text | ナノ

 ぽかぽかと暖かい陽気の春島の春。島に上陸すると、ニューゲートは船から見える満開の桜を見て、重い腰をあげた。
 夜――
「グララララ!×××!こっちに来い!」
 ここは、春島一番の飯屋であり、珍しくニューゲートも交えての夕食。盛り上がる中、呼ばれた×××はトトト、と彼の元に歩み寄った。
「はい?」
「よォーし、聞け!馬鹿息子共!今回、×××が念願の」
 ウオオオと声が挙がる。何を言われるかも定かでは無い内から歓声が上がる。ニューゲートの一喝が店内に轟いた。
「うるせェ!輝かしいこの白ひげ海賊団のクルーとなる!」
 爆発するような歓声。はやし立てる口笛、やんややんやと盛り上がる彼らにニューゲートは再三静粛にと窘める声。
「最後まで聞け!所属は科学班だ!×××はおれの病の治療の一端を担いでる!×××の乗船を祝して」
 ウオォオ!宴だァ!と誰の言葉だろうか、最高に興奮の極みの中、もうニューゲートの言葉を最後まで聞く者はごく少数に止まった。
 はァ、と全く残念そうではない溜め息を付くニューゲートに、×××は慰めるように寄り添った。
「…有り難うございます。私、頑張ります」
 大きな手の平に両手を添え、静かに頭を傾ける。グララと笑う声が直接彼女に響いた。
「回ってこい。今夜の主役だ、×××」
「…はい」
 瞳に溜まった涙珠を隠すように指で掬い、騒がしく談笑し、酒を飲み、食べ物を食う彼らに飛び込んでいく。×××が紛れる間際、背中にありがとうな、と掛かる言葉に彼女は首を回した。穏やかな笑みが帰ってくる。
 盛り上がる彼らの中、腕を引っ張られ、目の前に現れたのはテンガロンハットの彼。そばかすがある頬にえくぼが可愛い。
「よっ!×××!ホラ酒!」
「エース!ありがと」
 後ろからガッ、と肩に腕を回され、グラスを手渡す。二つあったもう一方はエースのものだった。
「おれ、×××がクルーになってちょー嬉しい!姉ちゃんってのは残念だけどな!」
「え、」
 グラスを少々乱暴に打ち鳴らす。手の中にある酒が揺らぎ、少しこぼれた。下に落とした目を上げる。熱っぽい目が×××を射る。赤い頬は酔っているようにも見えた。
 ×××の目が見開く。返答に困った。
「クラァ!エース!なァに勝手に口説いてんの!?」
「はァ!?ちがっ、違ェって!妹が良かったの!」
 パカンッ、と軽い音が鳴り、エースの顔が前に傾く。パッ、と×××を解放し、エースは、いきなりの奇襲を掛けてきた後ろを睨みつけた。モフッ、と額に刺さるリーゼントがエースを真正面から非難する。
 拳を真上に打ち上げてやたら前衛的なリーゼントを外し、焦ったように口ごもる。
「妹ってエース、お前…。おれはお姉ちゃんで良いけどな!こう響きが好きだぜ」
「サッチ!お前ほんとやだ!×××が勘違いするだろ!違うからな、×××!あれ?×××?」
 ×××はその喧騒を遠くで聞いていた。二人のやりとりをオロオロして、対応に困っていたところ、シルクハットの紳士に連れ出された。心の片隅でデジャヴが続くなァとぼんやりと思った。しかし、あの頃よりも、周りも、×××の気持ちも随分と変化があった。確かに変わっていた。
「やァ、×××さん。あの二人は相変わらずだな」
「どっちもどっちだからな〜」
 カチン、カチン。×××のグラスは一番下に、軽やかな音を立てる。
「あはは、ビスタさんにハルタさん、お楽しみですか?」
「勿論、×××さんがクルーになると皆喜んでる」
「うん、おれ×××はここが一番合ってると思う。×××お前頑張ってたし!」
「ありがとうございます」
 全面的に肯定する背景には、彼らの尊敬するニューゲートが居た。勿論それを知っている×××は目を細め、自然と口端が上がるのだった。
「あ!姐さん!」
「え?私?」
