text | ナノ

 今日は大学の講義が午後に二つあって、丁度バイトも無かったから、この誘いを断るのに理由なんて特に無かった。
「×××〜」
 そう声を掛けてきたのは、同じ講座を取っていて、私が植物の抽出液から人体に関係のある薬剤を既存のも含め、同等の効果を発揮するのを探ろうとする少し気が遠くなる研究をしているのに対し、彼はそれも気が遠くなるような物理化学を専攻に研究を進めて居る人で、佐武くんといった、比較的仲の良い学友だった。情けなく伸びたその声に反応した私は話を聞けばどうやら行き詰まっているようで、内容もマイナーだし、私しか頼れる人が居ない、と両手を合わせられれば相談位ならのるよ、と快い返事をしてしまう訳で、
「〜〜だからさ!頼むよ、食事代は奢るし、な?」
「ううん、良いよ、もしも役に立たなかったりしたらごめんね」
「良いよ!×××さ、気分転換ついでで付き合ってもらう感じで、本当に気負わなくて良いからさァ、」
「分かった、じゃあどこで話そうか」
「おれ、オススメあるから!そこで良い?」
「オーケイ、案内宜しく」
 爽やかなイケメン風、と称される彼がニカ、と笑う。私もつられてニコと小さく笑みを返して、彼の案内に任せたのが二時間前、程よくお酒も入って、コンビニで買って呑み直しながら話そうと流れて、自分のアパートに連れてきたのが深夜手前。
「ただいまぁ」
「おじゃましまーす」
「適当に座ってて、あ、猫が居るからちょっとご飯あげちゃうね」
「おー。悪いなァ、飼い主一人占めしちゃってよ」
 面白そうに喉の奥で笑う彼は段別悪いだなんて、微塵にも思っていないのだろう。私は少し反応に困って、小さくそんなこと無いでしょ、と返し、眉を下げた。
「こんなに遅くなっちゃって、悪いことした。マルコ〜ただいまぁ、遅いけどご飯だよ〜」
 やはり、機嫌を損ねたようにブンブンと左右に尻尾を振るマルコ。バシ、と尻尾で、ご飯を用意する私の腕を叩く彼に一層罪悪感にかられた。ごめんと一撫でし、お詫びにと、何時もより豪華にあしらったご飯を食べさせ、佐武くんの元に行くと、彼はコタツを挟んで向こうにあるベッドに腰掛けてた。
 佐武くん、と声が漏れると、腕に抱かれていたマルコが嫌そうに腕をふりきり、サッ、とリビングの方に行ってしまった。佐武くんがニコ、と笑い、嫌われちゃったかな、と言うもんだから、私はいやに焦って、機嫌を損ねちゃったと言いながら、彼の座るベッドの、手前にあるコタツの側面にしゃがみ、コンビニの袋に手を掛けながら口を開こうとする。
「ごめんね、今、」
「×××」
 用意するから、と言おうとした声は遮られ、呼ばれた名前に、佐武くんに目を合わせれば、彼の目がやけに深い色になって見えて、ちょっと怖い、と思った。その瞬間に袋に伸ばした腕をグイッと引っ張られ、彼の膝に手を付く、
「何?…え!んぅ!…んんー!なぁっ、―マぅみてっ――やぁ」
 そのまま上の方に引っ張られながら、乱暴に口を合わせられる。何するのよと言って、直ぐに後悔した。そのまま舌を自分の口に迎え入れたようになり、嫌悪感にギュッと眉を寄せる。しつこく×××の舌を追いかけるそれを追い出そうとすると、自然とお互いがねちっこく絡ませているようにも見えて、怪しい空気が流れる。なんとか腕でバシバシと叩き、押しのけてやっと口を離される。
「×××、」
「マルコがみてるっ、何するのよ!」
 確かな色欲を滲ませて己の名を呼ぶ佐武に、怒りで震える×××は近くに感じる猫を思い、強く非難した。佐武の眉が心外だとばかりにクイと上がり、ハの字に変わる。
「な、分かってるんだろ?夜中に男を家に入れることくらい、おれの気持ちだって」
「ごめんなさい、でも私、そんなつもりじゃっ―ぁむっ、ん、―ふぅぅっ――ッ」
 否を唱える×××の口を黙らすかのように再び唇に噛みつく、肩を掴み、ベッドに縫いつけるように押し付けた。逃げ惑う私の口内を蹂躙する舌が気持ち悪い。肩に掛かる力が、首に移る。私は急に恐ろしくなって、がむしゃらに暴れた。振り上げた足が男の急所を捉え、それに怯んだ男は口を離すが、カッ、と怒りに任せ、×××の顔を打とうと、手を振り上げた。その瞬間、ゾクッと背中を駆け上がった寒気に身を恐怖とは違う何かに震えた。
 佐武くんが、バッ、と立ち上がり、 震える私を見下ろす。
「チッ、娼婦の娘の癖にお高くつきやがって!」
