text | ナノ

「…ポチ?」
 こちらを窺うように、少しおどおどとしながら、誰かが私を呼んだ。
 ちらりと向けた視線。ビク、と鋭い黒いサングラスが揺れた。全身が一瞬痙攣した。キャスケット帽が目立つ。蛍光色?派手。ああ、初めに私を捕まえてきた奴か、と視線を反らす。
「って言うんだろ?」
 囁くように話しかける男に、私は、小さく唸る。
「グルル(私はそんなつもりじゃない)」
「ッ」
 しゃがんだ男は、また一瞬怯んだ様な気配がしたが、無視した。ええと、なんだっけ?キャスケット?キャス?サチ…?
「お、おれシャチってんだ! な? 仲良くしような?」
 ああ、シャチだった。あと、ペンギンとクマ。動物園でも開けそうな程動物の名前が多いなァ…。ふうんと小さく鼻を鳴らして、潜水艦の甲板の淵、ザザザと音を立ててあっという間に後ろに流されていく波を見た。遠くで大きくしぶきを上げている。海王類が呼吸をしに、海面で跳ねたんだ。
 チョン、と指が刺さる。ん、何だ、と思って、振り向こうとしたら、今度は頭を包むように、いや、一枚空気を挟んで、上を滑るように撫でてくる。小さくて、ガザガザした手は、何やら酷使しているように思った。今度こそ、頭を撫でてくるシャチを見上げた。
「あ、いや、別にお前が怖いわけじゃなくてだな!?」
「フン(何も言ってないし)」
「…目、キャプテンと色似てるんだな。きれいだ」
 単に、感心したような声に、私の気分がぐんぐんと上昇していくのが分かる。
「ゴロゴロゴロ(あ、当たり前だろー。私が一番かわいくてきれいなのだよー)」
「あれ、何かめちゃくちゃ調子に乗っているような気がするんだが」
まあいいかとまた、今度は少し慣れたように、サラサラと手を動かした。
目を細めて、うとうととする。周りで窺っていた数人の気配が近づく。
「シャチ、もう手懐けたのか?」
「え、…ああッ、まァな」
 フッと得意そうに笑うシャチに私は片目だけを開けてちらりと見た。よく言うよ。フゥと軽く息を吐きつつ、私を囲むように、シャチのところへ集まってきた男たちに視線を投げた。
 みんな、目が眩しい白いつなぎを着ていた。何か、決まりでもあるのか、何かしら頭に何かを付けている。
 一人、ヘアバンドのようなバンダナを引っ掛けている男も見えた。みんな同じように、観察するような、まだ様子見なのが分かる眼差しで私を見てくる。止まらないシャチの手に、私は眠気を振り払うように欠伸をひとつ零した。
 おお、と怯んだ様に低く声を上げる男たちに、少し笑った。シャチの手がぴたりと止まった。
「え、何なに?」
 一人現状を把握していないシャチがきょろきょろと視線を彷徨わせた。
 私は、ただ、低くゴロゴロと鳴いて笑う。
「いや、ポチだっけ? 欠伸したから」
「え!」
「何だよシャチ気づかなかったのかァ?」
 男たちの少しからかったような響きに、サングラスで見えない目が少しむっと歪んだような気がした。
 否定する声はどもって、私の顔を窺うようだったが、怒っている訳では無いぞ。
「な、何だよ、別に」
「ふゥん? ま、どうでもいいがよお前のビビリは。キャプテンはまた変な名前つけたよな。ベポの時は治ったかと思ったけどよ」
 適当に流した船員は、懐かしそうに頬を緩めた。そういう彼はヒトデと言うらしい。帽子の真ん中、星が書かれている。なんだか、彼の名前の由来がわかったような気もした。カイゼル髭がかっこいい、それなりの年齢に達しているはずの彼が少し哀れに思えたが、それを笑い飛ばすくらいの余裕はあるらしい。
「キャプテンのセンスを馬鹿にすんなよ!?」
 あえてシャチが反論するが、顔が少し笑っていた。なァ、ビビリは否定しないのか?
