text | ナノ

 戦闘が終わった。幽霊船になった船を根刮ぎ洗う。十分な距離離れ、船を沈めた頃、シャチの銃のコレクションは増えたらしい。ペンギンは彼からワンランクの下のおこぼれを貰ったらしいが、毎回、シャチが目をつけるのは装飾ばかり凝っている飾りみたいな銃なのだから、本当に質の良い銃はおれのようなものなのだと。こう言っていた。木と鉄の絶妙な混合、凶悪なボディをうっとりとしながら撫でるペンギンは安全装置をしっかりと止めて、腰の、繋ぎとの間に押し込むのだった。
 さて、気分も良く、甲板にへばりついた赤黒い染みを落とすために、程よい疲労の溜まった体に鞭打ち、バケツとモップを持って、日を浴びる彼らがゴシゴシとそれらを拭っている所。何時もなら面倒そうにそれらの光景を見守る彼が居なかった。彼の愛熊、ベポも揃って居ない。初めこそ気になったものの、暫く経てば、夢中になって甲板を磨き上げていた。
 バンッ!!と荒々しく船室の扉を開くのは、我等がキャプテンのトラファルガー・ローだった。褐色の肌に映えた白いマフモフ帽がない。晴天に照らされた彼の目はうっそりと細められ、比例して濃い隈が目立った。薄い唇をうっすらと開きながら、鋭く甲板を見回す。みるみるうちに眉間にしわがよっていく。後ろの暗がりから、少年のような声が追い討ちをかけた。
「どう? ポチはいた?」
「キャプテン。ポチが居なくなったんですか?」
 彼に問いかけられた言葉に、素っ頓狂な声を上げるシャチ。サングラスの上からちょこんと眉が覗く。くすんだ金髪を乱雑に後ろに流して、キャスケット帽を被った。モップの柄が甲板に向かって倒れ掛けていた所を目にも止まらない速さでつかみ直す。ローの眉間にグッと力が入っただけだった。
「海から…、上がってきた様子はあったか?」
 歯を噛み締めながら唸るローは、見るからに焦っていた。
 後ろからベポが悲しそうに声を上げた。
「おれは見てないんだ。ごめんなさい」
 彼の一言を皮切りに、懸命に甲板を磨いていた船員たちが真面目な顔付きをして、その時を思い出すのだった。
「おれ、船のお宝探索してたし」
「確かに。キャプテン、おれらは殆どあっちに出払ってたんで…」
 挙がる声の一つにも、灰色のトラを見た者は居なかった。出揃いかける答えの数々に、ローは既に訝しげな表情をしていた。察しの良いペンギンも、見えない帽子の鍔の下、目を鋭く細めていた。
「…おれか」
「え?」
 シャチの不思議そうな声。
「つまり、ポチはおれがシャンブルズで海上に交換してから船には戻ってねェってことだ」
「!」
 キャプテン・ローが海に入ってはいけないのは、船員の全てが知っていた。能力者である彼は、悪魔が最も苦手とする海に入ると、身動きが出来なくなってしまう。従って、どの様な状況であろうとも、彼が海上の上に晒されるなどという場面は出来る限り排除してきたのだ。それは、能力を使ってでも行われるべきだった。
 驚きに、目を見開く船員たち。彼らも、知っていたように、ポチは水が苦手だ。いや、苦手で済まされることではない。大嫌いで一秒でも浸かっていたくないのだ。その彼女が、海に落ちてから船に上がっていないと言うと、それは何か問題があったということに他ならない。
 ローの表情は苦々しく歪んだ。不慮の事故だった。防げる戦いであったかと聞かれれば、肯定はし難いが、それを言い訳に、彼女を失っても良いと言える程、彼女との絆は薄くは無かった。
「(何より、アイツはもうおれのだ)悪ィ、テメェ等!! 寄り道すっぞ!!」
 不安そうな船員等の顔が、希望の光を見出したように意欲的に輝いた。バタバタと、掃除用具をまとめ始めた。
「海図でこの辺りの海流を調べます! 島も近い筈ですから、そこに漂着していてもおかしくありませんッ」
「直ぐ潜水体制に入ります!! ポチのアホが溺れてるかもやしれません!!」
「よし、帆を畳め! 野郎共! 船長のペットを取り戻せー!!」
 ――オオォォオ!!!一体何を行えば良いのか、彼の一声で、甲板にいる彼らは全て把握しているように動いた。今、レモン色の潜水艦の上で、喚声が湧いていた。



 私は疲れていた。重く、沈んでいく体が何かに巻き込まれ、波の荒れるのをそのままに、意識が遠くなった。ああこの、似た感覚を知っている。暗い、深淵に落ちていく。生を諦めた――。

