text | ナノ

 ×××が白ひげ海賊団に入団したことは事実として残るが、彼女の中ではうやむやになったまま、航海を続ける事となっていた。しかし、そんな彼女の心情とは反して順調に船は進み、現在冬島の、春。船は入江に停められ、×××は彼の部屋を訪ねていた。
 ×××は一度彼を一瞥し、視線を反らしながら呟く。
「私、考えたんですけど…。マルコさんは、私に船を降りて欲しいんですか?」
「それは断じてねェ!勘違いしてるのか分からねェが、…」
 反射的に返された言葉は強く響き、×××は彼を真摯に見つめた。
 マルコにしては口ごもり、そっぽを向き、ややうつむき加減になる。
「聞きますから」
 このままでは、また、真実が埋もれてしまう。×××は、彼の口から、聞きたかった。本音が聞きたかった。
「信じてくれ、おめェさんは世界政府に狙われてる。おめェさんの使ってる書き言葉、ありゃ政府の秘密保持に使われてる奴だ。おめェさんの部屋の本棚、あの文字に見覚えがあったんだよい。しかも×××はそれが使える。理解されっと困るもんをだ」
 悔しそうに顔をしかめたマルコが悲しそうに彼女を見つめる。一度目を伏せて、自嘲気味に笑って呟く。喋る内に声が抑えられなくなる。
「それにおれは×××が、×××だって、気付いてた。だから、あん時もそうだが、今降りるのは、おれは許せねェ!…どうしようもねェエゴだ。ハッ、自分勝手な奴だよい」
 マルコは自分の手を祈るように握りあわせ、膝の上で震わせる。関節が白い。顔を伏せた状態から呟き、それは激情を押し殺したかのような響きを持った。
「すまねェ」
 ×××がハッ、と目を見張る。
「私、マルコさんとちゃんとお話がしたいんです。今回の入団についても、それに、お礼も言いたい、いいえ、言わせてっ」
 見る見るうちに目にウルリと水膜が張り、マルコは呆然とそれを見た。
「ありがとう、…本、当に!ありが、っ、とう、ございます」
 マルコを見ていた顔は反らされ、手で顔を覆い、小さくしゃくりあげる。それでも感謝の礼を言い続けた。すっかり狼狽の色を呈したマルコは、静かに丸まった背中をスルスルと撫でた。静かに語る口調は、すでに彼が反対しているかも危うい程優しかった。
「…何で泣く。おれはよい、おめェさんが白ひげ海賊団のクルーになんのは反対してんだよい。×××、おめェさんにはまだ帰る場所があるだろい。おれの時みたいに、消えちまう。何時になるかは分からねェが」
「違うんです!違うのっ…!聞いて!」
 ×××が彼の肩に手を置く。ギュッと肩を掴み、シャツに皺を作った。双眸から、尚も流れる涙をマルコは見て、彼女を優しく引っ張り、膝の上に跨がらせるように座らせる。素直に動いた彼女の膝が微かに彼のベッドに埋まる。頬を無骨な手のひらで包み、目尻に溜まった涙を親指で拭っていく。
「…ゆっくりで良いよい」
「私、戻らない。もう、向こうには、行け、ない」
 鼻声ではあるが、先程の動揺は無くなり、痛いくらい真剣な色をその夜空が凝縮したような瞳に宿す。
「何でそう断言出来る?」
「マルコさんは、どうして戻って来れたんですか?」
「…」
「あっちのマルコは、ヒドい切り傷で、冷たい雨の中倒れてた。こっちのマルコさんは、海戦で攻撃を受けて、意識が無かった、んですよね?」
「…」
「私、」
 困ったように、それでも仕方ないかのようにヘラリと笑う。無言で耳を傾けていたマルコは、彼女の次の言葉が予測出来た。それを、本人に言わせたくない、とも強く思った。眉根に力を入れて、険しい表情で訴える。
「言うなッ!言わなくて良い!」
 彼女の笑みは崩れなかった。
「死んじゃった」
「×××!」
 ギュゥッと背中に手を回し、キツく抱き込む。ワントーン高い悲鳴。×××に伝わる心音が早鐘のように打つ。
