text | ナノ


 マルコが人型となると知って、最初こそ一歩二歩程引いていた×××だが、一夜明かしてしまった後は吹っ切れたのか、彼への態度は依然と変わらず接することに決めたらしい。
 彼は、手配書には人型として写っていたため、獸型である不死鳥は一般に知られていないらしい。だから、マルコが人型になるのは、他の侍女らが居ない所に限られた。実際、彼がマルコだと知られては、誰もが黙っていないだろうと考えた結果だった。×××は、マルコが側に居るのを望んだ。
 今は、彼女の部屋、金の鳥籠は空っぽになっている。毎日違うドレスを纏った×××は、今は装飾の豪華な椅子に腰掛け、様々な紙を広げている。羽ペンをクルクルと指で操った。その隣でマルコが頬杖をついて、彼女を見ていた。
「スー。あ、マルコ、ねェ此処分かる?」
「おれァ、学はねェんだがない」
「えー、うそォ」
 はあ、とため息混じりに笑うマルコ。×××が漸く紙から視線を外し、胡乱な目つきで彼をチラリと伺った。その陰湿な様子に、マルコは仕方なしに上体をズラして、その問題の紙を覗き込む。×××が少し身をズラすが、突き合わせた顔は何時も以上に近かった。
「…んー。こうすりゃいんじゃねェかい?」
 無骨な指がうろうろとさ迷う。え、と漏らして良く見ようと身を乗り出す×××は、その直後、ポンと手を合わせた。キラキラと目が輝く。
「あっ、マルコ違うよ! これをxにして、こうやって、こうすれば、ホラッ、式ができた!」
「おい、分かってんじゃねェか」
「でもマルコがやってたの見て閃いたんだもん」
 今度はマルコがじとっとした目を×××に向けた。しかし×××がそれに怯んだ様子は無く、間近に彼の顔を見つめてつんと唇を尖らせた。
「そうかい」
 子供らしい仕草に、マルコが面白そうに笑いながら椅子に座り直す。
「うん。…一寸待ってね、コレ系の問題一通り解いたら相手してあげる」
「遊んで欲しいの間違いだろい」
「…」
 段々と投げやりな口調に移行しながら、×××は羽ペンを動かし始めた。マルコがひっそりと眉根を寄せて小さく抗議するが、集中している彼女は涼しい顔で無視を続ける。
「おい」
 無視。サラサラと止まることのない手元に、マルコが無意識に気持ちが尖る。ムッとして×××の頭を指で弾いた。
「うるさいー! 分かんなくなっちゃった!」
 突然、×××がいきり立ち、両腕を振り上げた。彼の手がパチンと振り払われる。突然凶暴化した×××にマルコは目を丸くし、ガタリと音を立てて、×××の問題用紙を再度覗き見た。そして先程彼女がやっていた方式を取る。
「は、×××、おめェさっきこうしてたじゃねェかい。数字当てはめろい」
「あ! そうだった、ありがとうスー」ニコッと笑う。マルコは片眉を跳ね上げた。
「マルコだっつの」
「んー」
 まだ名前を呼ぶのは慣れないらしい。生返事にマルコが×××の頭をつついた。怒られた。
 その後、マルコは×××の部屋の中をぐるぐると歩き回り、大きな本棚の前で立ち止まった。彼女の「好きなの取って読んでてもいーよ」と言う投げやりな言葉に背を向けながら無言で頷く。
 元の椅子に座り、パラパラと読んだが、どれもこれも児童が読むような本では無く、帝王学やら、経済学やら、小難しいものばかりで、あとは幼児が読むような本当に幼い絵本。マルコは×××の無駄に聡明な所や、物知らずなところの根元を垣間見たような気がした。
 そうしてさして面白くない書物に目を流していると、きゅーと何かが鳴いた。×××だった。
「んーわー!終わった!」
「おつかれ」
 ギューと手を高く上げ、背を伸ばす彼女の頭を撫でてやる。背伸びが終わった後、脱力して背もたれに寄りかかる彼女にマルコは静かに笑った。
 コンコン。突然なる扉に、×××とマルコが目配せする。彼は×××の目の前でザッ、と不死鳥に姿を変えると、彼女の背後に控えるように身を翻した。
「ぁ、良いよ」
 ×××がさり気なく椅子を仕舞い、不自然でない程度に声を張る。重厚な扉の向こうから顔を出したのはアグリで、カラカラと音を鳴らして入ってくるキャンブロ・サービスカートには、ポットやら、様々なジュースが入ったビン。ティーセットまで。一人に対応するには充分過ぎる装備だった。
「×××様、調子は如何でございましょうか。わたくし、×××様の喉がお乾きでしょうとお飲み物をお持ちいたしました故」
「終わったよ。じゃあ、リンゴジュースを頂戴」
「それはそれは、」
 どうぞ、とコースター付きのグラスをソッとテーブルに滑らせた。アグリの賛辞に続きそうな口を遮って、×××は口を開く。
「あ、これからお散歩に行ってくる。スーヴェニアが居るから他はこなくて良い」
「え、今、外は少し…」
 渋顔になるアグリ。ピシャリと言い付ける×××に笑顔は無く、クルリとグラスの縁に指を滑らせた。
「スーヴェニアがいるから」
「しかし、お付きの者が居ませんと、危険ですから」
 尚も言い募るアグリに、×××があからさまにムッとむくれる。チラチラと背後で青い炎が舞った。
「いらないってば、もう良いから下がってよ」
「…はい、失礼いたしました」
 いくら彼女が×××を心配しようとも、言及できる範囲は狭く、彼女の両親も居ない中、×××の行動を制限できる者は居なかった。すごすごと下がる彼女に、×××は冷たい視線を投げた。