 掛けられる声。きょろきょろと見回しても、必然的に男性率が高い。×××が唯一周辺の中で女で…。驚いたようにオクターブ上がった声。そうそう!と肯定して、彼女の目の前に様々な容姿の者が多くなった。
 見覚えのある三人。
「おれ等、マジで嬉しいッス!」
「感謝してます!叱ってくれた時、スッゲェ冷静になれたんです!」
「おれ等、姐さんがクルーになるの、全面的に賛成ッス!」
「宴、楽しんで下さい!」
 半魚人の彼等は口々に×××に声を掛け、わいわいとグラスを合わせる。
 それじゃ!と人混みに紛れる彼等を何も返せぬまま別れた。何時かいざこざがあった事は綺麗に浄化されていた。嬉しいのだが、何故か極道向けの呼び名に×××は首を捻った。「…」
「クックッ、よォ×××。随分慕われてんなァ」
「イゾウさん」
「ホラ、」
 カチンと合わせられたグラス。グイッと一気に煽る。露わになった首筋、男らしい喉仏が上下に動く様子は、扇情的で、×××は不自然に目を反らしながら自分もなみなみと注がれたグラスの中を空けるべく、一口含む。
「あの、イゾウさんは、私がワノ国の言葉を使ってることが政府に目をつけられた理由だって、知ってます?」
「ア?うんにゃ、お前さん、政府に追われてるのかい?」
「…私もよく分かんないんです。すみません、忘れて下さい」
 イゾウの、キリリと濃い目縁が意地悪く歪んだ。ニヤリと笑って、唇の紅が艶めかしく蠢(うごめ)く。
「ま、ここに居るのが一番安全さね。マルコなら向こうにいるぜ、お嬢さん。行ってやんな」
「…」
 顎をしゃくるイゾウにつられて顔を向ける。ジョズの隣、長テーブルの端っこに、斜めに座るマルコは、長い足を組んで×××をジイと見つめていた。
 婀娜(あだ)な雰囲気を醸し出す彼にぺこりと会釈して離れる。
 ニコ、と小さく笑って、彼の元に小走りに走り寄った。
 彼女が、マルコの手前に来ると、彼も立ち上がり、そのまま緩く腕を引いて店の隅に連れて行く。他の船員の目が彼らを捉えていたが、何も反応は無かった。二人の関係よりも、今は飲んで歌っての盛り上がりの方が重要だった。
「どうしました?」
「船員になるなんて、初めて聞いたよい」
 おざなりにグラスを突き合わせる。グイッとグラスを空けて、後ろに放る。彼の一番隊員が落ちる前に拾った。無言でそれを見送った×××は、腕を組んで、壁に寄りかかる彼を見上げた。
「…言ってませんでしたもん」
「おれは反対だ」
「何故?別に戦闘員じゃない科学班よ?しかも彼の治療の」
 拗ねるような口調の×××。役立たずで白ひげの船員になるつもりは無かった。自分に出来ることを最大限に利用して、その実力を認めて貰いたかった。白ひげには勿論、この空色の瞳を細めるこの彼にも。
 しかし、マルコは一層眉間に皺を寄せた。
「そうじゃねェ、おれは」
「また、私から離れていくの?ただ、あなたの側で役に立ちたいだけなの」
「あれは不可抗力だい!それに、側に居るたってッ、おめェさん」
 悲しそうに顔をしかめて、俯く。グラスに注がれたお酒が氷っで薄まって、褪せて見えた。
 マルコが控え目に声を上げ、慌てたように付け足す言葉も、×××の耳には良く入らない。
 突然割り込む明るい声に、×××はパッ、と顔を上げた。腕を掴む手の平が燃えるような熱を持っている。
「×××!ちょっと来てくれよ!」
「おい、エース!今×××と話してんだよい」
「マルコ、×××はもう白ひげのクルーだ。第三者が言ったところで覆されはしねェよ。…×××借りてくからな」
 エースの顔を見上げても、彼は×××を見ていなかった。丸で敵を見るようにマルコをねめつけ、凛々しい眉が寄せられていた。低く発せられる声は聞いたことがなかった。
「え、」
「チッ、勝手にしろい」