 もう認めてしまっているのか、気にする船員はいない。
「て、言うけどな、お前も思うだろ?」
「う、ま、まァ。キャプテンああ見えてふわふわしたの好きだからな…動物系多すぎだろ」
 お前はふわふわでもねェけどな。カッコヨクもねェしな。と周りから声が上がる。
 フォローするような声が他から上がる。
「でも、最近ましになったんじゃねェ? シャチだってそうだろうが」
「へへ、まァな!! 海のギャング、なんだゼ〜♪」
 低く伸ばす様子は得意気に歌っているように見えた。いつの間にか止まってしまったまま、私の頭に小さな手のひらだけが置かれている。
「グルル(やっぱりファルの頭おかしかったのか)」
「おお、ポチ」
 ファルの名付け方が可笑しいというのは船員の全員が知っているはずなのに、誰も私の名前をポチ以外で呼ぼうとしない。一体何なんだ。私の不満が違うところにあると思ったのか、ほかの船員が、宥める様に私の頭に手を伸ばした。
 違うんだけども、仕方なく頭をいいようにさせて、私はジイと海に視線を投げた。白い千切れたような雲が、海面に映って、余計ばらばらに見える。白に黒が混ざっている。いびつな白黒のまだらに少し気持ち悪くて、目を閉じた。ちょっと、いつもより強い船の揺れに気持ちが悪くなってしまったのかな。絶えず揺れる潜水艦の甲板におなかをくっつけて、追ってくる手を振り払った。ファルはどこにいるんだろう?ふと思うと、私の上に新しい影が加わった。閉じた瞼の奥が暗くなって、目を開けた。
「おい。何してんだ?」
 硬質な声が響いた。ざっと一気に振り向く船員たち。手はもう無い。私も、座りなおした。なんだか、暗い空に増して、彼の顔色は暗い。目がギラと鈍く光った。
「あ、キャプテン」
「何してんだ?」
 声量が増した。あれ、と不思議そうに、それと緊張が彼らの周りに走った。
「え? ポチ撫でてたんですけど…」
 控えめに答えたシャチに、ファルの怒り琴線に触れたのか、声が爆発した。怒声。
 彼の髪がバサリと逆立ったように見えた。吹き付けた強風のせいだった。帽子は無かった。
「お前らは馬鹿か! 一端に海賊なら天候くらい把握してろ!! 見ろ、嵐だ! 帆を張れ! もう潜れねェんだよ!! 気張って乗り切れ!!」
 ボカッ、とシャチの頭をぶったたくファル。
「え!?」
 衝撃に、痛みを覚えなかったのか、声を上げる。目と、口が丸い船員がずらりとそろっている。目はただ、彼の向こう側を見ていて、その黒い雲に再び衝撃。頭にも衝撃。
「馬鹿野郎!! 動け!!」ファルがまた怒鳴った。
「は、はい!」
 生き返ったように、バタバタと慌てふためく白いつなぎ達。よく見れば、船首で、ペンギンが声を張り上げていた。
 忙しなく指示を出していた。私は立ちあがった。ふらりと足元がおぼつかない気がした。あれ、さっきまで照りつける太陽が眩しいような気がしたのに。
 ポチ!と誰かが呼んだような気がした。
「ポチ!テメェは船室だ!」
 あ、ファルだった。ガッと掴まれた首根っこ。イタッ。バサバサと暴れるパーカーから除く細い華奢な腕からは想像できない程の力で掴まれ、私は引きずられるように船室の扉を潜ったのだった。
 豪雨が降りそうな勢いで船は揺れた。
 ファルの部屋、つまり船長室の基本的な家具はその場に据え付けられているようだったが、その上の羊皮紙などの被害が大きかった。天井につるされたランプが仄かな光を放ち、ゆらゆらと揺れた。
 ひとつ船が激しく横揺れにあい、また机に乗っていた羊皮紙がバサバサと床に落っこちた。
