「あれ、これ…」 何故か、爺さんの家にはベッドが二つあった。ホテルみたいに少し間が空いて、置かれている。その一つの、一応私の使っているベッドサイドに、安置してある白い、マフモフの帽子を手に取った。たしか、私が持っていたような。 帽子を手に小首を傾げた私に声をかける爺さん。 「×××さん? ああ、あなたのじゃありませんか?」 すぐ合点がいったように、洗濯かごを抱えながら穏やかに喋った。 「ふゥん」そうだった。"私"のか。 「所で、今からお洗濯をしますけど、それは洗いますか?」 「…いや、いい」 ジッ、と帽子を見つつも、首を振った。わしゃわしゃと帽子に指を通す。"何時もより"、ふわふわが固い気がする。 「そうですか、あ、一応一回は洗ってあるんですよ。海水に浸かったでしょう?」 「へ、」 「駄目でした?」 「ううん。…ジョージ、ありがとう」 「ええ、どういたしまして。では×××さん、外も快晴ですから、そこらでも散歩しては?」 にっこりと優しく微笑んだジョージに、悪い気はしなかった。穏やかに紡ぐ言葉は私の思考をすっきりさせたような気になる。"私"の帽子をきれいにしてもらってありがたいなァ、といつになく素直に思った。 「ああ、そうさせてもらう」 「行ってらっしゃい。お昼には帰って下さいね!」 「ん」 パスッと季節感を完全に無視した帽子を被る。 ジョージに見送られて私は早速外に出るのだった。 ふんふんと鳴らす鼻。何時かの流行りの主旋律をなぞる。パッと蹴り上げる足。白い砂が舞い上がって、太陽に照らされてキラキラと光った。 「あつー」 サンダルの隙間から潜り込んでくる熱い砂。ザザ、と打ち寄せる波に濡れた所へパスパスと足を進めた。 サクサクと、後ろを見れば次々に消されていく痕跡。ちょっと気分が良い。 暫く海岸沿いに歩いていくと、ちょっとした茂みの奥から、何だか騒がしい。あれれー。と思って、別に私が行かなくてもいいのに自然と進む足。 深くない森に入ってすぐ、声はまたちょっぴり大きくなる。木々に遮られた太陽の光。少し涼しくて薄暗かった。カサカサと足を擽る草は間もなく気にならなくなる。 海軍がどうとか、友達がどうとか。お前がほにゃららら。…小さく見える男二人に、それよりも向こうに見える小さな人影。磔にされてて、それを囲むように白い、白い…マント?嫌な予感が頭を過ぎる。 「友人を身を呈して守るのが、本当の友情よ!!」 ――おかまウェイよ!! さっきより、はっきりクリアーに聞こえた一フレーズに、私はさっと顔を背けた。ここにいちゃダメな気がスゴくした。 小さく後ずさった足は、私に先を急げと促す小さな勇気をもたらしす。 身を翻すのは早かった。もともと深くもない森から離れると、また白い砂浜が私を待っていた。 目の前の明暗の変わりように、光景の色が一瞬反転した。 「…」 帽子を盾にする。 ふんふんと鳴らす鼻。何時かの流行りの主旋律をなぞる。パッと蹴り上げる足。白い砂が舞い上がって、太陽に照らされてキラキラと光った。 「あつー」 それは、帽子で蒸れた頭の事も指していた。 サンダルの隙間から潜り込んでくる熱い砂。ザザ、と打ち寄せる波に濡れた所へパスパスと足を進めた。 サクサクと、後ろを見れば次々に消されていく痕跡。ちょっと気分が良い。 ふんふんと鳴らす鼻。何時かの流行りの主旋律をなぞる。繰り返すことに何故か充足感を得る。さっきの光景は無かったんだ。うん。そう。 そのままの勢いで帽子を上に投げ上げた。ふわりと上がって、私の手元に戻ってくる。 「もふもふー」 また投げる。ふわりと上がったそれは海から吹き付けた風に簡単に飛ばされた。 「あ、」 サラサラの白い砂浜に落ちたそれを拾い上げる。 「ごめんごめん、はいッもう一回ー、ほーれ」 両手でそれを上げる。小さく何回もそれを成功させて、段々と高く高くそれを上げていった。一度また、今度は海へ飛ばされそうになり、寸での所で掴む。 