 マルコの苦々しい顔で舌打ちをする。中途半端に切られた話に、×××は言いようのない不安に駆られた。だが、マルコを見ても、もう彼は×××を見ていなかった。盛り上がりを見せる船員の中に足を進めていた。
 エースに腕を引かれ、店の外に出る。どこまで行くの?なんて聞ける雰囲気でも無くて、煌々と明るい店の光が人混みに紛れ、人気も無くなって、海岸線に出る。もう腕は引かれてなかった。桟橋にぽつりとランプがぶら下がり、黒い波をオレンジに染めていた。
 砂浜に座り込んで、暫くどちらも話さないでいた。抱えた膝に顔を埋めるエースは、何かに懺悔しているようだった。×××が精一杯声を和らげて呼び掛け、背中をさする。
「エース、ねェ、エース。あなたちょっと変よ。何時もならマルコさんにそんな強く言わないじゃない。どうしたの?」
「そんなことねェ。アイツは自分勝手だ。×××は何時もアイツに振り回されてる」
「そんなこと」
「ある!」
 否定に強い肯定が被さる。伏せていた顔を上げる。強い意志の籠もった、黒曜石のように黒々とした瞳。×××は思わず口を噤んで、背中を撫でる手を止めた。下ろした手を、大きく、節榑(ふしくれ)立つ手がキュッと包んだ。炎の化身である彼の手は熱かった。
「なァ聞いてくれ。…おれ、姉とか妹とか、正直どうでもいいんだ。×××がアイツのこと好きだって言うのも知ってる。でも!アイツのことでいっつも×××は傷ついてる!これ以上、アイツの事で×××が辛そうな顔するの嫌なんだ!おれだったら、もうそんな顔はさせない!」
 ×××を射止める瞳。コクリと頷く×××は、真剣な彼の言葉を漏らすまいと居住まいを正した。エースの悲痛な叫び。
「×××が好きなんだよ!」
 眉根を寄せて吼えるエース。夜の海、海辺に寄せる波の音がどこか遠くの存在に思えた。彼の目を見ても、家族や友達に対する好意では無いことが分かる。目を見張った×××は、静かに伏せ、もう一度彼を見た。握られた手に力が無くなる。×××はその上から覆うようにそっと白魚のような手を滑らせた。
「エース、」
 彼女が思ったよりも慈しみが滲んでいるような声が出た。エースの眉がハの字になる。
「×××、ごめん」
「ねェ、エース。私、エースの事好きよ?でも」
 迷子の子供のような、幼い表情の彼に薄く微笑む。
「親愛」
「…」
 エースの表情を窺った×××は、彼の表情がしっかりと精悍な顔付きに戻っているので、驚き目をしばたいた。
「あァ。知ってる。×××がみんなのこと考えて一生懸命なの。そこが好きなんだ。おれにだって、そうだし」
「ごめんね」
 静かに頭を垂れる×××の上に、明るい声。
「んーん!な、だってこれからもおれたち家族だろ?」
 もう、先程の空気は霧散し、何時もの明るいエースに戻っていた。
「えェ勿論」
 にっこりと笑う×××を、エースはジイ、と見つめ、ニカッとえくぼを作る。
「…マルコ、ほんとメンドクセーけど、×××、頑張れよ?」
「うん、でも私がマルコさんを好きって…」
「え、好きじゃねェの?」
「いや、うーんと」
「あー、…うん、まァ、考えてみ?×××、自分が思ってるよりもマルコの事好きだぜ」
 手は自然と離れ、テンガロンハットを抑えながら立ち上がるエースは、遅れて×××の細腕を引っ張り、立ち上がらせる。隣に並ぶ×××を見下ろし、羞恥も見せない彼女に苦笑した。不思議そうに首を傾げている。
 暫く海岸線沿いに歩き、それでもまだ分かった様子を見せない彼女にエースは苦笑し、手を強引に引っ張ったのだった。
 誰かをあざけり笑ったかのように薄く引き伸ばされた月が沈み欠けていた。

さよならの方法
こんにちは、新しい家族
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