次の日、朝食も自室に運ばれてきた×××は、当然の如く受け止め、大人しくそれを片付けた。マルコとの談笑は、家族と行う儀式的な食事よりも比べようが無いほど楽しい時間として、×××に記憶されているのだ。しかし、怒られた手前、反省もしているらしく、ニコリと微笑むのはまた機械的なそれに戻っていた。マルコは、ナイフは使わず、フォークだけでかぶりつくようにして食べながら、それを観察した。段別変わった様子は無いので、特に気にもしなかった。その内直していけば良いと、漠然と考えた彼は、その直後、その内って何時だ、と疑問に思うのだった。明日を迎えれば、一週間にもなるこの不思議な主従関係もいつか終わりがあることを知っていた。 ×××は、至極大人しく午前中を過ごした。生活のリズムに変わった所は見られない。家庭教師は週、決まった曜日に来たが、今日がその曜日だった。説明を聞きながら、少女が学ぶ範囲よりも、幾らか高等な問題を解いていた。勿論解けてしまう様子に、家庭教師が彼女を褒め称える。所まで、実にマルコがこの部屋に来る前から繰り返されてきたことをリピートし続けていた。 彼女が動いたのは午後になってからだった。本来ならば、この時間を、奴隷としての調教する時間にしていた筈だったが、予想外な展開で、それは無くなり、従来の自由時間なのだ。 「マルコ。私、謝ってくるわ。やっぱりいけない事だったし、お父様とお母様を騙していたと思うと心苦しいもの。…一緒に行く? 来なくても良いのよ。多分詰まらないから」 「…んにゃ、行くかねい。おれァ不死鳥でいりゃいいんだろい?」 「うん。でも何も出来ないのよ? ただ私の隣で待っているだけだと思うのよね」 「まー、それは別に良いんだよい。おめェさんが怒られるのを高みの見物してやんだい」 パタリと本を閉じたマルコが、扉の前に居る×××の側に寄る。詰まらないだろう、と来るのを嫌がっているように見える×××の瞳の奥は、寂しいと訴えているように見えた。ぐしゃりと頭を撫でる。 乱れた髪の合間から覗く彼女の瞳はキラリと光っていた。マルコが口端を持ち上げる。 「あっくしゅみーい」弾む声。 「何とでも言えい」 「ふふっ。ありがとうマルコ」 「何のことかねい」 フッ、と笑って不死鳥になるマルコを見て、×××はニパッ、と笑って首に抱き付いた。ヨイヨイと鳴く声が急かしているようにも見えた。 シッケアール王国の、王城は、何時もより人気が無いように見えた。 両親の執務室に行く過程、すれ違った使用人は侍女数人、掃除人が少々、コックが一人だった。衛兵の居る気配が著しく薄く、×××は首を傾げた。 だからか、次にすれ違った、コック長を捕まえて、×××はこの事態を聞いたのだった。 「ねェ、衛兵が少ないようだけれども、何の不備かしら?」 「お嬢様、あァ、×××様はお知りにならないのですね。昨日夜半、クライガナ島に海賊船が停泊したのですよ。ま、王国内に入られるまでもなくヒューマンドリルに返り討ちでしょうが、一応との事で警戒を張っているのですよ。ですから衛兵たちも出払っているわけです。警戒は手薄になったわけではなく手厚くなったのですよお嬢様。どうかご心配なく」 恭しく頭を垂れて一礼をする。×××が暫し考え込むように言葉を飲んだ。マルコも、静かに瞑想するように思考を馳せた。 「そう。…大変ね。海賊は海から来たのでしょう?」 「は、その通りで御座いますが、」 「不思議ね、クライガナ島は霧が立ちこめて漂着するのはまだしも停泊だなんて…。今は内戦だってあるのに…。よく警戒した方が良いんじゃないかしら」 「いえ、私には判断出来ません。それはどうか王様にご申告なさればと」 「ええ、そうさせてもらうつもり。引き留めたわね」 「とんでもない! それでは失礼させていただきます」 ニコリと笑って、コック長を見送る。青い鳥が不安そうに声を上げる。×××が絶えずその首を撫でていた。 両親がいる筈の執務室に近付くと、×××は些か緊張したように手をぐっと握り締め、拳を作った。ツン、と嘴が柔らかくはみ、×××の緊張をほぐす。スルリと解けた手が柔らかくマルコの顎を撫でた。 目の前の扉に対峙した×××は一度息を吐いた。そして、扉を叩こうとした所、中途半端に手を上げた状態で動きを止まった。聞こえる中の会話にそっと耳を寄せる。 「――――――に行ったはいいが、―――――養子を取ろうだなんて、―――――。――――――――。他から身を隠すには上等だが、――――させるには弱すぎる」 「だからこそ、――――。わたくしが言いたいのは、――――――――――もう潮時なのよ。わたくしはあの子には手を尽くしました。これ以上は望め――――。それに――――――――。わたくしたちに反発なのか、到底覆しようもない―――問題ですわ。」 辛うじて聞こえる内容は、けして×××に対してよいものでは無かった。いけないことと分かっていても一層良く聞こうと、息を殺した。 「つまり、――――して―――きた養子を我々国家の―にするわけかな。―――――――――ならこの国も安泰だと。そう言いたい訳かな」 「それに、もう―――――ありますの。気弱で従順そうで、生意気な目をしていない子よ。あの子は、×××は駄目ね、分かりすぎているわ」 「程よく傀儡でなければ」 それ以上は聞かなくても良かった。