text | ナノ

 船尾でやり取りしてから、すっかりマルコのペースになっていた。一人と一匹が居ても騒ぐことを止めた船員たちに、日常が戻ってきたかのような雰囲気さえ感じていたが、それは何も知らない第三者からの視点の話であって、×××の内心は歓喜と羞恥の狭間にいた。あの後、丁度、食堂の上にいたイゾウとハルタに気の済むまでいじられた。マルコに至っては隠す気が初めから無かったらしく、ただひたすらに×××だけがてんやわんやと一人恥ずかしさに耐えた。
 昼ご飯も夜ご飯も、×××はマルコに一口づつスプーンを運んだ。中身が人間であると知ってしまえば、皿を前に犬食いさせるわけにもいかない。以前、キャットフードを目の前に不服そうな顔をしていたのも、今なら納得出来た。といっても現在の彼の食事も、猫が食べても良いような配慮はされていたが。ニヤニヤと彼らを見つめるのは隊長格の者達に止まったが、冷静さを取り戻した×××は、ただ、彼に食べさせることに集中した。一度口を開いてしまえば、火照るであろう顔の赤みを抑える自信が無かった。
 何とかマルコと自室に帰った×××は、ベッドに座る彼の発言に目を見開くこととなる。
「お風呂…?」
「よい。入れてくれねェか?」
「一人じゃッ」「無理だねェ。×××も一緒に入っちまえよい楽だろい?」
「えー!?」
「クッ、なァに恥ずかしがってんだよい。にんげ…」「あああああああ!」
「…能力者なんだい。溺れちまうから入れてくれねェか」
 羞恥に身悶え、二人の他に人が居ないにも関わらず、×××はマルコの声をかき消すように声を上げ、小さな牙ののぞく口を覆うように塞いだ。ザラリとした舌がその手の平に這わされ、速攻で離す事になったが。
「なッ、なな!…あ゛ー!分かりましたよゥ、もぅ」
 しかし、彼の言葉によって、×××の行動は決まってしまった。ビクビクとしながら渋々彼を抱き上げた。

「痒い所はありませんか〜?」
「ねェよーい」
「それは良かった」
 一度、気持ちを固めてしまえば、どこか吹っ切れたところもあるのか、バスタオルを一枚を身に纏った×××は、木製の風呂イスに鎮座する、濡れて、シュンと体積を減らし、黄色が濃くなった猫の頭でこしゃこしゃと指を立てて洗っていた。グラグラと揺れる小さな頭の向こう、気持ちよさげに語尾を伸ばす彼に、×××もふにゃと笑った。クルリと体に巻き付いている尻尾。こういう所だけを見れば、マルコはまるっきり猫に見えた。
「流しますよ〜?」
「頼むよい」
「ふふ、頼まれました」
 水流を弱めて、慣れた手付きで泡を流していく。目を閉じたマルコの口元は緩く弧を描いていた(元々もあるかもしれないが)。優しく頭の天辺から滑るように撫で下ろす手の平。シャー、と静かな水音が続いた。
 チャポン、と浴槽に浸かる。外国人のような外見が多い彼らにも、浴槽に浸かる風習はあるらしく、×××は気持ちよさげに感嘆のため息を付いた。猫である彼は、ぐったりと力が抜けて、×××に抱かれている。頭部の、すっかりぺしゃんこになった産毛を擽るように撫でた×××は歌うように喋った。
「大丈夫ですかァ〜?」
「はァ〜、一応」ダルそうに吐かれる。
「能力者って言うのも大変よねェ」
「仕方ねェよい。元々呪いなんだ」
「悪魔の呪いね…」
 ゆるゆると頭部を撫でる。ふにゃーん、と本能的な声が閉鎖的な浴室に響いた。
 言葉には出なかったが、×××は密やかに、彼の不死鳥姿は美しく、とても呪いとは思えなかった。悠々と炎の翼を広げ、全てから守る彼の姿は、簡単に言葉には出来ないほど神秘的で魅力的に、彼女には見えるのだ。
「フニャァ」可愛らしい欠伸。
「あは」
 そんな不死鳥は、今、×××の膝の上で牙を向いて大あくびしているのだ。そしてグダ、と彼女に体を委ね、上を仰ぐ。
「あ゛〜極楽だよい…」
「あはは〜おっさんみたいなこと言ってる〜」
「…おいおい」
 空色の瞳が蒸気を通してうるうると溶ける。細めた目、うるりと水膜を張った瞳。蒸気に満ちた浴室。バスタオルに身を包む女。潮風に吹かれ、広がる髪も今はしんなりと落ち着き、その下に見える瞳は緩やかに緩められ、春陽のような笑声があとを追う。
 夜は更けていった。



