text | ナノ

 秋島の冬、白い鯨は入江に落ち着き、強面の海賊たちはさっさと街へ繰り出していく。ログと言う、不思議な方位磁石が次の向かうべき島を指すまでの時間は丸一日程らしく、×××は寒い外気から身を守るようにコートを着込んだ。エースが×××の元を訪れ、遊びに行こうとせがんだが、断っていた。部屋から出てこないニューゲートも気になったし、一応保護者となっているマルコの許可を取ろうにも、肝心の彼は見当たらず終いだったから。しかし、エースは僅かに残念そうな素振りを見せたが、自分の隊員が誘ったそれに喜んでついて行ってしまい、×××は微かに瞠目するのだった。
 ニューゲートの部屋を訪れた所、どうやら体調が優れない訳では無かった。最近船医やナース等が執拗に禁酒を勧めるものだから、部屋でしっとり飲むのだそうだ。×××も、好きな酒を小うるさく言うのもどうかと思い、やんわりと注意しただけで部屋を出て行く。驚いたような表情に苦笑した。彼の病気を治すなら禁酒が最短の道であるにも関わらず、当の本人が止めないのだ。×××は、にっこりと笑って、彼のこれからの変化を楽しみにしていた。多分、自然と控えるようになるだろう。
 船は、何時もの活気は無く、見事に殆どの者が外に出ているのが伺えた。
 昼頃、隊長であるサッチは不在であったが、コックによって作られた昼食を頂く。そこで船番が一番隊であることを知った。と言っても、隊長を見かけた訳では無かったが。
 日も、高くなると、少し厚めのコートは必要なくなり、×××は毛糸のカーディガンを羽織った。船室から甲板に出る。涼しい風が×××の頬を撫でた。
 ニャー、と何処からか声が聞こえた。
「…海猫、か」
 頭上を旋回するカモメを見つめる。青い炎がチラリと空に舞い上がった。彼らは冷たい海面にもプカプカと浮いていた。何時もの活気の無い甲板を歩いていると、自然と前の世界を思い出した。
 大学生だった。院生になり、助教授にもなりかけた。研究員になりたかったのが本音だったが、教授になるっていうのでも良かった。それでも良かった。
 手すりに手を滑らせながら船縁に沿って歩いていく。
も此方の世界に来て、自分が自分で無いことを知った。叔父叔母の話を聞いて酒屋の店主もやった。細々と自分の興味も扱った。それは白ひげ海賊団の船に乗船してからも変わらなかった。
 ザラザラと、潮風にやられて、手触りの悪い手すり。
 もう、完全に自分の体として扱っていた。彼等には衝撃的な真実であっただろうと、×××は静かに思った。
 チラチラと青が×××の視界の端を横切った。
「…」
 源を探して、×××はギィと軋む甲板を踏みしめる。
 その青には見覚えがあった。×××の目の前に、青が見事な炎がいた。鳥、だった。どうやら眠っているようで、ふわふわと舞い上がる炎はそのまま、体が微かに膨れては戻る。頭部に金色が混じる冠羽(かんむりばね)が風に揺れて、滑らかな体部に流れていた。閉じた目の周りの模様に確かな既視感を覚える。
 誘われるように近付き、尚もクルルと微かな寝息を立てて眠る鳥の手前でしゃがむ。大きい。長い尾羽はシャラリと音を奏でそうで、数珠が繋がっているような、不思議な形のそれで、三本、存在した。チラチラと燃える風切り羽の先。青と金色のコントラストが綺麗だった。
 ×××はゆったりと微笑んだ。丸まる様子が彼と同一のものであった。チラチラと舞う炎のような羽。×××は目で追って、ゆっくりと戻した。
 確か、不死鳥と言ったか…。
「マルコ」
 スルリと華奢な手を頭部に滑らす。シャラリと、腕に付けたブレスレットが音を奏でる。酷似した青に笑みを深めた。ふしちょう、口で形を作り、音にはならなかった。暫く無言で撫で、起きない様子に微笑んで、その場にぺたりと座り込んだ。木の温もりは冷たかった。
 その時だ、ボボボと激しく燃え上がったかと思えば、×××の手首に圧力が掛けられたのは。離すまいと篭められた力が弛んだのは、目の前の長身の男がその青に良く似た目を見開いて、その中に彼女を映し出した時だった。×××も同じ様に目を見開いた。薄く開いた唇が起きてたの、と狼狽の色を含んで震えた。
