text | ナノ


 父親と母親が帰ってこない、×××の誕生日の翌々日の朝食の場。彼女は青い炎をはためかせ、翼を広げたスーヴェニアと共に広間に現れた。因みに昨晩の夕食の際も、彼は彼女に付き従い、共に食事をとったのだった。エリザを初め、×××の身の回りの世話をする中でも最も位の低いアグリまで、その様子には目を剥き、しかし全ての人物が×××の奴隷を操るカリスマ性、その指揮力、統制力を褒め称えたのだった。
 実は誉められる度、×××の気分は少しずつ害していき、最終的に侍女らを怒鳴りつけたのだが、彼女らはそれを当然のことを誉められる煩わしさから来たと勘違いした。実際×××はそのスーヴェニアに対しての奴隷呼びに対しての憤りだったのだが。×××は最後に侍女らが奴隷のようだと厳しく下げずんだ。それ以降、侍女らが、×××の奴隷に関してあれこれ言うことはなくなった。
「スー。美味しい?」
「ヨイ」
「そうね、後でコック長にそう伝えとくわ」
「クー」
 食事中、めったに会話をする事が無い×××が、軽やかに微笑んで口を開く。その様子が、裏方で仕事に従事するコック達にまで広まっているのを×××は知らない。
 勉強中も、スーヴェニアはキッチリと×××の脇に静かに控えていた。時折、彼女が確認するように、彼を見下ろし、相変わらず機械的にニコリと微笑んだ。それを家庭教師にすかさず誉められ、あっと言う間に×××の表情は凝り固まったのだ。
 家庭教師が帰り際、
「×××様、部屋に籠もられてそれの相手をするのも宜しいでしょうが、気分転換してみては如何でしょう? 今、外は美しく紅葉されて向こうの山まで鮮やかに染まっておられますよ」
 ニコリと微笑んで外へ行くことを薦めた。父親母親がいないと中々外に出ない×××を気遣ってだが、×××は教科書を仕舞いながら、家庭教師を一瞥もせず冷たくあしらった。
「そうね、考えておくわ。あなたは余計な事をつべこべ言わず下がりなさい。私が、それに気づいていなかったとでも言いたいのかしら?」
「と、とんだ失礼を…。それでは失礼致します」
 パタリと扉が閉じて、×××はスーヴェニアを見つめた。真摯な視線が絡み合う。蒼い瞳は静かに×××を捕らえた。
「…ごめんねスー。彼女らは悪気は無いの。ただ、私にとってキミを奴隷に見れないだけ。友達みたいなものよ! 私の話を聞いてくれる。ね?――スーが人間だったら…、私の言うことも分かるのかしら。うん! 何でもない」
「クルルー」
 籠から出た、青く幻想的に煌めく鳥の、小さな頭を両手で包み込む。最後の方、少し早口に呟く程度の声量で口早に紡ぐ×××を蒼い瞳がジイと見つめた。ニコッと×××が微笑み、彼の首に手を滑らせた。無骨な奴隷に付けられる首輪を素早く操作する。その間もずっとスーヴェニアを見つめ続けた×××は、最後誓うように、彼の額に口を寄せた。ソッと彼を解放する。
「一寸、事務仕事があるの。待っててくれる?」
「ヨイ」
 バサリと広げた羽、暖かい風が×××の髪を舞い上がらせた。
 舞い降りたのは彼女のベッドの上で、静かに降り立つと、×××を一目見てヨイと鳴いた。すぅ、と眠りに入る彼を、×××は手の平に奴隷用の首輪を持ちながら見つめた。
 ―――
「あ、スゥ、その引き出しから調印規定書類出してくれないかしら」
 暫く、心地よい静寂の中、カリカリと羽ペンを忙しなく動かしていた×××が手を止める。調印しようと判子を取り出し、しかしそれを扱うには子供過ぎた。必要な書類を上げようと、×××が呟き、スーヴェニアに声を掛ける。
 軽い口調に、本気で無かった様子は伺えるが、
「…て、私は馬鹿なのかしら、スーは鳥よ」
 その声は悲しそうに響いた。クルリと羽ペンを回し、自分で取りに行こうと腰を上げる。と、×××にかかる影。
「よい」
「ぇ?」
 スッと差し出される紙束。細長く、しかし女性らしさの無い指がその端に三本そえられ、消えた。
 時の流れが、急に鈍足になったようだ。×××が顔を上げると、ニヤリと笑う、男。目を見開く×××。テーブルに置かれた大きな手の平。もう一方は意外に細く引き締まった腰に当てられている。その片腕に体重を掛けて前のめりになる上体は、派手な紫色のシャツを羽織っただけで、胸板にでかでかと十字に三日月が絡まったような刺青が見える。×××が驚きに目を見開き、無意識に後ずさる。ガタッと椅子が音を立ててずれ、拍子に開きっぱなしの彼女の口から漸く声が出た。それに並んで、彼の眠たげな目が、焦ったように徐に開いていく。
「ぁッ、――きゃッむぐっ!」
「ちょっ、待て待て! 声を上げるなよいっ」
 カタリと微かな音、素早い動作で行動を封じられる×××。大きな手の平が顔の下半分を覆った。また一方の腕が、華奢で、コルセットで締め上げられた腰を引き寄せる。×××の髪が、その手に巻き込まれて、ひきつるように痛みを感じた。
「ンー!―…!――」
 むーむー、と抗議しようにも声が作れない。口を覆う手首に小さな手を置いて×××はその逞しい腕を引き離そうと、グイグイと引っ張り始めた。
「危害は加えねェ、ちィとばかし大人しくしてくれ」
