text | ナノ

 朝が明けて、側に暖かい温もりを感じるなんて、何年振りだろうか。トクトクと刻まれる鼓動に心底安堵を覚え、夢も見ないほどにドロリとした睡眠の深淵に沈むのは。そして、何ものにも邪魔されず、現へと浮上するなんとも言えない快感は。

 鋭く耳を打つ音に、半強制的に目覚めたら、見覚えの無い空間、室温、感触。目の前に巨人。と思ったら自分が小さくなっていた。しかも猫で。聞き取れはするが、全く理解の出来ない言葉達、自分の耳が、脳が狂ったのか、何か能力者に中身までも猫に変えられたのかと、何て喋ってんのか分かんねェよ、と言ったら出るのは情けない猫の声。しかし、直後にクリアーに女の声が聞こえるようになった。言ってみるもんだとその時は思った。ただ、そう何回も女に自分の意志が伝わる事は無かったのだが。
 女が言うには動くなって…、おれは不死鳥なんだから怪我なんて治療されなくとも治るとか思ってたら全然そんなこと無くて、ビリビリと背中の神経が痛んでんじゃないの?程の激痛に気付く。ありえねェ。こんなの何年ぶりだという思いで、大人しくするしか無かった。そしてどうやら此処はおれの知らない場所だった。
 しかし、あの海戦は、新世界で無謀にもおれたちに喧嘩を売った、奴らは滅したのだろうか。確か、親父を集中砲火から救うために立ち回ってた筈、なんだが。何発か、大砲を食らった時点で記憶が切れていた。その周辺に何かが起こった筈だが、今はモビーディックに戻るのが先決だ。そして微睡む一日目。

 女はどうやら×××と言うらしい。そして大学と言う施設に行くと言って、おれがいる空間から気配が消えた。取り敢えず情報収集が先決だった。痛む体に鞭打ち、カーテンをよじ登って、棚に飛び移ろうとした。しかし情け無いことに、レースに爪が引っかかり、無様に床にへばりつくこととなった。ジャンプで届くだろうか、そう考えたおれは、グッと後ろ足に力を溜めて、一気に飛び乗った。しかし、背中を延ばす事で痛烈な痛みが襲うものだから、悶絶してそれをやり過ごした。
 暫くして、やっと落ち着くと、今度は縁までニジリ寄り、直ぐ下の段にキッチリと納められている書籍を見る。背表紙には解読出来ないものが7で、読めるものが3。どうやら別の国に飛ばされたのだろう。しかも相当辺鄙な所に。結局知れた情報はそれだけで、後は何も得られなかったおれは、流石に体が痛くて、船のベッドとは桁違いにフカフカのベッドに体を横たえた。
 女、×××の第一印象は綺麗なお姉ちゃん(サッチに言わせれば、第三者から見ても)、世話好き。世話好きは後で、ただの猫愛好家に変わるのだが、まあいい。第二印象は、知識人だった。ぱそこん、いう箱に映された画像は右上にも表示されているように世界地図らしい。どうやらこれは、能力者の話しに留まらなかった。異世界、平行世界、と言ったところか、ぶっ飛びすぎて、深く感傷的にもなれず、×××はおれに何か話して見ろと言われた。確かにこれなら今の訳の分からない状況を打破できるかもと淡い期待を持ちつつ問う。
 ×××は、おれが関心を持って質問を繰り返す度、興奮したように若干早口になるのに目を瞑ってみても、その頭に収容されている記憶に脱帽できる。そしてやたらと頭を撫でられ、キスを落とされる。歴史や、科学全般何でもござれの勢いで説明を施す彼女に、要点を押さえてみると、おれたちは、海賊記の中で、存在がバラバラになっているらしい。顕著に現れているのが名前で、活躍した時代も統一感は無かった。ただ歴史の中で存在する彼らに少し安堵した二日目。

