text | ナノ


 次の日、当然のように朝食に広間へ出向いた×××は驚きに目を見開いた。近くの侍女を呼びつける。
「エリザ! お父様とお母様は?」
 サッ、と×××のすぐ傍らに控えたエリザは恭しく頭を垂れた。低い姿勢のまま紡がれる言葉は×××を失望させるには十分だった。
「はい×××様、奥様と旦那様は半宵急にマリージョアに赴くとのことでお出掛けになりましたけど」
「…そう」
 落ち込む表情を紛らわすように、わざとらしい笑みを浮かべて、エリザのワントーン高い声が、がらんどうな広間に響く。
「お嬢様、昨日はご生誕日でしたでしょう? 奴隷の調教は順調ですか? もしあれでしたらと、お母様がわたくし達も×××様に尽力しなさいと仰せつかっておりますが」
「ううん、いらない下がって」
 フォークでサラダをつつく×××。父親と母親が見ればその無作法に声を上げるだろう。エリザの視線が落ちる。
「申し訳御座いません。出過ぎた真似を致しました」
 何も、彼女に注意を施すことは無かった。余りにも身分が違った。
「今日は勉強も無し。誰も呼ばない限り部屋に来ないで。奴隷の躾をしなきゃいけないから」
「はい、御尽力あられますよう」
 イライラとした声がエリザの鼓膜を突き刺す。彼女は機械的に返事を返すしか無かった。
 ×××一人に、広間は広すぎる。重たく彼女の肩にのし掛かる沈黙が耳に痛い。キイン、と耳鳴りを起こしそうな程静まり返ったそこで、もそもそと最高の品質で作られた豪華な食事を、半分以上も残して終わらせる。食欲など、沸くはずもなかった。
 さっさと部屋に戻った×××の表情は少し暗い。金色の鳥籠に収まった青い鳥がクルリと滑らかに首を傾げた。小さく青い鳥の名前を何度も呼ぶ。そのたびヨイヨイとへんちくりん鳴き声で律儀に一つずつ返事を返した。
「スーヴェニア、キミは奴隷なんだって。こんなに綺麗なのに…。でもお母様は何時も汚いって言うのよ。スーヴェニア?」
「ヨーイ」
「でも、鳥が奴隷って言っても愛玩動物にしかならないと思うの。スーヴェニア、キミ、何か特技は無いの? 無いよね」
 手袋という薄い布の境界線越しに×××はそれの暖かさを感じた。冴えるような蒼い瞳が静かに閉じられ、頬を彼女の手のひらにそっと寄せた。
「それに聞いて、スーヴェニア、こんなゴミみたいなものがお食事みたい。昨日、夜に来た侍女が居るでしょ? あれ、アグリって言うんだけど、彼女が鳥の餌はこれって言ったのよ」
「クルル」
 伏せた目、バサバサした睫が、頬にうっすらと影を落とした。前日、青い鳥から取り上げた赤材(粟・稗・黍)をさしていた。昨夜、アグリが来なければ、スーヴェニアの食事は無くなっていた所だった。一般的な鳥の餌が入っている餌箱は、×××によって取り除かれていた。汚い、とのことだ。
 悲しそうに小さく鳴いたスーヴェニアに、彼女は無表情に首を傾げた。すぐ、機械的に微笑んで、手を艶やかな体に滑らす。
「分かるかしら。くすんだ金髪のアグリよ? 私、信じられないわ。奴隷ってみんなこんな食事なのかしら…。でもね、スーヴェニアの主人は私よ。いくら何でもスーにこんなの食べさせてあげられないわ。もっとちゃんとした食事を食べてほしいの。キミには綺麗でいて欲しいのよ」
「ヨイ?」
 蒼い瞳に小さな×××が映った。薄っぺらい笑みが強く映し出される。
「だって、キミ何かできる? 鳥なのに。でもね、いいの。スーは綺麗なまんまで私の側に居てくれるだけで。それで十分なの」
「ヨーイ」
 青い炎を揺らめかせ、スーヴェニアは高く鳴いた。まるで彼女の言葉に同調するかのように鳴く。キラキラと輝く瞳は水を湛えて、今にも零れ落ちそうに見えた。×××の滑らかに滑っていた手がぎこちなくなる。
