text | ナノ

 乗船してすぐのこと、名前はポチだと言われてから、私はずっと不機嫌だった。当り前でしょ!?だって、ポチよ?信じられない、私には×××っていう立派な名前があるのよ?そんな典型的な名前なんてこっちから願い下げ。でも、みんなやたらとなれなれしく呼ぶのだ。なんだっていうんだ。おい、そこのグラサン野郎。にやにやしてんなよ。絶対お前、前にビビったこと根に持ってるな!?ポンポンと叩いてくる馴れ馴れしい手に牙を向ける。それでギャーギャー叫びながら逃げて行くんだから口ほどにも無いな。
 キャスケット帽のビビりを唸ることで蹴散らした直後、背後から、面倒そうに呟く男。晴天がこれほど似合わない男もそうそういないだろう。
「ポチ、何そんなに威嚇してんだ」
 奴の瞳に目を留めて、ウウウと唸る。気だるげに後頭部を掻き揚げる彼は、寝起きのようにも見えた。
「(お前のせいだ)グルルルル」
 歯茎ができるだけ見えるように唸る。だた、隈を大量にこさえたこの男には全然効いた様子が伺えなかった。フ、と顔をかすかに上にずらし、馬鹿にしたように笑う。奴の身長は結構高いが、私が二本足で立ち上がると同じくらいであるので、見下ろされた訳ではないぞ。
「可愛くねェぞ」
 ニヒルに笑って言う言葉に、私は衝撃を受けた。こんな可愛い×××さまになんてこと口走ってんだ。スガーンとショックに打ちひしがれた私にやんややんやと喚き立てる男が一人。白いつなぎ(…この件はもういいか)のキャスケット帽、シャチ。ん?幸(サチ)だったか?
「キャプテン、もっと言ってやって下さいよー! おれ、やたらと吠えられるんですけど」
「シャチは自業自得だ」
「そんなー!!」
 シャチだった。ざまァ無いな!ファルにないがしろにされた奴を見て、フフフと気分が上昇する。甲板で繰り広げる寸劇を、航海の為に帆を操る男たちがクスクスと笑った。
 ファルの低い、鬱々とした声が一匹を呼ぶ。この船で一匹と言われれば、私か、白クマだが、この場合は絶対にベポ、白クマの方なんだ。
「ベポ、ちょっと来い。こいつ、なんて言ってやがんだ?」
「ううーんポチぃ何が不満なの?」
 ちょこんと小首を傾げる肉食動物。オレンジ色のつなぎに身を包み、喋る度に鋭い牙が覗く。喋る不思議熊だ。
「(あんた、白クマのくせに言葉話せるのね? 訳分かんない!! てゆーか、ファルに言ってちょうだいよ、私の名前は×××だってさ!)ガウガウ!」
 可愛らしく問う様子に、ファルはニコニコ…ニヤニヤと笑って、彼の頭をなで繰り回した。
「どうだ、何か分かったか?」
 期待に弾む声。私は、手持無沙汰で、あっちに行ってしまったキャスが恋しくなった。
 ベポが唸る。唸るところは誠実に動物っぽい。
「ちょっと、何言ってるか良く分かんない。ただ、ファルって誰のことだろう。ポチはファルって人に不満タラタラみたい」
「(はァ!? 白クマ!! 私の言葉が分かんないですってェ!?)ガァァアアア!!」
「わっ、何何、えっとごめんね?キミ、多分もともとトラのいないところで過ごしたのかな、トラが何喋ってるのか、本当は分かるんだけども、キミのは拙い…えっと、赤ちゃんみたいなんだよ」
 な、なん…だと…。ポカンと、怒りも忘れ、奴を見上げる。赤ちゃん、なんて生まれてこのかた一回も言われたことないぞ。ショックを隠せない私のつやつやの頭に薄い掌を載せたファルは、宥める様にグリグリと撫でる。スッ、とすぐに離れたそれは、今度は流れる様にベポの頭に移動した。
「ほう、そうか」
「キャプテンごめんなさい」
ベポがショボンとしている。ファルはニヤニヤと笑って彼を撫でた。…私は?
「いやいい、良くやった。確かにこいつは一匹だったんだよな?」
 ペタンと、力なく甲板に座り込む私。ファルは気にした様子もなく、少しこえを張り上げた。船首にいた、PENGUINと書かれた防寒帽をかぶる、ペンギンが、ツイと彼に視線を流す。
「えーと、シャチが見つけて、それでキャプテンに見せようってなったんです。中々見ないでしょう? 普通黄色に黒の縞模様なのに、こいつは灰色でしたから」
「ああ、気に入ってる。どうせ怒っている内容も大したことじゃないだろ。コイツを枕にしたとか、そんな程度の…」
 ファルは至極ご機嫌に返した。ペンギンが満足そうにうなずいて、海図に視線を落とす。
「(いや、キャプテン十分怒りを買いそうです!!)」
 ハートの海賊団の白いつなぎの男どもが小声で叫んだ。ただ、みんな同じことを喋るから、相乗効果になって、多分それはトラである私が聞こえるとかそんなんじゃなくて、普通にファルにも聞こえていそうです。
「へェー、ポチ、暖かさそうだもんね」
 ベポの呑気な言葉。マフマフ、と呟いてベポが頭を撫でてくる。ピキ。
「お前らがいたら至れり尽くせりだな」
「ガアアア!!」
 マフモフ二匹がじゃれ合ってたら(ベポが一方的に、私は断じてそんなつもりはない!!)ファルが謳うように囁いた。くっそぉぉぉおぉおお!!
