![]() 「マルコ! お父様とお母様が帰ってきたのよ! はやくはやくッ不死鳥になって!」 「おーい、…ちィと待てよい…」 「マールーコー!」 「わーった、待てっつてんだい。朝っぱらから…」 うっすらと目を開けたマルコは、一体今何時なんだと自問した。窓から差し込む光は、湿気の多いこの国を柔らかく照らしていた。どうやら日の出に近い時刻だった。 バシバシと小さな紅葉手に、マルコは気怠い体を起こした。ぼんやりとしたまま辛うじて不死鳥を形取り、ちょこまかと凍てつく風が吹き込む正面玄関に走って行く×××のあとを飛んでついて行く。 逆光で定かではない二つの人影、少し奧に従者を従えて、彼女の両親は帰ってきた。 「お父様! お母様! お帰りなさいっ×××お待ちしていましたわ! 路中何事も御座いませんでしたか?」 パタパタと彼らの目の前まで走り寄り、気分は飛び跳ねているように明るく言う。ただ、その様子を両親は良しと思わなかったらしい。 「ただいま。まァ×××さん。走って…。何とはしたないのこの子は」 「ゴメンナサイ…」 しょぼんと落ち込む×××の頭をぽんと大きく分厚い手が覆った。 「おまえ、今回は多目に見てやろう。×××はわたくし達を首を長くして待っていたんだ」 「おとうさま…!」 ニコリと薄く笑う父親。キラキラと目を輝かせた×××も同じ様に笑った。母親が不服そうに眉を顰める。青い鳥がクルルルと小さく鳴いた。炎をちらちらと揺らす様子はあまり機嫌は宜しくないように見える。 「わたくしは怒っては居ないのよ、×××さん? 常に冷静で余裕を持っておいでなさい、そう言いたいのよ」 猫なで声の母親に、彼の様子は誰にも気付かれない。振り返りもしない×××は、宥めるように一本だけ立てた人差し指をチッチと振った。そして母親に微笑む。 「はい、お母様」 「うむ。×××。奴隷とは随分仲良くしているみたいだな」 「…あ、はいッ。スーはとても良い子です。わたくしの言うことを分かっているみたいで」 「うむ。初めての奴隷だからそう厳しくは言わんが、慣れ合うのはよしなさい。主人と奴隷の敷居をあやふやにしてはならん。なめられるからな」 「はい、お父様。気をつけます…。」 「分かれば良いのだよ」 玄関から広間への道を歩きながら、父親はチラリと青い鳥を下げずむように見下した。×××は微かに顔に蔭を作り、静かに同意した。些か声が固かったが、母親が続いて彼女を諭す。 久し振りに家族と取る朝食も、青い鳥と取ったそれとは全く異なっていた。シィンと痛い静寂が石造りの部屋に重くのしかかる。青い鳥は久々に恐ろしく不味い赤材を食べた。カスカスの餌をえづきながらつつく。ゲェー、と下品な声は食事の終了を唱えた父親の声に消えた。 そして母親が去り際に×××に声を掛ける。 「×××さん。これから学ぶことは山のようにありますからね?…この間なんかあの下劣なシャボン野郎に…」 「お母様? どうなさったの?」 「え、あァ何でもございません。それよりも、×××さん、あなた午前のお勉強をしていらっしゃいな」 「…はいっ、頑張って参ります!」 にこにこと笑って、部屋に戻る。コレまでは良かった。従順な娘を一撫でし、母親も去って行く。 それが崩れたのは、彼女が昼食を終えた頃、エリザが母親に何か耳打ちをした。話が進むにつれて、驚愕に目を見開く母親は、エリザが去ったと同時に×××を呼びつけた。急いで母の元に歩み寄る。待っていたのは平手打ちだった。 「×××! 外で男と居たと侍女から聞きましたが、本当なのかしら?」 「え!? そんな…誰もついて来ないでって」 パシンッ、と乾いた音が生じ、×××の頬に紅葉が散った。唖然として漏らした声もこの場合は完全に失敗だった。 「まあぁ! 信じられない!! なんて親不孝者! 親が居ないときに欺くなんて! 