 捨て台詞を吐く佐武くんに、私の目から、ツ、と一筋涙が頬を滑る。そして、リビングとベッドルールを繋ぐ間にいるマルコを蹴ろうとして、私は声を上げようとしたが、マルコはその足をぴょんと飛び跳ねて避け、その足を利用して駆け上がると佐武くんの顔面をガッと引っ掻いた。思わずワッ、と声を上げてしまった。一瞬鋭い視線を感じて、口に手を当てた。クソッと私か、マルコを罵る声が聞こえ、暫くしてバタンと乱暴に閉じられる扉。私はそこでワッと泣き出してしまった。声が出ない。ヒクヒクと喉が引きつる。時間にしてそこまで経っていないのだろう、枕にに顔を埋め、しかし佐武くんのあの様子を強く思い出してしまい、長くそこに留まれなかった。直ぐに後退り、足元の方で出来るだけ小さく体を縮めた。こんな風にして彼との関係が終わってしまうのは辛かった。
 チョン、と冷たい鼻面が私の膝を抱える腕に当たる。
「マルコ…、嫌な所見せちゃったね。大丈夫?彼本当は良い人なの努力家だし、気も利くし、…でも、お酒のせいかな…、あんな風に振る舞う彼なんてみたこと無いっ」
 顔を上げれば、すぐそこにマルコがいて、徐に手を伸ばし、大人しい彼をギュッと抱き込む。つらつらときっちりと英語に直し、佐武くんの話を聞かせると、マルコはグルグルと喉を鳴らした。全然分かって無いよい、と言った声が私の頭に響くことは無かった。そして何時もの流れで、マルコにキスを落とそうとした私は、ふと、自分の口が気持ち悪くなって、くしゃりと顔をしかめた。
「ごめん、汚いよね、洗ってくる」
 マルコをベッドに下ろし、ヨロヨロと立ち上がる。擦った目はまだ涙が止まることを知らず、思ったよりもショックが大きいのかと自嘲の笑みを浮かべた。玄関には鍵が掛かっていなかったので、しっかりとチェーンまで掛け、それから洗面所でバシャバシャと顔も口も念入りに洗った。それでもあの生々しい感触が消えることは無く、ポロリと涙が落ちた。タオルで顔の水分を取りながら、ベッドに戻る。
 もう全然お酒を飲む気にもなれないし、明日の大学にも行きたくなかった。
 ベッドにまた体育座りで落ち着くと、彼のフニフニした肉球が、慰めるように私の頬にペタリと当てられた、彼の優しさに、私はマルコぉ、と震える声で呼び、泣きながらへにょ、とだらしなく笑った。またギュッギュと抱きしめられることになったマルコは、少し苦しいのを我慢して、ハァと人間くさく溜め息をついた。
 暫くして落ち着いて我に返った私は、マルコが怪我猫で、まだ完治していないのに、強く抱き締めていることにハッとした。パッ、と手を離し、クタリとする彼に平謝りしつつ、包帯を剥いでいく。少し血の滲むガーゼを剥がしたら、何だか良く分からない状況になっていた。傷跡も、普通ならば傷跡に沿って生えなくなる毛も、フサフサになっていて、他の小さな怪我も何処にも無かった。ツー、と怪我が存在してたであろう所を指で確認するようになぜる。くすぐったそうに身を捩るマルコ。私は、半ば自分は何を言っているんだろうと思いながらつらつらと言った。
「マルコ、私不思議な現象にであっているわ、傷が…、完治?してる、まるで何にも怪我なんかしてなかったみたいに…」
 みゃぉう、と鳴く。何を言っているのかは分からなかったが、何やら気まずそう、何だろう、後ろめたそう?よく分からない返事を貰った私は、順繰り返って思考を巡らすもサッパリなので、余り深く考えないようにした。
「でも、良かったのかな、綺麗なまんまで、ね?それとも私の治療が功をなして奇跡を呼び起こしたんだ」
 にゃいにゃいと返事する彼に、驚きの声が挙がる。そりゃ話しに無理があるってェもんだい、と副声音。ニコと微笑みながらその小さな頭を両手に挟んで、指で耳の付け根を抑えながらグリグリと撫でまくる。手を止め、チュ、と鼻面にキスを落として、暴れる前に抱き込んだ。
「ジョーダン。…ねぇ、一緒に寝よう?」
 パタリと横になって、マルコの目に自分の目を合わせて、パチパチと瞬きする。にぁー、と気のない返事をするマルコにありがとう、と言って額にキスを落とし、着替えるから、と言って、律儀に向こうを向くマルコにつくづく人間くさいと微笑みながら、パパッ、と着替えて、再び彼を抱き寄せる。ギュウギュウと胸元に押し付けると、彼は私の顔に肉球を当て、これ以上近づくなと突っ張る。そんな彼を擽りの刑に処せば、直ぐ諦めて丸くなった。やっと静かに眠りに落ちた私にマルコは溜め息をつき、小さな決心を胸に抱かせているなんて勿論私の知る由では無い。
 無自覚に、鈍い、悪気無しのこの女を守れるのは俺くらいかねい…。

白ひげ海賊団、一番隊隊長の決意

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