text | ナノ

 マルコが甲板でずうんと落ち込んでいる中、×××も同じく医務室で落ち込んでいた。
「暗いわ」
「うぅ、ごめんなさい」
 ×××の前に仁王立つアンリエッタは、金色の長髪を背中に流し、きらきらと存在感があった。美人に凄まれると時に怖いと言うが、全くその通りだった。
「差し詰めマルコ隊長を猫扱いでもして怒られたんでしょう?」
「その通りですゥ…」
 背中を丸めて、膝に2つ拳を作った×××は、肯定の意を唱えなくとも、アンリエッタに言われるごとに肩を揺らすことで、そうであると如実に表していた。
「アナタくらいよ、マルコ隊長にそう出来るのって」
 はァ〜、と大袈裟に溜め息を着く様まで、その美しさに影のかかることのないアンリエッタ。×××がおずおずと彼女を見上げる。微かに傾げられる頭。
「はァ、でもみんな結構そうじゃないですか?」
「アナタって意外とばかよねェ、その後散々しごかれてるでしょ。リスク承知でやるんだからアイツ等も大概ばか野郎どもの集まりなんだけど」
「そうなの…」
 再び頭垂れ、フワ、と重力に従う黒髪で顔を隠す×××に、アンリエッタが語気を緩めて、諭すような声色になった。
「アナタはね、×××。マルコ隊長に散々甘やかされてるんだから、分かってやりなさい」
「はい、でも」顔を上げる。ニコリと美しい笑みが返ってきた。
「なに?」
 再び険を帯びる口調に、必死に首を左右に振る×××。
「う、ううん、分かった、わかったよ」
「分かれば良いのよ!ほら、出てった出てった。カウンセリングはもうおしまい!」
 私も忙しいの、と続けるアンリエッタは、ベッドの縁に腰掛けてた×××を引っ張り起こす。
「わ、あ、ァ。あ、アンリエッタ。おめでとう」
 そのまま外へ追い出されそうなのを止めつつ、必死にアンリエッタを伺った×××は、淡く微笑んだ。ピクリと片眉を痙攣させ、慎重な姿勢で、訥々と言った。
「…何のことかしら」
「サッチさんと」「あー、はいはい。ありがと」
 ぶっきらぼうに言い、×××の背中をグイグイと押し出す力が強くなる。扉の閉まる最後、チラリと見えた彼女の顔は、今まで誰も見たことが無いような、真っ赤に色づいていた。