「それっと、あ」 長い髪が煽られる。視界が暗くなって、また帽子は飛ばされた。 「もー…」「おい」 おや、低い声。誰かな、と髪をかき分けて、キュッと片手で押さえた。キョロキョロと帽子をさり気なく探しながら、その声に視線を投げる。 黄色と黒のパーカーに、黒く大きなニコちゃんマーク。んんん?ちょっと違う感じもしたけど。それにスラリと細いGパン。少し汚れてる?模様?それに、顔色が悪い。細い。目の下が黒い。そして、その瞳は、私の色ととっても似ていた。 訝しげな視線をお互いに投げる。 「なに? だれ?」 「お前は誰だよ」 あー、男の手に私の帽子!そのまま男は被ってしまった。悔しいけど私より似合ってる。私は少しイラッとして、出た声は固かった。 「それ、私の。返してよ」 「おれに命令するな。…これはおれのだ」 小首を傾げて不思議そうに喋る。ぜんっぜん似合ってねェから!!私は奴が指で帽子を何気なくいじくる様子に、口がへの字になっていくのを止められなかった。 「はあー!? なんでアンタのなワケー!?」 「こっちが聞きてェよ。それと、おれはアンタじゃねェ」 腰に手を付き、ふんと顎を突き出す。離された髪は、また風に踊った。バサバサと私の体に纏わりつく。 「じゃあ何だし」 「さァな。テメェがちゃんと自己紹介できたら教えてやるよ」 そんな私の態度にも臆せず、うっそりと笑った男は、静かに私に近付いてきた。嫌そうな顔をするが、それをみて奴はまた笑みを深めただけだった。 「は? なに私がアンタの名前知りたいみたいな感じになってんの?」 「そうだろ?」 徐に伸ばされた腕は私の暴れる髪を、一房取った。 「違うし!!」 バッと後退り、さらにタタタンと軽くステップ。奴の手から逃れる。足元を掬う波が私の踝を濡らした。 ガルルルと噛み付く勢いで奴を威嚇する。そんな私の様子に肩をすくめた奴は、面倒そうに溜め息を付いた。めっちゃ失礼な奴!! 「トラファルガー・ローだ。おら、テメェは?」 投げ遣りに呟く彼は、私をみて、意地悪そうに微笑んだ。私は苦い顔をして、奴の名前を反芻した。トラファルガーね、…奴にトラなんて名前は勿体無い。ファルガー?いや、ファル!うん。ファルで決定!! 「トラ、トラファルガー…ね、ふん。…私は×××だ。良く覚えとけ」 「ふうん、ま、どーでもいいけどな」 「おいい! 自分から名乗ったってことは×××さまに興味があったってことだろ!?」 「は? なに馬鹿言ってんだよ。勘違いするんじゃねェ。自意識過剰」 じゃあなと手を後ろ手に振り、今にも去っていきそうなファル。ちょ、言い逃げか! 「ファルのくせに生意気だ!!」 ほっそい足して!なよなよしいんだよ!しかも×××さまを侮辱したまま帰るなんて卑怯だ。と脳内で激しく奴に罵詈雑言を飛ばし、睨みつける。と、奴の体が反転した。あれ? 「ファル?」 不思議そうな声。訝しげに顰められた眉からは、ファルが、何か、思考を巡らせているように感じた。 「アンタに、ファルにトラは勿体無いからね」 その様子は、少しも私に意識を向けていなかったので、私は敢えて小さく呟いた。隈でいっぱいの目に見られるの、ちょっとヤダ。早くどっか行けば良いのに。 でも、ファルは私のそんな小声を拾った。 「…ヘェ。トラねェ…。所でこの帽子はどこで拾った?」 「私が持ってたの。拾ってないし」 「ふうん。じゃ、お前、何処から来たんだ?」 「え?」 「海からだろ」 「え、そう、だけど…」 「ふうん」 そういってまた思考の海に落ちる彼。てゆうか、なんで知った風な口調なのよ。なんで知ってんのよ。置いてけぼりを食らった私は、とうとう当惑を通り越え、猛然と怒りが湧いた。 「さっ、さっきから何なの!? 聞いた割に興味なさげに返事しちゃってさァッ」 「ふふ。知ってるからな。×××…か。」 知ってる…?