 ファルがチッと舌打ちした。本棚は船揺れに耐えられるように、バンドで押さえつけられていたから、全然落ちる様子は無い。イガクショがいっぱいあるらしいけど、私には分からない。ただ、ファルはとても不機嫌だった。
「フウ(落ちつけよ)」
「…ポチ、…怖いのか?」
「(ちがあう、お前が不機嫌だから)ガウゥ」
 自分の気分が悪い癖に私の心配をしたファルは、そのまま私の頭に手を伸ばした。ちょっと乱暴な手が私の頭を撫でくりまわした。
「ググゥ(いていていて)」
「あいつらも…馬鹿だよなァ…お前を相手にしたばっかりにおれに怒られるなんてよォ。なァ、ポチ。お前も言ってやりゃ良いのに。サッサッと動きやがれ野郎どもって。気付いてたろ?外は悪天候、滅茶苦茶にな」
「グルルゥ?(分かってたの?)」
 落ち込んでいるのかな、暗い表情に私の気分が静かになっていく。そりゃ、コイツが不機嫌なのはちょっとヤダ。だって、普段からコイツはめっちゃ理不尽だし、自己中だし…。でも、落ち込んでいるのを見るのは私的にも不本意である。
 頭に置かれた手をどかし、なかなか外に出ない癖に浅黒い薄い手のひらをベロリを舐めた。びくと怯んだ奴の手を追う。
「なに、してんだよ。…アニマルセラピーか?一丁前に人の心配かよ…」
「フンフン(お前だって船員の心配してるだろうが)」
 困ったように眉を下げて、薄く笑ったファルに、私は、かすかにこう、優越感?に浸った。はぁん、ファルも船員には弱いのかな。大切なんだろうなんだな。うん。フフフ。
「ポチの癖に」
 ボカ、いてッ。私が心の中で、分かったように笑っていたら、ファルの眉がいぶかしげに顰(ひそ)められ、軽く頭に拳を振りおろした。ちょ、痛いし。
「(ハッ!?聞き捨てならねェー!!)ガルッ!」
 そして、全くばかにしたような口調に、私は思わず声を上げるのだった。あ、これファルの思うつぼじゃないか!!と思ったのも後の祭りで、奴はご機嫌にフフフと笑っていた。
「あーワリーワリー、大人げなかったなー。カッコいいおれに免じてテメェを評価してやるよ」
「ガルッガルルルッ」
 ドヤァとにまにまと三日月のように弧を描く口元。両手で、私の頬をむんずと掴んだかと思えば、ぐにぐにと揉み繰りまわすのだった。
「遠慮すんな」
 にっこりととてもいい笑顔、なんて私が言うと思ってんのかよおおおお!!
 ガッと奴の手を振り払う。
「ガアアアア!!(遠慮なんかしてねェーよ!!調子に乗んな!)」
「うっせ、あー、待ってようぜ。ポチ。グランドラインを航海するおれの船員たちだぜ?おれだって乗ってんだ。そんな簡単に沈んでたまるかよ。フフ」
 かみつく真似をしたら目の前で一瞬で冷めた男。私はとても不格好だったろう。ガリガリと頭を掻く様子。精悍な顔。はあ。我がまま男。
「…」
 私は、ちょっと呆れた。ま、でもファルの機嫌も治ったことだし、いいかー。フンと一息ついて、奴のふかふかのベッドに寝そべる。ギュッって圧縮してくる感覚は、まァ今回は我慢してやる。甲板で四苦八苦している奴らも居るだろうし、コイツはちゃっかり奴らが心配なんだろうし、ここは私が大人になるべきかな。フフ、と心のなか笑って私は、目を閉じるのだった。
 バサバサと落ちる海図、羊皮紙の音、色々なものが床に投げ出される音。ドサ、と鈍い音。あれ。
「…片づけはあいつらだな」
 そんな物騒な声を聞きながら私の意識は静かに落ちていくのだった。大人げないのはお前だ。

船員とのお話


船長と船員
×××と船員


2011/11/04
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