 そこから、私の、私による、私の為の、言葉を理解してもらう努力が始まった。
 誰に理解してもらう?キャス?駄目だ。アイツは使い物にならん。いつも私を茶化すし、ふざけるし。じゃあペンギン?アイツは私のブラッシングして欲しい気持ちを分かってくれた。いやでも、あの冷笑を浮かべつつファルに報告に行く姿からして駄目だ。てゆーか駄目だ。
 じゃあベポで。なぜファルがいないって?そんなの当たり前でしょう?アイツは私の気持ちを分かろうとする意欲が全くない。なんか分かっていそうでも、真逆のことをしてくるのがキャプテン・トラファルガー・ローなのだ。そんな奴に私の心を読まれては叶わないわ。
 でもベポでいいのかって、…いいんじゃないかしら。ファルに報告するような意地悪さもないし、何より、純粋そう。それに決め手は同じ動物ってところね。きーまりッ!!
「ガウガウ」
「どうしたのポチ」
「(ポチじゃないっつの)」
「ん?」
「(私は×××よ××××××…)」
「×××?何かの記号かな。前にファルっても言ってたよね?」
「(うん。×××)」
「で、どうしたの。あ、お昼?お腹減ったよねェ。おれも減ったんだ。待っててキャプテンにアザラシ捕ってきて良いか聞いてくるね!」
「(ちがーーーう!!)」
「キャプテーン…」
 ベポ、違うんだよお。食堂のテーブルにべったりとお腹をくっ付けながら私は嘆いた。だれかこの可愛そうな×××さまを見つけてあのばかな白クマに叩き込んでくれないかしら。私は×××だって。
「てめェ腹減ってたのか? ならそう言や良いじゃねェか」
「(け、分かってない癖によく言うよ)」
「でね、キャプテン、おれアザラシ捕ってきてもいいかなァ」
「あ?…ああ、今は止めとけ、丁度嵐が近付いてっから今から潜水予定だ。冷凍アザラシ解凍してやっからそれで我慢しろな」
「うん分かった」
「(はあー)」
 そうして、私の昼食はアザラシになった。
「(無理無理無理…無理いいいい!!)」
 ニヤニヤと笑うファルがいる。珍しく午前中に起きてきたと思ったら、全然いつも通りのファルだった。意地悪!
うるる、と泣きそうな私。テーブルに視線を向けるだけで何も食べられない。
「どうした食欲ねェのか?」
「おいしいよー?」
 ばか!ベポ、私のいつもの食事知ってるでしょう!?なんでこれなのよう…。項垂れる私に、真っ先に興味を無くしたファルは、眠いと(絶対嘘)言って、部屋に戻って行った。どうせイガクショって言う呪文書を読んでるんだ。
ベポは午後からまた別の仕事があるらしくて、私が心配だと言いながら出て行った。心配ならちゃんとした食事をちょうだいよ。
 うう、と嘆く私。食堂に取り残され、なす術も無く、チョンとアザラシをつついた。
「ポチ? なんだお前、一口も…ってこりゃ食わねェな。待ってろ今調理してくっからよ」
「(コック! お前やればできるじゃないか!)」
 ハンチング帽を被った男が、アザラシを回収する。最高。
 お腹もいっぱいになった私は、ぽてぽてと足を進めた。どこに行くか目的地も決めていないのに、自然とたどり着いたのは、船長室だった。つまりファルの部屋である。
 鼻で押して、開かなかったので、立ち上がり、前足でノブを引っかけながら、押しあけた。
「よう。美味かったか飯は」
「(…コックにちゃんとおいしいご飯作ってもらったわよ)グルル」
「そうか、不味かったろ」
「(何にも分かってないな)フン」
 眠いはずの足取りは、余計遅くなった。ファルの前を素通りしても何も言われない。ちょっと、悲しい。いや、眠い。
 彼の訳の分からない本が大量にある、本棚の隣は、丸い窓があって、分厚いガラスの向こう、暗く、青い海が見えた。海上では嵐が通っているのだが、海の中は一見して穏やかであった。
 ゴウゴウと流れる音を感じて。(実際はそんな音一つも聞こえないけど)ガラスに肉球をペタリとくっつける。後ろのファルが静かだった。イガクショでも読んでるのかな。
「(ファルは、私の言葉は分からないのかな。いっぱい、一緒にいるのに)クウン…」
後ろを振り向こうとしたら、先に彼が話し始めた。
「おれは、てめェの言葉、分かってるぜ」
「(え、)」
「分かってるから、こうやってからかえるんだろ」
 バ、と後ろを向いた。イガクショをベッドに放り投げた彼は、ちょいちょいと私を誘う。
「(ファル!!)」
「ばかなことしてねェで、ポチ、てめェはおれのそばにいろ」

言葉のお話
(名前は相変わらずだけどね!!)
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