 ゆったりとしたバスタイムを終えた一人と一匹は何時までも戻らない姿に、日頃の晩酌をどうするかを悩んだ。やめようか、と言う×××に
「猫でも呑めるやい」と言う。おっさん声の可愛らしい猫。
 この一言で、×××が重い腰を上げる。戻ってきた彼女に、マルコはヒクヒクと鼻をひくつかせた。
 ヒュオ、と夜風が吹き付ける中、×××とマルコはメインマストの望楼に居た。手にはタンブラー、ビノワール、保存食用である中くらいの包み紙。ニヤニヤと緩みっぱなしの彼女の頬。マルコにはそれが、サッチがこそこそとため込んでいるサヴォア地方のチーズであることに気がついた。猫は鼻が良い。
 ワイングラスなどという華奢な食器は、形式など気にしない海賊船には無く、タンブラーに注いでいく。
 カチンとグラスを弾かせて、×××は美味しそうに深い紫の液体を喉に流し込んだ。
「新月だと良く星が見えるでしょう?」
 ふわふわと笑って、一欠片のチーズを、自分が食べるわけでも無く、マルコの口に押し付ける。コクンと一回折れる首、それが戻ってきた時、暗い夜空に包まれた空色の瞳はキラキラと意地悪そうに煌めいた。
「良くやったねい。うまいよい」
「でしょう?ふふ、お酒も美味しいし、月見酒じゃないっていうのもまた」
「風情があって良いねェ。星が良く見える」
 パクリと、×××もチーズを口に含む。楽しそうに上がる口端。真っ暗な夜空に浮かぶ小さな星屑。六等星まで鮮やかに見える空も中々無い、と×××は想いを馳せて、ワインで喉を潤した。
 同じ様に空を仰ぐ猫の目がキュッと細まる。
「あァ、身体的能力は猫なのよね」
「便利なのか不便なのか分からねェよい」
 タンブラーに注がれたワインにチロチロと舌をのばす様子は確かに不便そうに見受けられる。横目にそれを眺め、クッ、と自分は軽やかにグラスを傾ける。
「ふふ」
 小さな笑い声が夜空に溶けた。

