text | ナノ

 おれはトラファルガー・ローだ。船長(キャプテン)と呼べ。
 ――ポチ。
 って!可笑しいじゃない!可笑しいわよ!ガルルルウ、と不平不満タラタラの私の叫びは届かない。濃い隈なんか吹っ飛ぶほどのやたら良い笑顔(言っとくけど!これは皮肉なんだからね!)で告げられた言葉に、私は早速機嫌が地の底まで落下する。ヒューと風を切ってベシャリとトマトの潰れる音がしそうだ。おい、トラファルガー・ローとやら!お前への好感度も大暴落だぞ!知ってるのか!?トラと名前に入っているのに、とんだ駄目男じゃない。×××様をフワフワのベッドに寝かせて優しく撫でようが許さないんだからね。ふぁ。
「ポチ」
「(ちげーよ!)ガルルァアッ!」
「いい返事だ。寝るのか?」
 ちょっとォ…。どうしたら今の私の声で機嫌良いとか思っちゃうわけ?満足そうにニヤニヤ笑ってんじゃ無いわよ。私は
「(××××××××××××…××××××)」
 って言う立派な名前があるんだから。ふざけないでよね!そこら辺の犬猫に付けられるような代表格みたいな凡庸な名前。ありきたりすぎるわ。もー、アンタの目キライなのよ。眼力強すぎ。なんなの?私なんか、もう、瞼とまぶたが、いまにも、くっつき、…グアアア!寝るか!寝てたまるものか!
「ポチ、眠いんだろ?寝てもいーぜ。その代わり、背もたれになってもらうからな」
「…ガゥ!?」
「ん?嬉しいか?」
「(んなわけ無いだろォ!重いわ!)ガアウ、ウガァッ」
「おーぉー、静かに寝とけ」
「(やーめーろーやー!)グウウウ!」
 宥めるようにぐりぐりと頭をこねくり回される。細身で見るからにガリガリでびっしりと隙間無く刺青で埋められた手が縦横無尽に私の上を這い回る。もう一方の手には、重厚な本が置かれていて、チラリとのぞき込むと、細かく、難解な文字が踊っていた。
「…」
 あ、なんかダメ。何の呪文?意味不明の文字列なんか読めるわけ無いのに〜、く、催眠術、か…。むねん…。
「グゥ」
「…あっさりと寝やがった。警戒してたんじゃねェのか…?」
 人類、やっぱり三大欲には勝てないものね、と×××が心の中で呟き(いやいやアナタ、トラですけどね)、遠退く意識に身を委ねた。のし、と微かに掛かる重圧に、反対の念を送ることも叶わずに。
 トラファルガー・ローが酷い隈もそのまま、酷い顔色で医学書のページをひたすら捲る。びっしりと敷き詰められたら細かい文字列を追って、深い藍色の瞳が忙しなく左右に移動していた。捲るペースが速いのは、彼の速読の賜物であろう。
 ぐるぐると低く響く寝息に、違う音が加わる。コンコンと小さく奏でられる木製の扉を叩く音。
「何だ」
 呟くように返す言葉は、依然と本に集中していることが分かる。微かに軋む金属の接合部が耳障りな音を出して、船室に入ってきた――これだけは見なくても分かる――白いつなぎの男。扉の前で立ち止まって、ベッドの上で寛ぐ長身の男を見つめた。
「キャプテン」
 微かに震えた声。驚きと呆れが入り混じる様子に、漸くキャプテンと呼ばれた男、トラファルガー・ローが反応する。
「何だ」
 同じ言葉に込められた意味は違い、分厚い本から顔を上げた。表情は特に無く、単純な疑問らしかった。
「そのトラは、どうしますか?売るんですか?毛皮にするんですか?」
「あァ、飼う」
「は?」
 不快に歪む顔。見えないはずの眼光が鋭く光る。控え目だった声が右肩上がりに大きくなった。ローがその顔を歪める。
「おい、起きるだろ」
 咎める声もなんのその、航海士であり、副船長であり、かつ船の財布であるペンギンがつらつらと流暢に喋り出す。ふざけた態度が成りを潜めるとこんなに迫力があるのか、また喋っていく内に声のボリュームが益々抑えられなくなるようで、ローはギュッと眉根にシワを作った。
「うちは海賊船なんですよ?ベポはまだしもトラなんかペットじゃ無いですか!?「おい、起きるだろ」ウルサい、うちはペットなんか飼える余裕はありません!」
「おい、起きるだろ!」
「アンタもうるせーよ」
 ローが感情が高ぶると同時に、バン!と勢い良く分厚い医学書を閉じた。ペンギンがその様子を見、吐き捨て、一瞬、栞挟めてねェよクソ船長、と脳内で口汚く罵った。
 それを知る由もないローは、静かに首を捻り、眠るアモイトラを覗き込む。脈、正常。鼻の詰まりも無し、至極穏やかに眠っております。
 視線をペンギンに戻したローは、常に見るどや顔で、得意気に話した。
「(しらー)それにおれはこの船に800万ベリーあるのだって知ってるんだぜ」
「それは船の備蓄です。何かあったら困るでしょう。潜水艦なんだから」
 因みに知っているのはこの二人だけだが、用途に納得していないのはロー、ただ一人で、その一人は、彼に隠れてどうその金を使うかを密かに目論んでいたりする。
 即答で返された言葉に、ローは悔しそうに顔を歪めると、至極不服だと言わんばかりに、声を絞り出した。
「…おれが、責任持って世話するから、」
「アンタ、恥ずかしくないのか」
「あ、…それにコイツは野生の割に賢い。ペットじゃない、戦力になる。名前はポチだ。それにモフモフ無敵。モフモフには叶わない。こんなに珍しいんだ。殺しては意味が無いだろう?剥製の生気の無さは外科医なら把握しているはずだ。生きているからこそ美しい。へへ」