ポカンとした私は、ファルがまた去っていきそうな気もして、ポロリと言葉が零れた。 「じゃ、そーいうファルはどっから来たのよ」 「ノースブルーから」 「え、とおいい」 それに色黒だね、とは言わなかった。全然アウトドアには見えないし。 「ああ、そうだな」 ファルは控え目に笑った。当たり前の事を感慨深げに言ったから、かな。だって、ここは確かグランドラインだ。四つの海から此処に来るのは大変だし、出るのもまた然りって奴。 とても興味が湧いた。私は、グランドラインでしか生きたことが無いから。 「…船で旅でもしてるの?」 多分、私は今自分でも恥ずかしくなるくらい目を輝かせているんだろう。ファルの目が微かに見開き、すぐ意地悪そうに笑った。 「ああ、キャプテンと呼んでくれても構わないぜ」 わざと艶を纏う声に、私は反射的に笑ってしまった。 「嘘でしょ。ファルが船長って、世もマツだわ」 あっはっはと笑って、首を振った。サラリと髪が背中に流れる。不服そうに眉を寄せたファルは硬質な声で短く言った。 「スエだろ」 「…うっさい!」 ちょ、はっずっ。蹴り上げた足は海を掬った。パシャンッと飛ぶ飛沫をファルが鬱陶しそうに手の平を翳した。 そのまま手を伸ばし、手首を私を浅瀬から引っ張り出した。一定のリズムで打ち寄せる波の音に、パシャパシャと軽やかな音が混ざった。私は必死だったけども。自由な片手を突っ張る。 「わッ」 ファルの薄い胸板に手を付き、ギュッと押し出した。…ビクともしなかった。 彼を押しながら、ムッとして奴を見上げる。鼻、高ッ。イラッ。 「今はどこにいるんだ」 グイグイ奴を押して、何とか離れた。フン、と鼻を鳴らして髪を後ろに流した。 「知ってんじゃないのー。私のストーカーさん」 片眉を釣り上げ、わざとらしくキョトンとした。ピクリとファルの眉間が痙攣する。 「…ストーカーじゃねェよ」声は低かった。 「え、知らないの?」 これは本当。だって、知ってる風な口調だったから。 晴天、時折吹き付ける風が気持ち良い。青い、クリアーな海がザアザアと波音を立てた。 ファルの反応は遅かった。イラッとしたのか、絞り出すような声だった。 「知ってる」 でも、強がりにも聞こえた。 「へ、気持ち悪ーい」ニヤニヤと笑う私は、相当性格が悪いな。でも、"いっつも"奴にはしてやられてるんだからこれくらい安いものだろう? ファルの機嫌を損ねたかと思ったが、奴は自信満々に鼻をツンとさせた。余裕を思わす口元が憎々しい。 「こんなイケメン掴まえといて何言ってんだ」 「それを言うならこんな可愛い子捕まえといて蔑ろな扱いしないで頂戴」 「…間違ってねェな」 キョトンとしたファル。私は地団駄を踏んだ。 「そう何回も間違わないから!」 「フフフ、まァ、そういうことにしといてやる。感謝しろ」 「ムッカー! 一体ファルは私のなんなのよ!」 あー!思い出したらムカついてきた!最初から馴れ馴れしいとは思ったけどさー!知った風な口を聞くし、今回だってまるで私が奴の手の平で弄ばれてる気分! ビシイッと突き付けた指はファルに掴まれて、逆向きに折られる。 「いてててッ止めろバカ!」 「…思い出したら答えてやる」 痛みにヒイヒイ言う私に、ファルは呟いた。 「フー、いっつー…、は?」 「じゃあな、また会おうぜ、…×××」 理解不能な言葉を吐いて、再びファルは後ろ手を振って、私から離れていく。てゆーか、何を忘れるんだ?…あんな、特徴のある容姿をしていれば、"忘れる"ハズがない。と思った。ヒリヒリと人差し指が痛い。 去っていく細身の彼を目に留めて、徐々に焦点を合わせていった。 足跡だけを微かに残して、ファルはとうとう見えなくなる。落ちていく視線は、私の白い柔らかそうな手を捉えた。痛いよ、全く…て! 「ッ、あーっ!! 私の帽子ー!!」 もう、その声が彼に届くことは無かった。 過去のお話-5- 2011/12/01 <-- --> 戻る |