路地裏に飽きて

 ×××が医務室から追い出されて、初めに行こうと考えたのは甲板だった。基本、日中は甲板で過ごしている事が多い。それに今のマルコでは部屋に籠もって書類を片付けるのは無理だと考えた。何時か見た彼の絵は、悪い意味で芸術的だったから。きっと今回も画力は変わってはいないだろう。十中八九、彼は書類整理はしていないだろうと考えた×××は、真っ先に甲板を目指した。
 ザァ、と目の前に広がる強い潮の香り、強く吹き付ける風に目を細める。
 日常を取り戻した甲板は、もう、×××やマルコを執拗に追い掛ける事が無くなった。目が合ったクルーがやぁ、と声を掛ける。
「あ、マルコさん見ませんでした?」
「ん?あァ、もっと船尾の方じゃねェか?食堂の上あたりで見たぜ」
「ありがとうございます」
「いいってことよ」
 軽く挨拶を交わし、×××がミズンマストの方へ視線を投げ掛ける。行ってみよう。
 食堂の上、日向ぼっこに最適な所、登って行くにつれ、×××は此処にマルコは居ないなと思っていた。
 ぎゃあぎやあとやかましく響く笑い声はラクヨウであると直ぐに分かった。続いてハルタにエース、特にエースは悲鳴混じりの。ヒョコリとそこに顔を出して、三人頭を突き合わせて何かする様子に、嫌な感じがして直ぐ物陰に隠れようとした。此処には上がらなかったが、その三人の少し奥、マストに寄りかかるイゾウとチラリと目が合う。ニヤリと笑った顔が、此方を向いて不敵な笑みを浮かべる白ひげのタトゥーとピッタリマッチしていた。
「おい、×××!何してんだい」
「え、×××?」
 グサグサと、木張りの床を通して、視線が 刺さる思いがした×××は、諦めたように階段を登りきった。ニヤニヤと笑うイゾウに恨めしそうな視線を向けるが、フッ、と吐かれた紫煙にかき消される。
 明るく×××を呼び止める声、エースだった。
「×××じゃん!なァなァ今ポーカーしてんの、×××もやるだろ?」
「おい、エース!今の負け無しにすんなよ!」
「あんさん、やったこと無いんだろう?」
「あァ〜、良い機会じゃん?」
 分かったとも言いたげな視線を交わすイゾウとハルタがニヤニヤとあくどい笑みを浮かべる。童顔で可愛らしい顔付きのハルタの表情は今や若干年相応にみえた。
 未だ今のゲームの勝敗を言い争う二人、エースがラクヨウを振り切って、後ずさりでもしそうな×××を捕まえた。
「ほら、おれの隣座れよ」
「ぇ、と、私マルコさん探してるんです、けど〜」
「ほい、配った。手札見な、風に飛ばされる前にな」
「ホラ、×××!」
「あァ〜、もう、一回だけですよ」
「そういや×××、何賭けるんだ?」
 エースは手札の内、四枚捨て、歪なヤマから同じようにカードを取る。
「え?賭け?いや!やっぱり私止めます!賭けるものなんか一つもありませんよ!」
「男に二言はねェ!逃がさねェぞ×××」
「えー、私女なんですけど…」
「んじゃ体で払えよ」
 ケラケラと笑うハルタはいつの間にかカードを一枚変えていて、ラクヨウの膝をバシバシと叩いていた。
「はっあぁぁあ!?」
 思わずギュッと目に力が入る×××は、ラクヨウを睨み上げつつ叫んだ。エースのフォローがとっさに入る。
「肉体労働で、な!?」
 当たり前です!と×××が返し、キッとラクヨウを睨み付ける。
「ラクヨウさァん!発言が一々可笑しいですよ!」
 クックック、と笑うのはイゾウ。ぎゃはははははと膝を叩いて笑うラクヨウが最後にカードを二枚、変えた。
 ×××は渋々三枚、ヤマから取り、五枚の手札を眺めた。
「ワンペア」
「フルハウス」
「ツーペア」
「フラッシュ」
「…だー!また負けた!」
 エースの悲痛な叫び。バシッとカードをそのまま叩き付け、空を仰いだ。ハルタは笑い上戸なのか、ヒィヒィと息を切らせつつカードを捨てる。フルハウスのきれいな手札だった。
 その後も勝ち逃げは無しだのなんだので、×××がその場を離れることは叶わず、かなり時間をそれに費やした。いっそのこと負けて抜けてしまいたいと思うものの、これが中々うまく行かない。エースが弱すぎるのだ。同じワンペアでも、役が弱いために結局最下位から動かない。イゾウに助けを求めるような視線を投げても、斜め上を仰ぎながら紫煙を作るのに忙しいのか、ちらりとも×××を見ない。
 だから、×××が諦めも含めて、山からカードを取る様子を、艶めかしく唇を歪ませて静かに笑う彼に、×××は気付くことは無かった。
 もう、何回目になるか、エースの負けで幕を閉じたポーカー。バシッ、と叩き付けるカードが、彼に思わぬ反撃を繰り出す。
「うわぁっ!?」
 ビュオッ、と一陣の風が船尾の方から×××たちを突き抜けた。元々強い風が突発的顔を打ち付け、トランプの山が見事にバラバラなった。それもエース目掛けて。丁度向かい風に位置した彼に向かって、投げ捨てたはずのトランプがエースの脇をすり抜け、飛んでいった。
