text | ナノ

 秋島を無事出航した白ひげ海賊団は、只今海の真っ只中におり、暑くも寒くもない、ただ風が強く吹きつける中、船を進めていた。甲板に出ていた×××は連日実践練習を怠ることの無い彼らを眺めていた。
 食堂を出て直ぐ下の階、壁際に積み上げられた木箱の上に座り、壁に背中を預ける。傍らにあった扉が空き、顔を向ければマルコで、向こうも少し驚いたように目を開いた。
「おはようございます」
「ああ、…訓練なんか見て楽しいかい?」「えェ、とても。皆さん一生懸命なのが分かって、ニューゲートさんをとても慕っているのを感じますから。こういうの、凄く良いなァって思います」
 渇仰(かつごう)の色が宿る瞳が甲板で動き回る彼らを見つめる。口元に浮かぶ笑みは穏やかで、マルコはマジマジとその笑顔を見つめ、視線を戻す。彼の唇がうっすらと弧を描いた。
「…そうかよい」
「エース、って可愛いですよねェ。末弟だからかと思うんですけど」
「…」
 ×××の視線が上がり、マルコは浮かんだ笑みを隠すように、苦虫を噛み潰したかのような表情になった。×××の唇が緩む。視線が合い、更にマルコの表情は歪んだ。猫だった時を思い出した。こういう表情を彼女がする時、彼にとってあまり良いことが無かった。
「ふふ、マルコさん、言ってましたもんね、可愛い弟だって、声真似までしてくれましたもんね。あの時」
「まァ…」
 あの時、と言われ、マルコは目を泳がせて、直ぐ合点いったように頷く。緩く首の後ろをさする動作はばつが悪いのか、すっかりへの字になった唇。×××から目を反らし、エース率いる二番隊が訓練している様子を眺めた。
 手を口に当て、クスクスと笑う×××も、彼に倣い、二番隊の方へ目を向ける。丁度此方を向いたエースが、一拍置いて、満面の笑みでぶんぶんと二人に向かって両手を振り上げた。
 ×××が笑って手を振り返す。直後、二番隊の隊員だろうか、エースの背後にいた二人がテンガロンハットごと彼の頭を叩いた。前に崩れた彼を抱えて、×××とマルコにペコペコと頭を下げる隊員。そこで、マルコは吹き出し、×××も声を上げて笑った。遠くで不平不満を喚くエースをBGMにして、蒼と黒の視線が混じり合い、また、笑った。



 天気が良かった為、朝と昼すぎ、本日二回目の洗濯を終えた×××は、ガラス室で育てている植物、これはニューゲートの治療に使っているヒマと言うものだが、を見に行った。以前、海賊が奇襲を掛けてきた時、彼女が密かに慌てた原因である。現在も異常なくスクスク育つそれらを観察しながら、レポート用紙を引っ張り出しサラサラとメモを取った。
 だからか、夢中になっていた×××は、直ぐ背後に佇んだ人物に気づかなかった。
「×××?」
 彼女を呼ぶ声は訝しんでいるのか、何時もより低かった。反射的に手元の紙を胸に当てる。振り向いた。逆光で、彼の表情は窺えなかった。×××は光に目を細め、ゆっくりと立ち上がる。
「どうしました?マルコさん」
「いや、」
 と、マルコはここで言葉を切り、×××の手元に目を落とす。×××はピクリと肩を震わせたが、特に何も言わなかった。
「…、島が見えてきたんだい。見たくねェかと思ってよい」
「本当ですか?行きます行きます!ちょっと待って下さいっ」
 ×××の居場所を聞いてここだって、と続くはずの言葉を彼女は自然と遮り、早口で取り繕った。何かを隠す様な動作には目を瞑り、それでもワクワクと胸を踊らす様にマルコは小さく笑った。
 甲板に行くと、それはもうヒドい騒ぎで、何時まで経っても島が見える感動は色褪せないのか、船首には人集りが出来ていた。
「む、み、見えないですよねェ…」
「…すまねェ」