「おめェさん…おれがマルコだって、気付いたのかよい」
「違うっ」
 身を引こうと後ずさる彼女を、繋がっている手首が許さない。怯えたように、眉を顰め、とっさに否定する姿勢は、その言葉が嘘であることを如実に示した。マルコの鋭い声が中に放り出される。
「違わねェ」
 気怠そうな目は剣呑な光を帯び、ジ、と自分より小さな存在をねめつける。サッ、と逸らされる顔。マルコは、認めようとしない彼女が焦れったく思えた。
 早く認めちまえ。
 ×××の暗く、落とされた視線が、ただ唯一不可解だった。
「知ってた、もう、気付いてたの」
「…何時から」
 吐き捨てるように、甲板に向かって呟く。罪を告白するような雰囲気で、マルコは緩めない瞳の厳しさの儘、ゆっくりと問う。
 パッ、と×××の顔が戻され、マルコと視線がかち合う。途端にマルコは眉を下げた。弓形の眉の傾斜が下がった。
 彼女の目は、後悔するように、自分を責めるように歪んだ。しかし、確かにあの時、マルコに向けられていた、情愛、慈しみ色を孕んで、見え隠れしている。
「ああ、もう。何でそんな顔して寝てるのっ」
「…」
 マルコの問いに答えは無かった。彼女の迷っている瞳に、マルコは瞠目するだけで、何も言えなくなった。手首を掴む手は、もう緩んでいて、今×××が力を込めて振り払えば容易に外せるような拘束だった。
「言わないつもりだったんです」
「…」
 悔しそうに顔をしかめる。人型になって、スラリと背が高い彼を見上げる。
「だって、人間なんでしょう?」
「あァ」
 どうしようもない現実に、マルコは肯定を絞り出した。猫であったならば、彼女は何の抵抗もなく彼を受け入れたのだろうか。人間であることが、間違いであるかのような感覚を覚えた。直ぐ、否定した。彼女は、限りなく親愛を込めて、マルコに気遣っている体が見られた。
「マルコさんに、」
「マルコっては呼んでくれねェのかい」
「私、目上の方に対する礼儀はキチンとしたいんです」
 だが、マルコは、即答で答える彼女の様子に、猫だった頃の自分が少し羨ましくなった。これまでの行いを反省するかのように、彼女の対応は生真面目に厳粛に行われた。
「…」
「猫じゃ無いんですもの」
 真面目な彼女、何度も繰り返される現実に、マルコはうなだれた。
「あァ」
「だから、普通に、人間のマルコさんとして、付き合っていくつもりだったんです」
 だって、困るでしょう?と眉をハの字にして言う。
「…―――よい」
 そうか、と返す言葉は小さすぎて風に浚われた。マルコの薄い反応に、×××は頭を揺らした。
「許してくれますか?今まで黙ってきたことも」
 縋るように見つめられる。目は微かに潤んで、この告白が、彼女にとって重大な問題であった事が分かった。
 マルコに否定の余地は無かった。
「仕方ねェことだからない。×××の気持ちは分かった。だから、もう気にすんなよい」
 すまねェ、と呟き強く握っていて、拘束も形しか無かった手首を離す。赤く、痕が残っていた。一度目を細めて、顔毎目を背ける。立ち上がり、伸びをする彼は、あの小さな猫と似ても似つかなかった。
 そのまま歩き出そうとする彼の広い背中を追って、×××は小さく呼びかける。
「あン?」
「あの、でも、たまに、不死鳥になったりとか、出来ませんか?駄目なら良いんです!勿論無理はして欲しく無いですしっ」
 好奇心と言うか、欲望というか、やはり獸型が猫の名残を残しているからか、控え目に、マルコを見上げて言う×××。しかしその瞳に宿る必死さが伝わり、無意識の上目遣いにマルコは苦笑した。
 変わらない彼女に快い返事を送る。×××だと、何時もは嫌だと切り捨てられるお願いが例外になることを、以前から身を持って知っていた。
「他言無用だからない」
 淡く微笑むマルコ。×××の弾む声が彼の鼓膜を震わせた。

沈黙の埋めかた
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