 低い声、グッと押し付けられる手のひらに、×××はブルリと震えて、フーフーと鼻息も荒く、抵抗を激しくした。
「落ち着けってよい――…」
 興奮した×××の耳に微かに届く、狼狽えたように弱々しい声。不思議なことにそのキツく眉根を寄せて、辛そうな表情をする金髪の男を見た×××は、動きを止めた。強張った体の力がストンと抜けた。
「良いか?大声を出すなよ?」
 ホッとしたような表情。彼女は必死にコクコクと首を縦に振った。
「えほっ、けほっ、は、あな、あなた、誰?…スーヴェニア? どこへ行ったの? スーは…?」
 立ったままの×××が、背中を丸めるように腰を折って、小さく咳き込んだ。落ち着いたところで、その威圧感のある気だるげに伏せられた細い目を見上げた。彼女の顔はまだ少し引きつり、その疑問を誤魔化すように愛鳥の名前を呼んできょろきょろと視線をさまよわせる。
「…あのな、おめェさんはそう言うが、おれはスーヴェニアじゃなくてマルコなんだよい」
 怯えるように見上げる×××を気遣ってか、声のトーンが上がり、不器用に笑った。スッと伸ばされた大きな手に、×××はビクリと体を震わせた。
「ッ、あの」
「そうビビんな、別に取って食いやしねェよい」
 眉の傾斜を下げて、伸ばした手を首の後ろに持って行く。繕うことは止めたらしい声に、困ったような響きを感じた×××は、マルコだと言う長身の男を見上げた。
「スーヴェニア? スー? ほんとにスゥなの?」隅々に視線を投げても、あの美しい鳥には見えない。
「他に誰がいるってんだよい。…ホラ」
 マルコは小さく苦笑して、ザアッと姿を変えた。
「スー!」
 キラキラと青い炎を散らして、風もないのにふよふよと冠羽、尾羽が揺れる。目を見開いて、ニコーと笑った×××はそのまま、その羽毛でフカフカな胸に飛び込んだ。スリスリと頬擦りするとクルルー、と小さく声が返ってくる。
 また目の前の炎が激しく燃え立つと、次の瞬間には、冴えるような青の刺青が目立つ胸板になっていた。
「あっ」
 名残惜しそうに声を上げて、離れる。ソッと見上げた×××は、ジイと瞠目して、彼を観察した。
「な、分かったかい?おめェさん、人間の方がいいんだろい?」
 淡く微笑む彼に、×××は頷くが、何故かの有名な彼が、此処に居るのかが分からなかった。彼女の口が自然と開き、声が零れる。
「う、うん。…でもそしたらあなた、不死鳥マルコ…って」
「…なんだ、そこまで知ってんのかい」
 低くなる声。×××が震えて後ずさった。多分、言ってはいけない言葉だった。
「! 何かしようたって、あなたは私のど、どれいなんだから、」
 顔付きまで暗くなっている様に、×××はとっさに声を上げた。そして、マルコが口を開く前に激しく後悔した。一番言われたくない言葉を自分で吐露してしまった。マルコの自嘲するような笑い声。乾いて響いた。
「ハハッ、女子供を無闇に殺生するなんて胸くそ悪ィよい。おれは友達じゃねェか、…×××様」
「うっあ、ちが! ちが、う」
 遂に顔まで真っ青になった×××は、白い手袋を纏った手を頬に当てた。ガタガタと震えて、否定の言葉を繰り返す。ハァ、と重いため息が、×××の心臓を締め付けた。
「…風呂貸してくんねェかよい」
 うっすらと開いた口が、そう呟く。×××はハッとなって、きょろきょろした。
「うん、こっち…」
 先導しようとして上げた声は、蚊の鳴くように小さく掠れていた。彼女の部屋にあった小さくとも立派なバスルームに消えていく彼を、×××は鬱々と見送った。
 約何日振りだろうか、奴隷として捕まってから暫くしてシャワーを浴びたマルコは、サッパリとした様子でバスルームから顔を出す。小さな少女は定位置からズレた椅子に座って、明らかに落ち込んでいた。
「あの、ごめんなさいッ、スーは…、マルコは違うって分かってたのに、混乱しちゃって」
「…」
 静かに近付いてくる足音に、×××はのろのろと顔を上げた。彼の足元に落とす視線は暗く、どちらが暴言を吐いたか分からないほど、彼女は傷付いた顔をしていた。マルコが無表情でいると、雰囲気が重いのが分かるのか、一層泣きそうな表情になる。まだ幼く見える少女には酷な姿勢かと、マルコが自嘲し、口を閉ざした少女に向かって口を開いた。
 すると先に響く高い声。
「あの、ね? ちゃんとともだちに、なって下さい!私、ちゃんと話せる人が居ないの!みんな、シッケアール王国の姫っていう風にしか見てくれなくて!」
「おれはそのつもりだったんだがない…」
 やっと見上げた先、彼は一層優しく微笑んでいた。初めてだった。
「ああ、スー!」パッと飛び出し、へばりついたマルコの胸板に頬を押し付けた。
「マルコだって」
 全く、一体どっちが飼い慣らされちまったのかねい、とマルコは心の中で呟き、クスクスと笑う。初めて、その強く抱き締めれば壊れてしまいそうな華奢な体躯を、その逞しくしなやかな筋肉を纏う両の腕で包むのだった。

飼い慣らされた水曜日

2011/10/01
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