「戻らねェなァ」
 その後も何度か×××の手からチーズを貰い、本当にちびちびとワインを舐めるようにして飲むマルコは、静かに光を放つ星星を見上げて、小さく鳴いた。
 酒で火照った頬を夜風で冷やしていた×××は、金色の毛並みをゆるゆると撫で上げて、ふにゃと笑った。囁く言葉は至極甘い。
「猫でも、私は好きよ」
「ニャーン」
 クスクスと、擽ったそうに笑みを零すマルコはわざと鳴いた。高い猫の鳴き声ではなく、おっさんの低く、少し枯れた声。
「ま、マルコさァん!ちょう可愛い…!」
 タンブラーを乱暴に置いた×××は、葡萄酒が床にこぼれるのも気にせず、小さな、ふわふわとした猫を持ち上げた。プルプルと震えて、次の瞬間にはギュッと×××の胸に押し付けられる体躯。
 昼とは変わって、クスクスと笑うマルコも、少なくとも酒で気分が高揚しているようだ。
「まァだ言うのかい。ふふ、おれらは恋人同士なんだよい。キス以上が出来ねェのは辛いねェ」
 ふにゃんと上を向く口端が、引き伸ばされる。
「へえぇえ!?」
 パッとマルコを引き剥がした×××は、ブランと宙に浮く、黙っていればただのトラ猫を上から下へ視線を流す。
「なんだ、シたくねェのかい?」
 細めた目が、何時もの気怠そうに伏せられた目と合致する。
「あわわわわ、あ、」
 パッ、と脇に滑り込ませていた×××の手の拘束が解かれる。音もなく床に降り立つマルコは、きゅるんとした空色の瞳を最大限に利用した。
「…」
 ねェねェダメなの?と言わんばかりの無垢な(マルコが取り繕った)瞳に、×××はぐるぐると一気に酒が回る思いがした。彼女の視界が若干贔屓目になっているのは致し方無い。
「(罪悪感に駆られるうゥ!)あのォマルコさん…?したくない訳じゃ無くてですね」
 スクリと艶めかしく笑う"猫"。
「マルコ、て呼べよい」
「ぇ、…ま、マルコ?なんでそんなに」
 しゃなりしゃなりと×××に迫る猫。ピンと上を向く尻尾が、スルリと×××の膝を撫でた。後退り、壁に背を打ち付けた×××は自然と逃げ場を無くす。あれあれと×××が混乱している間に、すっかりと悪人面の猫は生暖かい息が彼女に掛かる距離にまで接近していた。
「シッ、静かに」夜空に浮かぶ空色の瞳が迫る。
(なんでそんなに…エロいのおォお!)
 ×××の心の叫びは何処にも届かずに、ギュッと視界を遮断した。すっかり暗闇に包まれる前、空色の瞳が楽しそうに揺らめいた。
 んチュ、と唇同士が触れ合う。
 ただ、唇をくっつけ合う疎いキス。ブワリ、と瞼越しが明るくなり、身体が火照るように暑くなる。子供のするそれに、長く酔いしれた×××は、静かに彼の後頭部に手を回そうとして、スルリと逞しい首に触れた。ハッ、として、目を開こうとすると、無骨な手の平が×××の後ろ髪に指を絡ませ、そのままグイッと強く引き寄せられ、可愛らしいキスが艶(あで)やかなものになる。
「んン!?んぁッ―ふ、ゥ」
「――ハッ、―×××…」
 低く、微かに掠れた艶美な声に呼ばれて、うっすらと瞼を開ける×××。キツく寄せられた柳眉、膜の張ったぼやけた視界にチラチラと青い炎が溶けて、再び目を伏せた。ツ、と一筋流れる涙がソッと拭われ、始まりとは変わって、静かにそれが終わる。はァ、とどちらがともなく吐かれた息が確かな熱を持っていた。
「お、戻った」
「あ、は、マルコさァんッ」
 黒々とした瞳が濡れて、×××が1日と言っても久し振りに感じる彼を見つめる。熱いキスを交わしたにも関わらず平然と漏らす声に×××は堪らなくなって、目の前のしなやかに引き締まった体躯に抱き付いた。半分、壁にずれるようにして押し倒された×××を、マルコは低く喉を鳴らしてしかと抱き留めた。節くれ立った指が徒に黒髪を弄ぶ。
 ×××の荒く吐かれる息も、気分も落ち着いて、ベッタリとくっついていた体がゆっくりと離される。倒れかけていた上体は起こされ、いつの間にか×××はマルコの太腿を跨ぐようにして座っていたが、少なからず残っている酒がそれを気にさせない。
 赤い顔のまま、マルコの元に戻った姿をじろじろと眺め、静かに笑う。
「何だか、御伽噺みたいですね。王子様とのキスで呪いが解けるって言う」
(醜いカエルになっちゃった王子の話何ですけど、)と続く筈の言葉は音にならない。
 艶然な雰囲気が夜風に攫われ、マルコも口元を弓形に反らせた。
「ンで、ハッピーエンドかよい」
「はい、それはそれは」
 ×××がにっこりと笑う。クッ、と深められる彼の笑み、その内情に、彼女は気付かない。
「でもそりゃ子供向けだろい?」
「まァ確かに」
「じゃ俺たちァ、大人向けの童話でも語ろうかねい」
 謳うように続ける軽やかな口調に×××は一瞬気付かず、次の瞬間、瞠目して驚きを示した。
「?、な゛ッ!?何だか発言がオッサンなんですけど」
「おい、さっきからよい、おれはおっさんだよい」
「あ、あれ…?あはは!そうでした」
 マルコの色帯びた声、プラス雰囲気が妖しくなっていく。段々と身の危険を感じた×××が微かに身を捩るも、細腰に回る腕がそれを許さない。髪を弄くる指先にも、婀娜っぽさが宿る。
「×××」
 呼ばれる名は、何よりも甘く、×××の耳を犯した。バチリ、と視線が合えば、伏し目がちな瞳が熱っぽくトロリと溶けているように見え、×××はただ顔を赤く染め上げた。
「ひぇっ(キャー!)」
「もう黙れ」
 細い手が彼の肩に置かれ、なけなしの抵抗を始める。しかしそれはグッと、マルコが上体に力を掛ける事でなし崩しに成る程脆弱だった。
 初めからまともな抵抗をする気も無かった彼女に、マルコは一層気を良くし、至極愉しそうな声をあげる。×××の小さな悲鳴は再び口内に押し込まれるのだった。

夜、星空に鳴こうか
(に゛ゃ、にゃーん!)
(クックッ、カワイーよい)


タイトル引用「joy」http://rosy.2.tool.ms/
お粗末様でした!
2011/09/20
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