 女の中で身長が平均でも、白ひげ海賊団の船員に平均的な体格の男は少ない。何時も話すときは見上げてばかり居る彼女は、その分厚い人壁の向こうなど知りようも無かった。
「マルコ、…に×××じゃないか」
 苦笑いする二人の背中に投げかけられる声。
「ジョズさん」
 ×××が振り返り小さく笑う。
「島か?」
「ン?あァ、年甲斐もなくハシャぐ奴らが多くてよい」
 ×××の傍らに立ち、水平線の向こうに有るらしい島を眺めて言うジョズ。顎髭をさすりながら考えるような仕草をする彼をジョズはチラリと見て、×××に視線を落とし、納得したように頷いた。
「確かに、少し失礼するぞ」
「へ?は!?」
「…見えるか?」
「え!あ!いや…、すみません…」
「おかしいな、確かに目の前に島はあるが」
「あの、ゴメンナサイ、ジョズさん大丈夫ですから、降ろして――」
 ジョズが×××を軽々と抱き上げ、広い肩に乗せる。突然の事にわたわたバランスを取るのに必死になり、ジョズが控え目に問う。若干の視線を集めつつ×××は目を凝らすが、目を細めても、ぼんやりとゴマのように小さな影があるような無いような。
 ジョズが首を傾げる頃には、×××が周りの視線に居たたまれなくなり、トントンと彼の肩を叩いた。
「む、すまない」
「いえいえ!ありがとうございました!」
「目、悪いのかい?」
「えと、少し」
「×××、船尾に来てくれよい」
 窺うようにやや身を屈めるマルコは×××を見た。苦笑いして×××が自信なさげに言う。マルコはヘェ、ともふゥん、とも返さず、やおら彼女の耳元に口を寄せるようにして囁いた。流れるようにして体制を戻し、×××の反応も見ないまま、マルコは島から背を向けて、その長い足を動かす。困惑したように、マルコと周囲で盛り上がる彼らを見比べる。ジョズが×××の背中を撫でるように押した。
「あ、ちょっと、行きますね?」
「あァ」
 あっという間に船尾の方に行ってしまったマルコの背中は何処にも見当たらず、×××は心なしか、急ぐように足を出す。
 船首が騒がしい為、船尾の静けさが耳に痛い。呼び出した肝心な彼が見当たらず、×××は目の前で燃え上がる青い鳥に目が瞬いた。
「マルコ、さん?」
 強く、あの頃の面影を見い出す×××は誘われるようにソロソロと近づき、ヨーイと小さく鳴いた彼の顔に手を伸ばす。随分高い位置に存在する頭が下がり、撫でて良いのかな、と思った×××が頬を緩ませると、再び突然の浮遊感に襲われた。
「ふわ!?」
 ポスン、と、燃え立つ羽毛は暖かく×××を包んだ。彼の背に跨がるようになった×××は咄嗟に体を支えるよう手を付く。彼に見えないことを良いことにニンマリと微笑み、手を這わせた。
「わー…。気持ちー。すっごいフワフワ!可愛いー。あー、癒される。ね、どうしたの?うふふ、かーァいいーなァー」
 さわさわさわさわ、なでなでなでなで。背中に乗ったまま、その上体をベッタリと密着させ、理性が無くなった×××は両手で青い鳥を撫で回した。
 くすぐったいのか、身を捩らせた鳥はもう一度鳴き、翼を広げる。ふわりと飛び立つと、あっと言う間に高度を上げた。
「わっ!」
 なでくり回す手を止め、首元にすがりつく。切り裂いてく風が×××の顔を打ち、暫くギュウと目を瞑った。ヨーイと鳴く声に、何時の間にか穏やかになった速度。ふわふわと×××体を炎が舐め、真っ青な空に浮かぶ。
 わぁわぁと聞こえる歓声。かなりの高度にいるにも関わらず、そっと下を覗けば、巨大な白鯨。囲むようにして遊泳する黒い鯨。ホゥ、と落とした吐息は青い炎を揺らした。
「凄い…、あ、船。…島が」
 淡い桃色が島を包む。春島だと言っていたそこは今、桜が満開を期していた。感嘆の溜め息ばかりを落とす×××は時折彼の体をなぜる。カクン、と一瞬高度が落ち、緩やかに旋回しながら高度を下げた。