「マルコさん、大丈夫。私、最初から気付いてたんです。ううん。言われました。お節介な猫ちゃんに」
 自分の為に生きろって、唄うようにポンポンと言葉が飛び出す。懐古の色が滲み出る。彼女よりも相当なショックを受けたマルコの背中に、ユルユルと手を回し、空気のように軽やかに叩く。
「まさか、その猫助けて、とか言わねェよな」
「…」
 訝しむような視線に、彼女は小さく笑った。
「このッ、ばかかよい!」
「だって、アナタを思い出しちゃったんだもの」
「チッ」
 キツく閉じられた腕の拘束は消えないらしい。グッ、と一瞬腕に力を込められ、×××は肺から酸素を逃がす。直ぐ緩んだそれに×××は自然と甘え、無骨な指が組まれた手の平に体重を掛けた。
 目線がほぼ同等くらいになり、目の前の空色の瞳を捉える。
「それでね?でも、無事だったのは精神だけ。マルコさんも、精神だけ猫に宿ってましたよね」
「…」
 微かに揺らぐ金髪。目元には未だ厳しい色が残っており、×××は眉をハの字にした。困らせたい、呆れさせたい、失望させたい訳では無いのに。
「私のこの体の持ち主、とっても愛されていました。叔父さんも叔母さんも、それに街の人も。…申し訳ないんです。記憶喪失だって思われて、彼女じゃ無いのに×××と呼ばれて、マルコさんに呼ばれた時も、彼女を知ってた人かなって…分かんなくて、偽っていこうと思ったのに、でも辛くて…ッ。本当はいけないのに!でも、私は、あの船に乗って居たくて、…それで、彼らには全部話しちゃいました」
「×××は×××じゃねェって?」
「えェ。それに、あの子が居るんだって、唯一忘れられない子なんだって」
 島に残してきた人たちへの罪悪感が、素直に彼を求められない。一生明かすまいと思った事も前日破られ、×××は罪の意識と、抑えられない彼への愛情に押し潰されそう、と思った。
 全く、面影が無い、しかし同じ空色の瞳を見る。募る想いが溢れてしまいそうで、その存在に耐えられなくて、×××は眼瞼(がんけん)を閉じた。
「…なァ、何時、気が付いたんだ?」
「アナタの、海を見つめる眼差しかな」
 目を見開くマルコに、そろそろと瞳を露わにした×××はゆったりと微笑みかける。
「愛おしそうに眺めるんだもの。マルコとマルコさん、驚くほどそっくり。まァ二人ともアナタなんですけど」
 そうか、と掠れた声で呟く。吐き出す息のように空気のような言葉はそのまま溶けて無くなる。
「私、役に立ちたいんです。病人を目の前にして放ってなんかいられない性分もありますけど、治療が可能で、それを出来るだけの術がありましたし、何より、アナタが喜ぶだろうと思ったんです」
「そりゃ、嬉しいよい。初め、信じられなかったんだからない。しっかし、クルーになるとは思わなかった」
「けじめだったんです。向こうの世界と、彼らとの」
「×××は強いんだねェ」
 微かに赤く色づく目尻を擽るように撫でる。
「私が、白ひげ海賊団の船員になること、やっぱり反対ですか?」
「いいや、覚悟があれば良いんだよい。十分過ぎる程だ。もう、おれの否定しようもねェ、それに、居るんだろ?ずっと」
「そう、」
 静かな笑みを顔に乗せて、×××はごく自然に彼に回していた腕に力を込めて引き寄せた。彼が抵抗した様子もなく、おずおずと抱き締め返される、綺麗に筋肉の付いたしなやかな腕。×××は彼の肩口に額を寄せて、キュゥと強く抱き締めた。
 死んじまったのに、嬉しくて、堪んねェ、と思うマルコは自分を叱咤した。掠れた息をホゥ、と吐く。ギュッと結ぶ唇がもう一度解ける。空色の瞳に強い光が宿った。
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