「だって、…お、お父様やお母様は、私をおいてくもの。何時も優しいし、私がやりたいことはやらせてくれる、けど…」
 スーヴェニアがうっそりと彼女を見上げた。パタリと落ちた水滴は確かに×××から出されたものだった。
「さみしい」
 ぎゅうっ、と力強く瞑った目尻から涙が零れた。ギギギ、とぎこちなくスーヴェニアを撫でていた手は動きを止め、細く、華奢な首もとに手を埋めた。鳥なのに眠たげな目が、微かに見開かれ、少女の流れる涙を追った。
 スーヴェニアは、その少女がこんなに感情を剥き出しにする事に驚きを隠せなかった。金の装飾が絢爛な柵越しに伺った少女は、1日観察してみてもすぐ分かったように、能面のように厚い、繕った表情が何とも年不相応なのだ。泣く寸前の顔まで、作った表情は崩れなかった。部屋には侍女も無く、己と少女たったの二人きりだというのに。丸で死んでしまったように頑ななそれが脆くも崩れ去った少女の本当の顔が、泣き顔とは何とも皮肉だが、スーヴェニアはその幼気で、小さく震えが伝わる手のひらに久しく心が軋むように痛んだのだった。
 とうとう俯いてしまった彼女は、震えたまま言葉を続けた。
「昨日は私の誕生日だったのよ。本では、誕生日の子は家族がおめでとうって祝ってくれるのに、お父様とお母様、お出掛けなさったの。スー…」
 スーヴェニアは、遠く家族を思い出した。そして、年端も行かない彼女が悲しみに打ちひしがれている痛ましい様子に、スーヴェニアは目を向けた。その誕生プレゼントに、自分はこの少女の奴隷になったのだが、その思いは、頭の片隅に追いやられた。スッと首を伸ばす。もふ、と柔らかな羽毛が彼女の頬を滑った。
「ぇ、スー…?」
 震えていた×××がパッと顔を上げる。目の前、すぐ眼前に青と黄色が綺麗な冠羽が見える。パチリとスーヴェニアと視線がかち合う。うっすらと目を細めたように見えた。また、スーヴェニアの顔が消え、×××は目を見開いた。柵を掴んでいた手に力が入らなくなる。
 スーヴェニアが柵をすり抜け、×××の、首もとにすりすりと頭をなすりつけた。続いて手袋に包まれた手のひらを下から拾い上げ、撫でろと促す。対応にまごついた×××はパタリと手が頭から滑り落ちる。
 スーヴェニアは脇腹にバスッと弱々しく頭突きした。そのままグリグリと頭を押し付け。そのまま、首の根元まで、柵から出るだけ伸ばし、彼女にすり寄った。
「あわ、きゃ、あは、あははっ、く、くすぐったいよ! だめ、だめったら!」
 クルルルと鳴くスーヴェニアは、×××の首もとに頭を滑り込ませ、項を軽く啄んだ。×××が、母親の戒めか、初め体が引き気味だったものの、ベッタリとくっ付くスーヴェニアを無理に引き離すことは無かった。くすぐったさに身を捩ってクスクスと笑う表情は元の仮面を被ってしまったものの、涙は引っ込んでしまった。
「ドレスがアッ、スゥッ、もー」
 ネックまでキッチリ覆うドレスを優しくはむスーヴェニアに、×××が苦笑し、えい、と一息に抱き込んだ。ギュッと締まった首にスーヴェニアがグッ、と呻いた。
「ふふっ、スー。ごめんね湿っぽい主人はだめね。青い鳥はね、幸せを運んできてくれるの。知ってる?きっとスーのことね」
 スーヴェニアの動きが止まり、×××が彼を解放する。ニコリと笑う彼女が、彼の冠羽を撫でつけるように手を滑らせた。
「クルルル」
「スーヴェニア…、私に幸せを贈ってくれる子…」
 ×××が再びスーヴェニアを包むように抱き込んだ。キュッと微かに込めた力。柵越しに抱き留められる。愛おしそうに紡がれる音に、スーヴェニアはソッと目に膜を張った。
「ヨイ、ヨーイ」
 鳴く声に、×××が静かに口許を緩めた。

泣き喚いた火曜日

2011/09/30
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