 午前中、外出の準備をする彼女を呼び止め、彼女はオハラの学者のような存在なのだろうか、と聞いたら、ただの大学生らしい。大学生ってなんだ。この世界ではそれぞれ学業をある程度強いられ、更に深く専門性を深めたい者が集うのが大学で、大学生はそこに所属する人々だそうだ。これで毎日家を空けようとする彼女の真意が分かった。おれはつまらない。ハァ。
 時計の針が八時を回る。もう帰ってきても良いこの家の主は、まだ外にいるらしい。女一人で夜遅くに外を出歩くことに、感心はできない。それか、この世界はそんな心配しなくても良いくらい平和で生ぬるいのだろうか。そしてやっと帰ってきたと思った彼女は男を連れてきた!こんな夜中に連れ込むのだから、それなりの仲で、おれはきっと邪魔だ。しかし、×××は何とも男を見る目が無い。人の趣味にとやかく言うつもりは無かったが、×××はこんな男で良いのかと、不思議に思う。どうやら男と女に関しての知識は浅はかなようだ。
 口調は柔らかいが、欲が見え見えのその態度に、人の情事をみるつもりもないおれは×××の腕から離れ、廊下に出た。
 そして直ぐに×××が初めて声を上らげるのを聞いた。なんだ?怖じ気づいたか?
 様子を見に、体を動かせば、×××はベッドに縫い付けられ、犯されようとしていた。その光景を見たおれは無意識に覇気を飛ばしていたらしい。そして不死鳥の炎がボウッと体を包む。久し振りの感覚に体が軽くなるのを感じた。覇気は思ったよりも微量で、しかし一般人の男を脅す程度なら支障は無かった。やはり、ぬるい。大胆にも反撃に手をかえそうとするものだから、とことんこの男は相手の力量が見えていないと思いつつ、軽い体を操り、痛い一撃をかます。
 ショックで打ちひしがれている×××は、おれを抱き上げ、キスをしようとしたらしい。しかし直前に顔を歪め、ヨロヨロと去っていった。その背中を見送ると、流石にかわいそうにも思える。きっと予想だにしない事態だったのだろう。戻ってきた×××がおれにキスを落とすのを甘受しながら、こうさめざめと泣くと、男が見れば確かにグッとくるものがある。清楚さから覗く微かな色香が良い。ただ彼女の言い分があまりにも子供で、その気になんかならないけれど、加護欲は湧いた。それこそ家族に抱くような。
 家族の元へ戻るまでは彼女の側で、彼女を支えるのもいいのかもしれないと思った三日目。

 四日目の朝。穏やかな気持ちで朝を迎えたおれは、すぐ目の前で眠る彼女をみて、瞼が少し腫れぼったく、出来て間もない涙の跡を見つけた。はぁ、夢見でも悪いのだろう。うう、と眉根を寄せて何かに縋るように伸ばされた手を横目に、目尻の涙をペロリと舐め、拭ってやる。ピクッ、と反応し、子供のようにむずかりながら目をうっすらと開ける。焦点を合わせておれを見た彼女が、へにゃと笑うのを見て、ああ可愛いなと思った。そしてそのまま鼻面に落とされるキスを受け入れる。
「おはよう、マルコ」
「おはようさん」
「え!?」
「にゃ!?」
 お互い目を見開き、驚きを隠さなかった。いきなり猫の口から人の声が出るのだ。無理もない。
「マルコ…?」
「にゃんだよい」
「喋ってるよ?」
「そうみたいだにェい」
 ×××は口を唖然とした表情のまま言う。おれも同じ様な感じで返す。なんだか、昨日の夜から、不死鳥の力といい、自分を構成するものが揃いつつあった。
「…意外と声が渋いね」
「ハッ、つっこむとこはそこかい」
「…可愛くないなあ」
 と言いながらもおれの頭を撫でるのを止めない×××は相当の猫好きだ。おれなら窓から放り投げる。心のなかでそう思いつつ、話題を変える。こいつに飯を食うことを思い出させなければ。時間を見たわけでは無いが、もう朝も遅いのだろう。
「それよりも腹がへったねェ」
「はい!今すぐ用意するね」
「おめェさんも、朝ご飯食えよい」
「?勿論」
 訳わかんない、と表現できそうな表情をした×××に呆れつつ、お前は何時も人の飯を出すのを優先するでは無いかと言いそうになる口を溜め息に変えた。