 苛立ちも隠さずに、むくれたままリンゴジュースを煽る×××。その後ろで不死鳥が人型をとる。パス、と大きな手の平が彼女の頭を覆った。丸い頭がクルリと回転して、彼を見上げる。無言で宥められる×××は、不服そうに口を尖らせ、グラスに視線を落とす。そしてクリーム色のそれを暫し眺めて、小さく結露したグラスを彼に突き出した。
「はいっマルコに半分あげる!」
「おっと、良いのかい?」
 ぶんむくれたまま、突き出されたそれを、マルコはおどけた様子で受け取った。
「うん、友達と半分こ! してみたかったの。いいでしょ?」
「…そりゃあ、貰うしか無いねい」
 グラスを傾け、マルコの喉仏が上下するのを物珍しそうに、期待に満ちた目で見つめた。我慢できないそれが、疑問として彼にぶつけられる。
「どう?」
「ありがとない。美味かった」
「どういたしまして!」
 ニコリと薄く笑うマルコに、×××も二ヒヒと得意気に笑った。先程までの苛々は既に無かったものとされているらしい。ポンポンと頭を軽く撫でる。髪が崩れるなどとはもう言わなくなっていた。
「んで? 散歩に行くのかい?」
「駄目?」小首を傾げる。拒否権など無いのを知っているのに、わざわざ伺うのはわざとなのかとマルコは苦笑した。実際拒否するつもりも無かったマルコは何も言わないが。
「んにゃ行くかねい」
 不死鳥になったマルコがバサリと翼を広げた。
 門のように大きな玄関を抜け、王城の敷地内だという1日かけても回りきれなさそうな広い庭を歩く。×××の母親が趣味とするバラ園も清倒された美しさだったが、更に外へと続く並木道は、自然な紅葉が素晴らしく映えて、微かな風に舞う紅葉に×××は目を奪われた。
 最近は手袋を着用しない×××が、指先の赤くなったそれをさする。
「あっ、」
 ふう、と息を吐き、手を下ろすと、すぐ暖かいものに包まれた。傍らを見上げると、金髪を風に遊ばせながら歩く長身の彼が、緩く口元に弧を描いていた。
 ×××は自然と頬が緩むのを感じた。
「ふふっ」
「何だよい」
「んー、手繋いだの初めて。マルコ、おっきいね」
 ニヤニヤと緩む頬を地面に目を落として隠す。かさりと落ち葉が足に絡みついた。
「…、そうか。ほら、下ばっか見てねェで上見ろ、上。ずっと向こうまで紅葉してるよい」
 マルコの笑みが静かに彼女を窺うように変化する。出た言葉が予想以上に静かで、彼はキュと握る手に力を込めた。
 のろのろと顔を上げる×××は、道の先のずうっと向こう、山々が鮮やかに燃える様子を見つめた。
「きれぇ…マルコ、」
「ん」
 呼ばれた名前に静かに返す。パチリと重なる視線。×××がふわりと微笑んだ。
「凄いねェ」
「ああ」
 ハッ、と目を見開かせたマルコは、彼女の笑みに目を奪われた。幾ら感嘆詞を述べても変わらない彼女の年不相応な作り笑顔にマルコが胸当たりが熱くなる。半ば放心気味に返すマルコは、その柔らかく微笑む彼女が強く脳内に刻まれた。
 マルコをよそに、上、上と顔を反らせていく×××は、上を見すぎて、ぐらりと体が後ろに傾いた。
「あわっ、あ!」
「上見過ぎだい」
 クスクスとマルコが笑う。線の細い×××の肩をグッと抱き、真上を仰いだ×××と目を合わせる。その蒼い瞳を見た彼女は、また小さく声を漏らした。
「スーって、空の色をしてるのね」
「不死鳥かい?」
「うん。マルコの瞳も、キラキラした蒼色。きれい。すごく」
「おォ、そうかい。…フッ、おれァ両の海色を持ってんだい」
 仲間が時折羨ましげに見るのだ、とは言わなかった。純真な彼女の言葉に耐えきれなくなって、フイ、と顔を逸らす。思い出す海の青に、マルコは目を細めた。
「海?」
 頓狂な声に、マルコは気付かない。
「上の海しかおれは泳げねェがな」
 マルコの瞳が柔らかい光を宿す。
「海って、あの青くて広い?んっと、海岸線に打ち寄せる波が模様を作り…」
「あン?×××は海を知らねェのかい」
 漸く、×××が海が何を指すのか分からない様子に気付いたマルコが声を上げた。すると繋いでいた手にギュッと力が込められた。心外とばかりに×××が地団駄を踏む。
「知ってるよ!本で見たもの」
 そして、ツンと唇と尖らせた。むー、とマルコを睨み付ける。マルコは、彼女が想像以上に、普通を知らない事に心臓がきゅうと縮まる思いがした。海賊である自分が言えた義理ではないが、この頬を赤らめて震える少女に、同情に近い思いを抱いた。繋ぐ手が唯一熱い。そして吹き付ける風に×××はふるりと身を震わせた。
「…そりゃすまねェ。おっと寒ィかい」
「う、ん。そうかも」
「戻るか」
「うん」
 ブワリ、と燃え立つ空と似る炎が×××の目の前に現れる。ヨイヨイと鳴けば、合点したように背によじよじと×××が登った。羽の付け根に足を引っ掛け、首に強く抱き付く。柔らかい炎の羽毛が優しく×××の頬をなぜた。ほんのりとその周辺の空気まで暖められているのか、×××は、城に飛んで変える間、その暖かさに頬を緩めた。抱き付く腕に一層力を込める。答える声に、×××は擦り付ける頬が熱くなった。

絆され始めた木曜日

2011/10/02
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