卑しい子ね! あれほど外部の人間とはわたくし達の許可無しに会ってはいけないと散々教えたでしょう!? 骨の髄まで染み渡っている筈よ! 答えなさい! 何故会ってはいけないか!!」 あっあ、と小さく絶望の声を出す×××は母親のヒステリックに、もう一度同じ所を叩かれる。とうとう嗚咽が隠せるものでは無くなった。 「ひっ! 私が、シッケアール王国のっ、ひ、ひめだから!!」 「そうよ!! まだ無知のあなたが外へ行けばどんなまやかしがあるか分からないから! ああっ、部屋へ戻りなさい!! 愚かな自分を反省し悔い改めなさい!! それまでその醜い顔をわたくしの前に晒さないで!」 「ひぐっ、うう、ゴメンナサイィィお母様あァ!!」 ゴメンナサイと伸ばす手は、言うことが聞けないの、と弾かれる。 「行きなさい!」 わんわんと泣く彼女を穢らわしいモノのようにねめつけた母親は逃げるように広間から出ていくのだった。 トボトボと部屋に戻った×××は、午後の自由な時間をまるで牢獄に投獄された気分で過ごした。マルコに声を掛ける気力もなく、ベッドに伏せていた。 ギ、と微かにベッドが軋み、マットレスが形を変える。×××の丸い頭を包むように撫でる手は、無骨であるにも関わらず、最も優しく彼女には感じられた。 「マルコ…。だめ! 不死鳥になってよ!」 ふるふると首を振ることでその手から逃れようと捩り、一層ベッドに顔を押し付ける。スルリと背中をなぜ、腰辺りを暖めるようにさすると、また頭に戻る。×××の耳に吹き込まれる声はまた甘く響き、×××はうっう、と嗚咽をこぼし始めた。 「どうして」 「だって」 幾らでも、言い訳はあった。しかし、言葉にしようとすると、喉が内側から栓をされたように閉じられ、変わりに出るのは泣き声だけだった。 「おめェの母親はおめェを騙す輩がいるから、シッケアール王国の姫だってバレちまうとヤベェから、他の人間とは会うなっつんでんだよい。…生憎おれァ×××を騙す気もねェし、シッケアールの姫君ってことくれェ知ってる。おれが、×××と話しちゃいけねェ事なんて何一つねェんだよい。それに、おれ達ァ、友達だろい?」 その間、×××を撫でる手は止まらなかった。コロリと転がって、マルコを見上げる。ヒック、と最後にしゃっくりをして、涙は全て枕に吸い取られた。 「…そっか。うん、」 「ほら、×××」ポンポンと頭を叩いて無骨な手は離れていった。 「まるこォ…」 うるうると目を潤ませながら、細い両腕が彼に伸ばされる。クスクスと笑って、マルコはその腕を引き上げた。ギュッとだっこちゃん人形のように離れない×××をまた優しくさすってくれるのは、やはりマルコの無骨な手だった。 すっかり元気を取り戻した×××は、部屋に運ばれた夕食もそつなく消化した。母親に顔を見せるなと罵られても、彼女には青い鳥がいた。幸せを運ぶ青い鳥は、その美しさからは想像できない強面の人間に変身する鳥だったが。 「ね〜! マルコ一緒にお風呂入ろうよ〜」 ゆさゆさと肩を揺すられ、マルコは分厚い本を取り落とした。足の指にぶつかろうが、今はそれどころではない。 「は!? いや、それは一寸…」 「だめ?」 「あ゛ー、じゃあ髪拭いてやるから、おれの髪を拭いてくれよい。それで勘弁してくれ…」 「うん!」 行ってくるね、とバスタオルにくるまりながらバスルームに駈けていく×××を、マルコは気ィ付けろよい、と呆然としながら見送るしか出来なかった。 「…、変態か」 自己嫌悪の嵐に吹き荒れるマルコは、彼女が出てくるまで悶々と落ち着かない気分を持て余した。 ×××がバスルームから出てくると、マルコは飛び込むようにして風呂場に引っ込む。後ろ姿を×××は不思議そうに見送った。 「(×××は、友達がいねーから! だから、おれと友達をしてェだけだ!)」 