text | ナノ

 島に着いたと聞こえたのは、私が起きてすぐのこと。
歓喜の声が上がっている甲板にのそのそと赴いた私は、すぐに誰かに捕まった。
「ポチじゃん! なァなァ、島だよ島! 見えるだろ?」
「グッグウウッ(首ッ首閉まってるんだよおお)」
 あん?と不思議そうな声を出して、私を覗きこんだ奴は驚いて声を上げた。
「おっとわりい!! さすがのお前も首絞められちゃ叶わねェよな! あっはっは!」
「…ガルルルルァッ!」
 威圧するように凄んで、白いつなぎどもに向かって歯ぐきをむき出しにして唸った。
 ぎゃー、と間抜けな声を上げて、甲板に逃げ惑うばかどもを追いかける程私も暇ではない。というより、私も島を見たかったんだ。
 船縁の手すりに前足をかけて、私は身を乗り出した。青い海がザザザと後に流れていく。目の前は濃い青が広がり、その一番向こうに見えるのが、島か。小さな山みたいな、なんだろう。形が何とも形容しがたいが、言うならば、三日月が、海に溺れているみたいな島。
 グシャと視界がつぶれたのは、私の頭を乱暴に撫でる人がいたから。
「ガルルウウウッ(分かってるんだよお前だろ!)」
 ファル!またお前か!振り向けば、やっぱり彼で、にやにやと笑いながら私に寄りかかるのだ。重ッ。
「よォ。うっせェと思ったら、そうか、もう島か」
 緩く口端を歪め、笑う様子にちょっと目を奪われた。すごい、素直にうれしそうだった。そっか、こんな表情もするんだ。
 関心して、静かにしていると、彼が私の顔を覗き込んできた。
「…見てんじゃねェよ」
「フーミ゛ャーー(照れてるー!!)」
 もっちゃもっちゃ私の頭を掻き回して、顔を背ける。
 感嘆?呆れた溜息。でも至極楽しそうな声が背後から聞こえてきた。あ、ペンギンだ。私はずっしりと重い背中を無視して、青い海にポツリと浮いているみどりの島をジイと見続けた。少しずつ、大きくなっている気がした。
「はいはい、船長。もう今日にも着きますが、どうします?」
「んあー…食料は…足りなかったな。燻製、乾燥、塩漬け、…肉だ肉! 野菜は一週間以内に食べられる分だけ、これは最後にしろ。あと、船の整備は、どうだ?」
「ちょっと船底に不安があるんで、もしおれで駄目だったら相談しますわ」
 バク、と呼びかけた声に、すぐさま反応があった。私の背後でやり取りされていることは、あまりよく知らないが、前にあった海戦で傷ついたのかもしれないな、とうっすらと思った。でも、やっぱりそんなことより見える島への期待感に胸を膨らませている私はほとんど聞いていなかったんだけどね。だから、奴らの動きにも気がつかなかった。にやりと笑う海賊ども。帽子の下から窺えるきらり光る瞳。
「おう。よろしくな。さて、ペンギン──」ここはファルの期待を込めた声を一刀両断する。硬質な声。
「お小遣いは一万ベリーです。それ以上は認めません」
 やっぱりペンギンだった。
「おれは船長だぞ!」
 しかし、彼の言葉に反対の意を唱えているのは彼だけではなかった。ざわざわとした甲板にバシリとペンギンが決定を下す。
「それとこれとは別です。あなたに任せていてはラフテルに着く前にうちの海賊業が破産します。今回はポチのこともあるんですよ!! どうなんですか? そこら辺は! もし足りないならご自分で稼いだらどうですか」
 私のことを声に出して抗議されると、ちょっと申し訳ないんだけども。
 はァとファルの溜息が私の背中の毛並みを乱した。ねェ、そんなこと議論している内に、結構島は近くなって来てるんだよ?私の思いに気づいてくれのはベポだけで、隣の手すりに寄りかかり、私と視線を交わすと、和やかな声で、すごいよねーと感嘆の声を上げているのだった。うん、確かに。フフフと目が細まった。何度もこんな体験をしているんだろうけど、毎回感動は一入なんだろうな、と思って、一層上陸が楽しみになった。
 フンと鼻で笑うペンギンに、悔しそうなファルは、一瞬何かを思いついたように、にやりと口を弓なりに反らせた。それが、島の形とやたら似ている気がして、これからのことの前兆のように感じた。

 実際、あんなにも小さく見えていた島は大きくて、人気のない、入江にその派手な外装の船を停めたかと思うと、みんな今すぐにでも飛び出して行きたいと言わんばかりな表情で、甲板にしろいつなぎの男が勢ぞろいしていた。私は不服ながらも奴──ファルだよ、ファル!!──の背もたれになったいた。甲板にだらりと座り込む奴を見下ろす面々。ベポだけが、私を心配そうに見ていた。てか、そんなに気にしてるのなら、私と交換しなさいよ!!