 泳ぐことが好きだった。南国のリゾートビーチ。グランドラインの夏島。海賊も沢山いたが、それらは良い客として扱われた。真っ白な星砂が埋め尽くす美しい海岸を、青い海を、汚すものなど居ないのだ。だって、こんなに美しいものが揃っているんだから、みんな見惚れる筈よ。お母さんもそう言ってたの。
「ジョー! すっかりどこに居たか分かんなくなっちゃった!」
 ザパンと飛沫を立てて、健康的な小麦色の肌を太陽の光に照らした彼女は、濡れた黒髪をフルフルと首を振るって、水分を飛ばした。
「当たり前さ。私を誰だと思っているんだい?」
 水滴が気にならないほど全身濡れている私は、ジョーを眩しそうに見た。キラキラと輝く笑顔は、一瞬前の無表情を払拭した。自信に溢れた口調は何時もの彼女だった。
 何時か泳げないと泣きついてきた彼女を彷彿させながらも、私は嬉しさも相まって、興奮に身を振るわせながら、声を上げた。
「えへへ。ね、ジョー。私たち名コンビね。こんなに泳ぎが上手な子供が他にいる?」
「もちろん今回のコンテストは総なめさ! とくと見るが良いよ、大人共! オーケイ?」
 これ、決めゼリフね。とにっこりと笑う彼女に、私は答えるように微笑んだ。
「うん!」
「×××ー。ジョーォ。もうお昼よ!」
 遠くからわざと伸ばして聞こえる澄んだ声。パッ、と振り返るのは当然の事で、遠くに見える、美人な女性に駆け寄ろうとパシャパシャとジョーは海で足踏みした。
「お母さん!」
「×××、向こうまで競争だよ! 私が勝ったらキミの好物を貰っちゃうから!」
 私が上げる声。ジョーは走りながらそう後ろの私に呼び掛けた。
「えーッ、ジョー、ズルいィ!」
「なら勝つことだね」
 既に走っている彼女は、私を海に置き去りにしたまま、行ってしまう。私はただ、彼女に追い付こうと必死で海を鳴らした。でも、結局陸で彼女には勝てなくて、一番の私の好物を彼女が食べて、私の二番目に大好きなものは二倍になっているのだった。

 パッと瞼が開いた。眩しい太陽に目を細める。ぐっと背伸びをしようとして、何時もより肌寒いのを感じた。
「(え?)…え?」
 そう言えば視界も狭い。髪がウザったくて、指でそれらを払った。
「え?」
 手を広げた。スラリと長い指。桜貝のような薄ピンクの爪。そのまま、視線は下がっていく。白い、太陽の光で照り返る、軟らかい肉、太ももの側、砂浜に落ちているアニマル柄のマフモフ帽子、今はシンなりとボリュームを無くしている。
 手を伸ばして、掴む。掴めた。あれれと思った。
 勢いよく立ち上がる。
「アッ」
 ヨロヨロと、二本の足は頼りなくよろめき、もつれて倒れた。長い髪が後を追って私の上にファサと落ちてくる。
 人間になっていた。何時かの少女だった時と幾分か変わっていたが、確かに自分だと分かる――。
「お嬢さん、どうしたのかな」
「…あ、う」
「おや、お嬢さん」
 ふと、軟らかい声に、私は後ろに投げ出された背を起こしながら、後ろを向いた。おっとりとした表情。しわくちゃの顔。しゃんと伸びた背筋。
 笑みで潰れていた細い目が、片方ちょこんと見えた。それが私の顔より下に向いていて。
「うぎゃーああぁあ!!」
「おち、落ち着きなさい」
 わたわたと慌てる老人から、隠れようと、私は海に飛び込んで、また溺れるのだった。がぼがぼがぼがぼっ。
 薄い一枚のシーツにくるまり、私は家まで連れてきた爺さんを睨んだ。うー、と警戒しながら冷たいお茶をグビグビと飲み干し、カップを爺さんに突きつけた。
「取り敢えず、×××さんと言うんだね? どうしてあそこに居たんだい?」
「…溺れた」
 爺さんの表情が訝しげに歪んだ。意味を履き違えいないだろうか?新しいお茶の入ったカップを持ってくるそれをまた一口飲んだ。うん、一寸冷えて来ちゃったかな。貰ったにも関わらず、一口飲んだカップをテーブルに戻した。
「船に乗っていたのかい?」
「フンッ、乗ってやっていたのだよ。この×××さまがあんなちゃちい船に乗ると思ったのかね? 泳げると思ったんだ」
「…えーと? じゃあお家はこのあたりかな」
 気遣うように柔らかく言う爺さん。ふわりと笑う可愛らしい様子に素直に返せない。キュッとシーツの端を掴んで、顔をしかめる。
「知らん!!」
「でも、船に乗ってたわけじゃないんだよね?」
 強く言うことで、彼よりも強いことを誇示した。だが、全然怯まない、寧ろ優しく問いかけられて、私はとうとうふにゃりと表情を崩すのだった。
「…うん。ううん。乗ってたの。落とされた」
 ショーン、と落ち込む。ヤッパリ、ファルは私を捨てたのかな。水は嫌いなのに…。わざわざ私を海上に落としたんだ。そこからの記憶は曖昧だが、でも私が今船に居ないということは、そういうことなのかなぁ…。
「おやおや、それはヒドい…。では、どうしようねぇ…」
「×××さまはねーェ…ッ」
 慰めるような彼の声に、私は心外だと声を上げる。震えるな。私は――。
「拾ったのも何かの縁。最後まで面倒をみなければ責任を問われますよねェ」
 独り言のような問い掛け。にしてもその内容が酷い。
「なッ」
 まるで畜生のように扱われる言い方に、私は目をつり上げた。そんな必要ない!!と叫ぼうとする私は、彼の次の言葉に、開いた口のまま、止まるしか無かった。椅子から立ち上がろうとした、中途半端な体制が戻る。サラリと髪が流れた。
「ここにいなさい。」
「はっ!?」
「一緒に住みましょうよ。じいは寂しいんです」
 小さな緑の目、ジイと見つめてくる視線は、寂しいようには見えなかった。ただ、否定しても、実際私の行く場所など無いのはずっと前から分かっていた事じゃないか。
「まっ…、まァ一緒に居てやらんことないぞ」
「嬉しいねェ、一気に孫を貰った気分だ」
 ツンとそっぽを向く、私を見るじいさんの目は、至極優しかった。

過去のお話-2-

2011/11/18
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