なんて自己暗示を掛けまくるマルコは、チラリと覗いた×××の裸体を思い出し、カッと脳が熱くなるのを、猛烈に落ち込むのだった。 「(ロリコンかおれは!)」 わしわしと髪を大雑把に拭きながら部屋に戻ったマルコは、タオルの下から彼女を窺った。ゆっくりとした動作で振り向いた×××は、目と口を真ん丸くした。 「あー! 私が拭くのに!」 「あ、わりィ」 「もー座って!」 「はいはい」 ベッドで向かい合うように座り、×××の小さな頭に手を伸ばす。しんなりと濡れてボリュームを無くした×××の髪に手を伸ばした。早めに上がったものの、その髪は既に冷たく、頬までも、冷たくなっている気がした。 「でもその前におめェの髪を乾かさねェと、風邪引いちまうよい」 「そうかしら? じゃあお願い」 「よい」 にじにじと近付いて、あぐらをかくマルコの股の間に、背を向けて座る。当然のような動作に一瞬ピクリと身を引いたものの、そろりと手を伸ばし、かしかしと指先で頭部を刺激するようにタオルドライを始めた。 「ん〜ふ〜ん〜」 「気持ちいかい?」 「うん、そりゃあ、もう…」 グラグラと揺れる頭が一度ガクンと折れる。その躊躇の無い折れ方に、マルコは手を止めた。 「おい!?」 「ふあっ、あ〜、寝ちゃう…。あふ、だめッ、マルコ、あたま〜」 ぐらぐらと頭を左右前後に揺らし、必死に言葉を紡ぐ。どうやら一生懸命起きようと努力はしているらしい。 「は?」 「ハッ、わた、私、マルコの髪乾かしてないもの!」 「うごっ、いっつ…」 わっ、と頭を上げる×××の後頭部が、マルコの顎に衝突する。心配して、近付けた顔が仇となって、痛みが彼を襲った。 「おまえ…、石頭か」 「マルコマルコ!はいっ、頭乾かしましょうね!」 一気に覚醒した×××はマルコが顎をさすっているのにあ、と不味そうな顔をした。 「ごめんね、痛かった?」 「そりゃあ…」 膝立ちで、彼と視線を合わせる×××は、自然とその顔の距離が近くなる。一瞬目の前の空色の瞳が見開かれ、次の瞬間には意地悪そうに歪んだ。 「わっ! いたっ!」 「仕返しだい」 無骨な手が×××の後頭部に回され、ガツンと音を立てて引き寄せられた。石頭の×××でも、マルコに頭突きされれば痛いようで、額をかち合わせながら、×××は講義した。 「ひどい! 謝ったじゃない!」 「わりィよい」 スッと身を引いたマルコが意地悪そうに微笑み、心にも無さそうな事を言う。完全にからかっているのが分かった。 「ずるい、謝るなんてッ」 「あー、髪が乾いちまうねい…」 「わ、待って待って!」 ぷりぷりと怒っていても、一番重要なことが出来なければ意味が無いと諸手を上げ、慌て出す×××に、マルコは一層笑みを深めた。 かしかしと小さな手がタオル越しに感じられる。彼の目の前で揺れるネグリジェ。コルセットで締められる細い腰が顕著に表れていた。 「マルコ〜、マルコって後ろの髪無いよ?」 「ひでェ事言ってくれるねェ」 「うひひ、ごめーん。はいもう、乾いたよ!」 キュッと頭を抱き込む×××がゆらゆらと体を揺らす。マルコはピッタリとくっ付く薄い腹にクスリと笑って、細い腰に手を回した。 「あほんだら。ちゃんと寝ろ!」 「きゃはは! くすぐったい!」 ふざけて絡みつく×××の脇腹を擽る。お返しにマルコの大事な金髪を引っ張り出す彼女を咎めるように×××ごとベッドに倒れ込んだ。わっ、と小さく悲鳴が上がってすぐクスクスと笑う。 「全く、何時の間にお転婆娘になったんたよい」 彼女の横に転がりながら、マルコはため息を付いた。 「んー! マルコ、好きー! 一緒寝よ?」 横になったまま、小さな手を伸ばしてくる×××に、マルコは答えた。腕の中でニパーと笑う×××に目を細める。 意識の水面下で望んだ笑顔がそこにあった。 優しく微笑んだ金曜日 2011/10/03 <-- --> 戻る |