 朝食兼、昼食を食べながら、×××がぽつりともらす。
「ねェマルコ?君って海が好きなの?」
「なんでェそう思った?」
 特別それを思わせる事は無かったはず、と思ったが、次の×××の言葉で意見を変えざるを得なかった。
「だってこないだ質問責めされた時、海関係が多かったから」
「…まァ、好きっちャ好きだねい、海はおれの生活の場だからなァ」
 そう言えば、と素直に感心して、人間くさくうんうんと頷く。
「船乗り?」
「海賊だい」
「へぇ〜、そうなんだあ」
「ま、信じなくても良いよい」
「ん〜、信じるよ」
「そうかい」
 真面目に返された訳じゃない言葉が、何故か心にしっくりきたのは何故だろう。全て分かっていると、柔らかく笑むその笑顔か。

「マルコぉ、お出かけしましょ」
 どうやら今日は大学には行かないらしい。昨日の今日では難しいか、ジッ、と×××を見つめるおれに、×××は眉を下げて微笑む。
「にゃいにゃい」
「ん〜、外は寒いからこれ着てね、あとキャリーケースに入ってもらうから」
 体に当てられる、ふわふわしたオーバーオール。何故ピンクなんだ。
「に゛ゃ」
「え?嫌なの?でもいくら昼間でも外は寒いから、我慢してね」
 分かってんなら着せるなよいと言ったところで、にゃーにゃー言うだけで言葉にはならない。言葉が出るのは不安定なようだ。はぁ、意外と自己中な×××に溜め息をつきながら大人しくキャリーケースに入れられて移動するおれは、その行く先に潮の匂いが鼻を付くことに気が付いた。
 朝の発言から、気遣ってくれたのだろうか、冬の、寒々とした海を眺めてそう思った。この世界の海は汚いな。オヤジは、無事だろうか、家族は。おれのいない一番隊は。
 俺を抱きながら、海岸沿いを歩く×××は、おれの心を読んだかのように、一人で喋り始めた。
「マルコ、海って凄く広くて、深いんだよ。地球の70%は海だし、陸よりも海の生物なんてそれこそ未だに未知のままなの。…だから、この世界の海が、仲間のいる海に繋がってるといいね。そうなんでしょ?マルコ、仲間の元に帰れるまで私の側に居て良いんだよ。私の勝手な願いなんだけど、やっぱり寂しそうな顔、して欲しくないから」
「…」
 おれァ、異世界だなんて言ってないんだが、×××の頭の回転、解釈の速さは凄いものだ。それでいてそんなセリフを吐けるなんて。驚きのあまり、カチンと固まって絶句したおれに、×××の静かに笑う気配。
「気づくよ、分かりやすいもん、別世界だから、海賊なんでしょ?悪いけど、今の時代、こっちでは海賊って言うのとは、あまり縁のない世界なんだよね」
「そうかよい」
「うん」
「帰りてェよい、寒いだろ?」
「あは、…オッケー」
 ×××を滅茶苦茶に愛おしいと思ったのはこの瞬間。子供で大人っぽくて、自己中で、人のことばかり気にしてて、守ろうと思って守られてちゃ話しになんねェよい。かっこつかねェ、と思いつつ、愛おしさがジワジワと体に浸透する。ああ、いっそのこと、コイツをさらっちまいてェな。
 そしてグリグリと頭を撫でくり回す×××に、初めて嫌な気分になることはなかった。

白ひげ海賊団、一番隊隊長の懐柔


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