 ×××が時折空気を掴むようにフワフワと首元を撫でさする。ヨイヨイと鳴く声が、彼の特徴のある語尾を思い出し、×××はクスクスと笑った。
「ありがとう」
 腕を柔らかい羽毛に埋め、突っ張るようにして起こしていた上体を、ペタリと倒す。無意識に頬擦りしながら、労るように背中を撫でると、またガクンと高度が下がる。ヨーイと弱々しく鳴くと、再び大きく旋回し、高度を下げていった。
 フォアマストの見張り台に滑るようにして着陸し、×××を下ろした彼は瞬きする間に人型に戻っていた。
 そこで、マルコの姿を捉えた×××は瞬く間に頬を赤らめた。不死鳥になっていたとは言え、元は人間だった。誤魔化すように声を上げる。
「マルコさん!」
「楽しかったかい?」
「勿論!あ、島に着いたら一緒に回りませんか?」
 マルコが彼女の頬の赤に気付いた様子は無く、寧ろ、些か伏し目がちに彼女から目を反らすようにツイ、と視線を海に投げ掛ける。見える島は、段々と形がハッキリととらえられるようになっていた。
「いや、悪いがやることがあってねい。他の奴誘ってくれるか?」
 ここからだったら、近付いてく様子も見えるだろう、と言ったマルコは、残念そうな×××の顔を島に向けさせた。パスパスと頭を撫でられ、×××が振り向くと、既に彼は居なくなっていた。
 段々と大きくなり、直ぐ目の前までに島が迫る様子を十分眺めた×××は、船を入江につける作業に終われる彼等を縫って、船首に腰を掛けた。吹き付けてくる春一番に髪が舞い上がり、何度も撫でつける。上空から見た、こんもりと存在した丘に一本の大きな桜の木を見て、見せてあげたいなァと思ったのに、肝心の彼はどうやら事務仕事に追われているらしい。ぼんやりと海に溶ける桜色の花弁を目で追っていると、後ろから声が掛かった。
「おーい?×××?出掛けねェの?」
「…うーん、一緒に降りてくれる人がいたら良いんですけどね」
「…」
 スッ、と後ろを向いた彼は、大声で、仲間に断りを入れているらしい。じゃあ今度な!と向こうの返答も来て、×××は目を見開いた。
「エース?あの、別に気を遣わなくても良いですよ」
「あ?…じゃあさ、この間断ったやつ!埋め合わせな?」
 にっかりと笑うエースに、×××まで笑みが零れる。
「はい、喜んで!」
 エースは何時もの格好に軽くシャツを羽織って、×××は淡い色合いのカーディガンを羽織って船を降りた。
 固く踏み固められた道に、木製の店。隙間無く並ぶそれらを視界に入れて、ほんのりと暖かい中、彼と並んで歩く。穏やかな春の陽気に、町人らの表情も明るい。
「な×××、彼処でさちょっと食えるもん買ってかね?」
「良いですよ〜。お腹減りました?」
「へへ。まァな。それにさ、向こうの方に桜がスゲェ咲いてるの。見たいだろ?」
「あ!それなら、上から見たんですけど、丘の上に大きな一本桜があったんですよ!」
「お。じゃ、花見と洒落込もうぜ!」
「ふふ」
 昼と夜の真ん中、日が天辺からずれてくる頃、×××とエースは丘の上方を見上げた。遠いはずのそれは大きく主張し、空に桜色を散らせていた。
 適当な店に入り、どうにもちょっとの量では済まなさそうな量の食べ物を買う。店から出ると既に飴を口に含むエースに、×××は仕方ないなァ、と心の中で呟きながら微笑んだ。
「よォーし、歩くぞ!」
 紙袋を抱え、空いた片方の手を上げる。しっかりと手を握られていた×××は、釣られるように手を挙げざるを得なくなり、それでも緩い周りの雰囲気に絆されたのか、元気に返事をした。すると、突然彼女の腰あたりに衝撃がくる。
「はい!いたっ、…え?」
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