「じゃ、今回は宿に泊まるつもりだ。予算はペンギンが担当している。…ボロイのは却下だぞ」
「把握してます。ボロイのが分からない年季ものを探すのはおれの十八番ですよ」
 ふざけたこと言ってないで、早く下りようよ。私、楽しみにしてたんだから。
「自慢にすんじゃねェよ…。だから、運び出す荷物は…」「ここに全て貴重品もあります船長!」
 いつの間に、上陸への準備はばっちりらしい。そわそわと動く背中を、ファルは優しく撫でた。まだかと彼の言葉を待つ。私ってかなり忠実よね。
 しかし、私の思いをことごとく裏切るのがこの男、ファルなのだった。
「よくやった。船番は、ポチ、お前だ。しっかり船、見てろよ」
「フギャ!?(今、なんて!?)」
 信じられない言葉が私の耳に入ってくる。誤報だ。絶対。でもそんなことはあり得ないのだった。ツラツラとそれっぽいことを言うファルを私は茫然と見守るしかなかった。
「トラが町を歩いてみろ。速効通報されて海軍に取り囲まれるっつの。一応海軍の駐屯所もあるしな」
「(ベポなんか白クマじゃないか!!)」
 私の涙の抗議も奴には通らず、結局私は一人さみしく船に残るのだった。
 …ご飯…本当にこれだけなの?私、死んじゃうよ。てゆーか、なんで私、一人なのッ酷過ぎる…。
 ヒュオオと、林からすり抜けてきた細い風が私の心に吹き抜ける。温かい陽気なのに、とても寒く感じた。周りの雰囲気まで暗く影が落ちた気にさせる。だって、初めて、なんだよ?わあわあ上機嫌に飛び出していく船員どもにため息をついて、私はポテポテと甲板を一人歩いた。…誰もいないのかよ!