 それぞれが短く悲鳴を上げ、とっさに顔を覆っていた。イゾウをはじめ、追い風にみまわれたハルタとラクヨウは目を見開き、×××とエースの向こう側を見る。
「お、おい大丈夫か!?」
「エース!お前、頬切れてッ…え!?」
「え、エース!?」
 ボロリと一粒、見開いた目の目尻から零れる涙。ボロボロと止まらない涙に、飛んでいったトランプも忘れ、ギョッとしたようにエースに八つの目が注目した。
「賭けに負けて泣くような奴だったかァ?」
「ち、ちげェよ!目に、ゴミが…」
 なァんだ、と一気に興味を失い、トランプを集めようと腰を上げるラクヨウ。
 笑いこけるハルタの傍らで、しばしばと仕切りに瞬きをするエース。ゴシゴシと力強く目元を擦る様子に、思わず×××の手が伸びた。
「だめっ、擦っちゃ、一寸見せて」
 幼さの残る精悍な顔を覗き込む。筋肉質など腕を掴み、擦るのを止めさせた。ぐっと目元に力が入り眉間にシワが寄る。何度もしばたく瞼。少し赤くなった目尻に、空いた方の手を置き、黒い瞳を見つめた。
 ややあ、と遠くで声が上がり、×××は薄く口を開いた。
「良く見えない。やっぱり目洗いに…」「×××?何やってんだよい」
 突然入ってきた低い声。パッ、と×××とエースが同時に其方を向けば、×××が探していた猫が、話す拍子にくわえていたカードを甲板に落とした所だった。
 一見見れば、胡座をかく青年が、中腰でキスを迫る痴女に困惑して泣きそう(既に泣いているが)な図である。笑い転げていたハルタは顔をひきつらせ、今にも倒れそうで中途半端な姿勢で、甲板に手を着いていた。ややぁと声を上げたのはイゾウで、今は横目に海を眺めながら薄く長い紫煙を吐き出している。
「あの、エースの目にゴミが入っちゃって…洗いにいこうかと」
 緩くエースの手を引いて、立たせる。何だか暗い雰囲気に押されてか、控え目な声で、彼の様子を伺いながら話した。
「…そんなもん、ラクヨウに任せとけ」
「おう、エース、大丈夫か?」
「…あァ多分」
 エースは、小さくありがとうと×××に言いつつ、手首を掴む手をさり気なく外した。マジメ腐った顔付きで、ラクヨウはエースに手を伸ばし、そのまま連れて行く。ぁ、と小さく声を上げる×××も、直ぐに口を噤んだ。
「ちィとばかし来いよい」
「はい…」
 背後から、イゾウとハルタの声が聞こえる。ただ、×××は威圧感の増したマルコに着いていくのに必死で、余り聞いていなかった。
 船の一番後ろ、ザザザと白波を残していく海が刻一刻と姿を変えていく様が見える船縁にて、猫がピンと耳まで真剣に立たせて、広い手すりに座っている。
「おれは、怒った訳じゃねェんだよい。ただ、…異性として意識されてねェんじゃねェかって…。×××が愛猫家なのは分かってるつもりなんだがねい」
 苦笑混じりの言葉。人間の姿であったら、首の後ろでもさすっていそうだ、と×××は自然と思い、恥ずかしそうに視線をさまよわせた。
 一点、彼の空色の瞳にかちりと視線を合わせる。
「あ、確かに、…あの、正直に言っちゃうと、猫って事に嬉しくて…興奮してました、でも!猫は好きですけど、マルコさんが好きで、えと、だからですね!マルコさんが猫で、それが好きなんじゃなくて、違うんです!猫がすきなのと、マルコさんがすきなのと!おろ、?あれ、?猫のマルコさんが好きなんじゃ無くて、…」
「プッ、わ、分かったよい」
「え、えー!?違うんですゥ!」
 パタパタと手を振る。上手く説明出来ていないような気がして止まない。
「いや、分かったって、×××はおれが堪らなく好きなんだろい?」
「あ、…そうです、け、ど」
 かぁ、と一気に赤く染まった顔。恥ずかしそうに俯き、もごもごと何か言いたげに口内でくすぶらせ、結局言葉になることは無かった。顔を上げた×××は、金色の毛並みが輝く、空色の瞳を持つ猫を目に留めて、一度怯んだ。後、マルコが再びクスクス笑うのに、顔を逸らしながら、流し目で控え目に見た。
 緩く手を広げる。
「あの、ギュッて、抱き締めても良いですか?」
「それは猫としてかい?」
「ち、違いますッ、」
 クスクスと笑う声は止まらず、ピン、と立たせた尻尾の先を小さく揺らして×××に近付く。そんな彼をすくい上げて、苦しくない程度に抱き締めた×××は、赤い顔をそのままに大きな耳に口を寄せた。
「好きなの」囁く×××。小ぶりな唇が戦慄いた。
 そして、猫の小さく控え目な肉球が、×××の肩に置かれる。
「おれもだよい」
 冷たく濡れた鼻が耳たぶに一度触れて、続いて少し牙を立てて、かぁと耳まで赤くなる。甘噛みの後、最後のトドメだと言わんばかりの低く掠れた声が僅かに空気を震撼させた。

(日の下に出ようか)

2011/09/18
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