。
「二週間と五日です。船長」
「ふうん。おい女邪魔だ」
 キリリと硬質な声が、ローの鼓膜を揺らした。チラリと、彼の言葉に答えたペンギンを見たローは、興が削がれたようで、すっかり怯えてしまった女に目もくれず、足蹴にした。
「ひっ」
「行くぞ野郎共。店主、雌豚の調教くれェキチッとしやがれ。…邪魔したな」
「すっ、すみまし、すみません!」
 お代はいらないと怯えたように叫んだ店主の前に、我関与せずとばかりに静かに眠る電伝虫が一匹いた。
 夜のネオンに照らされた外界に繰り出した彼らは、あっと言う間に見えなくなった。
「なんでペンギン割って入ったわけ」
「馬鹿かお前。店主が海軍に通報してたじゃねェか。今は海軍を相手にしてる場合じゃねェだろ」
 シャチの不満そうな声にペンギンは呆れたように息を吐いて、髪を掻き上げた。
 路地裏を駆ける。微かな足音と、大きな溜め息がくぐもって響いた。
「…うへー。そーか。じゃ、尚更あれ切ってても良かったんじゃん」
「わざわざおれたちが殺った痕跡を残さなくても良いだろ」
「はーいキャプテン」
 低く彼を諭す声には素直に返すシャチに、ペンギンはぴくぴくと口端を痙攣させた。
 クスクスと笑う他の船員を、船長にこそ劣るものの、鋭い視線が刺した。ローが、喉の奥で笑い、まあ、と誤魔化すように喋り出す。
「二週間と五日だ。時間はまだまだある…」
「後19…、18日か」
「ああ。あれ…、キャプテン今日帽子被ったっけ」
 最後の言葉を皮切りに、彼らの気配は路地裏の奥にフェードアウトしていった。


 ところ代わり、帽子を無くした少女は、日が最も高く鳴る前に、彼女を養護する老人の家に駆け込んだ。
「ジョージ! 私の帽子が取られちゃったッ。変な男だったんだよ! 目の下がすげー黒くて、で、焼けてて、でもヒョロヒョロしてて気持ち悪い感じッ。ニヤニヤ笑って意地悪そうな顔だった! もー変な奴! 私に似た目の色は綺麗だったけどねッ」
 広がる髪が遅れて、私の背中を覆う。それから、それから、と繋がる言葉の後ろで、バーンと乱暴に閉めた扉のガラスがガタガタと震えた。
 一瞬驚いたジョージは、緑にも見える瞳をキラキラと輝かせた。私の思いがそこら中にぶちまけられた後、にっこりと笑った。
「おやおや。それで彼はなんと?」
「おれのだって言うんだよー!うああん」
 私の帽子なんだぞ!あの…名前長くて覚えてないや!ファルと言ってましたよ?そう、ソイツ!
 ぜーんぜんッ、焦った様子を見せないジョージに、私は喚き立てる。ジョージが洗ってくれたんだぞ!忘れちゃったのか!?
 それでも彼は、私の髪を控え目に梳きながら、優しく頭を撫でた。
「おや、仲良しなのですか?」
「そんなわけ無いだろー! 何聞いてたんだよッ」
 ポカンと拳を突き出すと、丁度彼の胸に当たる。幸い力は余り込めていなかったので、ジョージはクスクスと笑って殴られた当たりをしわしわの手で撫でさすった。
「おや、すっかり…。×××さん、彼はね、明日も会いましょうと言いたかったんですよ。思わず意地悪言っちゃったんですねェ」
「え? えー!? じゃ、明日も来るのか?」
 ごめん、いいですよ、と軽い謝罪をし、ジョージは緩く首を振って、徐に、中断していた食事の準備をし始めた。そして穏やかに言う様子は、常々思うことだが、不思議と私を納得させる。素直に首を傾げた私に彼は笑みを深めた。
「じいはそう思いますよ。ふふふ、さて、お昼にしましょう」
「お。…うん」
 そっか、ふふふ、駄目だな。素直に×××さまに会いたいって言えば良いのに!
 さあ、手洗いうがいをしてきて下さいね、と促すジョージに、私の思考は上機嫌のまま、はーいと元気返事をして、日常に戻っていった。

過去のお話-6-

2011/12/05
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