 船室に器用に潜り込んだ私は、無駄に廊下の端から、端まで歩いてみた。あ、一番端の部屋、ここ、ファルの部屋なんだよなあー。いつも寝るときは奴の抱き枕状態なので覚えている。チックショ、そんなあいつも今頃お楽しみなんだろうな!!くっそー。なんだか無性に悔しくて、扉をダンダンと蹴りつけながら方向転換した。
 ポテポテと進んでいた足はいつの間にか、とぼとぼになっていった。はあーあ。いつも船員が寝ている大部屋に行ったのが運の尽きだったよねー。汗臭いのなんのって。いや、違うか、ファルが無臭なんだよ。あいつ人間じゃねーからな。
 鼻をつぶされた私はブシャブシャくしゃみをしつつ、何度も鼻を床にこすりつけて、手で鼻づらを磨いた。うおーくっさい。最低。これで街中に出られても住人も困るよ!ケッ。
 口が悪くなってしまうのも私は悪くない。だって私は被害者だ。
 結局これ以上歩くと自分が傷つくだけなので、私は素直に甲板にでた。うっすらと差し込む太陽の光が甲板に小さな光を作ってキラキラと踊っている。一番日の当たりの良いところにお尻をついて、胸までべったりとくっつけて、不貞寝をし始めた。
「おい?…おい、ポチ」
「ンナ゛?」
「起きろ、なァ、おれよ飯食ってくるから、残り頼むな?」
「ギャウ!ガルル!(整備士じゃないか! ってどっか行くのかよ!)」
「ごめんなー」
 グルルと恨めし気に鳴く私に、奴は苦笑して、やたらと優しく撫でるが、やはり奴は最後には軽く笑って船を飛び降りるのだった。軽く殺意が湧いた。
 その後は、私は眠れなかった。お腹も減ったし、何よりここで食べるのは癪だったのだ。いわゆるハンガーストライキである。ふふ、間違えてないよ?ハンガーである。ハンガー。
 馬鹿なことを考えてうだうだとしていると、ファルの声が聞こえた。今、奴の忌々しい声は聞きたくない。首を振って、伏せようとする。
「ポチ!」
 え、え!?まって、空耳だと思ったのに、実際ファルは船の下、少し離れたところで私に向かって叫んでいる。
「早く来い!」
 でも、船番は?突然の本人の登場に、びっくりした。それに、訳分からん事を叫んで。
「船はいいんだよ!バクが小細工してただろ。うごかねェから。だから、…」
 …あれ、ってことは私は騙されて、島を回ることもできずに寝腐れてたってこと…!?
 うわあ、ファルの言葉の途中で、話の全容が分かってきた私はぐんぐんと怒りメーターが上がってくる。もう弾けそうだよ!!振り切れるわ!つまり、あのフード被ったあいつがなんか船に残ってたのは船を固定するためで、私は全然いらなくて…!!
 もう、私の体は風を切っていた。後半の彼の言葉はほとんど聞いていなくて、猛然と駆けると、そのまま軽やかに船を飛び降りる。私はバカだけど、運動神経だけはいいのよ!!草がザザザと私を避けていく気がしてくる。フフフ私には誰も追いつけないんだからー!
「おい、ちょ、」
 ダダダダッと勢いを抑えること無く、私はそのまま全力疾走でファルの薄い胸に飛び込むのだった。バーンッ!!ざまァミロ!
 いってェ…と呻いた声は、私の下から聞こえてきた。胸に前足を置いた私はフン、と口端を歪めて、奴を地面に押しつける。ばあか!起きれないだろう。
「グルルルルル」
 いててと呟いたファルは、伏せていた顔を上げた。帽子を直し、私を見上げる。私はすっかり上機嫌で奴の行動を全然見落としていた。
 スウ、と延ばされたファルの細腕が私の首に巻きついた。え!
 ギュウとしがみ付く奴に対応出来なくて、私はファルにまたがったまま硬直した。ゴソゴソと手を動かした奴は、よし、と小さく呟いて、そこで私の視界がひっくり返る。
 ゴンッとまともに頭を地面に打ち付けた私は、今度はファルととってかわって、地面に服従のポーズをすることとなった。
「フフフ、抜けてんなァ。ん?」
「ググウウ」
 フフフと笑った。奴は、徐に立ち上がると、私のお尻を蹴りつけた。
「ギャン!」
「ほら、行くぞ。今夜はテメェのための宴なんだからよ。野郎どもが待ちくたびれてウッセェし、おれも流石に腹が減った」
「???」
「わかんねェ? つまり、みんなテメェを歓迎してるってこった。ホラ寝っ転がってねェでさっさと行くぞ、ポチ」
 パッと飛び起きた。にっこり笑うファルは珍しく、何の意味も含めていない純粋な笑みだった。さっさと歩きだすファルの薄っぺらい背中を追い掛けた。あ、土、付いてるし。フフと、笑った。
 勿論、私を待っていた汚い海賊の男どもはその盛り上がりで私を大歓迎したのだった。
 ご飯が一層美味しかった。

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