text | ナノ

「ジョー?」
 爺さんは自分をジョーと呼べと穏やかな笑みのまま言った。訝しげな私の声に、様子を伺うようにして、私を覗き込む爺さん。
「そうです。ジョージ・シュルツです」
「ジョー…」
私の声のトーンが変わったのをジョージは直ぐ気付いたのか、今度は労るように覗き込む。
「おや? どうしました? お知り合いにジョーでもいましたか」
 それでも、私は深く自分の記憶に落ちていく。

 彼女は何時も自信に溢れていた。勉強をさせては学校で一位をとってくるし、野を走らせれば誰よりも早い。容姿も闊達な彼女を引き立たせるキリリとした美人顔で、言うなれば精悍だ。ただ、唯一出来なかったのは泳ぎで、そればかりは私が何時も彼女の手を引っ張っていたなあ。
「お母さん。ジョーね、泳げるようになったんだよ! もう足をつかなくても良いの。それに、潜水もカンペキ! ねェ、今回のコンテストは私、ジョーと出ても良い?」
 競争して、負けたことも忘れて、私はピョンピョンとお母さんに飛び付く。
「×××、私と出るんじゃない。私が×××を選んでやったのだよ」
「フフ、お互い切磋琢磨しあえる仲で良かったわねェ。良いんじゃ無いかしら。私は否定したことは無いわよ」
 ジョーはまたわざとツンと顔を上向きにし、お母さんはふわりと微笑んだ。
「わっ、ありがとうお母さん!! ジョー!…あ!」
 パチンと手を叩き喜ぶ私は、お母さんの、早くご飯食べちゃいなさいと言う声に従って自分の皿に目を落とした。すぐ、その異変に気付いた。
「んー?」
 ジョーがニヤニヤと笑った。サラダをつつくが、意識は私を伺っている。分かっていながらも、私はジョーの期待する反応を返していたのだ。
「私のキライなブロッコリーが、…いっぱい…ッ!!」
 狼狽して嘆く私に、ジョーは今気付きましたと言わんばかりに私の心配をし始めた。
「おや、早く食べないから増えたのかもねェ」
「ジョーたら」
 おどける彼女に、ただお母さんだけがクスクスと笑った。
 島の観光名地、大きなイベントで、グループ毎に競い合うシンクロナイズドがあった。子供大人関係ないコンテストで、私は毎年参加していた。唯一得意な水泳を十二分に生かせる競技だった。ただ、特定のグループに属していない私は、今回ジョーのような同年代で競争したかったのだ。大人たちに紛れるのが嫌だった。ううん、違う。ジョーと一緒に演技したかっただけなんだ。何時も、羨ましそうなグリーンの瞳で私を見て――。

「×××さん?」
 反応の無くなった私を心配して、爺さんは、しわくちゃの手を私の肩に置き、揺すった。
 ぽうと浮かび上がる一つの単語。
「ジェシカ…」
「ジェシカさんと言うのですか?」
 呟いた言葉に返すジョージに、やっと私は意識を現実に向けた。
「は?…そんな名前知らないし…! おい爺さん、お前はジョージだ。ジョーなんて馴れ馴れしく呼んでやんないからな!!」
 ビシッ、とシーツからちょこんと指を出して、威嚇する。
「おやおや、それはそれは。ではゆっくりと馴れ馴れしくなってくださいね」
 もしかしたら、この姿が爺さんを威嚇するには全然適していない格好なのかと思った。ニコニコ笑って穏やかに話すジョージに、私はムッと顔をしかめた。ギュッとシーツを抱き締める。
「ッ」
「そんな怖いお顔なさらないで。さて、爺は×××さんのお洋服でも買いに行きましょうね」
「ジョージ! 私も行く!」
 ワッ、と立ち上がり、シーツがふわりと空気を孕む。何年も切っていない髪がさわさわと肌を擽った。
「ほ、ほ、では爺の服でも良いですか?」
 ちょこんと見えるグリーンが濃くなった。微かに驚く様子に、私はフフンと得意げに笑った。
「構わないぞ。だって可愛い洋服を買うのだからな」
「そうですねェ」
 穏やかに笑う彼は、私に向ける眼差しが、既に愛情を持っていた。ジョージが彼の部屋に、洋服を取りに引っ込む時、私は不思議なことに、ハートの海賊団の事を忘れていた。ただ、この手にずっと握り締めている帽子が、唯一大切なもののように感じていたのだった。