 クックック、と可笑しそうに喉の奥で笑う。ペンギンのため息が船室に籠もって聞こえた。
「閃いたように言うな。それにさいご、本音ただ漏れ」
「あ、…それにコイツは野生の割に賢い。ペットじゃない、戦力になる。名前はポチだ。これはお願いじゃねェ、船長命令だ。モフモフ無敵。へへ」
 目を見開く所まで完全にリピートされた内容は少々後半に手が付け加えられただけで、更にペンギンはため息を付いた。
「そこは言い直さないんかい。…仕方ねェな」
 一度こうだ、と言ってしまったこの隈だらけの男がそうそう意志を曲げることが無いのも、長い付き合いで把握していた。
 渋々折れるペンギンに、ローの表情に笑みが戻る。あっという間にどや顔になるローは、自分でも自覚している一番カッコイい声で言う。
「話が分かる奴ァ好きだぜ」
 女を口説くとき良く使う声は、目元に影を作る男には効かなかった。これは性別から違うから、とツッコんでくれる者が居ないため、軽く流されてしまう。若干冷たくなった視線がモフモフ帽を被るローに投げ掛けられる。
「(しらー)有り難う御座います。ポチ、ね。それキャプテン命名なんですか?」
「あァ」
「(やっぱり)じゃ、みんなには伝えてきます」
 クスクスと笑って、カワイいだろ?と続く声も、ペンギンはキレイに無視した。もう直ぐグランドラインの海域に戻りますから、と告げて未だ笑うローに背を向ける。背中にぶつけられる声。
「しっかりな」
「世話はよろしくお願いしますよ。ノミなんか発生させないで下さいね」
 どっちのしっかりだ?とペンギンが計りかねて、我らがキャプテンの事だ。ペットの名前の事だろうと自己完結した。それに、実際ローもそのつもりだった。最後に扉を開けながら、顔だけ向けて、静かに忠告する。
「あァ、分かった」
 お座なりに、返事を返したローの視線は既に、医学書に落ち、意識も、其方に落ち掛けている。衝動的に閉じてしまった弊害、ページが分からずに、読んでいた周辺のページをペラペラと指で弾く。
 やっぱり!と、彼の余りに投げやりな態度にペンギンが再び吠える。
「分かっていません!ほらっサッサとそのトラ、風呂で一回丸洗いしてこい!」
「…」
 ビクッと、突然の音量に驚いたローの手から持ち上げていた医学書の一端が膝に落ちる。偶然にも先ほど開いていたページだった。
 平然を装って上げた顔は、少々の苛立ちが伺える。我が儘なハートの海賊団の船長、トラファルガー・ローは、当然の如く、人に命令されるのが嫌いだった。お願いならまだしも、しかも女限定。例外ベポ。
 ローの薄い唇が戦慄き、あの名言を吐こうと口をうっすら開く。しかし、ペンギンが先手に回ったようで、
「キャプテン、責任持って世話、してくれるんですよね…?」
 自分が吐いた言葉に論破されてしまったローは、今度は栞を挟み、バタンと医学書を閉じることになった。
「チッ」
 あんなもん冗談だ、だなんて、男が廃るし、なまじ本気だった為、下手なことは言い返せない。そしてペンギンは薄ら笑いのまま船室から出て行った。今回ばかりはローの完敗である。
 しかも、出て行く直前「よろしくお願いしますよ!」と釘を刺されてしまったのだ。勿論、ペンギンはローの無表情の中にイライライラ、募る苛立ちに、すっかり気付いていたが、これも我が儘な彼への仕返しなのか、機嫌取りをすることは無かった。
 船室に取り残された細身の男、またそれの背もたれになっていたモノトーンの世にも珍しい毛並みのマルタタイガーと言えば、騒がしい船室に居たにも関わらず、ぐるぐると惰眠を貪っていた。不眠症で常に隈を目の下に携えている男が、気持ちよさそうに安眠する様子を、しかも、苛立っているのに、許すはずもなく、分厚い医学書でそのベッドに伏せる頭をぶったたくのだった。
 バカッ!
「ギャアウッ!」
 バッ、と一瞬で身を翻すポチ(仮)。え?(仮)?だから、私は×××だって…。てか、今何!?頭が割れるような音が響いたんだけど!?しかも、痛いし…!うごおぉ…!
 キョロキョロしても、目の前には隈男が声を出して笑っているし、ベッドの上には医学書が投げ出してある。鼻面を近付けてクンクンと嗅いでみる。余計笑い声が酷くなった様な気がして、ソッとトラファルガー・ローを見上げてみる。
「大丈夫か?」
 優しく、頭の上を骨ばった、刺青だらけの手が滑る。キョトンとした私に、どや顔の奴。取り敢えずコクンと頷き、首を傾げる。え?医学書が頭に降ってきたのかしらん。クックック、と喉を鳴らす、トラ、…奴にトラなんてカッコイいのは勿体無い!奴なんか、えーと、うーん、ファルガー?…ファル!お前なんかファルで十分だ!と喉を鳴らす、ファル。
 首を傾げて、医学書を見つめ、次にファルを見た私はフッと笑って見せた。
 するとファルは突然声を上げて笑った。「ハハッ!お前!頭良いのか悪ィのか分かんねェな!」

知らない内にペットに昇格?降格?
(は?×××さまバカにしすぎじゃね!?お前なんかファルの分際で!)
(あー笑った。…風呂入れなきゃいけねェんだっけ。めんどくせ…)

---呟き
ごめんなさい。此から×××の一人称でお話を進める際は多分トラファルガー・ローの名前は出て来んとです。
多分、ファルとか隈男になります。奴とか。
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