サッと踵返す彼女に、ふわりと暖かい青い鳥が付いて飛んだ。 部屋に飛び込んだ×××は荒々しく扉を閉めた。寸でのところで尻尾が切れそうになったマルコは間一髪で部屋に滑り込む。舞い降りたマルコが、人型に戻るか、戻らないかで、青い炎に体をぶつけた×××は、その固くなる胸板にグリグリと頭を押し付けた。 「不死鳥の方が良いかい?」 「…」 ブンブンと首を振って、背中に回しきれない腕にギュウと力を込めた。マルコの手が、小さな彼女の頭を包むように置かれた。 「×××、言っちゃ悪ィが、おめェさんの両親は、…そんな出来た奴らじゃねェよい」 静かに諭す声は、彼女の感情を高ぶらせないように気遣われていた。それに対して彼が予想していたのとは違う、冷めた声が返ってくる。泣いているかと思われた彼女の声は、気丈に凛として響いた。 「知ってるよ」 「じゃあ、」一瞬、彼女を包む手に迷いが生じる。 「でも、両親なんだもの。子供が両親に愛を求めて何が悪いのかしら。私は、当然のことをしているだけよ。忙しいのだって分かってる。でも、ちゃんと言うことも聞いてた。だから私の望みも叶えてくれてた。でも愛だけは貰えなかった。きっとあげられなかったんだ。私には。それを強請った私が悪い。やっぱり、私じゃ駄目だったんだ。挙げ句約束破っちゃうし…、マルコがスーなんだって言えば許してくれるのかしら。…駄目ね。今度は何時破るか疑われるもの。私、何時の間にか欲深くなっちゃった。いろんなものが欲しい、見たい、したい。だから、何も、貰えなくなっちゃったんだァ」 ギュウと彼にしがみつく力は弱まらない。冷たい声が、柔らかくなっていく。落ち着きを取り戻した×××は、ふふふと笑った。 マルコの口は、意識より先に動いていた。痛ましい彼女をどうにかしてやりたい。気付かない内に彼の中に根付いていた感情はここぞとばかりに主張した。背中に腕を回し、ゆらゆらと体を揺らす。 「×××、両親じゃなきゃ、おめェの望むもんはやれねェか」 「マルコはくれる?」 欲しいものを求める純真な思い。悪意などあるはずもなかった。 奪いたいほどにそれを望むなら、お前ほど、海賊に向いてる奴はいねェよい。マルコはそう彼女に言ってしまいたかった。 そしてニパッと笑うただの×××に、マルコは、自分なら何を与えてやれるだろうど考えた。取り敢えず、彼女が最初に宣ったものなら、幾らでも与えてやるとさえ思った。 「おめェを可愛がってやれる。うんとだ。」 「うひひ、」 「でもおれにも欲しいもんがあんだよい。人は見返りを望むってェのを忘れちゃいけねェぜ」 おれは海賊だからねい、欲深いんだよい、と心の中で薄く笑う。幼気な×××の頭を撫でることも忘れない。腕の中で顔を上げた×××は、ニパッと笑った。 「だって、私、ちゃんとマルコ可愛がってるよ? 一寸、ハゲだけど」 「おいこら。そんならおめェは発育不全だよい」 肩の下に手を差し込み、わっ、と持ち上げる。ぐるぐると回して、小さな子供にするように腕に彼女を載せて抱き寄せた。顔が近くなる。 「きゃー! 変態!」 にこにこと笑って、少しも嫌がった様子は無い。ただ、楽しくて仕方無い。感情を剥き出しにして喜びを表す×××は、彼が来てから、今まで数えることの出来た抱擁が、数える必要が無くなったことに気付いた。目の前の蒼い瞳を見つめる。声は怒っているが、そこは確かな喜色を宿していた。 「バッカ! 大声だすなって、バレたらどうすんだい!」 「きゃはは! 別に良いけどね。だって、もう遅いもん」 頭に手を回す。マルコから視界を奪い、彼の声がくぐもって聞こえた。服を通して、生暖かい息を平べったいお腹に感じた。 「お嬢さん、スレてんない」 「物事の分別が出来る年齢なの。賢すぎて捨てられちゃった」 腕の拘束を解く。にっこりと笑う顔は、悲観に暮れた様子が微塵も伺えない。マルコは漠然と、彼女の様子に依存性があるとも見たが、今更、どうでも良い話だった。彼女を手放した両親が悪い。守り方が悪い。彼女はとうにマルコのものであった。ユルユルと、口端が持ち上がっていく。何だか、笑い出したい気分になった。薄く笑ったまま、彼女に微笑みかける。 「おれが拾ってやったろい?」 「マルコは私が飼ってるのよ?」 「このお転婆娘!」 「マルコのおっさん! ハゲ!」 「それはダメージがデカすぎるよい…」 「きゃはは!」 ふふふと、お互い笑い合い、ふと視線が絡む。×××の頬がゆるゆると上がって、スルリと彼の頬をなぜ、顎髭をくすぐった。 「やっぱり、私の言った通りだった」 「ん?」 「マルコは幸せを運んでくれる青い鳥だったのよ」 優しく微笑んで、額に触れるだけのキスを落とす。離れた彼女が、彼の目を見つめた。驚きを隠せない目がかつて無いほどに見開かれ、その蒼が良く見えた。ぽかんと惚けたのもゆるゆると笑みに変わると、マルコは小さく甘く囁くのだった。 「…おれもだよい」 なんのこと?何でもねェ。教えてよ!賢い×××ならすぐ分かるさ。んー…分かんない!教えてってば! 彼の漏らした不可解な言葉に、×××が突っかかる。のらりくらりと彼女の言葉をかわしつつ、彼は心の中で答えるのだ。 愛を望んだ土曜日 2011/10/04 <-- --> 戻る |