 レモン色の潜水艦は、既に海上に出ていた。目の前に見える島は、南国のヤシの木の何十倍もあビックツリーが丁度真ん中に、存在していた。
「キューカ島ですね」とペンギン。片手に持っている海図と照らし合わせ、うんうんと頷いた。
「ベポ、ポチの匂いはするか?」
「…ううん…。一寸遠いかな…潮の匂いがキツくて分かんないや。でもここら辺にある島はこれだけだし、向こうの方で確認できるかも。」
「黒檻屋がいるからな、あまり上陸はしたくないんだが」
「するんでしょう?」
「ああ。船員が一人掛けてもハートの海賊団は成り立たねェんだよ」
 船縁にて、潮風を受けながらさらりと空気に載せた言葉は、彼の真意だった。フッと笑う横顔は至極優しく。シアンブルーの瞳には強い意志が宿っていた。
「せ、船長ー!!」
「おらッ、行くぞ! 帆を張れ!!」
――オオオォォォオ!!
 船長の言葉は、直ぐ船員等の耳に入り、一拍の無言の感動を終えて、賛同の声を上げた。そして猛然と動き始める。
 何の組織が関係しているのかは判明していないが、キューカ島は、随分前からヒナ大佐による警戒態勢が張られていた。島に近付くと分かるように海軍の船がポツポツと見える。本来なら、見つからないよう、ログがたまる間近海で時間を稼ぐが、そうはいかない。今回は、海軍に見つからないように上陸し、島のあちこちを船員が歩き回らねばいけなかった。
 レモン色の潜水艦は、海軍と、島人から見つからないよう、ぐるりと静かに島を回り、港から魔逆に位置する入江に落ち着いた。直ぐ目の先に生い茂る森が、派手な黄色の潜水艦を隠す。
 ハートの海賊団が、全員甲板に集まると、そこには見慣れた白いつなぎの者が見当たらなかった。各自が持つささやかな私服に着替え、それぞれの獲物は服の中に隠し持っていた。オレンジ色のキャスケット帽を被った瞑らな瞳の、外側に跳ねた金髪の男が量産型のシンプルなナイフを、手持ち無沙汰に回している。常に防寒帽を外さない彼が艶やかな黒髪と、長く、白い鬢(びん)を纏めて後ろに流しつつ、その小柄な男の頭を軽く小突いた。
 船室から出てきた長身で、目の下に隈をこさえた男は、いつも通りの、派手に笑うマークが刻まれた黄色いパーカーと、黒い斑点がパラパラと存在するスキニーのジーパンを履き、ただ唯一帽子が無く、短い黒髪を風にあぞばせていた。眩しそうに細められた、暗い深海を思わす瞳が、甲板に集まる統一感のない男等に視線を配り、斜め後ろに待機した白クマに声を掛ける。此方も変わらずオレンジ色のつなぎを着ていた。
「ポチの匂いは?」
「…うんと、凄く薄い。でも、多分居る」
「何で薄いか分かるか?」
 問い掛ける疑問は、しかし既に回答を知って居るような表情で問われた。暫し落ちる沈黙の後、自身なさげに返す。
「海に、落ちたからかなァ…、でもキャプテン。キャプテンの匂いもするんだ」
「それは当たり前だろう。おれは此処にいるんだ」
 キョトンとして、直ぐ訝しげに眉根を寄せる。私服の船員等も、不思議そうに首を傾げた。白クマの瞑らな瞳が不安そうに周りを見回す。フルフルと力無く首を振った。
「(ポチの匂いと同じ場所からなんだけどなあ)」
 ベポのネガティヴが、それを言わせるのを憚った。ごめんなさいと小さく呟いて、ローが頭を撫でるのに大人しくそれを享受した。
「所でテメェ等何でつなぎじゃねェんだ?」
「だって、大佐が居るんですよね?」
「まァ、アッチも匂いで判断するか…。黒檻屋を警戒するに越したことはねェからなァ」
「キャプテンは?」とシャチ。
「おれが変装したら逆に目立つだろ?」
「あァ―…」
 彼を一番引き立たせるドヤ顔でそんなことを断言されては、反論などできる者など居ないのだった。実際彼はそう言わせるだけの容貌もしていたので、船員たちは納得半分、また何時ものナルシストかと呆れ半分に頷くのだった。
「海軍の馬鹿共のことだ、ポチが懸賞首になっていなかろうと珍しさに連れて行かれるに決まってんだ。さっさと見つけるぞ!」
「アイアイ、キャプテン!」
 固く結ばれた拳が天に突き上げられ、可愛らしい台詞が、太い男の声で何重にも混唱されるのだった。
「あと凶暴だって言われてね」
 ボソッと呟くシャチとペンギンのデュエットに、後ろにいたコックがパカンと手を彼らの上で交錯させた。

過去のお話-3-

2011/11/23
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